敬老パス制度改悪⑥…自分さえ良ければ

議案質疑(3月5日)の中村玲子議員の質問も市の主張する制度変更理由を粉砕した。市は大量のバス更新が必要であって多額の経費がかかることを有料化の理由の一つにしていたが、同議員は、バスの更新は定常的な設備更新、つまり通常行われるべき減価償却行為である、その経費も積み立てられていると一蹴した。高槻市民の健康寿命が長いことにつき市は、他の施策と相まって効果の出ているものでありバスだけの影響ではないと主張したが、そこでいう「他の施策」は他市も行っており、高齢者バス無料乗車制度だけが他市と違うのだ、だから健康寿命はバス無料制度と因果関係があるのだと、市の論理を崩した。崩されたまま、市の反論はなかった。条例改正(改悪だ)に賛成する議員が多い情勢だから反論も必要ないのか。
このあと賛成の立場から久保隆議員の質問、真鍋宗一郎議員の意見表明があった。久保議員の質問は、市営バスは守るべきである、自動運転など技術の進展も視野に入れた将来の交通システムを展望しつつ総合的なまちづくりをする初年度にしてほしいとの発言を含み、聞かせるものがあった。そこは同感だ。人をもって言を廃せず。発言者が誰であろうとも聞くべき言葉は聞かねばならない。
大問題が一つ。本会議の議案質疑の中で(委員会での説明においても)、現在70~74歳の高齢者は無料制度が維持される(高齢者100円負担は、現在のパス保有者には適用ない)からいいのだ、という市の説明があった。同じ論を展開する議員もいた。ここが問題なのだ。今70歳の自分は良くても今から70歳になろうとする人たちは困るではないか。自分さえ良ければ宜しとする風潮を行政があおるのか。とんでもないことだ。行政・公党ならば社会全体の福祉向上のための政策を論ずるべきなのだ。そうして望ましい社会をつくり、次代に残すのが大人の務めではないか。街の署名者の中に「自分は75歳で関係ないが、これから70歳になる人のために反対する」とおっしゃる方があったとは中村玲子議員の質問の中で紹介されたエピソードだ。健全な市民がいることは嬉しい。
総じて、議会は、議論未完のまま議事を終えた。少数派の質問は制度変更に合理的根拠がないことがあぶり出したが、議事はそこで終わった。形式的な答弁はあったが、少数派の疑問を解消できる内容ではなかった。多数を占める賛成派の論は市の説明を鵜呑みにするだけで独自の見解は乏しく、少数派を納得させる論を持たないまま数だけで圧した。(続く)