敬老パス制度改悪⑧…エピローグ

う~ん、わからない。
無料制度の堅持といいつつ、現行の制度そのままではなくて、75歳から無料になるのだという。堅持じゃなくて後退だろうに。
昔の70歳と今の70歳は違うんだという。今の70歳は若いんだと。しかし、自分がなってみてわかるけど、70歳過ぎたら体力がなくなる。あれれ?この道は坂道だったのかと、近所の道を自転車で走って思うこともある。10年前は気づかなかった。爺さんは爺さんなのだ。
市バスの経営状態が苦しいという。なのにシステム変更などに1億5千万円も使うという。それを回収するのに、70~74歳の100円負担による収入を充当するなら、5年もかかる。ただし逸走率20%として。逸走率50%となったら、何年かかるやら。
市バスは将来、経営状態が苦しくなるという。だけど市はJR新駅設置のために2020年度に50億円もの予算を投入するんだとか。わからん。ちなみに市バスの平成29年度決算をみると収入総額は約35億4千万円、支出総額は約34億8千万円。
交通政策の要諦は、安全・確実・利便にある。そこに経済合理性をともなうことは言うまでもない。一定の波及効果も期待される。それは大道を敷いた飛鳥時代の昔から(島本にも大道が地名として残る)現代まで変わりはない。
この観点からみて市バスはどうか。高齢者無料パス制度の後退によって利便性を失う当事者が発生する。つまり制度変更は政策の名に値しない。無料パスの設置目的は老人を外に連れ出すためだった…、つまり老人福祉だけが当初の目的だったのかもしれない。しかし既に議論されてきたように、健康寿命・介護保健・地域経済その他各方面で無料パスの波及効果は実証された。当事者が企図した以上に、無料パスは市民の足としてまちづくりに貢献してきた。
ならば、いっそのこと市バスは全市民に対しては無料にならないか。老人に対する「敬老パス」に加えて労働者に対する「敬労パス」だ。全市内を網羅するコミュニティバスだ。市バスの支出総額は年間約34億円。先のJR新駅に関する予算より低い。やってやれない額ではない。官業による民業圧迫になる?…いや、自由競争の機会は閉ざしていない。ブルネイでは教育も福祉も医療もぜ~んぶタダなのだ。空き家やシャッター通りが増えてきた今、基盤的交通を無料として市民の足を確保し、コンパクトで機能的なまちづくりを総合的に進めることを真剣に考えるべき時代ではないか。新駅を作ることは人口減少の時代にそぐわない。バスの無料化なら(民間バス路線部を除き)35万人の市民が喜ぶ。新駅で何人が喜ぶのか。(この項終り)

敬老パス制度改悪⑦…聞かざる

制度変更反対の署名活動は二つの団体で進められた。署名は計3万を超えた。これを背景にして現行制度存続の請願がなされたが、福祉企業委員会でも本会議でも不採択となった。3万を超える人の声は2020年3月、虚空に消えた。
3月24日の本会議における福祉企業委員長の委員会報告は、何度聞いても請願がどのように審議されたのか理解できない。制度変更の周知方法が述べられているだけだ。これでは請願は門前払いにしたと白状したに等しい。憲法に定められた請願権だ。もっと丁寧に取り扱ってほしい。日本が民主主義国家であることが信じられなくなった。たまたま見つけたFacebookの 高槻市バス・敬老パスを守る連絡会のページにも委員長報告に請願の審査内容がないと記載があった。
議会は市民の声を聞かず、また議会内部の声も聞いていない。普通一般の会議では議論の経過を聞いて自分の意見を変えることもあるが、市議会においては会派が決めた方針に従うのみだから、少数派の意見を「聞かざる」のも当然の行為なのだろう。しかし、普通の判断力を持っているのなら、もう少しどうにかならないか。議論の流れを聞いて会派の当初の方針を変更する柔軟さもあって善いのではないか。今回の各会派の態度は、今後の選挙における投票行動に影響するかもしれない。
議決前の討論(論理の闘いもないのに討論というのか?)における川口洋一議員の主張は聞くべきものがあった。その趣旨は①市民への説明責任を放棄した政策である。なぜ急ぐのか?次の選挙まで時間をおきたいためかと邪推してしまう(いや邪推ではない)②無料パスの効果を無視した市勢衰退を招く愚策である③受益者負担を押しつけている④民営化に直結している⑤高齢者に思いを寄せていない・高齢者の3割は年収100万円以下だ、というものだった。これに答える論理を多数派は持っているのだろうか。ついぞ聞かなかった。
また同議員は市長の生の声を聞きたかったとも発言していたが、議論の中で市民に語りかける市長の声はなかった。これが「聞かざる」ものの三番目だった。全ての政策が具体性を持つとは言えない施政方針演説だけでは不十分だ。自分は語らず、すべて部長を矢面に立たせる、それは至誠にもとる行為と市民には見える。(続く)

敬老パス制度改悪⑥…自分さえ良ければ

議案質疑(3月5日)の中村玲子議員の質問も市の主張する制度変更理由を粉砕した。市は大量のバス更新が必要であって多額の経費がかかることを有料化の理由の一つにしていたが、同議員は、バスの更新は定常的な設備更新、つまり通常行われるべき減価償却行為である、その経費も積み立てられていると一蹴した。高槻市民の健康寿命が長いことにつき市は、他の施策と相まって効果の出ているものでありバスだけの影響ではないと主張したが、そこでいう「他の施策」は他市も行っており、高齢者バス無料乗車制度だけが他市と違うのだ、だから健康寿命はバス無料制度と因果関係があるのだと、市の論理を崩した。崩されたまま、市の反論はなかった。条例改正(改悪だ)に賛成する議員が多い情勢だから反論も必要ないのか。
このあと賛成の立場から久保隆議員の質問、真鍋宗一郎議員の意見表明があった。久保議員の質問は、市営バスは守るべきである、自動運転など技術の進展も視野に入れた将来の交通システムを展望しつつ総合的なまちづくりをする初年度にしてほしいとの発言を含み、聞かせるものがあった。そこは同感だ。人をもって言を廃せず。発言者が誰であろうとも聞くべき言葉は聞かねばならない。
大問題が一つ。本会議の議案質疑の中で(委員会での説明においても)、現在70~74歳の高齢者は無料制度が維持される(高齢者100円負担は、現在のパス保有者には適用ない)からいいのだ、という市の説明があった。同じ論を展開する議員もいた。ここが問題なのだ。今70歳の自分は良くても今から70歳になろうとする人たちは困るではないか。自分さえ良ければ宜しとする風潮を行政があおるのか。とんでもないことだ。行政・公党ならば社会全体の福祉向上のための政策を論ずるべきなのだ。そうして望ましい社会をつくり、次代に残すのが大人の務めではないか。街の署名者の中に「自分は75歳で関係ないが、これから70歳になる人のために反対する」とおっしゃる方があったとは中村玲子議員の質問の中で紹介されたエピソードだ。健全な市民がいることは嬉しい。
総じて、議会は、議論未完のまま議事を終えた。少数派の質問は制度変更に合理的根拠がないことがあぶり出したが、議事はそこで終わった。形式的な答弁はあったが、少数派の疑問を解消できる内容ではなかった。多数を占める賛成派の論は市の説明を鵜呑みにするだけで独自の見解は乏しく、少数派を納得させる論を持たないまま数だけで圧した。(続く)

敬老パス制度改悪⑤…イッソウ率

代表質問の翌日、2020年3月5日は議案質疑の日だった。
議案第36号「高槻市自動車運送事業条例中一部改正について」で、まず質問に立ったのは三井泰之議員。会計の専門家たる姿がちらつく質問だったが、無料乗車制度に関する過去の経緯や運賃収入の実態、財政検証など、初めの提案理由説明の補完を促す趣があった。同議員は、高齢者無料制度の存続を要望しつつ、財政事情を考えれば一定の利用者負担は容認せざるを得ないという姿勢を示した。
質問の中に「イッソウ率」という専門用語があった。イッソウ? 何のことやら…。一掃か逸走か逸送か。走行クレーンが逸走するとは、本来停止しなければならないのに強風にあおられるなどして運転者の意図に反して走り出すことをいうが、バスの逸走・・・?むむ。理解不能。分かりにくい言葉を使う議会だ。答えは昨年12月議会の議事録にあった。逸走だ。有料化によって乗客が減少する割合のことだ。ちなみに手元の国語辞典にも漢和辞典にもその語はない。この専門用語は以後の質疑にも出てきたが、ともかく聴く人の立場に立って話してほしいものだ。
次に質問に立った北岡隆浩議員は、主としてその逸走率を問題にした。近隣の公営企業の有料化後の状況、逸走率40%の場合の経営見通し、審議会ではさまざまなケースのシミュレーションが提示されたがなぜ市議会には逸走率20%のケースしか示さないのかなどを質した。正面から答えたと思える答弁はなかったが、そのことが逆に、「市にとって都合のよい数字だけ出したのではないか・将来赤字になったとき更なる制度変更の口実にする考えがあるのではないか」との同議員の指摘をまっとうなものと感じさせる結果になった。同議員の質問は、合理的な根拠なく逸走率20%とした不自然さ、将来予測の妥当性・合理性のなさを浮き彫りにするのに十分な効果を示した。
高木隆太議員は、民生委員など反対意見のないところには説明し、激しい反論が予想される敬老パスを守る会には説明を拒否する市の姿勢の異常さ、有料化の影響を見極めた上で見直しの是非を判断するべきであること、逸走率20%の見込みの甘さ、他の事業者のケースであるが逸走率50%を見込んでいたが実際は80%だったこと、ICカード代を含め1億5千万円かけて有料化する意義は何かなどを突いた。論理明快でわかりやすく実のある同議員の質問は、一~二年生議員の範たるべきものだ。市の民営化の意図を明らかにしたのは先に述べたとおりである。(続く)



敬老パス制度改悪④…乖離という幻

敬老パス制度改悪④…乖離という幻
2020年3月4日の代表質問では各会派がこの問題を取り上げた。ただし、会派によって立ち位置は違う。
公明党は、市営バス存続のために幅広い議論をするとの基本的考え方のもと、まちづくりと連携した公共交通ネットワークを再構築する必要ありとし、経営状況に危惧を示しながら市の基本姿勢を了とし、持続可能性・経営効率を高めるべきとの考えを示した。
大阪維新の会は、人件費が高い、民間並みに下げるべきと指摘し、水道民営化とともにバス事業の民営化を主張した。
自民無所属の会は、市バス継続のためには一定の受益者負担も必要と言い、制度変更に理解を示した。新技術利用が経営改善のためのブレイクスルーになり得るとの提案もあった。
立憲民主党は、公共交通を守るための施策として理解を示し、総合的なまちづくりの中での位置づけの明確化、キッズバス・コミュニティバスの設置を求めた。
市民連合は、市バスの役割如何についての主な答申内容を質し、健康福祉施策の拡充を求めつつ、制度変更に一定の理解を示した。
以上の会派が制度変更に賛意を示したのに対し、共産党は、健康寿命や経済効果など制度のメリットを挙げ、バス更新費用は積み立てられていて問題はないなど制度変更は財政上不要であること、住民の意見を言う場もないまま決定されようとするのはおかしいことなどを訴え、反対の意思を示した。
これら各会派の代表質問に対する市長の答弁は、市バスは重要なインフラであり、市民と市の適正な役割分担のもと、持続可能な形で次世代に引き継ぎたい、今後10年間のバス事業のありかたを示す経営戦略を策定し、より強固な経営基盤を確立したい、補助金算定根拠と実際の乗車人員との間に大きな乖離があり、高齢者も適切に支え合うことで持続可能な制度を維持したい、経営状態は制度変更後の将来においても厳しいという考えを示した。
「乖離」という説明は以後の質疑の中でも制度変更の主たる理由として度々なされている。この「乖離」とはどういうことかというと、市バスは敬老パスのために毎年6億円を市から拠出してもらっているが、ICカードが普及した昨年の利用実態を調べてみたら敬老パス利用は年間600万回あって、これは約13億円のバス代に相当する、6億円の補助金とは大きな開きがあって約7億円の赤字がある、これが経営を圧迫している、というものである。
しかし、ちょっと待て。600万回というのは無料乗車制度に誘引された泡のような数字であって、絶対的な必要性のあったバス利用実態ではない。自転車で行ってもよいけれど無料だからバスを使う、無料だから隣のバス停まで乗る、という人も多い。有料となったら激減する数字だ。空気を運ぶ替わりに人間が乗っていただけだ。いわば幻の赤字だ。政策の基礎たるべき正しい社会行動の統計データではない。こんなものを制度変更の根拠にするとは、どうにも理解できない。この点は審議会で触れた委員もあったが、議会では「言わざる」ものの一つであった。EBPM(evidence based policy making)の精神に反することを、どうして見逃すのか。例えば、ある小学校で6年1組の児童の平均身長は150㎝だった、6年2組はみんな背伸びをして計測し、その結果、平均身長は155㎝となった。2組の方が背が高い…と、誰が言うか。
もうひとつ、制度変更に賛成する会派は「市バス存続のため」を理由にしているが、実はその賛同行為が市バス廃止への第一歩となっていることを後世にどう説明するのだろうか。制度変更が民営化の第一歩だと認識していたら、賛成しただろうか。(続く)

敬老パス制度改悪③…言わざる

早めに言いたいことを言っておかないと、いつコロナにかかってあの世行きになるか知れたものじゃない。だから急ごう。「見ざる」の次は「言わざる」だ。
市のHPにある本会議の録画映像を視聴し、内容を理解するのは困難を極める。久保議員のほかは、議員も市の部長も早口で原稿を読むだけだから(読み間違いもあったりして)、聞き取りにくいし心にも響かない。そこをがんばって全部を聴いてみた。その結果、合理性を欠く市の説明に対し、多くの議員は何も異を唱えていなかった。「言わざる」の議会、ここにあり。
市議会の録画を見ながら疑問が湧き起こる。ひな壇の人たちは、何のため・誰のために市の職員になったのだろうか。議員の人たちは、何のため・誰のために市会議員になったのだろうか、と。敬老パス制度改悪の真の狙いには触れず、深い議論もなく(福祉企業委員会の議事録が未発表だから100%そうだとは言えないが)、何かに押されて唯々諾々と悪法をつくり、議会はそれを通してしまっていた。恥ずかしいという感情はないのだろうか。
議論の始まりは、2020年2月27日の提案理由説明だ。外形上はバスの話だから自動車運送事業管理者から説明があったが、「(高齢者無料乗車制度を)引き続き持続可能な形で維持することを目指し、健康福祉部・交通部・市民が支え合って、次の時代にふさわしい新たな制度として刷新」「70歳以上75歳未満の高齢者割引乗車制度を創設して1乗車100円」との言葉が聞こえた。まあ、よくぞ吐いたり。「刷新」「創設」とは!! 敬老パス制度は後退させているのに「刷新」か?割引率100%を50%に減じるのが制度の「創設」か?
確かに現行の70歳以上の敬老パスを、75歳以上の無料制度と70~74歳の100円負担制度の2要素に分解して割引制度は2種類になった。そのため70~74歳については制度の創設と言えなくもない。しかし、ここから見えてくる次のステップは、市バス経営の赤字を理由にした高齢者100円負担制度の廃止だ。市営バスを公営として維持するためには仕方がないんだ…と。そして最終的なステップは、市バスの赤字増大と市の一般会計の厳しい状況を理由にした民営化だろう。長期のシナリオが見えてくる。(続く)

敬老パス制度改悪②・・・見ざる

いま市民の関心は一にも二にも新型コロナにある。…かもしれないが、いついかなる状況下にあっても行政の誤りを見逃すわけにはいかない。市民として、敬老パス制度改悪の経過を見極めておこう。
まずは、「見ざる」だ。今回の制度改悪の狙いは何か。何か裏があるなと感じていたが、高木りゅうた高槻市議会議員のブログや本会議の一般質問ではっきり見えてきた。本年3月6日付け同ブログによると、情報公開請求の結果「バス事業の持続的な確保に向けた検討幹事会」という会議の議事録が公開され、その中に「経営が黒字のうちに委譲する方が良い印象を受ける」との一文があったということだ。この一文にすべてが集約されている。
市には、市バスを近い将来民営化しようという意図があるとみた。その一里塚が70歳以上74歳までの高齢者の1乗車100円負担(以下「高齢者100円負担」と称する)だ。この障壁を設けることによって、年に約600万回ある無料乗車を絞って見かけ上の赤字(13億円)を減らし、そうやって体裁を整えた上で健全財政の市バスを民間に売却しよう…、これが市のシナリオだろう。
売却後、どうなるか。市は市バスに対する補助金をカットできて万々歳だが、民間会社は自身の営利の追求が第一だ。効率的な市民の足づくりにも全体として機能的な「まち」をつくることにも関心はない。そんな会社を市は何らかの方向に仕向けることが可能だろうか。国ならば法律をもって国民の福利向上に合致するよう民間会社を政策的に導くことができるが、市にはその力はない。だから、市はまちづくりの政策を掲げてみても、系統的効率的な人の交通手段がなければ、それは個別の箱物を作ることで終わる。そしてまちは死ぬ。血流の絶えた動物が直ちに死ぬように。今まで乗車によって市バスを支えてきた市民は民間バスを同じように支えることはない。今まで運転手さんにかけてきた「ありがとう」の声もなくなる。運転手さんの微笑も消えるのだろう。
今回の高齢者100円負担導入は決して「高齢者無料制度維持のための方策」ではない。「市営バス維持のための方策」でもない。民営化の意図を腹に隠しながら口で高齢者無料制度維持を口に唱えているのなら、詐欺に等しい。議会には市のこの真意が見えていない。あるいは見えていながら制度改悪に賛成しているのだろうか。市長にすり寄るだけの議会なのか。そんな議会は不要だ。
歴史の転換点にあっては、その変化の兆しはきわめて些細なもので、ほとんどの人がそれと気づかないまま通り過ぎてしまう。10年後に振り返って見れば、市バスの高齢者100円負担が、その一例になっているのだろう。(続く)