国会

1月20日、国会が始まった。今は各党代表質問が行われている。これを「論戦」と新聞は書く。しかし論戦などどこにあるのか。
野党の質問はすばらしい。今の情勢に対する国民の感覚・疑問を的確に言葉にしており、よくぞ言ったと快哉を叫びたいほどだ。しかしその野党の質問に対し、総理はまともに応えよう・答えようとしない。問題をすり替え、丁寧にと口では言うが言葉の数が多いだけで中身は何もない空疎な答弁が続く。その姿は、野戦において、数では優勢でありながら戦闘意欲なく戦術にも劣るため、旗を巻いて逃げ回る武将の姿に似ている。とりあえず戦闘の場から逃げよう、逃げて命長らえよう、命さえあれば最終的には勝ちだと読んでいるのだ。
国がこうだから、地方も右へならえだ。高槻市議会では質問と答弁が噛み合わない事が多い。市民にとって重要な話題になればなるほど、その傾向が強い。市民を冒涜するなと言いたいが、深くものごとを考え鋭い質問を飛ばす議員は、概して無所属だったり少数派だったりする。そういった質問に答えなくても、多数派与党が付いているから、正しい対応は不要なのだ。
こうした政治の現状には目を覆いたくなる。心穏やかになる趣味の世界に遊びたい。しかし、目を覆ってはならないのだ。国民が監視の目を捨てたら、政治は悪化の途をひた走る。それが近代政治史の…政治が徳とともに在った昔を除き…、近代政治史の法則だ。どうせ何も変わらないと諦めてはならない。まだ成熟していない日本の民主主義は、国民が諦めたとき完全に消滅する。
ラジオで国会中継を聞いていると、総理の答弁、10秒くらいの空白がある。終わったのかと思うと再開され、また別の答弁が続く。これは何か。答弁原稿を整理しているのか。奇異な観がある。(黄鶴仙人)

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