危機管理

日を追うに従って全容が明らかになってきた台風19号。その被害は「まずまず」などというものではなかった。そう言った政治家の国民への寄り添い方、立ち位置、心根の具合、さらには一部を知って全体を推察する能力のレベルがよくわかる発言だった。
高槻市の組織には危機管理監、総務部に危機管理室があって、防犯も含めた危機管理に関する仕事を掌っている。19号台風で、この存在はこれまで以上に注目されることになる。
危機管理、これは英語のcrisis management の直訳だ。危機が発生したとき被害を局限化させるように迅速に対処することを言うが、役所としてcrisis management と同時に必要なのはrisk managementだ。適当な和訳がなく、リスク管理などと言っている。しかし何も英語で言う必要もない。昔から、備えあれば憂いなしという、あれだ。今後どのような危害発生のおそれがあるか、それは市民にどのような形でどのような被害をもたらすか、その被害を避ける、あるいは極小化するためには、市としてどのような準備をすべきか、そのシナリオ作りを、今こそやらなければならない。すでに実施済みなら、その見直しが必要だ。
たとえば、いま高槻市のハザードマップ作成の前提は、外水氾濫の場合、淀川流域で二日間の総雨量500㎜、芥川、女瀬川、檜尾川、安威川、水無瀬川は概ね100年に1回程度起こる大雨(時間84㎜)、とされている。ところが今回の19号で箱根に降った雨はというと、1000㎜だ。100年に1回と昔言われていた災害は、近年は毎年起こっている。過去に作られたハザードマップを放置できるわけがない。
市民に役に立つのが役人、公務員だ。関係者の奮闘を祈る。(黄鶴仙人)

トリチウム②

しかし…これからが本論だ。19号台風以来、私は全ての常識を疑ってかかることにした…トリチウムは国が言うとおり本当に安全か。6万ベクレル/リットルの排出基準を守るとか、日本全国の降水中には223兆ベクレル/年の天然トリチウムがあるとか、韓国月城原発は液体気体合わせて136兆ベクレル放出(2016年)した実績があり、福島のタンク内に現在1,000兆ベクレルあるのを希釈して排出すれば問題ないとか言われても、不安は消えない。維新のように思考停止にはなりたくない。自分の頭で考えたい。
トリチウムは、確かに外部被曝の危険性は低い。しかし、水素として体内に取り込まれた場合、やがてヘリウムに変わってその細胞自体が存在できなくなる。ヘリウムに変わる前に細胞は入れ替わるとしても、周囲の細胞は常に電子ビームを浴び続ける。そんな組織が健全でいられるわけがない。現にシカゴ郊外の原発周辺の子どもにガン発生率が高いのは厳然たる事実である(*)。
*https://www.sting-wl.com/yagasakikatsuma11.html
科学音痴と罵倒されるのを承知で言う。2.1ミリシーベルトの天然放射線のレベル以下の放射線を出すものは安全と国は言うが、本当か?もしかして、いま人々の間に発生しているガンも長期間の天然放射線の被爆が原因で、ただそれが証明されていないだけではないのか?放射線自体、いかに低レベルであろうとも、長期間浴び続けていれば有害なのではないか?現に紫外線の強い所では皮膚ガンのおそれが言われているではないか。紫外線と放射線は別物か?同じ電磁波だ。天然放射線と同じレベルの人工放射線は危険性も同じなので安全とみなしましょう、と言うのが正しい表現ではないか。
原子力の安全神話は、その裏の原発政策推進のために作られたものではないか?その疑いが消えない。(黄鶴仙人)

トリチウム①

福島原発の汚染水を大阪湾に持って来て流すのであれば協力する…という意味のことを松井大阪市長が言ったのは9月17日。維新党首の彼はその後、問題を維新国会議員に丸投げし、以後の処理をさせた。維新国会議員は、大阪湾云々には触れず「基準を満たすよう処理し、早期に海洋放出すべし」という提言を10月8日にまとめた。
大阪湾は大阪市のものか、汚染水をどうやって大阪湾まで運ぶのかなど、二重三重に首をかしげたくなる松井市長の発言だが、それはおく。まず汚染水についてふり返って見よう。汚染水というが、何に汚染されているのか。ウランの核分裂の際の副産物、トリチウムだ。そんな元素があったかな?と疑問に思ったが、調べてみると水素の同位体だった。普通の水素は原子核の中に陽子1個だが、トリチウムは原子核に中性子が2個追加され、質量が3倍になったものだ。これが、おとなしい子ならば何の問題もないが、やっかいなことに常に電子を放出し続けて(β崩壊)、周囲が迷惑することになる。その迷惑のレベルは極めて低いので一定の濃度以下に希釈すれば安全だと、国は言っている。この汚染水が、福島原発のあの場所に115万トン貯留されている。そして、日量170トンの割合(2018年度の値)で今も増え続けている。
維新の提言は、国の方針どおり、希釈して海洋放出せよというものだ。だがそこに維新として独自に検討して結論を得た形跡は見られない。単に国のお先棒をかついでいるだけであって、そこには何の哲学もない。国が安全だという、それを鵜呑みにしているだけの思考停止状態だ。政府に協力する狙いは何か。貸しを作り、折りに触れて維新勢力の増大への政府自民の援助を求めることだと穿ちたくもなる。これまでも改憲協力の見返りに大阪万博やIRへの政府の支援を得た、その流れだ。(黄鶴仙人)

もし19号が関西に来ていたら

未曾有の雨台風、19号台風(ハギビス)が去った。残念ながら多くの犠牲者が出た。ご冥福を祈る。この台風さえなければ今日も笑顔だったはずなのだ。
2019年10月12日、13都県に大雨特別警報が出されたとき、気象庁のレーダーでは、群馬・埼玉・東京・神奈川・山梨・長野・静岡の都県を雨雲がすっぽり覆っていた。この面積は近畿地方全域を覆ってなお余る広さだ。この範囲に大雨が降った。そして東日本の21河川がほぼ時を同じくして決壊した。過去には例のないことだ。もう、これまでの常識は通用しない。いままで大丈夫だったことはすべて、大丈夫かどうか判らないと思わなければならない。
地図を見ながら、今回の19号がもし関西を襲っていたらと、想定してみよう。この想定は非現実的ではない。太平洋高気圧がもう少し強かったら、或いは上空の偏西風がもう少し弱かったら、高気圧の縁を回り風に流される台風は、関東ではなく関西に来ていたのだ。仮にそうだったら、上述のとおり滋賀・京都・奈良・大阪・兵庫に、日量300ミリの雨が降り、淀川では桂川・宇治川・木津川の三川からの雨水が合流していた。そのとき、どうなっていたか。
たとえば2013年9月17日、台風18号は桂川上流域に大雨をもたらした。そして渡月橋を破壊し、嵐山や羽束師付近を水没させた。このとき、淀川の枚方水位観測所の水位は、通常が基準点よりも遙かに低い-3.6m位のところが-0.14mまで、つまり3.5mほど上昇した。また2017年10月の台風21号は木津川上流に大雨を降らせ、24日の同水位観測所で-0.29mまでの増水をみた。つまり、淀川の支流である三つの川のそれぞれで日量300ミリ降れば、淀川は3m以上水位が上がるのだ。三つの川で同時に降れば、単純計算だが9m以上水位が上がることになる。枚方水位観測所における氾濫危険水位は5.5mだが、これは通常の水位よりも9mほど高い位置に設定されている。水はそれを越えるのだ。その結果どうなるか。淀川の堤防は、越水により決壊する。
もうひとつ、心配なデータがある。淀川河川事務所のHPによれば、平成22年に淀川流域の堤防の危険度評価がなされている。
この結果を見ると、高槻市では、女瀬川と芥川の合流点でその両側、芥川と淀川の合流点で芥川左岸堤防が浸食に弱く、また芥川淀川合流点の芥川右岸の唐崎、淀川堤防の番田、道鵜町あたりは浸透に弱いとされている。異常な雨台風が来れば、ここが決壊すると言う予告だ。
今日の長野市の惨状は明日の高槻市の姿かもしれない。(黄鶴仙人)

新人議員の比較②

昨日も掲げたが、話の便宜のために再掲する。

(図1)
この新人を比較したグラフを見ると、2019年度の新人は、まず質疑・質問の件数が少ない。平均値は2007年以来最低だ。そして緑色の部分、つまり本会議における議案質疑がない。ゼロだ。これはなぜなのか。事前に事務局から議案の説明を受け、個人的に納得したからか。もしそうなら、それはおかしい。市民の代表が説明を受けて了承したのだからよいではないかとの主張があるかもしれないが、それは公の場の議場でこそやってほしいことだ。議員が公式に疑問を呈する、提案者が公式に回答する、そこでよりよい姿を求めて議論する、それを公論というのだ。議場で黙っていてくれれば、アメあげる…と言われたわけでもあるまい。議案の中身を勉強していないから黙っている、という人もいないだろう。公論に決すべし。市民に見せるshow、exhibition としての質疑・質問でもよいのだ。
2011年の議事録にこんなシーンがあった。
和田議員「資料がこれだけある。勉強するのが大変だ。もっと時間的余裕をもって資料を配付してくれ」
うんうん、よくわかる。
栴檀は双葉より芳し。これも議場の真理だ。
初議会の6月から翌年3月議会までの1年分の質疑・質問件数のグラフを次に掲げる。              (図2)
個々の数字は違うが、グラフの形は図1に似ている。初めの半年の勢いは、そのまま1年続いているのだ。実は、1年のみならず、その後もずっと、だ。こういう法則的なものがあるから、初めの半年の姿をもってこの先を占うこともできそうだ。さて2019年度の新人は、この先、どうだろうか。
そして、思いは飛ぶのだが、惜しまれるのは初年度以来の議員の活躍ぶり(=市民への貢献度)が市民に伝わっていないことだ。市民の多くは、自分たちを守ってくれている議会の宝物を見過ごす。選挙ともなれば見栄えだけは良い候補者に嬌声をあげながら投票して議会の水準を落とし、その結果税金の流れる先に十分な目が届かず、市民自らの生活を危難に追い込んでいる。如何にして度せんや。生きることに忙しく政治に目を向ける余裕がない人もいるけれども。(黄鶴仙人)

新人議員の比較①

「質問件数など気にしない。私はあの人が好きで投票している」「市役所への橋渡しをしてくれれば十分」・・・。市議会議員の評価として、そんな声を聞くこともある。
友人関係にさまざまな形があるように、議員と支持者の関係もさまざまだろう。しかし、「好き」だけでは長続きしないのは、夫婦・恋人・友人、いずれの関係においても同じだろう。力強さ、優しさ、教養、包容力、思想あるいは志操、見方を変えて経済力、基本的生活力、部下の能力を発見する力…、なんらかの魅力があり、それが深まり続ける人、あるいは新しい魅力を次々に示す人、相手がそんな人であれば関係は長続きする。
翻って、議員の魅力は何か。それは優しさ・強さ・正しさ、そして先見性だと私は思う。すべての市民へのやさしい目が発見する生活上の問題点、それを時宜よく正しく取り上げて政策を立案し、強く市政を糺していく、そして時代の流れる先を見据え、そこに生まれるであろう問題をあらかじめ排除しておく、そんな市民のリーダーこそ望ましい。そういう議員が議会を盛り立ててくれるのだが、その熱意・能力はやはり質疑・質問の件数として現れてくることを、過去の議事録は教えてくれている。ちなみに、市民生活相談を議員として無駄な仕事とは私は言わない。それはそれで意義があるのだが、それを端緒として市民全体を覆う政策に昇華させてほしいのだ。
さて、2019年の初当選者はどうか。今ではベテラン議員となった過去の「新人」たちとどう違うか。初当選から半年ほどが過ぎた時点で、公平を期すために同じ条件で、つまり6月議会の常任委員会における質疑及び本会議での質疑・質問の件数、並びに9月議会における本会議での質疑・質問の件数を、2007年以来の新人議員の間で比較すると、次の図のようになる。なお、ここでは意見表明の数も質疑数のなかに含めている。ざっと眺めてみてほしい。(黄鶴仙人)

バックマージン

松井大阪市長の会見のおかげで、世の中にバックマージンという言葉があるのを初めて知った。リベート、キックオフという言葉はどこかで聞いた覚えはあるが、特殊な公務員として長年を過ごした私はそういう商慣習を正確には知らず、今回初めて勉強する機会を得た。これも松井市長に感謝せねば。
言葉の意味はこういうことだ。たとえば電機メーカーAが電機屋さんBに商品を卸す。その際、1個1万円の品物を1000個以上売ってくれれば、商品代金1千万円のうち百万円は割り戻しますよ、という契約をした場合、その百万円をキックバックまたはバックマージンというらしい。最初から安く売る値引きとは違う。ただ、原発工事の契約に関連して高浜町元助役が関電幹部に渡した金品をバックマージンというのが正しいのかどうかは、私にはわからない。工事の受注者が発注者に契約金額の一部を戻す、その金の流れは通常とは逆、つまりバックであるから形としては似ている。元助役は受注者と一体とすれば、そう言えるかもしれない。
ところで、この制度は販売促進方法として実は広く認められていて、何ら違法性はない。ただ、その金を営業担当者が会社に渡さず、担当者個人が着服していれば問題になる。販促ではなく反則だ。今の日本、どうなのか。大金のキックオフならば会社に出すが、少額ならば担当者のポケットに入ることが、ままあるのではないか。ポケットインが一般的だから、人はそれに犯罪意識をもたないのではないか。汚染を汚染とも思わない社会の風潮が背景にあって、関電幹部の金銭感覚が構成されているのではないか。と、私は疑念を持つ。石もて打つ資格がある人は少ないのではないか。
ともあれ、関電幹部には刑事責任の疑いがある。本来なら会社の資産となるべきキックオフの着服だ。公務員ではないから贈収賄はないが、刑法第二百五十三条業務上横領(十年以下の懲役)、会社法九百六十条特別背任(十年以下の懲役若しくは千万円以下の罰金、またはこれらの併科)、いろいろ考えられる。預かっていたというのは言い逃れ。1着平均50万円の背広は「費消した」と会見でも言っている。「もらったもの」と言う認識が当初からあったのでは?税務調査が入らなければ、返却もなく、そのままだったのではないか。追究すべし。
「再発防止に努めることで経営責任を果たす」と言うが、金品を提示された際に直ちに拒絶することもなく諾々と元助役の意に従い、他の役員への適切な指示も出さなかったなど、事件を起こした当人がどうして再発防止ができるのか。

6~9月議会の質疑・質問数

6月議会の常任委員会議事録が公表されたので、そこに記録された質疑数を加え、6~9月議会の質疑・質問数(但し9月議会常任委員会を除く)を棒グラフにして「1 市議会という舞台で 第一部 質疑質問数からみた市政への貢献度」に昨日掲げた。ここにも再掲するが、グラフの左の方、つまり多数の議員を擁する会派と立憲民主党たかつき・市民連合には緑色の部分がない。つまり本会議での議案審議の際に静謐を守っているのが見てとれる。高槻市議会は共産党、立憲主義を守り憲法を活かす会と無所属議員という少数派(弱小ではない)が市政を糺すことに貢献しているようだ。新人議員は何のために議員になったのか。議会はお茶席ではない。傍聴者のより多い本会議こそ花の舞台ではないか。もっと勉強して本会議で発言すべし。
その「新人議員」の仕事ぶりだが、過去の新人は議会に初めて入った年度はどのような姿だったのか、以前の議事録をひもとき、調査を開始した。議事録の中には、旧来の慣行に新人議員が異を唱え、古参議員もそれに同調するシーンがあったりして、なかなか面白い。質疑件数をカウントするのを忘れ、つい議事録を読みふけったりするものだから、なかなか作業が進まない。ブログもつい休みがち。だが、ま、いずれ・・。
そうそう、議事録の公表が遅くないか。9月議会が終わった時点で、まだ前回の議会の記録が全部は公表されていない、これでは議員も困ることがあるのではないか。(黄鶴仙人)