東電無罪

昨日、東京地裁の判決が出た。8年半前の大津波による福島第一原発の事故につき東電経営陣の過失を問う裁判だ。判決は過失を問えないとした。さもありなん。立件しなかった、つまり過失を追究し事件として取り上げようとしなかった検察と同じ結論だ。
刑事事件における過失は(民事でも同じだが)、「一般人」の注意義務を基準にする。台風が来るから飛散しやすいものを片付けなくちゃいけない、長期間無人だった洞穴に入るには酸欠のおそれがあるからその用意をしなくちゃ、というレベルの注意義務だ。その程度の、危険が誰でも予測できるのに、そしてその対応が誰にでも可能なのに、何も対策をしなかった、そのときに過失が問われる。とてもじゃないが万能の神だけが予測できる危険を察知できなかったからといって、その危険に対する完全な予防策を施さなかったからといって、罪に問えるものではない。
では、一般人の注意義務と神の目との境界はどこだろうか。何万時間かの飛行時間に1回の割合で飛行機は確実に墜落しているが、だからといって飛行機に乗らないという人はいない。人は利便性(または経済性)と危険性を天秤にかけ、そのどこかで両者の折り合いをつけている。個人レベルだけでなく、社会全体としてもそうだ。社会全体の了解の下に、鉄道やら建物やらの安全基準が定められている。その折り合いの線が、人と神の境界とも言えそうだ。同時にそれが検察や裁判所の判断基準なのだ。
しかし・・・、と私は思う。1000年に1度の津波は確実に来るからその準備はすべきという論はおいて、個人レベルならいざ知らず、多くの人に大きな影響を与える機関、あるいは近年深刻さを急に増している災害関連の基準が、これまでどおりでいいのだろうか。公共機関により厳しい注意義務を課するのは二重基準になるのだろうか。一般の過失より業務上の過失の方が基準が厳しいように、業務上の過失の中でもとりわけ公共的な過失を厳格に扱ってもよいのではないか。また判決も社会的な判断レベルに添うのではなく、社会をリードして社会に新しい判断基準を設定するものであってもよいのではないか。ただしこれは、地裁レベルでは無理かもしれない。(黄鶴仙人)

水の事故

痛ましい。あまりにも痛ましい。残された1人は助かって欲しいと祈るが、その後どうなっているのだろうか。
あれは今月の7日の土曜日だった。もう10日目だ。祖父と3人の孫達が高槻市内芥川の城西橋の北、JRと阪急の鉄橋の間あたりの川の深みにはまった。そして祖父と1人の孫が亡くなった。次いで重体だった孫の1人も亡くなった。
偶然だが、4年前の6月24日、私は現場の写真を撮っていた。そこには3段のコンクリート製の堰堤があって、更にその下にもう1段、4段目の堰堤は幅が狭まり、そのため水流は強くなり、その下は滝つぼのように、岸近くこそ水底の石が見えるが、1mも岸から離れるともう深い青色になっている。鮎や魚道の説明に加えて、陸岸には「あぶない!」という溺水注意(何故か河川管理者ではない高槻市の名前も)と上流で雨が降ったときの急な増水への注意の看板が、このときにはあった。しかし、事故当時はなかったようだ。「滝つぼ」は、昔からあったのだろうか。グーグルアースは過去の衛星画像も保存している。そこから抜粋したのが次の5枚の写真だ(日付は筆者追加)。
これを見ると、過去にもそれはあったようだ。写真を見て思い出したが昔は対岸まで人工の飛び石があった。2012年の写真に点線のように写っている。同時に深い青色の滝つぼも見える。堰堤の構造自体が滝つぼを生成させるようだ。これは危ないとの認識があったのか、2015年にはブルドーザーで埋められた跡も見える。しかし埋めても埋めても、ひとたび大雨が降れば、川の流れはすぐさま深みを作り直す。
国家賠償法第二条は「道路、河川その他の公の営造物の設置又は管理に瑕疵があつたために他人に損害を生じたときは、国又は公共団体は、これを賠償する責に任ずる。」と規定する。現場は城西橋の北の芥川だから大阪府の管轄する場所だ。遺族はこの条文を根拠に府に対して損害賠償を請求することができる。危険という注意喚起の看板がないことは、管理の瑕疵といえる。
今般急きょ追加された看板は、川には「背の届かない深い所」「急に水かさがふえること」「すべりやすいところ」「水の流れの速いところ」があるから注意すべきとしている。が、浮くものを底に引きずりこむ複雑な水の流れや水底の砂や石ころの斜面の崩れやすさを教えていない。川の楽しさ怖さは、むかし、川遊びを通じて年長の子どもから年少の子どもに伝えられていた。その伝承の途が途絶えて久しい。(黄鶴仙人)

法定協

略して新聞の見出しにそう書かれているが、略称が生まれるほど今や一般化したということか。大阪市のHPによれば正しくは、「大都市制度(特別区設置)協議会」というのだそうだ。『「大都市地域における特別区の設置に関する法律」に基づく』ことから「法定協議会」というらしい。
私の頭が悪いのか、今もって大阪都構想の何が善いのか全く解らない。維新の発信は理解できないことばかりだ。
その1。冒頭にあげた大阪市のHPだが、『大阪にふさわしい新たな大都市制度の具体的な制度設計を行うため』に法定協議会を設けているそうだが、人口370万人の横浜市よりもはるかに少ない人口260万人の大阪に「ふさわしい」ものが必要なのか。大阪に必要ならば横浜にはもっと切迫したものがあるのではないか。しかし横浜からは、IR反対というまっとうなものしか聞こえてこない。
その2。本日の新聞は昨日の法定協の内容を伝えている。それによると新庁舎建設などに最大約637億円(高槻市の一般会計予算の約6割)かかるそうだが、維新は現庁舎の利用でその建設費を抑制したいとか。抑制よりも、新庁舎建設をやめたほうが、もっと経済的ではないか。特別区を作って、区役所が遠くなって、何が嬉しいのか。
その3。職員数の見積もりについて、業務に応じた職員数が必要ではという自民の主張(至当と思える)に対し維新横山英幸府議は「積み上げ方式は現実的に不可能。制度そのものへの反対には応じる必要はない」と反発したと報じられている。しかし国家公務員の定員要求にあたっては、具体的な業務量を逐一挙げ、積算し、1人年間2000時間(365日-土日104日-祝祭日11日。一日8時間。休日出勤もあり)の勤務として、必要な員数を割り出している。国が現実に行っていることが、大阪では「現実的に不可能」という。不可解だ。また反対には応じないという頭から議論を押さえ込むやり方が、専制君主の外つ国はいざ知らず、民主主義国家日本で認められるのか。私の頭では解らない。
こういうニュースを読む今日は、やはり13日の金曜日だ。(黄鶴仙人)

疑いのある看板撤去

西国街道芥川の宿。その東端で街道は鍵の手に折れ曲がっている。宿場ならではの風景である。一里塚も残る宿場は、昔の風景を今に伝える高槻の財産の一つだ。
折れ曲がった所から東に200mほど行くと、街道は服部や原に向かう道と斜めに交差する。そこの民家の壁に、現在3期目の大阪維新の会所属木本祐市会議員後援会連絡所の看板があったが、昨日通りかかって見ると、いつの間にか撤去されていた(グーグル・ストリートビューでは、本日現在、未だに看板が見られる)。看板に添付された証票には平成34年までの有効期間が明示されていたのだが。
その看板には、いくつかの疑問があった。www.yu.kimoto.jpというヒットすることのないURLらしきものの表示、後援会連絡所の看板だったのだが看板がぶら下がっている建物が連絡所としての実体・実態があったのか、など。
有権解釈のできるのは公職選挙法を管轄する役所だけで、一私人にはできないが、仮にそれが違法であったなら、撤去されたからといって違法性が消え去るものではないだろう。自発的撤去による情状酌量の余地は生まれるが、ある期間、ある場所で、誰かの手によって公職選挙法に触れる看板が掲示されていたという事実は残るのではないか。
ともあれ、その看板と、ついでにその左にあったポスターも撤去され、その街角には古来の道祖神の小さな祠だけが見られる静かな昔の風情がよみがえった。

別の話だが、大阪維新の会所属松原市議田中厚志氏は2019年3月26日、体調不良を理由に本会議を欠席して妻と沖縄旅行に出かけていたことが、本日(2019年9月10日)の毎日新聞ニュースメールで伝えられている。また、ウグイス嬢手配の謝礼を渡した公職選挙法違反で逮捕起訴されていた元大阪維新の会の不破忠幸大阪市議は先週金曜日(9月6日)に大阪地裁で懲役1年執行猶予5年の判決が下っている。止んぬる哉。(黄鶴仙人)

重陽の節句

6月議会の議事録が公開されたら質疑・質問数をまとめようと思っていたけれど、待てど暮らせど公開なし。もう9月議会も始まるというのに。
しかたがないので本会議の記録映像から質疑・質問数を拾ってみた。常任委員会の映像はないので、議事録公開後に全てのデータをまとめよう。今日は重陽の節句。思いは千里を越えて届く日だ。議事録を早く~と、念じておこう。
数字を調べてみたら、なんとまあ。
議題に対して質問しているのは3回生以上のベテラン議員ばかり。新人議員はゼロ。ここに新人及び若手議員の勉強ぶりがよくわかる。勉強すれば疑問が生じる。疑問点を聞きたくも明かしたくもなる。そのはずだ。なのに、条例案だろうが決算だろうが、すべての議題に無言の行。
Keep silent の議員に言いたい。あなた方は何のために議員になったのか。市政を糺すためではなかったのか。議案の中に、公正さに疑問を覚える点は本当になかったのか。これから議員として勉強する、なんて言い訳は許されない。議員になる前に然るべき勉強をしておくべきだ。選挙さえ終わってしまえば、後のことには市民は無関心だから、万事Okなのか。そうはいかない。(黄鶴仙人)

政活費ICOCAチャージは問題あり

消費増税まで1ヶ月を切った。増税ショックの緩和のために政府はいろいろと策を考え、実行に移す予定だが、その中に議員の政活費に影響するものがある。市議会は自ら改善を図っていただきたい。
緩和策の一つとして、キャッシュレス社会を進めるためもあって、中小小売店でカード等を使った場合の5%ポイント還元が10月から来年6月まで予定されている。この「カード等」の中にはJR西日本のICOCAも含まれる。だから、例えば2万円をチャージし、どこかの店でそれを費消すれば1000円分のポイントが還元されることになる。
市のHPを見ればわかるのだが、昨年度は高槻市議のうち約半数の議員がICOCAチャージを政活費から充てている。それは公認されていて、政務活動費の手引き「5.政務活動費の経費使途区分の運用指針」によれば、ICOCAチャージの場合、公費負担の按分率は50%、上限は月額5千円、年間6万円である。
これについて問題がある。
その①。ICOCAチャージの領収書が添付されているが、チャージした時点ではまだカード上のマネーである。現金同様である。だからチャージした領収書には意味はない。チャージした金額を何に使ったか、そこのところの公正さこそ証明する必要があるのだが、制度上は何も求められていない(上記手引き参照)。今の制度では、ICOCAで飲み食いしようが、家電量販店で電子レンジを買おうが、外部からは解らない。おとがめはない(この点はすでに指摘済み:本年7月03日)。
その②。10月から、電車代以外の、店で買い物をした分に5%のポイントがつく。悪用した公費に上乗せされた5%は、そのまま議員の懐に入る。増税に伴う政策によって、不公正議員にさらなる利得が与えられることになる。
使途不明確のICOCAやガソリン代には問題が多い。インターネット接続料も似たようなものだ。議員によると、ICOCAチャージのほかに出張旅費も計上してあったりするから、なおさらICOCAについての疑惑は深まる。このような項目は政活費の対象から外すべきだ。いや、いっそ政活費そのものも廃止すべきだ。議員の生活費にならないように。年収1千万円は、議員としての活動費込みの報酬だ。4月に議員になった人に、そのような市民感覚は残っているだろうか。(黄鶴仙人)

市議会だより

「市議会だより」が各戸配布された。薄いけど、手に取ってページをぱらぱらとめくってみると・・・。わぉ!
質問者の名前入りではないか。正直、驚いた。よくやった!
大体、世の中のことすべて、何か変えようとすると抵抗があるものだ。市議会だよりの編集も同じこと(たぶん)で、編集者の労をねぎらいたい。これが議会改革のはじめの一歩だろう。次に何があるか、期待する。
代表質問のページは、会派の全員の名前と質問・答弁の要点が書かれている。名前が出たことで、俄然、各会派の顔が見えるようになった。ついでに会派別の政策水準も。
一般質問については「記事は質問した議員自身が作成」だそうだ。ということは、それぞれの議員が最も言いたいことを凝縮した文章なのだろうが、読めばそこに各議員の能力と品格が表れているのがわかる。ちょっと興味深かったのが、その議員の文章・・・それは話したいポイント・・・と、傍聴者が聞いてこれが重要と感じた点とが、必ずしも一致していないことだ。真意を聞き取れないのは聞く人の責任か、話す人の責任か?
答弁についても質問者がまとめているのだろうか?もしそうなら「市はそんなことは言っていない」ということにならないか。質問の内容とちぐはぐ、まともに答えていないのがよくわかる答弁が散見されるが、実際このとおりなのだから仕方ないが。まあ、市議会だよりの読者がそれらについて疑問を持ったらただちに実際のやりとりをスマホで調べられるQRコードも紙面にあるので、便利だ。これも善い。
ともあれ、一般質問は市政を糺すと同時に自分を市民にアピールする絶好の機会である。その機会利益が、今回の議会だよりの編集で増大した。すばらしいことだ。(黄鶴仙人)