議会だより:一般質問者名

あれぇ?と、思った。
何十年も高槻市の議会だよりしか読んだことがなく、そこでは一般質問については内容が簡単に書いてあるっきりで、「誰が」質問したのかはいつも書かれていなかった。どこの市町村でもそうかと、何となく思っていた。
ところが、お隣の島本町の議会だよりを目にする機会があり、一般質問のページを見ると、質問者の名前が書いてあった。あれま。
他の地はどうか。大阪府下、人口の少ない街の順に調べてみた。結果は、能勢・田尻・太子・岬・河南・忠岡・豊能・島本・熊取、全町が、一般質問議員名を明記していた。町によると顔写真入りで。そのスペースは島本町では1人当たり3分の1ページ、河南町が1ページ、他の町は半ページで、多くの町が質問者の責任でその原稿を作成した旨を付記していた。顔写真を入れると文章のスペースが減る。悩ましいところだ。
いつ、どこで、「誰が」、何を、どのような理由で、どのように。5W1Hは人に何かを伝えるときの基本的な要素だ。何が欠けても情報伝達にはならない。新聞記事でも同じだ。なのに、なぜ高槻市議会だよりは「誰が」という要素、一般質問者名を書かないのか。いつも質問しない議員の、負の仕事ぶりが見えるからいやなのか。支援してくれる人へのアピールは不要なのか。同調者を増やす必要もないのか。詳細は議事録や本会議の映像でわかるからよいのか。しかし市政に特別の興味を持つ人はともかく、誰が、いちいちそんなものを調べるだろうか。パソコンも持ってない人はどうするのか。ふだん市政に興味を持たない人こそ、読者としてターゲットとすべきなのに。
とにかく高槻市議会だよりは欠陥品だ。この4月から若い議員が増えたが、この欠陥に目をつぶるのだろうか。
他市はどうか。いずれ調べてみよう。(黄鶴仙人)

代表質問②

前述のとおり、代表「質問」は、市政を「ただすための問い」を発する場である。そこでは、市長の施政方針に対抗する政策案が述べられ、市長案とのメリット・デメリットの比較衡量など、両者の巴戦が展開される事が望ましい。二つの対立・切磋の中から、磨き上げられた政策が生まれるものであり、この場にこそ二元制の意義があるのではなかろうか。
しかし、そのような光を当てたときに反射してくるものは少なかった。会派独自の提案がないわけではない。共産党議員団の国保に関する子どもの均等割の減免、市民連合の防災コミュニティ、自民・無所属の運転免許返納者に対する市営バス優待パスなど、なるほどと思わせた。公明党も、それが党の特色の、市民生活に根ざした具体的な提案もあった。が、市長の答弁は、国・府に要望を続ける、検討を進める、可能性をさぐる、などの表現で身をかわした感じで、熱のこもった真剣な議論はなかった。お役所の会議、なのである。
そして、多くの会派に共通していたが、あるテーマについての具体的な施策の内容や検討状況を尋ねたりする場面が多く、代表質問の品格を落としていた。市長礼賛もあった。不要なのだが。維新に至っては何ら具体的施策の提案はなく、意味のない抽象論に終始した。得票数の多さを誇る発言があったが、いただけない。それは市民の期待の大きさを示すものであり、能力との対比において慄然とすべきものである。謙虚さこそ求められる。
もうひとつ、議員に求められる資質として弁論術がある。論旨・論調・態度の三要素において聞く人をうなづかせる必要がある。この点、自民・無所属の真鍋宗一郎議員の弁論は耳に心地よかった。将来性に期待したい。(黄鶴仙人)

代表質問①

寄席ほど面白くはない。映画ほどドラマティックではない。だから人はだいたい、足を向けることはない。しかし市議会の市長の施政方針演説と代表質問は、市民生活にとって重要なイベントである。
高槻市議会では代表質問は3人以上の会派の代表が行う、ことになっている。そういう会派に属していなければ代表質問の世界から遠ざけられる。この日一日無言の行だ。しかし、これがそもそも変だ。2019年市議選のデータによれば、無言の行4人の議員は11,085人もの市民を代表している。それは代表質問を行った会派のうち、立憲民主党たかつき10,963人・市民連合議員団9,729人より多い。それだけ多数の市民の意向が何故無視されなければならないのか。国会での代表質問は、国会法にも衆議院規則にも定めがない。市議会でも高槻市議会会議規則はなんら触れることはない。単なる先例・慣習に過ぎない(慣習も法といえば法なのだが)。こんなもの、即刻改めるべきだ。無所属議員1人1人が登壇する時間がないなら、質問主意書のようなものを提出するのもいいし、4年の任期中の輪番でもいい。古い慣習よりも本来の意義や現今の必要性を重視すべきだ。
そもそも質問とは何か。「質」はもともと、鉞(まさかり)二つと貝から成る。大きなモノを二つに分けた状態だ。取引において財貨を求めるために差し出した相当物を意味する。「ただす」と読むときは、①疑問を尋ねる、②正しくする、③定める、④平らかにする、という意味になる(小学館・新選漢和辞典)。
議会においては、個別の議題について疑義を申し立てるときは①に近い意味をこめて「質疑」と称し、政策一般についてその方向を糺し、意見を出すときは、②の意味をもって「質問」という。だから代表質問は、市長の施政方針を材料にその文言の意味を尋ね、また施政方針の詳細を述べさせる呼び水であってはならない。市民のナマの生活の中にある問題を明らかにし、その解決策となる政策を展開するもの、いわば市長施政方針への対立軸を具体的に示すものでなければならないと私は思う。この観点からみて、今年の代表質問はどうだったか。さて…。(黄鶴仙人)

地方政党の価値

もし私が国政を牛耳る党の幹部だったら…。
私の夢は改憲。敗戦のあと勝者に押しつけられた憲法ではなくて、本来の日本のあるべき姿を謳った憲法をこの国にもたらすこと。これができれば私は歴史に残る。
改憲のためには数が要る。発議に必要な国会議員の3分の2の数だ。自党だけでその数がそろえばよいが、なかなか困難だ。他党の協力を求めよう。そのためには大臣のポストも準備する。また他党のやりたいことも大目に見る必要がある。
それは例えば都構想。副都など不要だが錯覚も夢の内。しばらく夢を見させておこう。そのために自党の議員が府知事選敗戦で1人くらい犠牲になるのはやむを得ない。犠牲者はどこかで復活させよう。万博と言うならそれも援助しよう。そのための予算もつけよう。赤字になったら、地元に負担させればよい。もともと地元の要望だから地元負担も当然だ。IRと言うなら、それもよし。地元の風紀紊乱とか賭博依存症の増加など悪影響があっても、影響はその地方だけのことで国全体には及ばない。そうやって、改憲までは彼らの勢力を維持し、手元に置くことに努めよう。彼らに政策立案能力など必要ない。むしろ邪魔だ。改憲発議で「賛成の諸君は…」と声がかかったとき、隣の席の議員が手を挙げたら、合わせて手をあげるだけでよい。そこに彼らの価値があるのだ。ふだんは何も難しいことを考えなくてよいのだ。
さて、今回の参院選の結果は…。まずまずだな。(黄鶴仙人)

改憲?

政治の混迷の元凶を見た。政治のわかりにくさの真の原因が判明したと言ってもよい。それは安倍総理にあった。
今回の参院選の結果、改憲の議論を進めるべきと国民の審判は下った…と、おっしゃる。我田引水ここに極まる。
自公で過半数になった、それがそのまま改憲の民意なのか?今回の参院選は改憲が争点だったのか?むしろその話は避けていたのではなかったか?にもかかわらず、選挙が終われば改憲の話が出てくる。はぁ?ってな感じなのだ。スーパーに米を買いに行ったら、店の主人が出て来て「あなたに必要なのは家です、あなたが買いたいモノはこれです」と言われたに等しい。そりゃま、いずれ必要だけど今はとりあえず空腹を満たしたいのに。
政治とは何なのか。国民に必要なことをやることなのか、政治家としての自分に必要な事をやることなのか。昨日のNHKの特別番組もそうだったが、民意はここにあると主張するとき、どの程度きちんとした調査に基づく発言なのか。自党に都合の良い推測では困るのだ。
いま、困っていること、将来困ること、それは経済の発展に裏付けられた生活の安定であり国際的な平和の維持だ。その国民の気持ちや意見がそのまま国会で議論され、また折々に国民に説明される、そんな筋道の通った政治が望まれるのだが、さて…。(黄鶴仙人)

参院選

Kさん、Mさん、しばらく会っていませんが、お元気のことと思います。大変なお仕事、いつもごくろうさまです。
2019年の参院選が終わりました。ご感想は?
…って、お尋ねするまでもないですねぇ。憤懣やるかたなし、これからの日本はどうなるのか、考えない人が増えている…なんてね、黄色じゃなくて焼け焦げた黒色の声が聞こえてきそうです。
この投票率の低さ、何でしょうねぇ。政治への絶望でしょうか。一票入れたって何も変わらない…。実際、そうおっしゃる方がいました。近所にね。けっこう高学歴の、大阪では最高学府と目される大学のご出身なんですけどね。そんな方でも、そうなんです。そんな方だから、と言うべきでしょうか。フツーの国民の立つ位置から見た、まっとうな政治の遠いことったら、ありゃしない、と。
この参院選の結果を見ると、たしかに、むなしい気分にもなりますねぇ。身を切る改革とは具体的に何かと問われても応えられない、何もしっかりした考えを持っていない人が上位当選して、日本のためになりそうな学識豊かな人や地域での住民相談の経験豊富な人が落選する、こんな状況を見ますと、中国共産党の幹部が言うように、国民はまだ民主主義を使いこなすほど成熟していないのかもですねぇ。お祭り騒ぎのように投票し国の行く末を○〇な彼らに委ねて、そしていっしょに破滅に向かって走っていますが、そのことに気づいていませんから。このまえ松浦武四郎のドラマを見てたら、彼は馬角齋と号していたんですね。そこまで知りませんでした。私も今回の参院選の大阪の結果を見て、そう言いたくなりましよ。
参議院は良識の府。だったんですよね。昔は。あ~あ。
あ、そうそう、維新に対して新撰組。この対比は面白かったですね。特定枠を設けて自分は3番目に座った山本太郎、男ですねぇ。見直しました。
選挙の度に、なんか疲れますねぇ。でも新撰組に土方歳三みたいなのが出てくるかも。また、がんばりましょ。     (TOT)

参議院選挙の選挙公報③

19参選挙公報にみえる日本維新の会(以下本稿において「維新」という)の他の候補者、梅村みずほ氏に対しても疑問が多い。
「大阪はいま、大きく成長…」の根拠なのか具体例なのか、4項目が列挙されている。しかし…。
ⅰ万博の経済効果1.9兆円…は、独善的だ。万博が赤字にならない保証はない。やってみればわかるが、経済効果の試算というものは、前提次第でどうにでも変わる。それは幻の数字だ。言葉巧みに人に幻想を与えて味方に引き入れる。これは大衆誘導術の一つだ。
ⅱうめきた再開発を挙げるが、大阪市ほかの産学官から成る「大阪駅北地区まちづくり推進協議会」が基本方針を定めたのは2004年7月。翌2005年10月に着工、2013年4月にグランフロント大阪がオープンしている。一方、「大阪維新の会」が産声をあげたのは2010年。離合集散の末に今の日本維新の会ができたのは2016年。時期から見ても、大阪駅の北地区の開発に維新が貢献したと言えるはずもない。貢献していないのに我が手柄として書く。これはおかしい。大阪市長が維新系になった後にこの開発事業を継続するのは、それまでの経緯からして市長として当然のことだ。功績とはいえない。
ⅲG20大阪サミットだが、外国のどのメデイアがOSAKAを特別の都市として褒めたたえたのか。私は寡聞にして知らない。これも独善的だ。聞く人は何も知らず、そうかと思いこむ。
ⅳ大阪城入場者云々は論外。国政レベルの話ではない。参院選は日本のための政治家を選ぶのであって大阪のためのものではない。
維新のいう「大阪の成長」は幻想だ。「身を切る改革」も実体がない。大衆受けする言葉を選び、それを連呼する。連呼している内に本人もその気になるのだが、それはともかく、耳に心地よい言葉でもって聞く人に錯覚を起こさせ、人心を集める。幻想と虚飾の集団、維新の選挙戦術はうまい。が、日本存立の根幹にかかわる政策は持たない。それでもよいのだ。国民の大半は選挙の後の当選者が何をしているのか、興味を持たないから。維新は、そのレベルに留まる国民の政治意識をも計算に入れているようにみえる。この2人を選ぶ大阪の明日は暗い。ものの見える人がもっと増えてほしい。
内容のない維新の候補者の欄とは違い、維新の会の虚飾を見破り、ふむ、なるほどと思わせる文章を19参選挙公報に載せた立候補者もある。21日の投票の結果がどうあろうと、こういう爽やかな人も日本にいて政治のあるべき姿を唱えているのは嬉しいことだ。明日への希望につながる。(黄鶴仙人)

参議院選挙の選挙公報②

19参選挙公報をみて最も不審に思ったのは日本維新の会の2名だ。2名とも事実に立脚しない空想的表現が多いのは共通しているが、政策案に共通性がない。
まず、東とおる氏に関する疑問点は次のとおり。
ⅰ「大阪は未来への希望あふれる都市になりました。」とは、何をもってそう言えるのか。それが統計のどこに表われているのか。労働者の給与・人口動態、何を見てもその逆の現象ばかりなのだが。
ⅱ「行政の構造を変えれば、都市が変わる。活気が生まれる。」とあるが、その実例をあげてほしい。過去の日本にそのような事実があったか。高度成長時代の都市の活気は人口増加と産業構造の転換によるものであって、都だろうが市だろうが、そんなことには関わりがなかった。それと、国政選挙でなぜ大阪の話を出すのか。大阪が国を変え得る根拠は何か。
ⅲ「民間の活用など徹底した行政改革によって、国家公務員の定員を削減する…」とあるが、国民のために必要だが営利が見込めず民間ではできないことを国がやっているのだ。国と民との役割分担をどのように考えるのか。また、国家公務員の労働状態を知った上で今以上の定員削減を主張するのか。過労で心を病む国家公務員がどれだけいるか、調べてみてほしい。国会議員には国政調査権があるはずだ。
ⅳ議員報酬の約2割を被災地に自主的に寄付することが、なぜ身を切る改革なのか。18万円の寄付(=逸失利益)は身を切ることなのか。被災地への寄付は自分の損失という認識なのか。そもそも寄付は第三者に対して誇るべき行為か。議員としてやるべきことは、個人的な寄付ではなく政策としての被災地救援策の立案実行ではないか。
ⅴ維新の政策は、年金・医療・地方分権だけなのか。我が国最大の問題である人口減に対する政策・国の借金など、優先課題について述べるべきではないか。(黄鶴仙人)

参議院選挙の選挙公報①

今年4月の高槻市議選の投票に当たって、候補者が乱立して誰に投票していいか判らなかったので奥さんと同じ名前の人を選んだ…と、堂々と新聞に書く大学の先生がいたくらいだから、選挙公報を読む人は少ないのだろう。しかし、立候補者の政見をじっくりと見るためにはこれが一番なのだ。TVの政見放送では、さらさらと流れる言葉の影に重要な発言を聞き落とすことがある。何かの言葉で引っかかって、あれ?と思っているうちに話が進んでしまうこともある。耳に入る言葉よりも文章の方が正確に立候補者の人となりを示すのだ。
そこで、2019年の参議院大阪府選出議員選挙選挙公報(以下「19参選挙公報」と略す)だが、これを見ると、政治家とは何なのか、あらためて考えさせられてしまう。
人の生存にかかわるあらゆるもの・ことを対象とするのが議員なのに、単一のテーマしか扱わないのは政党としてスタート時点から失格だ。
将来の夢を語るのも政治家の仕事だが、時代の流れを知らず現実を見ず、幻想の中で愚策を誇大宣伝して国民をミスリードするのは詐欺以上の不法行為だ。
過去の不都合な話は忘れたふりをして、理念だけを抽象的に言われても信用・信頼できない。
人気取り政策を並べて有権者を誘い、自分が6年間政治家で居ることだけが目的ではないかと疑いをもってしまう立候補者もいる。
以下、各論に移る。         (黄鶴仙人)

誠実さ

「希望するみんなが保育園に入れる社会をめざす会 」というのがある。その会が、選挙区・比例代表すべての参議院選立候補者に対して、子育て政策に関するアンケートを送った。その回答状況が公開されている。

参院選2019 #子育て政策聞いてみた 候補者アンケート結果


同じ党でも候補者によって答えぶりが違うのが面白いけれども、私が注目したのは、誰が回答したかという党別の態度だ。7月16日18時40分現在、積極的に回答しているのは野党、特に共産・立憲が真面目な対応だ。一方与党は消極的で、東京・神奈川・千葉・大阪・京都・兵庫の選挙区では自民公明は誰も回答していない。維新の会も僅少で、東京選挙区に1人の回答者がいるだけだ。比例代表でも自民2、公明ゼロ、立憲7、国民6,維新2,共産15という回答状況である。
ここに候補者の人間性が表われていないか。草の根の会のアンケートにも真摯に応える野党候補者。対して、票にならない微細な組織の問いは無視する政権与党、そして維新。どちらが誠実でどちらが傲慢か。国民の声を聞こうとするのは誰か。それがよくわかる。
もちろん誠実さだけが政治家の要件ではない。国際関係の激しいやりとりの場にあっては強引さや脅迫まがいの口舌も必要である。しかし、人柄というものは人種や宗教や国籍を超えて伝わり、人を動かし、国と国との信頼関係まで作る。それを私は、かつてアフリカの西の果てで見た。もちろん私のことではなく、敬愛する同僚の仕事ぶりが、そういうものだった。(黄鶴仙人)