9 特設ページ  人はなぜ維新に投票したか…2019年統一地方選 大阪の陣

1 はじめに 2 維新旋風を産んだ富高貧低の気圧配置 3 日本人は変わった 4 維新の選挙戦術 5 維新の政党としての価値と今後の展望 6 まとめ

1 はじめに
2019年統一地方選。
大阪では府知事・大阪市長選で、また大阪府議選・大阪府下各市の市議選のすべてに大阪維新の会(以下「維新」と略称)が圧勝した。知事は対立候補に対してダブルスコア、府議選は単独過半数、府下の市議選においても自民現職・共産現職などを圏外に追いやり、維新の新人候補が上位当選を果たした市が大半だった。
人心は維新へ維新へとなびいた。それは何故だったのか。どんなメカニズムが働いたのか。維新にどんな魅力があったのか。維新旋風は根の浅い一時的な現象か、永続的なものか。維新はこの大きな期待に添える政党か。いろいろな疑問が渦巻く。疑問は放っておけない。自分なりに答を出して納得したい。
そこで、それらの答となりそうな仮説を立て、その仮説を公表されたデータで検証することによって実態に迫ってみることにした。
たとえば…。
A 府民には今の世間に対する不満・不安があり、世直しを求める気持ちが徐々に高まっていた。それは現政権や既存政党の批判となり、新しい政治への渇望が生じた。これが維新旋風の原動力となった。
B 府民は証拠をもとに物事を考えるよりもイメージ・印象によって、論理よりも感情によってものごとを決めるように性向・性行が変わっていた。
C そうした状況のところへ、論戦よりもイメージ戦を得意とする維新の会が現われ、府民はこれを歓呼の声をもって迎えた。
D 維新はこれまでの実績を府民に認知され、今回の地方選によって確固たる地歩を築いた。今後も永続的に府民から支援される…。
さて、どうだろうか。順次、検証したい。

2 維新旋風を産んだ富高貧低の気圧配置
前回(2015年11月)の大阪府知事選において、自民の票の一部が組織的に維新に流れた可能性をかつて指摘した(2015年12月22~24日のブログ)。あのとき、府議選では自民候補者に向かった票が知事選では維新に向かった地域がいろいろあった。自民大阪府連会長・副会長選出の選挙区で特にそれが顕著だった。当時の府連会長は安倍首相の大学の後輩でもあったが、自民としては、改憲のためには衆参とも三分の二が必要で、そのためには維新の協力も欠かせないから府知事選で維新に恩を売っておこう…という筋書きがあらわに見えていた。
改憲に関する情勢は今も変わっていない。だから官邸は「静観」していた。ということは、今回も同じメカニズムが働いていた可能性がある。確証はないのだが。
しかし、今回の維新支持の拡がりを見ると、どうもそれだけでは説明できないような気がする。もっと深層をさぐる必要がありそうだ。
そもそも今はどういう時代か。それは各種の統計を眺めれば、わかる。
どのような統計を見るか、それによって歴史観、時代観の切り口は変わるのだが、まず言えるのは少子高齢化の傾向だ。先進国では多少ともその臭いがあるが、日本はその傾向に歯止めがかかっていない。東南アジアに旅する人は、どこに行ってもにぎやかに遊ぶ子供の多さに驚くのだが、静かな日本では老人ばかりが目につく。人口減少はそのまま経済規模の縮小となり、老人を支えて行く荷の重さが若い人にのしかかる【*1】。
国民を養うためには、国に豊かな産業が必要だ。GDPの動きはどうか。国際的に比較してみると、アメリカと中国の順調な発展をよそに、日本は四半世紀前からほとんど成長していない。相対的には低下している【*2】。貿易額の動きも似たようなものだ【*3】。一口に言えば停滞の20年である。ものづくりを中進国に奪われたまま産業構造の転換を行っていない国の姿がここにある。我々戦後生まれの世代が昔感じていた右肩上がりの社会への信頼感、将来への期待感は、今はない。閉塞感だけが漂う。
こうした中で、企業はどうしているか。特許使用料や外国株の配当による収入も寄与して(実は貿易収支よりもそちらが大。日本は既に貿易立国ではない)、企業は収益を挙げているのだが、近年はそのうちかなりの額を社内留保としてプールしている【*4】。これと関連して、民間平均給与は20年前から低下傾向にあり、このところ少し回復したものの、まだリーマンショック前の状態にまで回復していない【*5】。一方で株式の配当は富裕層に回り、格差拡大を招いている。
雇用状況をみれば、社員も正規社員の数が増える以上に非正規社員の数が増えている【*6】。中でも若い人の非正規の割合は高い。15~24才では雇用者総数に占める非正規社員の割合は2018年に50%を超えた【*7】。非正規社員の給与が少ないことは、説明の必要もない。
収入が低いので年間に貯金できる額は減る一方で、2013年にはマイナス、つまり貯金を取り崩さないと生活できない状態に陥った【*8】。年間に貯蓄できる金額を労働者1人当たりでみれば、1998年には約65万円あったのが2017年には約14万円に減少している。ストックとしての貯金残高をみれば、二人以上いる勤労者世帯のうち11%の世帯が貯金額100万円以下であり、平均値1327万円以下に約70%の世帯がある【*9】。だから預金封鎖でもあれば、困る人よりも喝采する人の方が多い。貯金残高4千万円以上のエスタブリッシュメントには貯金100万円以下の貧困層の気持ちはわからない。逆にエスタブリッシュメントに対する貧困層の反発は大きい。両者の隔たりは大きく、その感情的対立は政治的対立につながる。それがアメリカにあり、同じ構図が日本にも生れている。
社会の格差はジニ係数によって表される。最近は拡大傾向にある【*10】。ジニ係数は当初所得のジニ係数と所得再配分後のそれとが発表されているが、国民の心証を形成しているのは目に見える当初所得の係数であり、それが急激に増加しているのが懸念される。
人口減少に始まる経済危機は若い人の仕事を奪い、結婚もできず、それがまた人口減の原因となる。どうにもやりきれない。
はたらけど はたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざり。政府に対しても大阪府に対しても怒り心頭、筵旗でも挙げようかというのが、府民の正直な気持ちではないか。今回の統一地方選は、現代の百姓一揆なのだ。自然の風は高気圧から低気圧に向かって流れるが、維新旋風は経済力の低い層から高い層に向かって吹き上げた。呻吟する府民。明日のビフテキよりも今日の麦飯が欲しい。IRでも万博でも、仕事になりさえすればいいのだ。誰でもいい、この苦しさから救ってほしい。
こうして、人は維新になびいたと言えそうだ。

*1 人口動態(統計局HP)
*2 GDPの推移(IMFデータより 作成:ガベージニュース)
*3 貿易額(統計局HP)
*4 内部留保(財務省)
*5民間平均給与(時事ドットコム)
*6雇用状況(統計局:労働力調査より筆者作成)
*7非正規職員の割合(統計局:労働力調査)
*8貯蓄額の推移(統計局:家計調査報告より筆者作成)
*9 貯蓄の状況(統計局:家計調査報告)

*10ジニ係数(厚労省:所得再分配調査より筆者作成)

3 日本人は変わった
じっくり冷静に考えたうえで物事を決める人が、日本には昔ほどいないのではないか。大方の日本人は、考えるよりも感じることの方が大脳活動としてのウェイトが大きいのではないか。そう感じたことがある。
データを示そう。全国出版協会が公にした書籍類の販売統計である。

*11-1 書籍販売額(全国出版協会)
*11-2 コミックス(紙媒体)販売額

上図のように、書籍の売上げが減少の一途をたどる一方で、コミックスの販売は落ちていない。2017年現在では書籍の売上げが紙と電子版合計で7442億円、コミック販売額は紙と電子版合計で4330億円、その比率は63:37で、コミックの勢力は侮れない。ちなみに、書籍販売額のうち電子版は約4%に過ぎないのに対し、コミックスでは51%が電子版であり、スマホの影響力が窺える。
極論すれば論理よりも感性を優先する方向に日本人は変わった。文章理解よりもイメージ直感、左脳よりも右脳に判断主体がシフトした。昔、左手に朝日ジャーナル、今はスマホでコミックス、である。同一人物の中でそういう変化が起こったのではなく、書籍と論理を好む人が昔はほとんどだったのに対し、今はその割合が6割程度に減少したのである。書籍の園に住む人には、垣根の外で維新に吹く風を感じ取るのは難しい。
一方で、大阪人は昔から祭り好きだ。選挙の騒ぎも祭りの一種であり、以前の芸能人知事の誕生も同じ流れの中で理解できる。


4 維新の選挙戦術
2019年5月3日付け毎日新聞朝刊に、まさにこの標題どおりの大きな記事があった。その趣旨は、インターネット調査により人目を引く言葉を選び、それらを多用することによって人心を掴もうとする維新の選挙戦術が、販売戦略などのマーケティングの手法に似ている、というものであった。本項も、表現は違うが、同趣旨のものとなる。
維新は「改革」「二重行政脱却」を謳い、「大阪の成長を止めるな」と呼びかける。それ自体、わかりやすい、と言うか、聞けば判ったような気になるキャッチフレーズである。だが、ここに落とし穴がある。例えば「大阪の成長を止めるな」と言われれば、「大阪の成長」自体は既定事実として頭に入り、「止めるか止めないか」が、聞いた人の選択肢になる。成長を止めるよりは止めない方が善いと思うのは人情で、成長を止めない維新は善い政党だ、となってしまう。この標語は、大阪が成長しているかどうか批判する材料を持たない人にとって「大阪の成長」という仮想現実を自覚のないまま受け入れることになり、極めて危険な、維新にとっては極めて都合のよい心理誘導、一種のダブルバインド効果をもつ言葉なのである。二重行政脱却も同じで、何も知らない若い人は、それを聞いただけで維新を正義の味方と誤信する。二重行政があるのかないのか、ほとんどの人が何も知らない。政治家が争点にするのだから、どこかにあるのだろうと空想し、投票のときは空想が事実と化して人を縛る。根拠のない幻想を、実際あるものとしての先入観を如何にして植え付けるか…。ここが勝負と知る、心理学を心得た術士が維新には存在するようだ。
ハロー効果もよく知られている。セールスマンが来たとき、話の中身を聞いてモノを買うかどうか判断する人は全体の7%。38%は、セールスマンの話術・耳からの情報に影響される。残り55%が見た目勝負だ。それは、清潔感、さわやかさ、物腰、笑顔などである。好印象を得るためには笑顔が最も大事で、だから政党のHPには政治家の笑顔が並ぶ。維新も美男美女を選ぶ。街頭で若い人は容姿だけを見て、「かっこいい~」と、内容薄弱なパンフを受け取る。普段の議会活動など若い人は知りもしない。「いい男ね」とうっとりする女性には政策も馬の耳。
易者は断定的な口調でしゃべる。繰り返しもする。確固たる将来予見だと強く印象づけるためだ。維新のポスターも同じで、字数は少なく文字は大きく、そして同じポスターを10枚以上並べて貼って、人目を引く。
さらに、自己の存在をイメージづけるためには何でもする。選挙告示前日の4月13日、高槻駅南歩道橋の上を占拠し、ずらりと並ぶ屋根の支柱のすべてをポスターで三角形に囲み、パンフを手渡す市会議員がいた。演説会の予告らしい。ポスターを見るとそう書いてあった。しかし、誰が見ても8日後の選挙のための運動で、脱法行為そのものである。また、選挙期間中はJR駅前など目立つ場所を維新の候補者で独占する。
このように、維新にとっての選挙戦術は投票前の派手な活動がすべてだ。彼らの過去の議会での活動はどうであったか。それは、「1 市議会という舞台で 第一部」を参照してほしい。
総じて、維新は、論理ではなくイメージ戦術だ。これに浮動票が引っかかった。浮動票とみるには理由があるが、あとで触れる。
なお、選挙期間中の戦術とは違う話だが、聞くところによると、維新は平素からの地域活動にも熱心だそうだ。比較的経済力のある若手が、幼稚園のPTA役員、地域の役員などに積極的に手を挙げ、地道な組織の拡大を図っているとか。日本人の心情からすると、人は政策の中身よりもこうした近所の活動に惹かれるきらいがある。

5  維新の政党としての価値と今後の展望
維新は政党か。否。
都構想の住民投票で負けたことを認めず再挑戦している。これは多数決という民主主義の原則を踏みにじるもので、民主主義を否定した時点でアウト。日本において政党として存在を許される集団ではない。
加えて、政策を持たないため政党ではない。彼らが政策と称するモノは、全て手続き的なものばかりで、根本的に市民府民を幸せに導くものではない。例えば都構想は行政手続き・行政組織に関する微調整に過ぎず、どう転ぼうが市民の幸せに直結しない。税金の節約になるならないの話は、税金の支払い義務のない層には無縁だ。バス・地下鉄の民営化も本質的な話ではない。少し料金が安くなっても、地下鉄は地下鉄。地下鉄が新幹線になるわけでもない。本質的変化はない。それよりも何よりも、政党ならば府民・国民を食べさせる方途を呈示すべきなのに、何もない。産業政策、環境政策その他、雇用を増やす方策が必要だ。万博やIRも設備の建設が終われば、それまでだ(何もないよりマシだが)。そもそも大阪の東京に対する相対的地位の低下は、情報や交通手段の近代化によって日本が小さくなったためであり、近代化によって都は一つでよいと気づいた人々が拠点を東京に集中させたためだ。何かをすれば元に戻るというものではなく、時代を逆転させない限り、繁栄は戻らない。すべからく政治家には文明史観が必要だ。いや、それがわかっていながら、人気取りのために大阪の繁栄再びという虚飾に満ちた話をしているのか。だとすると詐欺同然で、なお罪深い。だが本稿は選挙分析が主体なので、維新の政党としての評価は軽く触れるに留める。
さて、かように期待のできない維新だが、2019年4月21日は多くの人が維新という文字を頭に書きながら投票所に向かった。投票結果は次の図のとおりである。ただしこの図で、過去からの流れがあるので、立憲民主党は民主党の欄に置いている。

*12 高槻地方選における党派別得票数の推移

これを見ると、各党派とも固定的支持票と浮動的支援票から成っていることがわかる。
公明党は強固な固定的支持票にがっちり守られている。府議選では若干息抜きをするが市議選で本領発揮する。ただし、老齢化のためか、年を追うごとに票が減る。
民主系は約1万5千の固定票を持つ。今回は反維新の浮動票が野々上議員に集まった。市議選において2015年よりも減らした形になっているのは、平田議員が選挙公報において無所属を表明しているので、そちらに計上したためである。
自民党は固定票2万余と見積もられるが、今回はその固定票を減らし、それが維新に向かった。浮動的支援票も失い、それも維新の票となった。また共産党も浮動的支援票をすべて失った。なぜか。過去20年間の経済的な疲弊と為政者の無策が両党の固定支持者すら絶望させ、浮遊させたのではないか。そこに維新の上手いキャッチフレーズが待っていた。
浮動票を一手に集めたのが維新である。ダブル選挙を早くから宣伝するテレビ・メディアによって意識を高めた選挙民は、投票率を6~7%高めた。メディアによる雰囲気作りの中で維新は元衆院議員まで投入した。そのショックによって増えた票数は約2万。その浮動票がすべて維新に向かった。
ところで、維新候補者の得票は選挙の度に大きく変動するのがわかる。府議の池下議員は過去2回とも4万票を越えていたが今回は約2万8千。市議で吉田稔弘議員は無所属の前回が2369,今回は5175,木本議員は初回、みんなの党所属で3901,前回は維新で13077,今回は8549,前回維新の太田候補は7476で当選、無所属の今回は1882で落選となった。選挙民は特定の候補者の資質に全面的な信頼を置いて投票しているのではなく…もちろんその要素も否定しないが…、維新なら誰でもよいという投票の仕方だ。4項末尾に述べた地道な活動に基づく組織票もあるが、大半は浮動票とする所以である。
では今後はどうなるか。今回の選挙の結果が、国の経済疲弊・情動で動く府民の気質・きちんと実態を見ない府民のお祭り騒ぎの選挙・心理誘導を得意とする維新の選挙戦術によってもたらされたものである以上、各要素に変化がなければ、次回の選挙も同じことが起こるであろう。統一地方選で見られた自民の衰退も一時的なものではなく、構造的なものだ。そして地方的なものに留まらず全国的なものだ。参院選での自民惨敗が見える。
そして、地方政治は空疎なものになり、あるいはネオ自由主義による政策遂行によって、格差は拡大し、労働環境はますます厳しくなり、公教育・文化の破棄が進むことが予想されるが、一般市民にとっては選挙が終わってしまえば4年間は議会も議員も意識の外であり、地方政治がどうなろうが興味もない。見ようとしないものは目障りではない。それこそ議員にとっては願ったり叶ったりの状況なのだが、一部の心ある市民は絶望を深める。維新の愚かさが広く知れ渡れば状況は変わるのだが、改憲のために予備勢力が欲しい官邸を背にして、メディアは真実を伝えない。維新の存在だけをふだんから印象づける。それが票になる。どうしようもない愚行が時折記事になるだけだが、選挙の時はそれを選挙民は忘れる。
日本の歴史は修復能力を有する日本人の姿を示す。奢れる者は久しからぬ間に没した。戦国乱世において安寧秩序を求める民衆はやがて安定勢力を作り上げた。国の存亡が危惧されるときは国民が大きな力を発揮すると共に英雄が出現した。理に合わないものは、やがて淘汰される。しかし、それは自然に淘汰されるのではなく淘汰する勢力が産まれるからなのだ。その勢力を作らねばならない。自民の再生、立憲民主党でのスター誕生、俊秀の集合、人作りが急ぎ必要だ。

6 まとめ
日本全体が鬱屈した空気に沈み、拡大し固定化する階層間格差。その中で経済的に追い詰められる国民。気質的にも、論理的に考えるよりもイメージで感じる人が多くなり、民にとっては選挙もお祭り。そういうところへ選挙戦術だけはうまい維新が選挙民を心理誘導し、得票を伸ばした。今後も同じ土壌の上に維新の旋風は続く。だが期待に応えるだけの力は維新にはなく、政治に対する人々の嘆きは終わりを見ない。維新に替わるスターを作るべきだ。