8-3 過去ろぐの倉庫③ 2015年10月~2016年3月

421日 「高槻烈震そのシナリオ (結び)」
市の北部では小規模の崖崩れが発生した。原から田能に向かう道は大きな被害はなかったが、所々の山肌がむき出しになって落石が道路の山側を埋めた個所があった。清水台2丁目、浦堂本町、月見町の急傾斜地が崩れ、防護壁の破片や土砂が家屋に迫った。
まだ余震は続いていたが、人々は避難場所に指定されていた学校に急いだ。住所ごとにどの学校という指定はなかったが、とりあえず近くの学校に向かった。壁の亀裂や剥落はあったが、耐震工事の甲斐あって校舎は原形を保っており雨露はしのげそうに見えた。
地震発生から2時間後の午後8時、街のあちこちから火の手が上がり始めた。停電した暗い町に赤い炎が見え、その小さな火は次第に大きく、高く上るようになった。そして二つ三つの火が広がって大きな一つになり、大きな火がつながってさらに大きな火になり、やがて栄町、寿町、津之江町、庄所町、竹ノ内町、宮野町は火の海になった。その火の明るさで道路は地割れが走っているのが見え、消防車は動くこともままならなかった。この地域の小中学校に避難した人々は、周辺の住宅地の火災によって孤立した。
そのころ、すべての川の水が引いて川底が露わになった。その30分後の午後8時半、大阪湾に満ち溢れた津波が川を遡ってきた。土佐湾や潮岬で20mを越えた津波も友が島に阻まれて勢いを減じ、大阪湾に入ると高さ3m程度となった。それでも津波は淀川に入るとにわかに高さを増し、5mを越えた。その高さを維持したまま津波は十三や南方近くにある河川敷公園を飲みこみ、一気に上流へと馳せた。
大火の際はそこが避難場所になると知っていた高槻市民の一部は、芥川が淀川に合流する地点の河川敷に走った。そこで座り込んでいた市民たちは、闇の中を下流から押し寄せる津波の轟音に気付いたものの、不気味な音の正体を懐中電灯で確認した次の瞬間には、こちらに迫る水の壁に呑まれた。
堤防上端までの高さは、淀川では平均水面から10mあったが、津波の高さは堤防法面のコンクリート被覆を越えた。液状化により軟弱になった堤防の盛り土部分は、打ち付ける水の勢いにより崩され、徐々に盛り土を奪われていった。津波は、淀川から芥川、女瀬川へと分かれて進んだ。津之江4号橋付近、天堂橋付近では、落下した橋桁や乗用車を洗いながら、津波は住宅地へとほとばしり出た。津波は一度だけではなく、何度も川底の露出と遡上を繰り返した。避難を急ぐ人々はこの水流によって行く手をさえぎられ、あるいは流され、如是小・如是中は水に浮かぶ孤島となった。
広範囲の電源喪失と送受信局の倒壊により、携帯電話は一切使えなかった。発電式携帯ラジオだけが正確な情報を得る手段だった。雑音混じりのアナウンサーの声は、地震の被害が神奈川県以西の本州の太平洋側、四国、九州の宮崎・鹿児島県という極めて広い範囲に及んでいること、潮岬や室戸岬で震度7、和歌山・高知・徳島県で震度6強、大阪から京都に至る地域は震度6弱に達していたこと、米軍が援助を申し出たことを繰り返し放送していた。被害状況がラジオ局に届いていないようで、各地の具体的な被害については何も伝えていなかった。(この項終り) (黄鶴)

420日 「高槻烈震そのシナリオ(続)」
JR線付近よりも南の地域では激しい液状化が起こった。市役所周辺の道路では割れたアスファルトの間から噴砂があり、上牧小、五領中、南大冠小、十中、大冠高、芝生小、柳川中などの広い校庭は噴砂に加え地下水の上昇により水びたしになった。これらの学校では、外見上は傾いた校舎はなかったが、ガラスの破片が校舎の周辺を埋めた。また梁や壁、柱には亀裂が入り、上塗りのコンクリートが剥がれ落ちて校舎の内外に散らばった。ごくまれに鉄筋がむき出しになった部分もあった。
この南部地域では、倒壊を免れた家屋も、地盤の液状化によって傾いた。古代の条里制の田の上に出来上った町は強い地震には抵抗力がなかった。無秩序に右に左に、家々が傾いた。
また淀川の堤防も地盤の液状化によって沈下しており、その沈下の度合いが場所によって違うため、堤防上の道路はうねり、舗装が割れた。一部には堤防自体の液状化も見られ、軟弱になった。ただ、堤防の法面は30度というなだらかな傾斜で造られており、崩壊はなかった。芥川の堤防も損壊はなく、同様の状態だった。しかし女瀬川の堤防は形が複雑なためか、屈曲した地点やコンクリートと土盛りの境界付近で亀裂が見られ、周囲の地面よりも高い川底から津之江町に向けて川水が流れ込み始めた。川水の先には如是小、如是中があり、動きの速い避難者の姿が見え始めていたが、液状化による地下水があふれている校庭では川水が流入していることは認識できなかった。
強い地震によって交通機関はすべて停まった。JR、阪急の電車は線路上に立ち往生し、駅の近くであろうがなかろうが乗客は非常ドアを開けて外に出た。通勤時間帯で、電車はどれも満員だった。しかし鉄道が国道171号線をまたぐ桜町付近では、JR・阪急とも高架橋が落下して枕木を付けた線路だけが宙に浮いており、線路上を歩く避難民はそれぞれ富田駅方向や高槻駅方向にUターンした。その下では落下した二つの鉄橋が、大動脈である国道171号線を遮断していた。八丁畷の阪急の高架橋は落下こそなかったが、高架橋のコンクリート部材が落下して路上のバリケードのようにうず高く積もった。JR高槻駅西口付近の地下道も同様で、南北方向の自動車の通行は封じられた。
また芥川にかかる橋も、1968年竣工の門前橋はプレストレスト・コンクリートの応力緩和が想定以上に進んでいたのか、コンクリートの剥離・落下が激しく、大型の自動車の通行は不可能だった。高槻橋、城西橋、芥川大橋、次郎四朗橋は、橋自体は損傷は少ないが橋の手前の勾配部の地割れが激しく、自転車の通行すら困難であった。女瀬川では地震の振幅は橋の落下防止装置の機能を越えていたようで、天堂橋と津之江4号橋の橋げたが落下した。これらを総じてみると、高槻市は芥川と女瀬川で東西に分断された形になっており、大型自動車が通行できるのは大蔵司橋だけだった。(続く)

419日 「高槻烈震そのシナリオ」
内閣府ほかの関係省庁の公表資料から、南海トラフ巨大地震が発生したときの高槻の状況は次のように推定できる。ただしこれは、あくまで筆者個人による想定である。念のため。

20xx年3月22日火曜日の午後6時少し前、高槻市を地震の第一波が襲った。
家々のキッチンでは夕食の準備中だったが、テーブルの上で食器がカタカタと鳴り始め、ガスコンロにかけた鍋も揺れて湯があふれてきた。食器棚の皿やコップも大きな音を立てた。新しいガスコンロは振動を感じて自動的に消火したが、古い家屋ではコンロは消えないまま、揺れる鍋を温め続けていた。
外を歩く人には、その振動はわからなかったが、立ち話をする主婦たちは、あれっ?と顔を見合わせた。玄関先につながれた犬は不安そうに吠え、犬小屋にもぐった。車は走り続けていたが、自転車は異変を感じて停まった。
それは初期微動というには大きかった。歩いていた人もやがて足元の振動に気付いた。その振動は次第に大きくなってはっきり縦揺れとわかり、これは今までの地震とは違うと誰もが思った。そうして、最初にテーブルの上で食器が踊り始めて42秒後、激烈な横揺れが高槻の街全体を覆った。
激しい横揺れは、初めは東から伝わってきた。人は立っていることはできず屈みこみ、自転車は倒れて傍に人が転がった。車は直進できず道路わきの家や塀にぶつかり、停まった。家の壁は亀裂が入り、窓ガラスは砕けて外に雨のように降り注いだ。室内では家具が倒れ、燃えている石油ストーブの上に本棚が覆いかぶさった家もあった。多くの家では石油ストーブは倒れる前に消火した。消火はしたが余熱があり、そこに灯油が流れ出していた。ガスはマイコンメーターが作動したので供給はすぐに止まり、ほとんどすべての調理中のコンロが消火した。激しい揺れは1分後にはおさまった。長い1分だった。しかしまだ体に感じる細かい縦揺れがあり、すぐまた激しい横揺れが来た。今度は南からの揺れで、残った家々は南北方向に揺すぶられた。いや、揺れは一方向だけではなく、南西方向からも感じられ、数分間続いた。
揺れは市の南域、すなわち西国街道よりも南側の地域で、より激しかった。そこはもともと淀川の氾濫原であり、さらに昔は広大な河内潟で、土砂が厚く堆積した軟弱な地盤だったからである。そこでは、瓦屋根の日本家屋のうち古いものは、最初の揺れで、屋根の形をそのままに伏せるように圧潰した。そして震源の移動した第二波、第三波の複雑なうねりの中で次々に木造の家屋は倒れていった。住宅街の狭い道は倒壊した建物でふさがれて通行できなくなった。(続く)

418日 「地震対策 その2」
論語の冒頭にある言葉を実践している人は、どれくらいいるだろうか。多くの人が論語読みの論語知らずだろう。それは「学びて時にこれを習う」なのだが、講談社学術文庫の加地伸行訳では「時に」は「つねに」とふりがなが付いている。
常に、ではなくて、時々でも思い出しておさらいするのも悪くない。高槻市の地震対策は万全だろうか。
市のHPで「くらしの情報」→「災害に対する備え」→「地震」と進んでいくと「地震対策」に行き当たる。そこにあるのは、避難場所の紹介、震度の説明、日常の注意事項、我が家のチェック、いざ地震発生の時の対応策、である。そしてこの「地震対策」と並列でHPには「日常の備え」「安全に避難するために」「災害時要援護者」の項目が並ぶ。防災訓練の項目もある。
しかし、このHPからは市がどのような地震の状況を想定し、誰に対してどのような対策を施そうとしているのか、ストーリーが読めない。というか、そういうシナリオは何も描いていない。それどころか、地震発生時の対応策として、「発災~3日位 非常備蓄品の活用発災から3日は外部の応援は期待できない」とある。3日間は市も何もしないということのようだ。市民救済義務の放棄である。「情報の収集…市の広報などに注意」ともある。どうやって注意するのか。スマホなど年寄りは持っていない。「我が家のチェック」では、長方形の整った形状の方が耐震性が高いのか、それとも低いのか、読み取れない。コピペ不十分だ。
先日のブログの繰り返しになるが、危機管理の要諦は弱気なシナリオ作りにある。どのような被害を想定するか、歴史の検証と現時点での中央防災会議での検討結果から最悪の被害は導き出せるはずだ。わからない、想定できないでは済まされない。わからないのはデータから状況を読み取ってアタマの中に動画を生み出す構想力が欠如しているだけだ。そして、いざ地震が発生したらどうすればいいのか、おそらく人は動揺してなすすべを知らない。南海トラフ巨大地震の際はこの地域は液状化が起こる、山崩れが発生する、だからこの町の何丁目の人は、この避難所に逃げなさい、というふうな強力な指導がふだんから必要だ。そういう対処方法のプリンティングが必要だ。
とはいうものの、役所には法律と予算による行動の制約がある。公務員はどんなことができる(あるいは、しなければならない)ということが法律で決まっているが、予算もそれぞれの公務員に対する授権、つまりこれだけのカネの範囲でこれこれのことをやってもいいよ、という権能を授けているのだという考え方がある。それに従えば、予算を超える活動は違法なわけだ。非常時の越権行為は緊急避難だから許されるのだが、ならば、市のできることはここまで、これ以上のことは市民が自分でやってください、と言うのも一法だ。
ちなみに、市のHPに掲げる避難所の収容人員総数は、約12万1千人である。市民総数の3分の1だ。その避難所の中には、鉄筋の数が少ないことが明らかになった小中学校も入っている。液状化が確実な地域の学校も避難所になっている。自前でテントを買っておくべきかもしれない。テントを張る場所が問題だが。(黄鶴)

417日 ぶろぐ日曜版 「江戸の福祉政策
鎌倉・室町の時代の福祉政策については資料がない。日本には、民は尊ぶべきものという思想が古来あったはずだが、この時代は明確な身分制度がなく、農民も家の子郎党であってみれば武士と農民という二項対立の存在ではなく本来養うべき家族であって、その窮状を助けるのは福祉以前の話だったのだろう。
織豊政権の刀狩を経て江戸時代に入ると身分化が進んだ。そして、庶民は管理される対象となった。天変地異に際してはその救恤が重要な政策となった。
江戸幕府が気を使ったのは江戸の市民である。天明7年の飢饉においては、自助努力のしようのない江戸市中の窮民はおよそ136万人余りで、幕府がこの救援のために費やしたカネは約2万両、米2万俵、大豆2万俵である。
飢饉に次いで幕府が意を用いたのは、火災、水害、疫病の3種である。大水や大火によって数万の窮民が一事にその住居を失うようなことがあれば、幕府は急きょ令を発して空き地に仮小屋を建て、任意に入居させた。これを「御救い小屋」といった。数十日の間飲食を与え、それでもなお自立できない者には資金を与えて生業に就かせることもあった。これを「御救金」「御救米」といった。また市中に疫病が流行ったときは、食事や薬、米や銭を与え、治療法を伝授した。私物をもって窮民に施しをした者には幕府から賞詞が出された。
このような思想は、江戸幕府初代将軍家康から出ている。家康が駿府に移った年の10月、江戸城西の丸に貯えてあった黄金3万枚、銀1万3千貫を二代将軍秀忠に譲ったが、その時の言葉は次のとおり。
「これは御身のためのものではない。天下の物と思い、この上に貯えを重ねるべし。平常の国費は年ごとの歳入をもってまかない、なるたけ浮費を省き、金銭を多く貯えなさい。それは何のためかと言えば、第一は軍事的な国難に備えるため、第二は不慮の火災によって城中城下が困窮したときにこれを救うため、第三に日本国中に守護地頭を置いて万民が飢えることのないようにする制度はあるが、またどのような飢饉が打ち続いてその制度が作用しないとも限らないので、そのような時に上から守護地頭に力添えをして救荒の政を施すためである。これぞ天下の主たる者の本意である。当年の歳入がどれほど豊かであっても、無駄にしてはならない」

416日  「地震対策」
熊本県益城町に友人が住んでいる。リタイヤ後、奥さんといっしょに生まれ故郷に帰っていったのだった。その益城町を一昨日の夜、M6.5の地震が襲った。同町の震度は7。多くの家屋が倒壊する強さだ。これが本震と思っていたら実は前震で、本震は今日の未明のM7.3のものだった。さらに、地震は広域化の様相を示し、大分県の由布院でも被害が発生した。熊本の地震を伝えるTVの画面には、屋外で夜を明かす被災者の集団が写る。
翻って、高槻に被害が発生したときのことを考えてみよう。市内には岡本町あたりに有馬高槻構造線のうち真上断層が走る。これが動くときの被害はすさまじいが、当面大丈夫のようだ。問題は東南海・南海地震の連鎖だ。今回の熊本・大分の一連の地震のように、こちらも連動する蓋然性は高い。
その時どうなるか。市内は震度5弱~5強の地震に襲われる。木造建物は倒壊には至らないが壁にひび割れが入る。地盤に亀裂や液状化が起こる。芥川の堤防も、最悪の場合は壊れる。そこに大阪湾から遡った津波があびせかかる。堤防の割れ目から流れ出る水はJR線以南の低地を浸す。
人はどうすればよいか。高いビルなら浸水はないが、交通の途絶により孤立する。早めに市の北部に避難したほうがよい。低層家屋はもちろんのことだ。だがしかし、逃げる場所がないのだ。市の南部に住む20万人は、どこに収容されるのか。JR線以北には小学校13校、中学校5校、高校4校、大学3校、単純合計25校がある。机上の計算だが、各校に教室が20あるとすると、避難者は1校当たり8,000人、1教室あたり400人となる。全員の屋内収容はとても無理だ。ハザードマップには幼稚園やコミュニティセンターも避難場所として示されているが、大きな期待はできない。雨の中、濡れない場所を求めてさまよう市民の姿が見えるようだ。1校当たり8,000人の被災者に配る毛布、食料がどこかに備蓄されているのか、仮設トイレがあるのか。心もとない限りである。
危機管理は最悪のケースを想定し最善の準備をすることから始まる。東南海地震の発生は近い。高槻市においても、最悪のシナリオを描き万全の準備を願いたい。
益城町の友人とは、地震発生以来連絡が取れない。(黄鶴)

415日 「選択的夫婦別姓」
御島媼「当世日本に、まだこのような議論があるのかや」
かえで「何のこと?」
御島媼「一般質問の最初の日にちょっと話したが、選択的夫婦別姓のことじゃ」
かえで「ママから見れば不自然?」
御島媼「不自然というより不法な制度じゃな、今の夫婦同姓の制度は」
かえで「そっか」
御島媼「昔はな、別姓が当然じゃったし、それどころか男が女の家に通い、産まれた子どもは妻の家で育てられたものじゃ」
かえで「昔って、いつ?」
御島媼「わらわの若かった平安時代」
かえで「ぷっ」
御島媼「笑うでない。言いたいのは、これが絶対というものはなくて、何事もうつり変わるということ。姓だって、つい400年前は自由に決めることができたのよ」
かえで「そうね」
御島媼「夫婦同姓が当然で、これぞ万古不易の法則だなんてことはないのよ」
かえで「夫婦同姓でなければならない…、これ、なんか、家制度と関係ありそうね」
御島媼「そう。女は嫁に行けば家の中で妻として、母として一家の中での役割を期待され、それ以上でも以下でもない立場だったのよ」
かえで「嫁して三年、子なきは去れ」
御島媼「そうそう。よく御存じだこと」
かえで「黄表紙にあった」
御島媼「おや、そんな下品なの読んじゃなりませんぞ。ともかくね、夫婦同姓を強いるのは古い戦前の家制度のなごりとも言えるのよ」
かえで「維新の会の木本ゆう議員が、家族制度を危うくするから反対、子どものためにならないと意見を読み上げてたね」
御島媼「維新というのは、これ新たなりという意味だけど、その名前からすると新しい制度を提唱してもいいのに、古い制度にこだわっているね」
かえで「そんな感じ」
御島媼「反対する人は、家制度と家族のあり方を混同しているというか…」
かえで「夫婦別姓を認めたら家族がばらばらになる、それじゃ子供が迷惑だ、と考えているようね。短絡的に」
御島媼「それはまったく別の話じゃな。お互いに自分という確たる世界を持ちながら、愛し合った二人が共に暮らす、今はそういう時代ではないかな?」
かえで「わかってるぅ~!」
御島媼「実は昔もそうじゃったのよ。妻も庄園を持っており夫に頼らない独自の経済力を持っておった」
かえで「そういえば、交野…カタノって…、皇后の土地という意味だとどこかで読んだ」
御島媼「別姓は夫婦の形を壊すことに直結する…のではない。別姓にすると夫婦が壊れそうだと思う人は同姓を選べばよい。選択的というのはそういうことじゃ」
かえで「うん」
御島媼「国連からも勧告がでておるし、別姓を選ぶこともできるというのは世界的な流れじゃ」
かえで「そう。民法にこう書いてあるからそれに従おう、というのではね、世の中、何も変わらない。法を変えようという動きがあってもいいわよね」
御島媼「議員はな、自分がこう思うから議案に賛成・反対、ではなくて、今の世の中に必要なものは何かという観点から、賛否を決めてほしいぞな」
かえで「世の移り変わり、800年を見てきた人の感想ね」
御島媼「そうじゃ。自分の価値観とは別に、悠久の真理やいかにと言う眼、複眼が必要なのじゃ。意見書提出に賛成が20人、反対が14人…。反対者の多さに呆れるわ」

414日 「務めを忘れた社会」
朝8時半、公園前に保育園のお迎えのバスが来た。幼な子は乗るには乗ったが、母親との別れを惜しみ、バスの中で泣き始めた。泣き声の音程を分析すると、そんな児が3人ほどいるようだ。ああ、かつては我が子も、自分すらもそうだったと、遠い記憶を手繰り寄せる朝のひとときである。
子どもの作る世界、その微笑ましく見える情景も、人によっては騒音源になる。「子どもの声がうるさい」ことを理由の一つにして地域住民が反対し、関東地方などで保育園の新設が中止になっている例が多数あるという。他に送迎車によって交通が混雑し事故のおそれが高くなるという理由も挙げられている。教師から見る親の中にはモンスターペアレントがいるが、住民にもモンスターがいるのが、こうした事例から見えてくる。
猿の社会では子供を全員が育てる。かつてのムラ社会では日本人もそうだった。遅くまで遊んでいると早く帰れと声をかけ、貧しい家の子は、その友達のそれほど貧しくない親が目立たぬように食事を与えた。子はムラ社会の共有財産であり教育はムラの共同事業だった。
その特質が今や完全にぬぐい去られている。数十年前、大人たちの暖かい目の中で、大声をあげて走り回っていたことを忘れ、自分の子供が近所に迷惑をかけていたことも忘れ、今、自分たちは子どもを育てる社会的存在であることも忘れ、静かな生活が欲しいという身勝手な欲望だけに流されている。おぞましいことだ。
内政上の課題の成因は住民にある。その課題の解決を政治にのみ求め、自分は何もしない、ただ不平だけを言うのは許されない。次世代を育てるのは国民的義務である。そのために何か奉仕するのは当然のことではないか。他人の子であってもかわいい…と思わない爺婆、てめーら鬼か!と叫びたくなる。(黄鶴)

413日 「衆院補選」
衆院補選が始まった。京都3区は例の不倫騒動の後始末だ。原因となった出来事が何とも情けないが、そのあとに展開されている政治状況もまた、やるせない。
自民党は候補者がいない。出せるわけがない。民進党は比例区選出現職議員の泉健太氏。立候補によって自動的に失職し比例区には北神氏が繰り上げとなっている。背水の陣だ。共産党も出さない。おおさか維新は34歳の森夏枝氏。過去の衆院選では2012年・2014年に愛媛3・4区で立候補し、それぞれ第3位で落選している。日本のこころを大切にする党からは37歳の小野由紀子氏。そのほか、3人の候補者がある。
こうした中で、民進党と共産党の関係がぎくしゃくしている。民進党は反共産の姿勢をはっきりと打ち出した。共産党は自主投票とした。
いま、何が必要か。戦前回帰のアベ政治をストップさせることだ。そのために行きがかりのすべてを捨てて協力することだ。幕末の薩長同盟のようなものだ。あのときも長州は、禁門の変などに対する薩摩への恨みをとりあえず脇に置いて、倒幕に向けて協力した。その度量は現代の京都においては望むべくもないようだ。民進・共産両党にとって大事なのは、協力して国民のための政治を取り戻そうという戦略ではないとみえる。共産党嫌いなどの感情を優先させるようでは、先が暗い。政府与党はほくそ笑んでいることだろう。
共産党との協力姿勢を表に出すと保守層が離反するという意見がある。それは皆無とはいわないが、大阪のダブル選を参考にしないでほしい。あれは自民党による組織的な大阪維新応援の結果であって、共産党の協力による心理的影響ではない。(黄鶴)

411日 「川内原発」
ニュースの往来は速い。次々に押し寄せる情報の波に呑まれ、重要な話が彼方に押しやられて行く。しかし忘れてはならないことがあるのだ。
4月6日のことだが、川内原発1・2号機の仮処分申立を、福岡高裁宮崎支部は棄却した。これには時代認識の誤りではないかと言わざるを得ない。
棄却理由は、安全性については社会通念を基準とするとし、「絶対的な安全性に準じる安全性の確保を求めることが社会通念になっていない」と述べた。たしかに、一部のラジカルな考え方にもとづくよりも社会通念を基準とするのは正しいが、その社会通念が福島以降に変化しているのを忘れていないか。安全性とは、得られる利得とそのためのリスクのバランスの上に成り立つものである。飛行機は墜落の危険性がないとはいえないが、それは希で、それよりも早く目的地に着くメリットの方が大きく、だから人はそこに安全性を認めている。原発も、かつてはそうだった。中性子の速度こそ違うが基本的に原爆と同じ動作原理で熱を発生させる機構だから危ないのは解りきっているが、何重にも巡らされた安全装置があり、巨大な電源にもなるので、安全な発電機と人は考えてきた。
しかし、それが5年前福島で牙をむいた。まさか保護装置がすべてストップするとは、誰も考えていなかった。想定外のことは、あるもんだ…。そう思った人々は既存の安全とされるものすべてに、あらためて疑問の目を向け始めた。それが、原発に対する世論調査の変化にも表れている。にもかかわらず、宮崎支部はそれを社会通念の変化として認識していない。従来どおりの見方考え方を踏襲し、恥じるところがない。それは政策寄りの考え方であって、司法が行政の走狗になっているのだ。大津の仮処分決定は司法が行政を混乱させるものというサンケイ新聞の解説記事もあったが、とんでもないことで、司法は行政から独立している。誤まった行政を糺しているのを、正しいことを妨害する行為と同一視しないでほしい。(黄鶴)

406日 「消費が伸びない原因」
低次元の表現は抑えるようにしているが、たまに口を突いて出ることがある。政府のやることがあまりにピント外れと思う時だ。Shit ! Ass! Idiot !
政府の経済財政諮問会議*の民間議員**がGDP増大に向けて政策提言を行った。その内容は、結婚・出産・子育て支援(例:第二子以降への支援拡充、待機児童の解消に向けた受け皿拡大など)、個人消費喚起(例:子育て支援バウチャー、最低賃金1000円など)、新たな経済財政システム構築(行政手続きの効率化、歳出改革の成果の還元)という3本柱になっている。
これを一瞥して、「違う!」と、勝手に口が動いた。庶民の財布の紐がなぜ緩まないか、諮問会議の方たちは全く分かっていない。あるいは、わかっていても、政府の中心人物であるがゆえに、あるいは政府に選ばれた故に、首を賭けて真実を訴えることはないのだろう。まあ、それが大人の世界だ。しかし大人の世界として紳士的にふるまって、それで許される情勢では、今はないのだ。
なぜ消費が伸びないか。その大元の原因は現状への不満と将来への不安だ。
いま、働けど働けど我が暮らしの給料は上がらず、サービス残業ばかりが増える。金がないのに消費が増えるわけがない。子育てバウチャーもプレミアム付き商品券もいいが一時しのぎだ。今、あまりに貧しくて貯金もないし、安定的な収入がないから結婚もできない、子も産めない。無理をして産んでも安心して育てられる社会システムがない。消費が増えないから会社は売り上げが上がらない。仮に儲かっていても何時また不況に陥るかわからないから社内留保として社員の給料は上げない。こうして人々の生活は縮小均衡に向かって沈んでいく。長時間労働の抑制とお題目を唱えるだけでは、厳しい競争の下にある企業は低賃金・長時間労働を社員に強いるのを止めない。貯め込んだ内部留保を吐き出すこともない。
また将来にも不安がある。年金は大丈夫か。人口が将来的に減り続ける国が今の経済規模を将来にわたって維持できるのか。戦争に巻き込まれることはないのか。そうした漠然とした不安は人々を守りに走らせる。かつてのように、経済は右肩上がり、将来は明るいと国民みんなが信じ、今のうちに家を買おう、車を買おうとローン頼りの消費に走る時代ではない。いま持っているカネをなるべく使わず、モノが安くなったら買おう、そういう動きになるのは当然のことである。暗い将来に備え、死蔵されるカネは日々増えていく。
新しい経済財政システムの構築については何ともいえないが、その他の政策提言の多くは小手先のものである。日本の中枢で審議されるのがこのレベルの話かと思うと実に淋しい。このような策を弄したとて、基本的な解決にはならない。そんなことより、炭素繊維の東レのような競争力のある産業・企業を幅広く育て、力強い経済を再現し、戦死者発生が必至の法律も廃止して、日本の将来は平和が続くし産業の競争力も大丈夫ですよと国民を安心させることこそが必要ではないか。金融政策だけで何ができよう。国民を安心させることのできない政治が、ほんとうに「まつりごと」と言えるのか。現在と将来に安心さえできれば、自ずと財布の紐は緩む。まるで旅人と太陽のような話だ。(黄鶴)
*経済財政諮問会議:総理、官房長官、経産大臣、総務大臣、財務大臣、日銀総裁、民間議員4名から成る。
**民間議員:財界から2名、学会から2名。

405日  「市営電力会社」
やっぱり、そういう市もあったのだ。昨日の毎日新聞の報道(4月04日夕刊)を広げて、私はそう思った。
報道によれば、湖南市、鳥取市、泉佐野市が新電力会社設立の姿勢を示している。ただ、全面的に市が出資するのではなく、市民(湖南市)、ガス会社(鳥取市)あるいは一般企業(泉佐野市)との共同出資である。湖南市では、太陽光発電について設置者に補助金を出す国の制度に加え、2012年から市民共同発電所(湖南市地域自然エネルギー基本条例に基づいて設置された太陽光発電事業であって、収益の半分以上を非営利活動に当てる等の要件がある)に対して補助金を交付しており、それが発展して電力会社となったものである。
このような発電事業のメリットは多大である。なにより地産地消、必要な地域で生産するから長い送電線も不要で送電中のロスもない。余れば売電できるから利益も計上できる。発電に参加することにより電気のムダ遣いをなくそうという意識も生まれる。原発には依存しなくてもよい。さらにスマートグリッドを導入すれば、各地域・家庭の消費状態を常にチェックして効率的な配電を行うこともできる。
このような事業を行おうという発想があってもよいのではないかと私は思う。行政体はそもそも何をすべきか。自給自足に近い生業のある民ばかりの世には、武備により山賊の来襲に対抗して民の安全を守り、あるいは相盗を抑える権力機構をもっているだけでよかった。しかし今は、電気ガス水の供給を他者に頼る生活である。それらライフラインを確保することについて、行政体が何かの役割を果たすことも必要なのではないか(水だけは昔からそうだ)。民間でできることは民間でやるべき、官による民業圧迫はまかりならぬ、ということもあろうが、公共性の高い分野については行政体が自ら手を出す場面もあってよい。
高槻市議会には、機械・電子・土木・化学を専門とする議員が各1名、ほかに理学部出身者が1名いる。文系出身者ではそういう技術部門に関する話は無理だとはいわないが、会派を越えて技術屋さんが結集し、新しいアイディアを出すのも悪くない。技術革新が世の中を変えるのは、古くは鉄砲による桶狭間の戦い、近くは蒸気機関やエジソンの電灯、そしてパソコン。枚挙に暇なし。市の提案を了承するだけでは議員ではない。自ら政策を立案し市民生活の設計を進め、そのためのアイディアを出しフィージビリティ・スタディを行う、そんな活動にもがんばってほしいのだ。(黄鶴)

404日 「市会議員のブログ数」
3月末現在における高槻市議のインターネット利用状況を調べました(3 説明責任の果たし方)。
熱心な人は相変わらず熱心で、やる気のない人はそのまま何もせず、それは砂漠の中の一本道を歩くようなもので、風景はあまり変わりません。ただ、全体的にブログの数は増えています。昨年9月以来のブログ総数(全議員の1か月分のブログ投稿数の合計)は次の図のとおりです。(白雲)


ネット利用に関する調査結果を見るたびに思う。ブログの数は、市民に提供する情報の量であり政治活動の規模を示すものである。吉田章浩議員の56、三井議員の37、吉田忠則議員の35というブログ投稿数は称賛に価する。
その一方で、質問はしない、HPは作らない、よって政策提案の跡を確認できない、さらに本会議中にみだりに議席から離れるという議員が複数いる。慨嘆に堪えない。議員の姿がどうあっても当選させる固定的かつ盲目的な支援者の意識を目覚めさせるにはどうすればいいのだろうか。実質を伴わない役者議員を選ぶ浮薄な風はどうすれば止むのだろうか。
私たちは、いまの市民生活の細部を市政に委ね、今後の人生の大筋を国政に預けているにもかかわらず、市政国政に無関心のまま日々を打ち過ごしている。そうして何かを失っていく。憂いは絶えない。(黄鶴)

4月03日 ぶろぐ日曜版 「素戔嗚神社のご神木」
右に安岡寺町、左に松が丘の住宅地を見る坂を上り、原の盆地を抜け、曲がりくねった山道をさらに走ること10分、二股に分かれた道を右に入れば、深い山間に意外なほど大きくぽっかりと開いた空間があり、そこが出灰(いずりは)の集落だ。壮大な陽光の中にせせらぎと鶯の声だけが響く。標高は約280m。出灰に入った芥川の源流は二手に分かれるが、その左側の小川に沿って上った集落の高台に素戔嗚神社があり、ご神木として桂の巨木が立っている(写真の注連縄のかかった樹)。


その位置からして、神社はムラの産土神に間違いない。集落の発祥の時から存在し、里人の願いを受け入れ、集落と共に歴史を重ねてきた神社だ。ただ、説明板があり創建は「灯篭の年号等から元禄頃」としているが疑問だ。手水鉢には「丹州桒田郡出灰村 牛頭天王 享保三戊戌年九月吉日 甚左衛門」と、今から298年前の年号を彫るが、これは鉢の奉納された年であって神社創建の時期ではない。同様に灯篭に刻まれた年号もそうだ。だいたい、もっと奥地に約550年前の一休禅師の尸陀寺があったのだから、より人里に近い場所はもっと昔から存在していたと考えるのが自然だ。300年前に神社の社殿が造られた、というなら理解できるが。
そして桂の木であるが、同じく説明板には「樹齢300年」とあるがとんでもない。少なくともその倍はある。桂はおもしろい木で、まるで家族のように自分の周囲に次世代の木を育てる。そういう目で見ると、出灰のご神木は第一世代が朽ち果て第二世代が巨木に成長して高さ30mになんなんとしている。いや、あるいは第一世代は既に形を失って単なる空き地となっており、いま朽ち果てて残るものは第二世代かもしれない。だとすると、樹齢は1000年に近い。生まれ変わりを繰り返し、1000年の時を経て根を広げ、地上に長径6mの楕円形の樹の集合体を作っているとも考えられる。
ご神木がなぜ桂か。幹の周囲に若木を育てることから子孫繁栄を願う意味があるという説もあるが、私は、遠い先祖の出自を示すのではないかと思っている。桂は加工しやすいことから昔は舟の材料に使われていた。いや、昔だけでなく今もアイヌは桂をチプ(舟)に使う。先祖は海を渡って倭国に来た、そのことを桂の木に語らせているのではないか。素戔嗚尊は渡来神だ。はじめ新羅に天下ったが海を越えて出雲に来た(埴土で舟を作ったと日本書紀にあるのが私の説には不都合だが)。近くには田能に樫舟神社がある。この神社の名前も同断である。また京都の貴船神社のご神木も桂である。舟と桂は縁が深いのだ。ちなみに、もちろん杉や楠で作った舟も古代史関連の文献には登場する。
こんな山奥に舟とは、似つかわしくないとの意見もあろう。しかし信州の安曇野は、内陸に分け入った海人の開いた土地だ。渥美半島のアツミ、安曇野のアズミ、アイヌ語のアトゥイ(海)、すべて同義語だ。滋賀県高島市の安曇(アド)も同じ。古代の民族の移動の跡は意外に広範囲だ。(黄鶴)

401日 「一般質問3/29(続)」
御島媼「大阪維新の会の木本議員が提案する塾代助成のことなれど」
かえで「あらま。昔の言葉に還っちゃった」
御島媼「寝起きはな、いつも夢の続きゆえ、アタマは平安の昔に帰っておる」
かえで「それで、塾代助成がどうしたの」
御島媼「大阪市内では2012年から実施されておるそうな」
かえで「ふ~ん。で、それはどういう理屈で生まれたの?」
御島媼「一回聞いただけではよくわからぬが、木本議員の質問から想像するに、『収入の低い家庭では学習塾に通えない、だから学力が低い、そこで塾代を助成して児童生徒の学力を高める』、そういう論法のようじゃ。学力の低い原因は貧困にあり、よって経済的に援助しなければ、ますます学力格差が広がっていく、とな」
かえで「ぷっ…くくく。あら失礼。そういえば、家庭の収入と児童の学力との間には相関関係があると、どこかで読んだ」
御島媼「うむ。それは事実じゃ。貧困の連鎖は絶たねばならないし、社会階層の固定化は防がねばならぬ。しかしなぁ…」
かえで「ふふ、言いたいこと、わかってるわ」
御島媼「実態認識に誤りがあり、論理も飛躍がある。まず実態認識じゃ。貧困家庭の子は学力が低いと言うがな、認識が間違っておる。子どもの頃から学力が高かった子が成長して高学歴になって、その結果収入の高い職業に就いた…。その子弟がまた遺伝的な要素によって学力が高い、そういう状況ではないかな?実際は」
かえで「そうだと思う。蛙の子は蛙」
御島媼「貧しいから学力が低いと両者を結びつけるのは短絡的思考であって…、表現が難しいが…、学力のないことの要因は他にある。」
かえで「うん。塾に行ったからって、すぐ成績がよくなるわけでもないし」
御島媼「親はなぁ、そうではないぞ。学校よりも塾の方が親切に教えてくれる、我が子は適切に教育すれば立派な成績を取る、我が子の成績がパッとしないのは公立学校の教育が悪いからだと信じている親が多い」
かえで「親ばかね」
御島媼「親ばか、愛すべし。されどバカ親、危惧すべし」
かえで「あはは。初めて聞いた」
御島媼「現場の教師が親の前で真実を言えるわけがない。あなたの子は成績向上など無理じゃ…なんて、口が裂けても」
かえで「そうね」
御島媼「現実の見えない親は幻想を求める。悲しい親心じゃ。その親心あればこそ子が育つ面もあるが」
かえで「ダメだと言われるよりも、本当は良い子だと言われる方があたしだってうれしいよ」
御島媼「ともかく、幻想を求める多くの親は子供を塾に行かせたがる」
かえで「うん。そこんとこね、親の心情、というか真情」
御島媼「そこを見透かしているのが大阪維新じゃ」
かえで「どういうこと?」
御島媼「塾に行かせたって成績がすぐによくなるわけではないことは、大阪維新も先刻ご承知」
かえで「そうかな?」
御島媼「大阪維新は多くの親の心情を理解し、期待に応える政党である、そう親に思わせる必要があって…」
かえで「うん」
御島媼「親の希望に沿った政策を展開する。そのことが維新の勢力を伸ばすことになる」
かえで「そうすると、税金を使って在職中に次の選挙運動をやってるわけ?」
御島媼「そのとおり。現職の強みじゃな。しかし党の主張を民が支持するのだから民主主義が機能しているとも言える。良識を備えない民主主義が愚民政治に堕する好例じゃ。ともかく、誰のための政治か。己が党のためじゃ。」
かえで「府民・市民に対する成果は初めから期待されていない政策?やだなぁ。塾がうるおうだけか」
御島媼「だから高槻市の答弁が面白い。『施策の一つとして認識』しているが『貧困に対しては総合的な施策を以って対処すべき』で、今後『調査研究を進める』だとさ。常識的な答弁じゃ」
かえで「まっとうな考えかただわね」
御島媼「他の市でも維新の議員から提案されているのかと調べてみたが、各市の会議録を検索しても『塾代助成』は顔を出さないねぇ」
かえで「それがフツーの風景じゃないの。税金の使いみちが公教育をスルーして塾に行くって、どうもわかんない」
御島媼「そう思うか」
かえで「はい。みんな見抜いてるんじゃないの?真の狙いは親の願いを利用して党勢拡大を図ることと」
御島媼「どうかなぁ」
かえで「それから高木議員の質問だけど」
御島媼「福井県の原発に何かあれば、高島市民2200人を高槻市が受け入れるとは、知らなんだ」
かえで「芝生、古曽部、堤の3か所の運動公園に2か月だって」
御島媼「ふむ。しかしそれで十分か、心配じゃ」
かえで「聞いてると、市の答弁はおざなりで曖昧な逃げ口上にしか聞こえない。高木議員は具体的な問題提起をしているのに」
御島媼「最悪の事態を想定した最善の対策、これが危機管理の鉄則じゃ。『避難計画がないまま再稼働に走る原発』と高木議員は非難するが、まさにそうじゃな。これでは便所のない家の建築と同じこと」
かえで「甘いわね…。見通しが…」

331日 「一般質問3/29
御島媼「若い人の質問もキレがあって宜しいが…」
かえで「何か問題が?」
御島媼「質問しようとする問題点について、深く掘り起こしていないようじゃ」
かえで「?」
御島媼「問題の根はどこにあるのか、どうすれば解決できるのか、もっともっと考えて考え抜くこと。調べて、調べて、調べ抜くこと。そうしている間に自分が成長するのじゃ」
かえで「たとえば?」
御島媼「昨日の平田議員のラインのいじめ、については…。いじめを生む環境は、いじめの真の原因はなにか。スマホをとりあげれば解決する話か。また竹中議員の教師の忙しさの解決方法。もっと深い検討があれば、また違った表現があっただろうに。ただ、なぁ」
かえで「うん?」
御島媼「そういう問題の根の深さ、問題の複雑さを知るためには人生経験も必要じゃわいな。若い人には見えないものがある」
かえで「でも若い人に議員をさせるなっていうわけには…」
御島媼「そりゃそうじゃ。若い人の見方も必要じゃ。新しい時代のな」
かえで「新しい技術に乗るとか、昭和の時代に若かった人には無理だしね。議会のネット配信だって、どんな方式がベストなのか、じじばばにわかる?」
御島媼「無理」
かえで「でしょ?」
御島媼「それから、午前10時に始まった本会議で11時を過ぎたあたりから席を離れる議員が多いなぁ」
かえで「冷えるのかな?1階は」
御島媼「そうだとしても覚悟が足りぬ。1年生議員に離席はないが」
かえで「そうそう、去年の12月16日の橋本議員の一般質問の間中、後ろの久保隆議員の姿が映ってないのよ。名札は立ってるけど。議員が議場に居なくて、いいの?」
御島媼「そういう状態を許す議場の雰囲気もおかしいぞよ。市議会会議規則151条違反じゃな。さて、宮本議員の質問じゃが」
かえで「うん」
御島媼「聞いていて小気味の良い話しぶりじゃなぁ。立地適正化については、ヒートアイランド現象の心配があり、河川改修は今の調子では改修予定をこなすのに40年かかるんじゃと。しっかりせよと、そういう意見なのじゃ」
かえで「問題意識をかきたてられる~」
御島媼「塾代助成バウチャー提案の木本議員じゃが」
かえで「うん、そのまえにバウチャーって、何?」
御島媼「vouch-er」
かえで「あ、そうか。日本語ではBもVも同じ発音だから、わからなかった。ヴァウチャ、ね」
御島媼「下唇を上の歯で噛んで、ヴァ。日本語になったら、本来の意味とは違っていて『引換券』じゃ」
かえで「塾代だけとして使える補助券ね」
御島媼「そう。その提案じゃがなぁ」
かえで「何か、口調が重いわね」
御島媼「うむ。また明日にしよう。この話は長くなりそうじゃ。 So much for today」
かえで「はいよ」(続く)

3月30日 「一般質問3/28 続」
あらためてご紹介を。
御島媼:今城塚に住みついた地霊。時折り人里に現われては古今のできごとを語る。年齢不詳なれども初恋の相手は平敦盛というから、800歳はとっくに越えている。外見は若い。
かえで:しろあと公園に棲む木の精。ニンフ。まだ髪を上げたばかり。御島媼のような語り部になろうと特訓中。
御島媼「さて、一般質問じゃがな。これは一つの演説じゃ。演説に必要なものは、まず論旨。なるほどそうだと人を納得させる話の筋道、じゃな。次に言葉の調子。平家物語のような七五調にせよとは言わぬが、聴く人の耳に心地よいものでなくては、心の中に入っていかぬ。そして態度。堂々と胸を張って自分の意見を述べるがよい」
かえで「ふふ」
御島媼「何がおかしい」
かえで「一般論を言ってるみたいで、実は誰かを批判してる」
御島媼「読むのではなく、論じてほしいのじゃ。読む…、それも誰かの書いた原稿をやっとこさ読むようでは…。あ~」
かえで「それから?」
御島媼「既に行われている市の政策の細かい具体的な中身を尋ねるのではなく、あのなぁ、一般質問じゃぞ、基本的姿勢を問うとか、新しい政策の提案をするとか、そういうことが必要じゃ」
かえで「はいはい。では、今日質問をされた議員のみなさんについて、どうぞ」
御島媼「川口議員の話は、胸に迫ってくるぞよ。道路の拡幅のために宅地が削られるとはな。それも引っ越しもかなわぬ90歳を超えたご家庭の…。不憫じゃな」
かえで「そうね。説明をすると市は言うけど、説明されてもどうにもならないものがあるのよね。そこに住む人が、自分の居住空間を失うなんて、お金では償えないつらさがあるわよ」
御島媼「田村議員の質問も行政のありかたに一石を投じておるなぁ。まちづくり、道路の設置などについての設置主体と住民のせめぎあいがある、そこを誰がどのように調整するか」
かえで「なんだか、説明不足のようね。道路計画について、市は」
御島媼「住民にとって、説明というものは、これで十分というものはない」
かえで「吉田章浩議員、中浜議員ともに、市民の要望を議会に運んでいる質問だわね」
御島媼「これも議員としての、ひとつのあるべき姿じゃな。聴覚障害の方の補聴器などの助成…、う~む」
かえで「他の障害をもつ人とのバランスもあるけど。」
御島媼「然り。さよう」
かえで「ねぇねぇ、りっちてきせいかけいかく…って、なあに?」
御島媼「中浜議員と宮本議員が質問項目に入れておるな。市のHPにもあるけどな、立地適正化計画。都市機能…役所とか病院とか商業地とか…を誘導する地域を中心にして、まわりに住居を誘導する地域を作るって話。都市機能誘導地域は鉄道やバスで結ぶのじゃ」
かえで「そっか。教会を中心にしたドイツの町を思い出すね」
御島媼「平田議員もよい話を提供しておるわい」
かえで「ラインによるいじめ?」
御島媼「行政の役割はどこまでか、家庭の役割は何か」
かえで「道徳の教科化もね」
御島媼「それも家庭の役割がおおきいのじゃが。家が昔の家とは違う。規範を示す者がおらぬ」
かえで「まあまあ、いつの時代も同じじゃん。ふふふ。悪党の時代もあったようだし」

329日 「採決と一般質問3/28
御島媼「おや、今日の傍聴人の多さは何としたことか」
かえで「聴覚障害の方の傍聴だって」
御島媼「ざっと数えて…」
かえで「20人くらいかな?」
御島媼「前もって事務局に連絡してあったとみえる。パイプ椅子に『手話通訳者』と紙が貼ってある」
かえで「うん」
御島媼「いろんな人が傍聴に来る…、善きかな!いとど善きかな!」
かえで「ほんとは手話通訳者も傍聴席じゃなくて、演台の隣とかにいればいいのに」
御島媼「速記席が空いておるのに、な」
かえで「そう」
御島媼「だけど、大変そうじゃ。話す速さに手話通訳が追いつかぬのでは?」
かえで「もともと手話通訳というのは話を100%伝えることはできなくて、80%くらいらしいの。だけど、ほんと、大変よね~。専門用語はあるし数字は多いし、一般質問の時間に45分の制限があるから早口だし…」
御島媼「人が聞いていることを考えながら話してくれないとなぁ。ともかく、体の不都合があろうがなかろうが、みんなが聞ける議会にならないと」
かえで「その点、傍聴席はバリアフリーじゃないし、エレベーターも狭い」
御島媼「一応、8人分の車椅子の空間はあるがな。まあ、これからじゃ。ところで…」
かえで「はいはい」
御島媼「この4月からバスは減便じゃそうな」
かえで「山口議員の質問で、初めて知ったわ。13路線47便の減だって」
御島媼「委員会での審議でも、減便について市側は何の説明もなかったそうな」
かえで「だけどね、予算書に書いてあるじゃないの」
御島媼「減便が?」
かえで「じゃなくて、業務予定量として『年間走行距離533万4千km』と。昨年度はね、これが『539万9千km』。今年は6万6千km減ってるのよ。どうして減ったのか、当然確認すべきよ」
御島媼「走行予定が距離が減るということは減便しかないわな」
かえで「うん」
御島媼「予算書にこの数字だけ挙げて減便の具体的な説明がないのは、だまし討ちのような気もする」
かえで「まあ、詳しく説明するとモメるから」
御島媼「数字の違いに気付かない方もどうかと思う」
かえで「山口議員の説明を聞くと、原地区はバス停を提供したり、日の出自動車の時代からバス会社と地域とが共同でバス事業の育成に努めてきた地区なのね」
御島媼「そんな地域の気持ちを無視した企業の論理優先の基本姿勢が示された、という怒り。わかるなぁ」
かえで「だけど、市の反応は…あれ、何もないよ。みんな黙ったまま。…予算も承認されちゃった」
御島媼「市長を応援します、と公言する会派が多いからな」
かえで「議員提出議案があるのね。あ、意見書の提出…。選択的夫婦別姓の導入を求める意見書…」
御島媼「みんな賛成かと思いきや、まだ反対する人がいるのかえ?」
かえで「おおさか維新」
御島媼「家族制度を危うくするから反対…?時代錯誤ではないかな?」
かえで「八百歳のママに言われちゃ、ね」
御島媼「さて一般質問じゃが…。さっきの話の繰り返しのようじゃが、まあ時間の制約はわかるが、聞く人のことを考えてしゃべって欲しいぞよ。そんなに早口で原稿を読まれては、理解不能じゃ。それに、原稿棒読みはまだしも、つまづきながら読んでいては…。聞きづらいぞよ。誰か別の人が書いた原稿なのかね」
かえで「そうかもね。自分の言葉じゃないから、自分のリズムで読めない」 (続く)

328日 「ネット画像 31日の本会議(続)」
御島媼「ネット配信の続きじゃが」
かえで「あら、覚えてたの。フシギ~。」
御島媼「忘れるはずもなし。まだ三日前のこと」
かえで「で、なに?」
御島媼「なんとまあ、質疑なしの議案の多いことよ」
かえで「そうね」
御島媼「議案4号から13号まで、10議案のうち質疑のあったのは3議案だけ。それにな、一般会計予算、特別会計予算、合計1千億円を超える予算の説明がわずか46分じゃ」
かえで「議事進行が、はかどる~」
御島媼「速ければ良いというモノではない。これ、よくお聞き。質問というものはなぁ」
かえで「はいはい」
御島媼「平板のような行政の流れの中から問題点を立体的に浮かび上がらせて光を当て、市民の前に提供することじゃ」
かえで「そんな絵本があったね。ページを開いたら、森や家が立体的に立ち上がるのが」
御島媼「それそれ」
かえで「とってもファンタスティックだった~」
御島媼「じゃから、質問しようとする議員の努力は、市民をそれだけ市政に近づけることになる」
かえで「うん」
御島媼「補正予算についての高木議員の質問からは、マイナンバーの恐ろしさがひしひしと伝わってくる」
かえで「そうね。セキュリティ確保のために5,000万円もの多額の税金を使うこと自体、何か大きな敵に対する備えのような…」
御島媼「敵の攻撃に対する防護の壁、ファイヤーウォールも万全ではない。」
かえで「国は、大丈夫だっていうけど。 そう言わなくちゃ話が進まないもんね」
御島媼「観光資源開発っていうけどな」
かえで「あら、いきなり話題を変えて。米山、田村、北岡議員、3人から質疑があったね」
御島媼「うむ。国に請求できるのは8千万円。だけど予算計上はその半分くらい」
かえで「予算があるから無理やり計画を作った感じね。でも使い切れなかった…」
御島媼「街歩き体験交流型観光、と聞こえたな」
かえで「そう」
御島媼「どんな魅力発掘ができるか、どうPRできるか」
かえで「中身よりも宣伝次第かもね、こういうことは」
御島媼「吉田章浩議員のガス管更新、吉田忠則議員の教科書採択の公正性、いずれも大事な話じゃな」
かえで「私ね、目立たないけど、ガス管改修って大事な話だと思うの」
御島媼「然り」
かえで「みんなね、新しいものには注目するけど、今あるものには無関心」
御島媼「まあ、そうじゃな」
かえで「だけどそうじゃなくて、今あるものが本来の働きをするように整備する、これが世の中を支えているんじゃないかな」
御島媼「そのとおり!」
かえで「桜台小とか芝生小とか、40年以上経ってるんだって」
御島媼「まあ、年数よりも状態じゃが」
かえで「そういうところに目配りできる人って、必要だわ」
御島媼「北岡議員の話にも驚いたね」
かえで「なんだっけ?」
御島媼「雨水貯留タンクに脱臭装置が必要で、その経費が下水道特別会計の補正予算に計上されてるのじゃが」
かえで「は?大雨のときの雨水だけがタンクに溜められるんじゃないの!?」
御島媼「雨と汚水だと」
かえで「汚水って、トイレから流した…」
御島媼「そう。大小…」
かえで「臭うから脱臭装置ね。防災公園の予定地周辺の人は、それを知ってるの?」
御島媼「さあな。わらわも記憶にない。雨水貯留タンクを作るってときそんな話があったかどうか」
かえで「大きなタンクを作るという予算には、その経費はなかった、ということは脱臭装置が必要と後でわかったのかな」
御島媼「新国立競技場の聖火台と同じじゃな」
かえで「雨水タンクは城跡公園とか、ほかにも作る予定があるわよね。ほかも同じなのかしら」
御島媼「そう考えるのが自然じゃな。今回、市ははっきりとは言わなかったが」
かえで「きゃ~!質問がなかったらこの話は議事録にも残らないんだ」
御島媼「そう。質問するということは、それだけ大事なのじゃ」
かえで「うん、わかった」

326日 「一般質問予定」
御島媼「ネット映像は、とりあえず置いといて、来週月曜から一般質問じゃな」
かえで「うん、もうHPに予定が載ってるよ」
御島媼「ほぉ、そうか。どれどれ…。今回は17人か」
かえで「前回は24人だったけどね。少し減ったね」
御島媼「まあ、もとどおり、かな?」
かえで「前回はネット配信を始めるっていうから、増えたのかも」
御島媼「ある町ではな、黙っていてはかっこうがつかない、支持者にも活躍する姿を見せようと、強いて質問したりしたんだと。そうしたら、あんなくだらない話をするとは…ってね、逆にひんしゅくを買って、また黙ってしまった、という話がある」
かえで「あはは。おもしろ~い」
御島媼「質問はなぁ、その人の見識の高さを示すことになる」
かえで「低さもね」
御島媼「質問の中身をみると、教育に関係したのが多いね」
かえで「うん、え~とね、7人」
御島媼「その次に多いのは?」
かえで「まちづくりについて4人、それから高齢化対策が3人」
御島媼「ふむ。市民の生活のなかで、重要な話ばっかり」
かえで「あと、福祉とか行財政改革とか」
御島媼「永遠のテーマじゃな」
かえで「福祉が、意外に少ないね。保育園落ちたという話に乗っかる人も1人だけかな?」
御島媼「産業政策について誰も考えを持たないようじゃな、中村議員が都市農業をテーマにするだけか」
かえで「それは国の仕事と思っているのか、住んでいる世界が違っていてまったく考えつかないのか」
御島媼「聞いてみなければわからぬが、な」
かえで「誰の質問がおもしろそう?」
御島媼「川口議員、時宜を得たと言うか、自殺対策基本法が数日前に成立したばかりで…」
かえで「基本法で市の責務を定めたのね、それで高槻市はどんな対策を立てるか、と質問するわけね」
御島媼「そう。しかし自殺原因をみるとなぁ、生活苦とか、将来を悲観して、とか、国政に原因があるのが多いのに、市に対策を投げられてもなぁ」
かえで「うん」
御島媼「国の役割を忘れて地方に投げるのが目立つ。地方創生とか。こうしたい?そうせい…、シャレにもならぬぞえ」
かえで「ほかには?」
御島媼「一般質問はな、ただ市の方針を質すというより、自分の考えを提案するところに妙味がある。その意味でな、米山議員が超高齢化社会に対してどのような考えがあるのか、田村議員がまちづくりについてどんな絵を描いているのか、興味深い」
かえで「若い人の話もおもしろそう」
御島媼「平田議員のスマホ対策、私的な行為に行政がどう関わっていくべきか」
かえで「スマホなしでは、生活できないけどね」
御島媼「木本議員の塾代助成事業も興味津々」
かえで「大阪市の予算案にあったけど、あっちではどうなったのかな」
御島媼「同じ維新じゃから、同じ政策をもってきたようじゃ」
かえで「その政策で誰が喜ぶのかしら」
御島媼「塾に子供を通わせる余裕のない家庭とか」
かえで「だけど、市が、税金を私塾に流すの?公立の学校に対しては、もう十分やるべきことをやってるの?そんな余裕があったら、たとえば学校の図書館に予算をつけてほしい。それと、なんか笑っちゃう。市は市立の学校での教育を諦めて塾の育成を目指すの?あはは」
御島媼「そのあたりをどのように理論武装して攻めるのか、そこが見どころじゃな」
かえで「楽しみね」
御島媼「行政とは何か、私人の行為をどこまで支配下に置くか、助けるか。その基本的な考えが議論の中心になるとおもしろい」
かえで「うん」

325日 「本会議のネット配信」
御島媼「これはいつの映像なのじゃ?」
かえで「3月1日よ。7日から9日までのものは、議案の説明文はあるけど画像が出ない」
御島媼「画像が小さいのぉ」
かえで「予算の関係かな?」
御島媼「え~と、…顔の長さが1㌢。まあ、誰の顔かはわかるけど」
かえで「何よ、物差しなんか持ち出して…」
御島媼「だけど、下を向いて原稿を読んでいるから、顔が見えない」
かえで「あはは。せっかく支持者に活躍の場を見せるっていうのにね」
御島媼「会議場全体が見えるといいね」
かえで「横の人はわかるけどね、遠い人は居眠りしてるかも」
御島媼「聞き直せるのがいいね。今何しゃべったのか、もう一回、なんて」
かえで「そうね」
御島媼「高木議員、なかなか良きことを話しておる」
かえで「給与改善の議案ね。一般職が人事院勧告に準じるのは良いとして…」
御島媼「議員までいっしょに上げるのはおかしい、と。うんうん」
かえで「注目すべきは、『議論もないままに引き上げるのはおかしい』という考え方ね。至極まっとうな話だわ」
御島媼「高槻市議会には議論もなしに重要なことを決めるクセがあるから、困るのじゃ」
かえで「今でも忘れないけど、議員定数削減の条例案ね。2年前の」
御島媼「そう。検討会で『別の検討の場を設ける』としておきながら、何もせず、いきなり条例案を上げた」
かえで「だまし討ちに等しいわね」
御島媼「そう。ずっしりした中身のある議論のない、その程度の存在じゃから、市側も軽く見る」
かえで「う~ん」
御島媼「今のままでは、市議会は市の付属品程度じゃな。地方自治法の定めがあるから仕方なく置いているけど。追認機関じゃ」
かえで「議案が否決されたこと、ないもんね」
御島媼「もう一つ困るのは、このような姿が市民に知らされないこと。市民のみんながこのネット配信を見てくれればよいが、そうもいかん。議会だよりも、そんな姿はまったく伝えていない。……。お、この宮本議員の言うことも、まともじゃな。『報酬については審議会の意見を聞くべきだ』、うん、そのとおり。手続きがおかしいものを認めてはならん」
かえで「うん、due process ね」
御島媼「まともな話を、『うん、そうだ』と、後押しする議員がいないのが悲しいねぇ。党派にかかわらず、正しいことは正しいと言わなくちゃ」
かえで「手当が増えればうれしい、だから議案には賛成ということね。それと、市の提案はぜ~んぶ賛成。なにしろ、代表質問で市長を支援しますと言うくらいだらから」
御島媼「…おや、珍しい。この議員の声は初めて聞くような気がする」
かえで「木本議員ね。この人は議員報酬を半減することを公約にして当選した人だから」
御島媼「だから、議員の期末手当の増額には反対か」
かえで「そう言わざるを得ないでしょうね」
御島媼「その程度では足りぬ。議員報酬半減のために具体的に動かねば」
かえで「そりゃ、ない。今まで条例の提案とか何もなかった」
御島媼「慣行として一般職と特別職と一緒に上げる、そのことの法的根拠を質しておるが、慣習も法の一形態じゃ」
かえで「社会で法として生きているのは、成文法だけじゃないってことね」
御島媼「そう」
かえで「だけど、ちょっと疑問」
御島媼「何が?」
かえで「高槻市には高槻市の事情があるでしょうよ。なぜ国家公務員の、全国の給与改善率をそのまま準用するの?事情が違うのに右へならえ、ではおかしい」
御島媼「うん、それはそうじゃが、0.4%という数字を決めるにあたっては、全国の事業所が調べられておって、その中に高槻市の企業の状況も含まれている、という擬制じゃな。実際に調べようとすると膨大な作業になるし、経費もかかる。どちらがいいじゃろか」
かえで「なるほど」
御島媼「次の議案じゃが、北岡議員の疑問とするところも悪くないぞよ」
かえで「たしかに、土地にからむ話は、巨大な利権になる場合があるから」
御島媼「土地代が、宅地見込み地である場合と山林とでは、値段がまったく違うはず。よい所を突いておる」
かえで「市は質疑に直接は答えてないね」
御島媼「次の南平台日吉台線道路の費用も、1㎡当たりに直すと…、え~、約11万7千円。この金額は妥当なんじゃろか。だれもこの議案に質疑を出さないねぇ」
かえで「あ、ちょうど公示地価が発表されたけど…。去年の例では、日吉台二番町で1㎡当たり12万9千円。だけど、これは宅地なのよ。高速道路に沿った場所が宅地並み?」
御島媼「疑問じゃなぁ」
かえで「うん。議員には当局の説明があったのかもしれないけど、市民にはわからない」

324日 「語るに落ちる」
三日もたつとニュースも古くなるが、3月21日に防衛大学校で卒業式が行われた。しかし卒業生のうち約1割が、卒業しても陸海空の自衛隊には入らずに民間企業など他の方面に進むという。そのことには驚かないが、いわゆる任官拒否(言葉が強すぎるのだが)の数が昨年の倍近くあることの理由をマスコミから質問された政府関係者のうろたえぶりが、なんとも奇異に見える。「転向は民間の景気が良くて求人が多いから」とか、「家事都合が○○人、一般企業就職が○○人」と、詳しく人数別の転職理由を挙げるとか、熱心に言えば言うほど、実のところ任官拒否は安保関連法案とかかわっているなということが言葉の裏に見えてくるのだ。確かに、今回卒業する学生にとってみれば、防衛大学校入学当時にはなかった集団的自衛権行使という任務が追加されており、こんなはずじゃなかったと思うのが自然だろう。親の世代も海外派兵などもってのほかという政治風土の中で育ってきている。危ないから辞めろと子供に言う親もいるかもしれない。ほんとうに、気の進まない職業に就く必要はないのだ。幸いに防衛医大や米国の士官学校と違って防衛大に義務年限はない。自由に進路を決めるべきだ。自衛隊に進まなくても、それは敵前逃亡ではない。自衛隊に進むよう説得に当たった担当教官には申し訳ないが、いろんな人がその適性に応じてさまざまな道に進むことを許す余裕を、若い人を預かる組織には持っていてもらいたい。税金で育てた人間がそれに応えないのかという批判もあるだろうが、学生にしてみれば、勉強することが仕事であって、学業を終えた時点で投下された税金に見合う仕事はこなしているのだ。
それにしても、いつもTVで放映される同大学校の帽子を投げ上げる風景、あれはなんとかならないか。アメリカの海軍士官学校で100年ほど前に始まり、第二次大戦後になってウェストポイント・陸軍士官学校に伝染し、今では沿岸警備隊士官学校でも行われているHats tossだが、何も伝統ある日本がアメリカの真似をする必要はないだろうに。これではまるで日本の自衛隊は何もかも米軍と一体ですよと言っているようなものだ。徽章など部品を替えればまだ使える帽子だろうし。(黄鶴)

323日 「後ろ暗さ」
法律の施行は、その内容を周知させるために公布からしばらく時間を置くことが多い。中には公布の即日施行というのもあるが、短くて1カ月、長くて半年後に施行される。1年後というのもある。いろいろ違いがあるのは、法律が影響する部門の事情がそれぞれにあるのだろう。施行期日の形式は、法律の附則に「この法律は、公布の日から施行する」または「この法律は、〇〇年〇月〇日から施行する」と定めるのである。もしくは政省令策定の準備期間や国民の受け入れ状況などを勘案すると一定の期日に定めがたいという場合は「この法律は、公布の日から起算して六月を超えない範囲内において政令で定める日から施行する」とすることもある。
安保関連法案が3月29日から施行されることが閣議決定されたとの報道があった。あらためて関連法案の附則を見ると、上記の「…六月を超えない範囲内において政令で定める日から…」という形式だった。その政令を定めることの閣議決定だったのだろう。
しかしこの関連の政府の決定はおもしろい。安保関連法案が施行されたからといって、ただちに法令に基づく駈けつけ警護などの行動を起こすことはしないというのである。では、何のための法の施行か。施行されても運用しない、運用するかしないかは政府の思うがまま…。たしかに、法律は「防衛大臣は…することができる」という権限付与規定になっている。そこには状況に応じた裁量行為があってもおかしくはない。しかし、駆け付け警護の業務付与は参議院選挙の後から、と聞くに及んでは、それはおかしいと思わざるを得ない。国際情勢が法の運用にそぐわないならともかく、そうではないのだ。警護の根拠法規がないので手が出せない現場では今まで切歯扼腕していたのだ。直ちに運用することはないというのは、よほどこの法律にうしろめたいところがあるのかと思ってしまう。あ、そうか。施行後直ちにこの法に基づいて活動しても、参院選で負けてこの法律が廃案になったら外国での活動を停止することとなり、国際的な信用をなくすから、参院選で勝って、それを国民の信任を得たと理解して、その後に本格的施行、ということか。それならわかる。
しかし不安なことが一つある。なぜ、憲法に違反してまでも安保関連法の施行を急ぐのか。急いで体勢を準備しなければならない何かの事情、今は国民の知らない何かの計画でもあるのか。例えば…。(黄鶴)

322日 「安全・安心」
あの3月11日から5年。筆舌に尽くしがたい惨禍から、5年を経た。
国・地方を問わず、このごろは「安全・安心」という言葉が政治家の口からしばしば聞かれる。だが、あまりにその口調は軽い。
安全・安心と、ひとまとめにいえる内容だろうか。あまりに簡略化された表現の裏に、考え方と対策の粗雑さ・疎漏があるのではないかと私は考える。
安全とはモノ・カネとヒトの織りなす事故や災害のない客観的な状態であり、安心とはその状態下での人の心の安らぎである。安全には物理的、経済的な要因による安全と、物理的に何か異常があってもそれを多くの人が連帯して無害化してしまう社会的安全がある。もっと説明すると、物理的な安全とは建物の耐震性や装備・装置の故障の信頼性の高さである。経済的安全性とは建物や装備が壊れてもただちに修復できるだけのお金があることである。保険がこれに相当する。被害・損失の少ないことも経済的安全性といえる。そして社会的安全性とは、事故や災害が発生したとき、すみやかに住民同士がお互いに助け合える社会構造を備えていることである。安心は人によって感じ方が違い、同じことをやっても、ある人は安心するが他の人はもっと十分な対策をとらないと不安だと言うだろう。心の問題は相互調整の難しい分野だが、十分に協議を重ねていくプロセスは住民の安心感を引き出すのに役立つ。
そのような分析の上に立って総合的に考えないと、政策は場当たり的になってしまうのではないか。いま、市長の施政方針にしても市議会各会派の代表質問にしても散発的な対策に終始している。地域・施設・交通手段の防火防水機能・耐震性・信頼性は十分か、社会的安全性確保のための情報通信手段・相互扶助組織・機材は十分か、系統的にチェックしてほしい。(黄鶴)

319日 「201512月常任委員会」
昨年12月議会の常任委員会議事録が公開されましたので、その委員会における議員の質疑状況を調べました。
総務消防委員会では、8議案(うち6議案について質疑)に対して審議時間は79分、質疑は10件、
文教市民委員会では、1議案(うち1議案について質疑)に対して18分、3件、
都市環境委員会では、12議案(うち6議案について質疑)に対して68分、10件
福祉企業委員会では、7議案(うち5議案について質疑)に対して137分、16件という審議状況でした。平均すると、1議案当たり11分の審議、1.4件の質疑という状況でした。
常任委員会の状況が明らかになりましたので、2015年を通じた本会議及び常任委員会における議員の質疑・質問状況を、1 市議会という舞台で 第一部…質疑・質問の数からみた市政への貢献度 に棒グラフで、7 基礎資料に表で示しています。常任委員会(3回)・本会議(3回)での議案審議、本会議での一般質問(3回)という発言の機会において、質疑質問の1人当り平均は7.3件(代表質問を含む)、1人1会期当たりの質疑・質問件数は2.4件(同)という結果であり、これは2011年とまったく同じ数字でした。(白雲)

318日 「『くま通信』批判 その2」
大隈和英議員の活動報告チラシに対する批判を続ける。
P2.『がんばっています』と、いろんなところにお出かけになった写真が並ぶ。しかし、訪問するだけでは意味がない。そこで何をおやりになったのか?餅つきに参加されても、国民は嬉しくもなんともない。稲刈りのお手伝いに何の意味があるのか。あちこちで挨拶されて、それによって国民に幸せが訪れるのか。これらの訪問記録は政治家の活動報告としては不適切だ。
P3.『アベノミクス第1ステージ:大胆な金融政策で株価↑資産↑』とある。株価が上がって誰が喜んでいるのか。日本取引所グループ発行の投資部門別株式売買状況の2016年2月版を見ると、委託分の76%が外国人によるものである。株価上昇の恩恵を受けているのは売買に参加する人たちだが、それは日本人より外国人の方が多いのだ。株価が上がれば額面上は日本人株主の資産も増えるが、それとて日本人の10%程度なのだ。それが国民全体への政治的な成果と言えるのか。
『機動的な財政政策でデフレ不況からの脱却:企業収益↑賃金アップ↑』とある。
財務省の法人企業統計を見ると、経常利益の増加率は、年度別では2010年度の36.1%が過去5年間の最高値で、自民党政権になってこれを越える数字はない。2013年度の23.1%がいちばん高い。しかしこれは財政政策の効果というには疑問がある。金融政策としての円安の影響で円表示の収益が高くなった、ならば分からないでもない。さらに直近の27年10-12月期では経常利益の対前年度比はマイナス1.7%に落ち込んでいる。デフレ不況脱却は、なし得ていない。原油価格の低下が寄与していても、だ。また賃金については、GDP統計の中の雇用者報酬に1%台後半の伸びが見られるがGDPデフレーターを越えていない。つまり実質的にダウンしている。昨年、大手企業では4,000円のベアがあった。ないよりは良いが1日130円の額で食事がどう改善されるのか。
『国家戦略特区に指定(高槻・島本を含む関西圏)』とある。これは誤解を生じる。正しくは、国家戦略特区一次指定に東京圏、関西圏、新潟市、養父市、福岡市・北九州市、沖縄県の6カ所が指定されていて、関西圏における特定事業として高度医療事業、道路占有事業などの京都市、吹田市所在企業などの事業が指定されており、その中に島本町が「外国人滞在施設経営事業」実施地域として挙げられているにすぎない。高槻市は国家戦略特区と何のかかわりもない。高槻・島本が関西圏にあることは、たしかに間違いではないが。所得控除も当該特定事業に限られる。(http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/kokusentoc/pdf/kuikikeikaku_kansai_h271215.pdf)。
他にも疑問はあるが省略する。総じて、このチラシは事実からかけ離れた文言によるイメージ戦術の道具である。大阪ダブル選の際の維新のチラシと同列である。国の行く末を真剣に考えたい国民には、もっと別のものを用意すべきではないか。(黄鶴)

317日 「衆参同日選挙」
郵便受けに「くま通信」というチラシが入っていた。2014年12月14日実施の衆院選で、大阪10区落選・比例区復活の議員大隈和英氏の活動報告である。見たこともないチラシが今頃配布されるということはどういうことなのか。どうやら衆参同日の選挙は本当らしい。
このチラシはVol.2とある。1年3か月の議員の活動期間中にわずか2回の発行のようだ。Vol.1はいつ発行だったのかと同議員のHPを見たが、わからない。そのHPは、2014年12月の選挙の前後は頻繁に更新されているが、当選後は昨年の7月に1回だけ。それ以後の更新はない。「くま通信」発行という文言もHPにはない。目的がまことに判りやすいチラシである。選挙対策であると。
ただ、その中身だが…。事実に反するイメージを植え付けて国民をあらぬ方向に誘導しようとする表現が随所にある。以下、個別に指摘する。
P1.冒頭の『ごあいさつ』に、『日本の経済が復活しつつあるのは、なにより世界一勤勉で技術力と質の高い仕事を続ける日本人一人一人の努力の結集です。』とある。文章の完成度はともかくとして、事実誤認がある。日本の経済は全体として『復活しつつ…』は、していない。確かに、GDP(名目)は、野田内閣時代の2012年(暦年)の0.8% に比べて、2013年、2014年、2015年は、0.8%、1.6%、2.5%と増えている。しかしそれは財貨・サービスの輸出の寄与するところによるものであって、国内需要は2012年(暦年)の1.9% に比べて、2013年、2014年、2015年は、1.7%、1.9%、0.4%でしかない。民間最終消費支出に至っては、2015年はマイナス1.1%である。民間の消費が収縮する側面がありながら日本経済の復活というのは強弁にすぎないか。
『企業収益が上がり、賃金がアップする好循環』とある。これも実態とは違う。官製春闘はしりすぼみだ。好循環は、ない。詳しくはあとで触れる。
『中国を始めとした世界経済の失速』とある。中国は、失速はしていない。以前から悪かった部分が最近クローズアップされているだけだ。依然として侮りがたい経済力をもっている。中国からの訪日客が減少する兆しのないのがその証拠だ。一部の報道によるイメージを実態と思い込み複雑な構造のものを単純化して見ると間違いをおかすから気を付けたほうがいい。(この項 続く)(黄鶴)

316日 「野合」
野合。政治の世界で、しきりにこの言葉が使われています。だけど、本来はあまり品のよいものではないのです。「のあひ」と読めば、野にて出会うこと、野相、すなわち野の逢引きにもなります。また「やがふ」、新かなづかいでは「やごう」と読んで、辞書には『私に通じること、正式の手続きを経ないで夫婦となること』と、上品に書いてあります。要するに、できちゃった婚。しかし、日本書紀の皇極天皇三年夏六月の条にある歌、『小林に我を引き入れて姧(せ)し人の面も知らず家も知らずも』。これが原初の意味です。この歌の解説は致しません。ほかには、原野における合戦という意味もあり、用例をみると遭遇戦という意味合いが強いようです。
さらに、史記・卷四十七・孔子世家第十七に、『孔子生魯昌平鄉陬邑。其先宋人也,曰孔防叔。防叔生伯夏,伯夏生叔梁紇。紇與顏氏女野合而生孔子(孔子は魯の昌平鄉の陬邑に生まれる。その先は宋人也,孔防叔という。防叔、伯夏を生み,伯夏、叔梁紇を生む。紇與は顏氏の女と野合して孔子を生む)』という面白い、いや興味深い記事があります。なんと孔子は野合によって生まれたというのです。ただしこの場合、聖人である孔子が『小林に…』で生を受けたのでは何とも不都合ですので、父と母との年の差が大きいことに着目し婚礼にふさわしくない間柄だから司馬遷は野合と書いたのだろうと解釈されたりしています。つまり野合のもう一つの意味は年の差婚。大言海、『やがふ (三)老夫の幼妻を得ること』とあります。
だけどねぇ、孔子が生まれるのなら、野合もいいじゃありませんか。(白雲)

315日 「地方移転」
消費者庁の地方移転実験が徳島県でおこなわれている。中央省庁を移転して地方の活性化をはかるという、いまの政権の目玉のような政策だそうだが、これまた愚の骨頂だ。
そもそも首都とは何か。財務、労働、厚生、交通、通信その他の多岐にわたる行政の権能の、それぞれの中枢を一カ所に集め、総合的に調整を行い、かつ立法機関、司法機関とも相互に密接に関連しあうことで国家機能を合理的に推進していく、そういう土地ではないか。それが、各行政庁ごとにばらばらに各地に移転して、政府はうまく機能していくのだろうか。人間の身体では、運動中枢、感覚中枢、言語中枢、すべてが脳の一カ所にあるのだが。
IT 技術の進歩をもってすれば、地理的な距離は問題なくなる、電子的な距離は近いから、という答がありそうだ。しかし、アメリカ政府が(だけではなく、日本も)どこかの国からサイバー攻撃を受けたことを思い起こしていただきたい。TV 会議など、他国に筒抜けになる。そこでは、国家機密はまず守れない。ITそのものに障害が起きると地理的な距離がそのまま省庁間の距離になる。それでよいか。
そのTV会議、おやりになった方はご承知と思うが、完全な双方向通信であっても微妙なところは伝わらない。発言者以外の人の顔色を読んで、敵の陣営の意図を察知するという芸ができない。表向きの意思の疎通にも、もどかしさを残したまま会議は進んでいく。やはり face to face は必要で、人の移動、つまり旅費は増える。経済合理性はない。
もうひとつ、霞が関にいる役人は、およそ3万人くらいだろうか。それが地方に移住したとしても、1億3千万人の中に3万人が紛れ込むだけで、インパクトというか経済的な効果はほとんど表に出ない。役所が移転してきた地方にとっては、多少の消費増大効果は見込めるが。
いまの国の役所の姿は、律令以来という長い間仕事を続けてきて、歴史の中で最も効率的な姿として自然発生的に生まれたものだ。今の姿が最も合理性のある自然な姿なのだが、地方移転はこれを自ら壊すことになる。政府方針に従おうとすれば、各省庁は反合理性に向かって進まねばならないのだ。
実験など必要ない。本当にやるのなら、経済性や国としての効率性を犠牲にするのは覚悟の上で、後の世のそしりは覚悟の上で、移転を進めればよいだけの話だ。ただし、それによって生じた経費増大や諸々の不都合は国民が背負うことになる。そうそう、国会や全省庁が地方に移転したら、国の首都はどこと言えばいいのだろうか。(黄鶴)

3月14日 「切腹」
元禄14年3月14日は浅野内匠頭の切腹の日だ。新旧暦の違いはあるが、今日は同じ日付け。切腹にふさわしい人士は、今、いないだろうか。
これを聞いて吹き出さない人はいないだろう。「選挙のためだったら何でもする。誰とでも組む。こんな無責任な勢力に負けるわけにはいかない」との声をTVで聴いた。うんそうだ、と一瞬思いかけたが、その声が総理の声であると認識して、私のうなづき顔は爆笑顔に変わった。
ホントにそうだ。自民党は選挙のためなら何でもする。軽減税率の公明党案は丸吞みする、3万円の老人向け手当ては出す、府知事選・大阪市長選で自民党候補を排除しておおさか維新の援助はする、新聞・マスコミに圧力をかける、衆議院定数改定の民主党との約束はホゴにする…。
経済政策、アベノミクス、労働政策、何をとってもおかしいと思うことばかり。この安倍自民党政権は国民のためにはならないと思うグループにおいては、党派はどうでも、とにかく大同団結して方向転換しないと日本は大変なことになる、そんな危機意識が主義主張を越えた協力体制を作ろうという動きを作っている。野合はおかしいと自民はいうが、それは自民政治の愚かさを映した鏡なのだから、自民は反省こそすべきで、批判するシーンではないのだ。
13日の自民党大会では総理は改憲の声を低くした。これも、選挙前には何でもアリの一つの姿だ。選挙においては大きな声で言わず、しかしマニフェストには小さく書いておいて、選挙が終われば「マニフェストどおり」として動き始める。国民の目を欺く姑息な方法だ。許しがたい。
多くの若者を結婚も出産もできない貧困に追いやっている自民党は、一体誰のための政治を行っているのか。誰のための選挙を行おうとしているのか。(黄鶴)

312日 「ホテル誘致条例」
3月議会には疑問符のつく条例案が上程されることがある。2年前の議員定数削減案もそうだったが、今回はホテル誘致に関する条例案が顔を出した。高槻市議会議員の正気度が試されている。
この条例案は全国の地方議会の範たるにふさわしいものではない。第一に、高槻市においてシティホテルの客観的必要性があるか。他府県の人が高槻市に宿泊を希望するか。神戸、大阪、京都に来て、わざわざ高槻まで電車に乗って泊まりに来るか。電車代を含めても京都・大阪で泊まるより高槻宿泊の方が安くなれば可能性がないでもないが、京・大阪でも十分安い宿はある。高槻市内の企業を訪れるビジネス客の需要もあろうが、その数はどのくらいだろうか。高槻にホテルの需要があるのなら、なぜ京都ホテルは撤退したのか。マーケットリサーチを行った上でのホテル誘致の条例案策定なのか。同じような条例は、茨城県坂東市、千葉県松戸市、大阪府和泉市、鹿児島県姶良市にあるが、いずれもホテル需要があるような場所ではない。だからこそ奨励金を準備するのだろうが。
第二に、仮にホテルを建てるとして、どのような客層を狙っているのか。いま、外国人の日本観光・買い物が盛んで、関西のホテル不足が叫ばれている。もしこの外国人層をねらったホテルなら、御免こうむる。環境悪化は目に見えている。全員がそうだとは言わないが、彼の国の裏町のような汚さ、猥雑さが高槻に輸入されるとしたら…と、思うだけでぞっとする。彼の国からの客は、どうやら一過性のものではなさそうだ。だとすれば、輸入された汚さ・猥雑さは固定化される。
第三に、ホテルを建てて、高槻市と市民に何のメリットがあるのか。①ホテル建築それ自体にあるとすれば、それはホテルでなくても他の大型施設でも可能だ。②外国人客の来日目的の一つは買い物であるが、それは高槻市の産業活性化に役立つような品目ではない。③ホテルの食事は、チェーン店として系列店と同じものを出すのだが、その材料は他市からトラックで運ばれてくる大量生産のパック入り食品だ。高価な地元産のものを買う非合理性はホテルにはない。④従業員を地元から雇うだろうか。条例案もこの点は努力規定になっている。何人かの需要はあるかもしれないが、その給与総額は、与えられる報奨金に比較すると微々たるものである。彼の国の経営者ならば従業員も彼の国から連れて来る。結局のところ、ゴミと大小便の処理を押し付けられて、それで終わりだ。法人住民税もわずかなもので、地元にはほとんどメリットはない。
この条例の必要性はあるのか。今どうしても制定しなければならない条例か。ホテルがなかったら高槻市としてどれだけ困るのか。報奨金の上限が1億円、5年以内と聞くに及んで、私は平常心を失った。それだけあれば、まとまった政策立案も可能だ。議員には外から高槻市を視る客観的な目を持ってほしい。その目で見ればこの条例案の愚かさが見える。このような条例案を審議するよりも、議員諸氏には議会基本条例や議会のネット同時中継など、高槻市議会の遅れた部分の回復に努めてもらいたいものだ。(黄鶴)

311日 「仮処分原発運転停止」
裁判所は何をするところだろう?
それは、争いのある両者の言い分を聞き、公平な立場からどちらが正しいか判定して仲裁をするところである。土地の境界争いだとか、損害賠償の請求だとか、民事裁判は訴えた人と訴えられた人の争いで、これは分かりやすい。また刑事裁判でも、昔のお奉行所のお白洲と違って、罪を犯した人とその犯罪があったことの証明をする警察・検察との争いを公平に見ているわけで、これも両者の判定をする点では同じである。
もう一つ、というか、これは民事訴訟の一環であるが、裁判所は権利関係の保全のための仮処分という決定を行うことがある。ちょっと分かりにくいけれど、何もせずに放っておいたら、争いの関係にある両者のうち一方の重大な権利が侵害されてしまうという急ぎの場面で、侵害されそうになった人の申し立てにより、権利関係をとりあえずそのままにせよ、という決定を裁判所が出すのである。
高浜原発3・4号機で大津地裁が運転停止の仮処分を出した。新聞報道だけではこれに至った経緯がよくわからないが、原発の運転によって生活が脅かされるとして運転中止を求めた訴訟が別にあるのか、その訴訟の進行中においても原発は通常どおり運転されたのでは人格権が侵されると住民側が運転停止の仮処分を求め、それが認められたようだ。
裁判所の決定ならば、それは国家の良心の声と聴くべきであろう。原発が安全なのかそうでないのか、住民の立場、電力会社の立場、原発に関する政策立案・遂行に携わる役所の立場、それぞれに考え方は違う。これは司法の立ち入る問題ではなく立法政策の問題だ、とするか、純然たる行政問題として扱うか、そういう考えもあるが、そうやって今までお茶を濁しつつ、大事故を招いてきたのが過去の原発の歴史だ。正しい判定もないままに事が進み国民が塗炭の苦しみを嘗めてきた、それが過去の歴史だ。これからは、すべての立場を超越した司法の声を天の声とすべきではないか。安全は、遭遇する危険と得られる利益の見合い関係の上に存在する、と考えるのはもう時代に遭わない。絶対的安全こそ求められている。
なお、今回の決定につき、関電が十分に説明しないことが問題なのであって、説明を尽くせば仮処分は解かれるとする政府や自民党の側の主張がある。しかし、仮処分の理由には地震の強さの評価方法にも疑問を呈している部分があって、関電ではなく国の姿勢が問題にされているのだから、関電の説明の量だけで済むものではない。何が問題なのか理解が足りない。(黄鶴)

310日 「原発40年ルール」
原発の寿命は40年と定めよう、そういうルールがある。「核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律第四十三条の三の三十二」に、発電用原子炉の運転期間は最初に検査に合格した日から40年とすること、その期間を満了したときは原子力規制委員会の認可を受ければ1回に限り20年間延長できること、などが書いてある。ただし、このルールには経過措置があって、本格的な施行は2016年7月である。
だがしかしさりながら、技術者の目から見れば、このルールはおかしい。科学的根拠がないから。
このルールが定められたのは、福島での事故のあと、2013年7月だった。原発と言えば直ちに、危険である、とする風潮の中で定められたものだ。原子炉容器は核分裂の際に放出される中性子を内面に受け、それによる脆化を起こす。だから40年も使用した原子炉は危険に違いない、という理由で設けられた規定であって、アメリカも同様の規制を設けているのだが、実はどの程度の期間、どの程度の中性子を浴びればどのくらい材料の強度が低下するのかについて、はっきりしたことは分かっていない。今、どんな状況かというと、原子炉容器内部には試験用の鉄片が組み込まれていて、定期点検の度にその鉄片を取り出して強度試験を行い、それをもとに、その原子炉があとどれくらい使えるか推定モデルを構築していて、そのモデルがだんだんと精密さを増してきている、そんなレベルなのだ。定期点検の現状からは、40年の運転を経ても実用上支障のある劣化は見られず、13か月先の定期点検まで、すぐに壊れるような兆候はない。だから闇雲に寿命を40年と定めるのはおかしい、それが技術者の常識なのだ。
ただ、どんな場面でもそうだが、技術者の常識と世論を構成する一般の人々の常識とは違う。まだ十分使えるものを捨てるのはもったいないと技術者が考えるのに対し、年々どれくらい強度が低下していくのか、状況がわかっていないのは不安だ、いや、古いものは危険であるに違いない、だから早めに廃炉にしよう、というのが一般的な見方のようだ。電力会社も、技術的には大丈夫という説明を十分にしないまま…説明しても聞いてもらうだけの信用がないのかもしれないが…運用の延長を口にするから、安全性よりも収益を重視するのかと誤解されてしまっている。
一方の当事者の発表や報道を鵜呑みにするのではなくて、事実を自分で確認したうえで判断することが望まれる。そのためには客観的な情報が滞ることなく人々に届けられねばならないが。(黄鶴)

307日 「代表質問」
かえで「ばぁば、おひさ~」
御島媼「ママとお呼び!」
かえで「あれま。それじゃ、ママ」
御島媼「事務的な言い方じゃな。もっと心をこめなはれ」
かえで「あはは。本会議の帰りだからね。つい、こんな調子」
御島媼「さようか。それはお疲れさん。それで今日は何の日じゃな?」
かえで「3月議会は1日から始まっていて、今日は代表質問の日」
御島媼「おぉ、無所属議員の無言の行!」
かえで「ねえ、代表質問って、なに?」
御島媼「党を代表して1人だけ、市長の年度初めの施政方針演説に対する質問を行うのよ」
かえで「今日初めて聞いたけど、15分前には市庁舎の中にアナウンスがあるのね。『10時から本会議だから関係者はお集まりください』という放送が」
御島媼「ふむ」
かえで「で、市の部長さんたちが議場に10分前に集まってきて、市長や副市長や議長が5分前」
御島媼「ふむふむ」
かえで「その時刻に集まっている議員さんは半分くらい。全員集まるのは1分前」
御島媼「遅刻がないだけ、偉い」
かえで「そうね。でも緊張感がないわよね~」
御島媼「集合時刻からして、既にその陣容の強弱が見える。昔、すわ鎌倉のときは痩せ馬にまたがって、太刀を腰にし槍を小脇にかかえ、我は佐野源左衛門常世なり、とね。みんな我先に幕府政所に駈けつけたものじゃ」
かえで「佐野?だれ?」
御島媼「知らぬのか。謡曲を」
かえで「話を戻しますよ!とにかくね、議長は昼食後は副議長に交替していなくなっちゃう、自分の会派の質問が終わったら30分ぐらい席を外す議員がいる…1人だけだったけどね…、右に傾いたままの委員がいる…。大事な会議だと思うんだけど。議員の背中に市政への取り組み方が見えるわよ」
御島媼「男の背中、ではなくて議員の背中。歌になりそう」
かえで「議員を燃え立たせる市民の支えが乏しいのかも」
御島媼「使命感にも乏しいのではないかな。議員の名誉のために言うが、全員ではないのじゃが」
かえで「質問内容が、施政方針演説の具体的な内容を問うのが多くて、あれじゃ市長に再説明の場を与えているだけで、チェックの役割を果たしていないよ。それに、質問の冒頭や最後に『市長を応援する』なんて言っちゃって、こんな翼賛議会、要らない!」
御島媼「ふむ、さようじゃな」
かえで「それにね、質問者も答える方も書いてあるものを早口で棒読み、しかも下を向いて読むから声が前に出ない。聞きづらいし、心に訴えてくる言葉がないし、あれじゃねぇ…。寄席と同じように…なんて無理だけど、何か工夫がないものかしら。魅力的な議会にするために」
御島媼「さあ…。日暮れて道遠し」
かえで「それから、質問が多すぎる。少ない会派で16項目、多い会派は40項目。これでは1問当たり1~2分。これでどんな真剣な議論ができますかしら」
御島媼「確かにそうじゃ。しかし、3月議会はこれからじゃ。各論は今から始まるのじゃろ?」
かえで「そう願いたいけど。そして、各会派が同じ質問をしていることが多いのよ。で、答弁も同じ内容。時間の無駄じゃないの」
御島媼「まあ、『さっきの会派と同じだから答弁を省略します』とは言えんじゃろ」
かえで「施政方針演説の内容だけに限って質問する会派が多いけど、共産党は市長が光を当てていない部分も取り上げて質問したのはよかった。たとえば、健保の話。480億円を使う健保、239億円の介護保険、このあたりは額が大きいだけに触れるべき話はないのかなと思ってたら、共産党が取り上げた。こんなふうにしたら健保の抑制につながるのではないかと、建設的な話」
御島媼「さすがじゃな」
かえで「公約の実現を図ろうとした質問も、よかった。放課後の子どもの居場所とか、」
御島媼「市民の期待に応えているねぇ。初心忘るべからず」
かえで「それからね、質問する会派代表者は、施政方針に対する質問だから市長に対して話してるんだけど、同時に市民に対しても聞かせているのだから、市民に対する呼びかけがあってもいいのじゃないかって感じたわ」
御島媼「うんうん。傍聴者は市民じゃからな。ほかには何か面白い話は?」
かえで「ホテルの誘致についての条例が提案されてるわよ」
御島媼「そりゃまた珍しい」
かえで「誘致に応じたホテルに、固定資産税と都市計画税相当額を報奨金としてさしあげるんだって。5年間も」
御島媼「う~ん」
かえで「それからJRの芥川以西を高架にするとか」
御島媼「景気刺激策かな?」
かえで「また明日から、質疑もあるし。ママも行ってみたら?」
御島媼「そうじゃな。考えておきましょう」

306日 ぶろぐ日曜版 まちかどの歴史 「大塚切れ記念碑」
高槻市大塚三丁目の淀川堤防にある石碑の銘文を載録する。
「洪水記念碑 これ、時に大正六年九月二十九日、大雨三日やまず。十月一日払暁、淀川暴漲して決壊すること三島郡大冠村大字大塚の堤防百余間、倏忽(しゅくこつ)として大冠ほか十二町村余漂没し、勢い滔滔として神崎川堤防を破壊し、遂に西成郡十二町に氾濫して、萬頃(ばんけい)の稲田にわかに変じて海と成る。民屋流倒し老弱号叫して死傷数十人、奇災かくの如く名状すべからず。
大阪府知事大久保利武氏、聞きて警して曰く、民の命至って重く我が責軽からず。これ須臾にして緩めるべからざるなり。即ち柴田内務部長、奥村・與田・佐野等属僚と会し、緊急の策を講じ、便宜の行事として十月六日起工、まず堰き止めの工事を行いしが、工半ばにして豪雨また至り、同二十四日ついに流失の災にあう。すなわち岡崎・田中・両内務技師と河田工兵中佐及び大冠村長植場氏等力を戮(あ)わせ、第四師団管下将校兵士及び役夫、在郷軍人青年団員数万人を発し、同二十八日再起工十一月七日竣工、その間当局者の労苦はまことにすくなからず。知事、罹災者の衣食或いは給せざることを豫慮し、為に糧食を配してこれを賑救す。ここにおいて府民及び各地の有志者また義捐の金品靡然(びぜん)としてこれに従うこと遠く天聴に達し、救恤金千八百円(参考:2015年の企業物価指数から推定すると約1800万円)を下賜される。聖慮の優渥に官民感泣して、災後の窮民速やかに復興を得し者、未だかってその力に由らざるなり。今ここに大冠村長磯村彌右衛門氏等、往年の災害を顧みて保護の功徳を感じ、為に碑を建てもって将来に警し、予に請いて銘銘に曰く
淀川の水は千古に流る 自ずから災いに変じて来たる時有り 世人よく天意を思い 安に居て必ず危を忘るなかれ
昭和五年十月一日 大阪府知事 柴田善三郎 篆額
地方技師 成田軍平 撰文並びに書」
裏面「建設発起人 イロハ順 磯村彌右衛門 池尻喜次郎 大西忠一 奥野太一 尾﨑秀壽 吉田孫三郎 谷川勝太郎 谷川新次郎 段野為三郎 段野豊次郎 中西平次 中務彌太郎 中川喜一郎 植場善太郎 山田久三 芦田重次郎 岸田治郎 杦原梅次郎 基礎請負 石槗 大阪尻無川 石匠亀田」

注:原文は漢文であるので、適宜段落と送り仮名を付け、難読文字はひらがなとした。(黄鶴)

305日 「尼崎市で見つけたもの」
所用で尼崎市に行ってきました。その住宅街で、ほぉ~と思ったものが二つ。「コミュニティ連絡板」と「つどいの広場」です。
コミュニティ連絡板は、頑丈なH形鋼を組み合わせて作った黒板のようなもので、ダンプカーがぶつかっても壊れそうにありません。おもしろいことに隣には郵便ポストがあって、人が自然に集まるような場所に立てられていました。その連絡板には押しピンで張り紙が。現代の高札場です。張り紙は、囲碁教室、介護や認知症について学ぶ後援会の案内などでした。高槻市の広報は「たかつきDAYS」に集約されていますが、こういうまちかどの広報板もあってもよいのでは?尼崎市のコミュニティ連絡板は、その位置が海抜何mであるかを書いてあったりして、ど~んと、存在感があります。
もう一つの「つどいの広場」は、市のHPによると市内に10カ所。設置の目的は『子育て中の親子が気軽に集まって仲良く遊んだり、お父さんやお母さんが情報交換や交流を行うことのできるスペース』(HPより)ということで、高槻市の子育て支援センターと同類です。違うのは、高槻市が認定子ども園に併設するなど、出向いていかなければならない位置にあるのに対し、尼崎市では市内の住宅街にあって、必要な場所に必要なものがあるという感じなのです。たまたま見つけたつどいの広場、ちびっこステーション「ひだまり」も、住宅街の交差点にあり、中からにぎやかな声が漏れていました。縁側の陽だまりのような、楽しい空間に見えました。(白雲)

304日 「日本に国防軍は不要」
『一定規模の人口の国家で軍隊を保持していないのは日本だけ。独立国家が独立と平和を保ち、国民の安全を確保するため軍隊を保有するのは世界の常識』と中谷防衛大臣は言う。そういう趣旨から自民党は憲法改正案に自衛隊を国防軍として位置付けている。ちなみに同防衛大臣は防衛大学校出身である。
この自民党の論は、大事なことを忘れていないか。世界の常識は、たしかにそのとおりだ。だが、その常識をそのまま日本に取り入れてもよいのか。日本はかつての戦争への反省に基づき軍隊を捨て、新しい平和国家をめざしたのではなかったのか。その反省は、理想は、どこに行ったのか。最低限の自衛組織は持ちながらも、かつての過ちを忘れず、経済・技術協力など平和的な部門で国際貢献を重ね、それによって国際平和の実現を図り、そんな姿があればこそ世界の尊敬を集め、自国の安定をも得てきたのではなかったか。
いや、それはアメリカの核の傘の下で得てきた泰平の夢であって、今や国際情勢は変化してきた、アメリカの傘は小さくなり、中国が出てきたというなら、従来どおり自衛隊の装備を必要なレベルに引き上げればよい。自衛隊を軍に改称する必要はない。
世界の常識は日本には適用しなくてよい。逆に、この70年間日本を支えてきた日本の常識を世界に広めればよい。名前を変えるということは大変なことだ。実質的に変わらなくても、尖閣は民有から国有に変わっただけで中国の尖閣進出の機会を与えることになった。自衛隊が国防軍に変われば、それは直ちに周辺国に脅威と映り、将来不安を覚えさせる。そして戦備強化の口実を与え、あるいは警戒心を強める。日本人は忘れていても、東南アジアの国々は日本軍に虐殺された父祖の苦しみを忘れてはいない。満潮になれば完全に水没する檻がマニラには残っている。そこでスパイの疑いをかけられた多くのフィリピンの人々が死んだ。
もう一つ、国防の大臣に防衛大学校出身者を据えるのは文民統制の理念に反するのではないかとの疑問がある。確かに同大臣は選挙の洗礼を経て国民の代表となった衆議院議員である。しかしその本質は、実地勤務が短かったとはいえ防大で4年間を過ごした職業軍人である。だから軍事組織を内部から見た印象が基本認識にプリンティングされ、批判の余地のない自己肯定、自己増殖本能が育つ虞がある。それゆえ、防衛庁を防衛省に、自衛隊を国防軍に、という上昇志向が生まれるのも自然だ。彼は、いわば文民としての手続きを経た軍人である。本人が如何に優秀であったとしても、大臣として適格性のある経歴ではない。アメリカの陸海軍のトップは、ウェストポイントやアナポリスの出身ではない。(黄鶴)

303日 「ウィチタ再び」
今年は4年に一度の米国大統領選挙の年である。民主党と共和党が対立点を鮮明にして選挙を戦うが、両党が鋭く対立してきた問題の一つに人工妊娠中絶の問題がある。民主党は中絶容認の立場で、それに対して共和党は中絶に反対している。米国では、前者をプロチョイス(選択権尊重)、後者をプロライフ(生命尊重)と呼ぶ。1973年の連邦最高裁のロウ対ウェイド判決(妊娠初期の中絶を認めた)以後、プロチョイスとプロライフの争いはだんだん激しくなってきて、中絶手術を実行している医師が殺害されるまでになっている。米国ほど中絶の問題で熱くなる国はない。
中絶医の殺害は民主党の大統領のときに起こる。最初は1993年で、民主党のビル・クリントン大統領のときだった。クリントン政権後の共和党ブッシュ大統領のときには殺害事件はなかった。ブッシュ政権が8年続いた後に民主党のオバマ政権が誕生するが、大統領就任後ほどなくして、カンザス州ウィチタで中絶医のジョージ・ティラー医師が殺害された。8人目の犠牲者だった。それに関する毎日新聞の記事(2009年7月16日)には、医師の葬儀の写真と診療所の写真が掲載されている。外から銃で撃たれるのを防ぐために、診療所の道路側には全く窓がない。「要塞クリニック」と呼ばれているとのことだが、写真を見ているとそう言いたくなる。米国での中絶をめぐる争いの激しさが伝わってくる2枚の写真である。
記事では、ティラー医師の遺族が診療所を閉鎖したとあったので、その診療所での医療活動は終わったものと思っていた。もう無理だろうと思っていた。ところが、ティラー医師の活動を7年間支えてきたジュリー・バークハートという女性が、「ここがなければ車で3時間以上かかる隣の州に行ったり、自分で中絶を試みて失敗したりする悲劇が起こる」と、診療所を4年後に再開していた。働いてくれる医師3人を見つけるのに2年かかったそうである。それに対して中絶反対派は、ティラー医師のときと同様に、診療所の隣に無料の医院を開いて、やって来た女性に対して中絶を思いとどまるように説得する活動を続けている。2004年以降、説得によって約500人が思いとどまったとのことである。こうしたことを、毎日新聞が再びウィチタを取り上げた記事(2016年1月28日)で知った。今も、ウィチタは米国を二分する中絶論争の最前線であり続けていたのだ。
日本でも中絶問題が大きな政治問題になったことがある。1972年に優生保護法(現母体保護法)の改正案が女性や障害者たちの反対にあって、廃案になったときのことである。しかしその後、日本で中絶問題が大きな政治問題になったことはない。そんな日本に住んでいると、なぜ米国ではあれほど中絶論争が激しくなるのだろうか、とよく思う。そう思う一方で、次のようなことも考える。母体保護法は中絶の許可条件に「経済的理由」を挙げているが、米国の中絶反対派からすれば、なぜ「経済的理由」で中絶が許されるのか、実際はそうでないのに「経済的理由」とされて多くの中絶が行われている現状があるにもかかわらず、それを曖昧なままにしている日本という国はいったい何なんだ、ということになるだろう。また、母体保護法は中絶の許可条件に性暴力による妊娠の場合を挙げているが、厳格なキリスト教保守派は性暴力による妊娠でも中絶を認めない。カトリックの考えでは、受胎(受精)の瞬間からすべての権利を備えた人間である。胎児と子どもの間に道徳的地位の違いはないのであり、子どもを殺すことが許されないなら、胎児を殺すことも許されない。なぜ日本ではこうしたことが真剣に議論されないのか、と反対派は問うてくるだろう。米国の中絶論争の激しさへの問いは、なぜ日本ではそうならないのかという問いでもある。(ト・ケノン)

302日  「ネット利用状況 162月末」
2月末時点での議員のネット利用状況を調べ、「3 説明責任の果たし方」を更新しました。
選挙の時の熱気はどこへやら。概して低調な中で、当月ブログ数に示したとおり、三井議員、吉田章浩議員、吉田忠則議員のブログ数は光っています。
苦言を呈することになりますが、ブログというものは、やはり数が少ないと魅力に欠けます。ログとは本来は日誌ですから。週一や10日に1回のペースでは、毎日HPを覗こうという気力が出ません。新しい情報に接したいとか、日々変わる政治情勢についてその議員の考え方を知りたいとか願う市民は、せめて3日に1回くらい、何か書いて欲しいと思っていますが…。それも、毎週何曜日には必ず更新するとか、決めてあれば嬉しいです。所属委員会が去年のままであったり、4月の統一地方選に向けて…なんて文言がそのまま残っていたり、??これは困ります。早急な更新をお勧めします。
フェイスブックでの活動報告も悪くはないのですが、〇〇へ行きました、程度では、知性と教養にあふれる議員の活動報告としては、情報不足の感が否めません。(白雲)

301日 「牡丹雪」
高槻には珍しく、大きな牡丹雪が降ってきた。春の雪だ。上空を見上げると太陽がほの明るく形を残し、その中を黒い斑点が激しく移動する。降ってきた雪は結晶の集まりのはずだが、袖に受けてそれを見ようとしても、雪はすぐに融けて水滴になる。手に取って見てはいけないもの、かもしれない。
雪は風に舞いつつ地に落ちる。その雪は見えるが風は見えない。雪を地に誘う重力も見えない。
柴山首相補佐官が講演で「憲法第九条のもとでは、自衛隊は憲法に合致していない、だから憲法を変えるべき」と言った。この発言を雪とすれば、風は何に当たるのだろう。重力は何だろう。いろいろな解釈が可能だが、今の自民党が何なのか、この発言が教えてくれる。
この発言は、前半の現状認識の部分はある意味で正しいが、対策が180度間違っている。
『国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。』『②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。』と述べる憲法第九条の中では、『戦力』は保持しないと言いつつ陸海空の自衛隊を持つことに違和感がある。国内的にはSelf Defense Forces だが外国人は誰もそう呼ばない。Army, Navy、である。兵員数こそ世界で22~23位だが、軍事費は、アメリカ、中国、ロシア、フランス、イギリスに次いで6位である(2012年)。これが戦力でなくて何だろう。その疑問は残るが、自衛隊の設置目的は日本の防衛である。憲法は侵略のための軍は否定するが、自衛権まで放棄してはいない。去年まではそんな解釈が生きてきた。
問題は、集団的自衛権行使容認に関する閣議決定と安保関連法案によってその自衛隊を違憲状態に置いたことだ。その認識はあるらしいが、自らそういう違憲状態を作り出しておいて、これはおかしいから憲法を変えようと言う。その本末転倒というか、論理の異常さが自覚できないのか。違憲状態ならば、憲法の趣旨に沿って現状を変えるのが法治国家のやることではないか。
首相補佐官にこれを言わせる自民党、その総裁。彼らの誤りを国民は見ている。雪を動かすものの存在を、来たるべき選挙で国民はどう評価するのだろうか。春の大地のように、不自然なものは溶かしてしまうのが国民の良識であると信じたい。(空)

229日 「見えない変化」
むかし、北海道に長い旅をしたとき、感じたことがある。春は風に運ばれるのではなく、大地を伝わってやってくる、と。
北国も3月となると、ぶ厚く積もった野の雪に、径2㎝ほどの小さい穴が開いていることがある。その近くにしゃがんでみると、小さな穴から水の流れる音が聞こえる。雪の底で大地と接する部分から雪融けが始まっているのだ。水の流れる小さな音は、春の訪れの音だった。
変化は目に見えないところで始まっている。それが人々の目に見える頃には、もう動かしがたい勢いを持っている。同じことは政治の世界にもある。高い支持率を誇ってきた安倍政権だが、底流の変化が株価に認められる。
日経平均株価は昨年6月をピークに、低下傾向にある。自民党が政権についたのち株価を上げ続けたのも昨年6月以降下げ続けているのも、外国人の売買が原因である。外国人は既にアベノミクスに見切りをつけて半年以上になる。その外国人の売り分をGPIF、とりもなおさず日本政府が買い支えているが、支えれば支えるだけ、そのまま外国人の餌食になっている。
外国人の売りは、中国の株価にも影響されている。その中国の上海総合指数は国家にコントロールされているものであって、健全な市況を示すものではない。中国の国家意思によって上海の株価が下がれば日本の株価も下がる構造になっている。
そして外国人の売りは、日本の政治状況の先を読んでいるフシがある。自民党政権はいつまでも持たない、民主党政権になれば株価は下がるから今のうちに売っておこう、ということだ。
しかし半数近くの日本人は、外国人がどのように日本を見ているかを知らないようだ。外国人の目に映る日本は経済政策に失敗した姿であって、それはちょうど鏡に映っている日本の姿なのだが、それを知らないから呑気に安倍政権を支持し続けていられる。
その一方で、守りに入っている人も多い。金利がマイナスになろうとも、その人たちは総需要を増やすことに加担しない。需要が増えないから物価も上がらない。物価指数の動向も底流を読む手段となる。今の政権は失政を認めて早めに退陣することが国民のためになるのだが、選挙で負けるまでそれはないのだろう。(空)

228日 ぶろぐ日曜版 漢字散歩「父」
乳、いや、変換ミスだ。「父」には、実にさまざまな説がある。
①会意文字。右手で杖を持つから、年長の家長を意味する。
②会意文字。右手に斧を持つから、権力を持つ家長を意味する。「父」と「斧」は、だから同じ「フ」の発音である。斧はまた法規範をも意味する。
③指事文字。右手で鞭を持つ。家長たる父が鞭をもって家族を率い教える意である。
④会意文字。手に持つのは灯で、一族の火を守る長老の意である。
ところで、我が身をふりかえって、どうだろう。自分は父として何をしたか。子に何を教えてきたか。右手に何を掲げてきたか。先祖から伝えられてきたものを伝えたか。子を育てるのは社会であるという側面もあるが、第一義的には、子どもが最初に目にする男の大人、父親の役割が大きいのは論を俟たない。
手に持つものが何であるにせよ、「父」という漢字は父親のあるべき姿を示している。そのことを時折り思い出すのも悪くない。だからと言って、あらたまって何か教え諭そうとしても子どもは聞いてくれないかもしれない。自然の心の動きに従って、ただかわいいと思えばいいのだ。論語にいう。父は子のために隠し子は父のために隠す、直はその中にあり。子が悪事を働いたとしてもそれを獄吏に告げず隠す、それが人間の真情である。
ついでいうと、「母」は中に点々を書かないと間違いである。点々を二つ続けて直線にすると「毋」、これは「無い」という意味になる。毋友不如己者(己に如(し)かざる者を友とする毋(な)かれ。論語:子罕(しかん)編)などと使われる。漢字の点々は乳房を意味するので、決して直線にしてはならない。ちなみに、乳房は英語ではmamma。これはそのまま赤ちゃん言葉で母親という意味になる。そして日本語では「まんま」がご飯になるから、原初的な言葉は面白い。(黄鶴)

227日「鈴木貴子議員民主離党」
なんということか、国民を愚弄するにも程がある。鈴木宗男氏の娘、貴子氏が民主党を離党した。
前々から自民党の働きかけが報道されており、もしかして、という思いもないではなかったが、まさかという印象の方が強かった。そりゃそうだろう。小選挙区で勝って衆議院議員になったわけではない。小選挙区では負けて、民主党比例代表1位にしてもらって、その民主党のおかげで議員になれたのだ。普通の人なら民主党への恩義を感じ、他党の誘いは蹴るものだ。しかし、この女性は、誘いに乗ってしまった。議員の資格はそのままに。以前にも離党はしたが議員の席にしがみつく大阪維新の若い女性議員がいたが、今回も議員辞職はない。民主党を捨てると言うことは国民を捨てること。それでも議員の椅子に座り続けるのは、人として如何なものか。
だいたい、どんな世の中をつくろうとして政治家になっているのか。民主党から自民党に鞍替えとは、政治哲学がないことを意味する。安保関連法を認めない立場だったはずだが、元々は認める考えだったのか。民主党の推薦を受けたのは、比例の1位をもらって議員になるための詐術だったのか。論語の一節を思い出す。その身正しければ令せずとも行わる。その身正しからざれば令すといえども行われず。この議員の発言は今後信用できない。
そして、誰を代表して政治家になっているのか。民主党を支持する国民の代表として議員になっているのであれば、民主党から出た時点で議員たりえないのは当然の理屈だ。本人も責められるが、これを許す制度もおかしい。国民は比例区選挙において、自民党に入れたのではない。民主党に入れているのだ。その国民の意思を無視している。これが民主国家のやることか。いま、衆議院の定数改定などの話があるが、このあたりの制度も改正すべきだ。(黄鶴)

226日 「人口減少」
昨年行われた国勢調査の結果が今日、発表された。5年前に比べて日本の総人口は0.7%減。国勢調査開始以来初めて、人口減少が明らかになったらしい。詳しい数字は新聞に出ている。別の話をしよう。
思い出してもみよう。縄文時代からずっと、日本列島に住む人の数は増減を繰り返している。増の時代は気象条件の改善や農業土木・農業生産技術の革命によって食糧が増えた時代だ。減の時代は気候の寒冷化などに伴う飢饉、戦乱の時代である。局地的には、領主の圧政による逃散という事態もある。
飢饉でも戦乱でもない今、日本の人口減は何によるものか。逃散に等しいのではないか。つまり、悪政の結果である。「人口減少の時代に入った。それにふさわしい政策を」と、学者のようなことを言う政治家がいる。言うなら「政治家として責任を痛感している」と口にすべきだ。誰のせいでこんな時代になったのか。明日に希望を持てない若い人が、結婚もできず子供も産めない、そんな世の中を作ったのは誰だ。政治が若い人を社会システムから逃散させているのだ。工業生産の一部には、がんばってきた分野もあるが、日本社会を作っていくのは全国民のチームプレイによる。一部の人がライトをしっかり守り、ヒットを打っても、それだけでは野球は勝てない。政治のレベル低下が甚だしいのだ。お坊ちゃま内閣では貧困の何たるかを肌で理解できず、したがって真の対応策も立てられない。無理を続けると迷惑だから、早めに引退すべきだ。
ひるがえって、大阪府はというと、これも5年前に比較すると減少している。中でも門真市の7474人(5.74%)、東大阪市の6928人(1.36%)が際立つ。次に減少数の多いのがなんと高槻市で、5528人(1.55%)の減少である。以下、減少の目立つのは富田林市5500人(4.60%)、大東市4552人(3.57%)、岸和田市4372人(2.19%)、吹田市4085人(1.00%)と続く。
大阪の衛星都市の減少はなぜか。自然減(私に言わせれば政策の貧困による減)、工場の移転など産業構造の変化、その他いろいろあるだろう。人口減少の原因分析と対策を、市のレベルでやらなければならない。問題意識を持っているのか、次回の高槻市議会での質問が楽しみだ。
最近、茨木市に引っ越した人に聞いてみた。理由は、茨木市の方が町がきれいで住みやすそうだ、ということだった。話を聞きながら気になったのだが、大方の市民が受動的で、誰かが住みやすいまちを作ってくれるのを待っている、との印象なのだ。そうではなくて、自ら住みよい町を作ろうと意思を持ち、近所に、行政に働きかけるべきではないか。
いっしょに町を作ろうという呼びかけが、市会議員からあってもよい。選挙の公報にはいろいろあったが、その後、二三の人を除き、とんと聞かない。(黄鶴)

223日 「貧困対策」
2016年度大阪市予算案に、子どもの貧困対策600万円が計上されている。もちろんこの金額では具体的な施策は無理で、とりあえず小5と中2を対象に現状調査を行うということだ。
貧困という社会現象に対しては、国(厚労省)も進学費用を無利子で貸し付けるなど、親の経済状態が子どもの将来を左右しないように対策をとっている。
しかし、だ。そもそも労働者の貧困を生む政策をとっておきながら、その一方で貧困者対策を講じるとは何事か。マッチポンプとはこのことだ。貧困を生まない政策を考えるのが先だろう。
一例として挙げるが、いろんな働き方ができるという謳い文句のもとに経営者側の言うままに派遣労働の形態を増やし、労働者の待遇低下を容認したのは誰だ。いったい誰のための政治なのか。人は皆、正社員として職に就き、結婚、マイホーム建設、子どもの教育という安定した人生設計をしたい。なのに、国は、劣悪な労働条件を押し付ける会社を懲らしめるどころか、会社に加担して労働者を追い詰めている。グローバル化という動きがあって、世界の賃金体系に日本も無縁ではいられない、その厳しさはわかるけれども、だからといって国民生活を破壊していいものか。国民が疲弊し、家を作れず、国の基盤が崩壊する…、これは修身斉家治国平天下のちょうど逆の現象ではないか。このままでは、遠からず国が亡ぶ。
何度も同じことを言うが、政治家に考えて欲しいのは、日本独自の産業を興すこと(アベノミクスに何か提案されていただろうか)。そうすれば給与水準はグローバル化が防げる。あるいは同じ産業なら生産性を高めること。そうして国の豊かさを保持する。国も地方も、議員たる者、そのことだけを考えて欲しい。保身や党勢伸長だけしか念頭にないイケメン政治家もどきは要らない。(黄鶴)

222日 「公設民営?大阪市2016年度予算案批判(続)」
『人が生まれたときには、実に口の中に斧が生じている。愚者は悪口を言って、その斧によって自分を斬り割(さ)くのである。』「ブッダのことば」(中村元訳) 第三 大いなる章 657
『毀(そし)るべき人を誉め、また誉むべき人を毀る者、――かれは口によって禍をかさね、その禍のゆえに福楽を受けることができない。』同上 658
後世の難解な仏教とは異なり、原始仏教は実にわかりやすい人生訓に満ちている。
しかし、以下に論ずるものは上記の『悪口』とは違う。ほめるべきは誉め、そしるべきものは毀りたい。2016年度大阪市予算案批判を続ける。
公設民営の中高一貫校設立に向けた調査研究に1000万円とある。
まず、公設民営とは何なのだ?少なくとも、土地を購入し学校を建てる、そこまでは公費でやるのだろう。生徒用の椅子や机、それも公費による初期投資のうちだろう。しかし民営というから、教師の給与・研究費、水道電気代、建物の維持修繕費、その他の運営費は委託された事業者の支弁するところになるのだろう。公費私費の線引きが明確でないが、それは誰かがはっきり決めればよいことだ。しかし、そもそも英才児だけの抽出教育を公的に行うべきだろうか。公的に行うべきは、底辺の底上げにより良識をもつ多数の市民を育てることではないのか。教育基本法は第四条に「能力に応じた教育」と挙げるが、それは英才児に特別の教育を施すという意味ではない。同法は第三条に「国民一人一人」という言葉を使っているように、国や地方公共団体の行う教育は、国民全体を対象にしていると解すべきなのだ。一部ではない。だから、義務教育相当期間をも含む段階での英才児教育は公教育のめざす分野ではない。にもかかわらず、なぜ公設とするのか。私設学校の範疇をなぜ市が侵すのか。この予算付けも間違いである。
そして、教育の内容として、海外の有力大学への入学資格「国際バカロレア」取得を目指すと言うが、このような差別化がどのような人間を産むのだろうか。中学生という多感な時代に、優秀な人間だけを集めた環境でどんな人間性を育てようというのだろうか。パブリックスクールで子弟を育てたイギリスは、一時期大英帝国の繁栄を謳歌したものの第一次大戦後の大衆文化の奔流の中でどうなっていったか、思い起こしていただきたい。幼年学校を作った旧帝国陸軍とその種の学校を作らず広い視野をもつ一般中学校卒の生徒を集めて江田島で教育した旧海軍の、どちらが正しかったか、思い出していただきたい。
教育の環境は重要だが、すべてではない。優秀な子はどこに居ても育つ。栴檀は双葉より芳し。それが真理である。また、知育徳育両面が必要であって、それには様々な人間像が周囲に存在することが必須条件である。さらに、時代は少数の優秀な人間によって導かれるように見えるが、実は大多数の人間の集団意識によって動いている。政策立案の素地に、人間観や歴史観の成熟が求められる。(黄鶴)

221日 「塾代助成?大阪市2016年度予算案批判」
よその町のことだからどうでもいいのかもしれないが、大阪市のやることはわけがわからない。その16年度予算案の内容を見て、思わず吹き出した。とりわけ教育予算に。
中学生への塾代助成26億3900万円とある。大阪市が、大阪市内の公教育のために予算を投下するのは至極あたりまえだが、塾代とは理解できない。公立の塾でもできたのか。そうではなくて私塾のためなら、大阪市は私塾と結託したのかと疑いたくなる。これぞ天下の笑いものではないか。私立学校への助成は許されるが、それはそこに公的な部分があるからだ(教育基本法第八条)。塾にどのような公的性質があるのか。税金を使って構築すべき社会の公的な部分、私費でまかなう個人的な所業の部分、ある哲学の下にそれぞれを厳然と区別すべきなのだが、その哲学が見えない。
予算とは政策である。大阪市は政策として学校の勉強ではなく塾の勉強を勧め、奨励するのか。一方で教師の給与を抑制しておきながら。
税金でまかなわれる行政体である大阪市の、やるべきことは公教育の充実だ。この26億円は教師の給与改善など公教育に当てるべきだ。餌豊かならば大魚これを食む(太公望呂尚)、よい人材を得るにはそれなりの待遇を準備する、当然の話だ。生徒が塾に向かう現実がある、その塾代が家計の大きな負担になっているから援助するのだと言うのならば、その現実を産んだのは誰だと問いたい。給与その他の労働環境を悪化させ優秀な教師を大阪から逃避せしめ、公立の学校の魅力を失わせている大阪市政ではないか。
次に、中3対象の統一テスト3900万円とある。内申点の参考にするテストらしいが、新聞報道によると大阪府も来年度から同じものを導入する予定である。おや?それこそ二重行政ではないか?と、疑問をもつが、「大阪市とは趣旨が異なる」らしい。ちょっと待て。趣旨の異なる研究所は違いを無視して統合し、趣旨の異なるテストは違いを認めて継続する…?その矛盾、身勝手な理屈は、私には理解できない。(黄鶴)

220日 「府市の研究所の統合?」
大阪府立公衆衛生研究所と大阪市立環境科学研究所を統合しようという話がある。これは暴論である。
統合については既に大阪府議会では2013年に可決されているが、市議会では否決されている。それを、「二つの組織の研究内容はほぼ同じ。統合で機能強化が図れる」から、吉村市長はふたたび市議会に提出するという。
確かに二つの研究所は感染症や食品添加物の影響、都市環境など研究分野が同じように見える。しかし、近くにある同じような施設だから統合すべき、というのは暴論である。
まず、研究内容は「ほぼ同じ」ではない。研究報告書を見てもらいたい。全く同一の研究はない。そもそも技術者・研究者が他人と同じことをするはずがない。論文の書き方からしてそうだ。あるテーマについて、今まではこのような研究がなされ、このような成果が出た、私はこの問題につき、かくかくしかじかのアプローチから別の成果を得た…と、書くのが論文だ。研究には、皆、独自性がある。「研究内容がほぼ同じ」というのは、その分野の専門性が見えていないことを意味する。政治家個人の意見の押しつけではなく、研究の現場の意見をもっと取り上げるべきだ。圧制者ではないのだから。それをあえて統合するならば、研究所は一本化の美名の下に研究の独立性を失い、研究の幅を失い、ひいては府民・市民の公衆衛生の分野における利益を害することになる。統合=機能強化と言うのも短絡的で固定的な見方である。1+1が3になる組織もあるが2以上にはならない組織もある。その組織の態様により結果は違うのだ。得るものと失うものの総合的な評価が必要である。
また二つの研究所は設立目的が違う。行政目的が違う。いわば他人だ。例えば市の研究所は、市の行政機関の一つであり、専門的見地から市の保健衛生行政を支えるものだ。市がこれを失ったらどうなるか。市の担当課は専門知識もないままに政策を立案し遂行することになる。何をするにも業者の見積書どおり、言いなりで、不経済なことこのうえない。ただし、この場合、不経済であることは業者にしかわからないから、市民からも議員からも苦情は出ない。
いや、これは府と市の統合という行政改革の一環なのだ、とのことであれば、理解できないものでもない。しかし、大阪都構想は昨年5月に否決されている。府と市は別物、それが民意だ。民意にそむくことはしてはならない。吉村氏が市長に選ばれたとしても、大阪市民は昨年5月の決定を覆したわけではない。
研究所統合の話を出すなら、都構想に大阪府・市民が賛成して、それからにすべきだろう。今ではない。それがスジだ。都構想の再提案すら、私は一事不再理の理念に反すると思うのだが。(黄鶴)

(参考)
府立公衆衛生研究所:http://www.iph.pref.osaka.jp/
市立環境科学研究所:http://www.city.osaka.lg.jp/shisei_top/category/893-33-4-0-0.html

219日 「戦略の陰に」
自民党の目標は何だろうか。改憲による19世紀型帝国主義国家の樹立のように見える。
その戦略は、まずはアベノミクスを成功させて経済振興をめざし、国家に富をもたらして人心を掌握する。そして自民党議員を増やす。同時に、消費増税に付随する軽減税率の採用については公明党案を鵜呑みにして貸しを作り、おおさか維新の勢いを維持させて国会にもおおさか維新の勢力を作る。これにより衆参共に三分の二以上の与党勢力を作り、国民投票を経て改憲を成し遂げる。おおさか維新の勢いを育てるため、大阪市長・府知事ダブル選挙にあたっては、自民党の組織をあげて維新を応援し、維新府政・市政を継続させた。公明党も自主投票としてそれを応援した。その陰で大阪市民・府民は福祉・文化・教育面の犠牲を払い続けることになったが、大行は細謹を顧みず、と言うではないか。被害は47都道府県の1に過ぎない。一部の国民の害ではあっても国民全体の痛手ではない…。
しかしアベノミクスは金融政策に偏り、生産活動や国民生活の改善を直接に目指すものではない。さらに今、アベノミクスの破綻は国民の目にも見えてきた。株価連動内閣と言われるから、その破綻の状態を株価で示そう。単純に言えば、アベノミクス発動時に9,000円ほどだった日経平均は2015年6月24日に20,952円を付けた。しかし今、16,000円を切っている(2016年2月19日午前10時現在)。株価を左右したのは主に外国人の売買で、政権が自民党に移った2012年12月以降2015年5月までの外国人の株式買い越し額は約24兆2,042億円だった。これにより株価は上記のとおり上がった。しかし2015年6月、外国人は姿勢を変え、同月以降2016年1月までに5兆6,170億円を売り越した。これにより20,000円台の株価は16,000円を切るまでに落ち込んだ。2015年8月は中国の元切り下げという要因もあったが、同年6月をピークに外国人はアベノミクスに見切りをつけているのが株価からわかる。本稿のテーマから外れるが、まだ残る約18兆円の買い越し額が売りに回ったら、株価はどうなるだろうか。
金融政策だけを重視するアベノミクスは終息に向かっている。今なお内閣支持率は高いが、自民党議員の行動や発言に対する世間の風当たりの強さは、過去に見てきた政権の末期的症状に近い。改憲を目指した自民党の戦略が潰えたとき、後に残るのは大阪府・市民の犠牲だけとなる。(黄鶴)

218  「政治の冷え込み」
今朝も冷え込んだ。路傍の草に霜が降りた。よく見ると、霜というものは、草の葉の縁や表面の突起を起点にして白い針のように無数に伸びている。もっと伸びたい、大きくなりたいという草の葉の心を示すかのように。
それは朝日を浴びて輝いている。輝きながら小さな露となり、やがて消えてゆく。今日の霜も露も、明日はもうない。人の世もかくなるものか。長い人生にはいろいろあるけど、見方を変えれば一瞬の輝き。
霜や露は自ら光を発するにあらず。宿らせる葉があり、光らせる朝日がある。何事も、周りのもののおかげだ。これもまた人の世に似ている。
霜を人とし、宿らせる葉を家庭に例えれば、朝日は人間世界の何に例えるべきか。国・市の政治もその一つだろう。野に満ちる露にあまねく降り注ぐ光のように、すべての国民・市民を対象にして、人を活かし、生きがいを与えて輝かせる。政治は、本来はそういうものだ。
しかし今、その使命を忘れた者が国にも地方にもあまりに多すぎないか。自らを高め人を輝かせるのではなく、足りない資質を自覚することなく自分が脚光を受けて輝き自分が政治権力の下で利得を受ける、それだけを目指す亡者が。誰とは言わない。(空)

2月17日 「北東アジア情勢」
周りの国の情勢は私たちの生活の大枠を作る。だから無関心ではいられない。
北朝鮮情勢も他人事ではない。彼の国が暴発して無謀な戦争を起こせば日本は大きな影響を被る。国が破綻して難民が日本海を渡って北陸地方などに流れ着いても大変なことになる。
2003年から始まった朝鮮半島の非核化をテーマとする6か国協議が会を重ねる最中、2006年10月に北朝鮮は地下核実験を行った。国連安保理は直ちに非難の決議を採択し関係国が制裁を開始したものの、北朝鮮はこれを無視。アメリカが強硬な制裁を主張し、中国が話し合いによる解決を求めるという国際社会の足並みの乱れの中で時間だけが過ぎて行き、この間に北朝鮮はミサイル技術や核技術の開発・高度化を着々と続け、今年の水爆(と称される)実験と地球周回軌道に物体を載せるロケット発射に至った。
今後どうなるのだろう。敵の敵は味方。中国にとって敵はアメリカで、それに対抗しようとする北朝鮮、アメリカを困らせる北朝鮮は中国にとっては有難い援軍である。だからアメリカの言うとおりに北朝鮮を制裁するはずがない。制裁の結果として国が破綻し、国境を越えて難民が中国に押し寄せるのも困る。北朝鮮の現体制維持のため、話し合いによる解決を言い続け、時間稼ぎをするのだろう。日米韓がそれぞれ制裁を行ったとしても、中国から必要な物資が届き続けている限り、北朝鮮への効果は薄い。そうして日を送るうち、北朝鮮は国を守るために核技術・ミサイル技術をさらに高度化させ、本当にアメリカにとっての脅威となる日が来るのだろう。
と、思っていたら、目の覚めるような意見に遭遇した。アメリカによる北朝鮮の核施設空爆があり得ると言うのである(エコノミスト2/23号闘論席)。そうか、いざとなれば空爆すればよいと腹をくくっているから、国連での議論も控えめなのかと了解できた。
世の中、何が起こるかわからない。肌の色が違えば考え方もまた違う。外国の人は日本人の常識の中でのみ動いてはくれない。アメリカによる北爆(この場合は北ベトナムではなくて北朝鮮)も考えられよう。しかしそれが実行されれば北朝鮮による反撃もある。反撃はアメリカには届かない。韓国や日本の領域に届くミサイルはある。それがわが国または周辺海域の米軍に向けられたとき、自衛隊の集団的自衛権も行使される可能性がある。かくして日米韓連合軍と北朝鮮は交戦状態となる。多数の戦死者は免れない。
これが「普通の国」の現実だ。そんなことは私だけの妄想であってほしいが、歴史を振り返ると、庶民にとっては、ある日突然、平和が失われるのだ。自民党と公明党は真にそれを覚悟して安保法制を成立させたのだろうか。集団的自衛権行使の場にあっても「自衛隊のリスクは高まらない」と安倍総理の答弁があったが、その虚構が暴かれないことを願うのみだ。(黄鶴)

216日 「副首都?」
『大阪維新は、昨年の住民投票で否決された「都構想」に再挑戦します。これまで都構想の理由に挙げていた「二重行政解消」「広域行政の一元化」だけでは説得力に欠けるため、「副首都」を追加したのです。副首都のような重責を担うには、都という強い行政機構が必要、というわけです。』
以上、本日付の毎日新聞北摂版、『なるほドリ』の欄から引用した。
今さら言いたくもないが、基本を知らない人には言わざるを得ない。行政組織とは、ある任務をもった行政機関の事務の能率的な遂行のために置かれるものである(国家行政組織法第一条、第二条)。まず、目的がある。その目的を達するための、手段としての行政組織をどのように作るか、というのが通常の話の順番なのである。しかし、大阪維新の会はまるで逆だ。都構想実現のための副首都では、まったく説得力がない。おまけに、この記事によると副首都の内容もこれから、という状況である。この党の哲学のなさを如実に示している話であり、読んでいる方が恥ずかしくなる。都構想うんぬんよりも、大阪府民・市民に何を与えようとするのか、そのために何をすべきなのか、もっとしっかりした理念と方策を練って出直すべきだ。今の大阪維新に対する票は、その期待値だろう。掲げるものが白紙だとわかっていてもなお期待しなければならない悲しい存在が庶民というものなのだが、あまりに空しいとその期待値も遠からず萎縮する。
「副首都」に関してもうひとつ。何かの国家行政組織の移転が地方再生の一手法であるような論があるが、それは慎重であるべきだ。国の行政機関がどのような構造であるべきか、それは国家的要請に従って合理的に考えるべきであって、地方の都合はそこでは最優先の事項ではない。いわば外乱である。それが優先されるとき組織には経済合理性がないなどの歪が生じる。その歪の弊害を受けるのがまた国民である。1千兆円を超える借金を背負う日本に、弊害に耐える余裕があるのか。地方の問題を解決するのは地方の力によらなければならない。その力を自ら産み出すのが地方の知事であり議員ではないのか。(黄鶴)

215日 「市会議員の罪と罰」
古来、人間社会には罪と罰がある。
太古の罪は、祝詞に残っている。六月晦大祓(みなづきのつごもりのおおはらえ)には天津罪として畔放ち、溝埋み、樋放ちなどを、国津罪として生膚絶ち、死膚絶ち、白人、こくみ等を定める。罰の明記は祝詞にはない。素戔嗚尊のように追放される例もあるが、罪という罪はあらじと祓い清めればよいのかもしれない。
敏達天皇の時代に崇仏か廃仏かの争いがあった。そのときわが国初の尼、善信尼などが法衣を奪われ、海石榴市の駅亭で笞(竹製のムチ)による「楚(しりかた)撻(う)つ」という罰を受けている。また孝徳天皇の時代、流刑・囚獄・笞あるいは爵位を降すという罰があったことが大化2年3月辛巳の詔から解る。
罪も罰も、当初は慣習によるほかなかったが、白村江の敗戦以後、唐に対抗して国の体制を整える必要が生じて以来、それは律という成文法になった。明文による罪刑法定主義の始まりである。
律には罪として謀反、謀大逆、謀叛、悪逆、不道、大不敬、不孝、不義の八逆を定め、賊盗律や衛禁率などの各論にその罪の詳細と対応する罰を細かく定める。罰に、笞・杖・徒・流・斬の五種類がある。職制律には、理由なく1日勤務を休むと笞(ムチ)20回、などと明定されている。ちなみに、杖は木製の棒で打つのではなく、笞と同じ竹製の鞭で60回以上打つことをいう。
話は現代に飛躍するが、市会議員の罪と罰は何だろうか。高槻市議会会議規則に議会の品位保持等の規定があるが、それよりもっと重要なこと、つまり、
・公約を掲げながら故なくその実現を図らないこと、
・当今の社会問題につき解決のための対策を講じようとしないこと、
・党のための活動は大阪市内まで出向いてするが高槻市民のための活動をしないこと、
・政務活動費や旅費の使用に当たって無駄を省こうとしないこと、
これらは罪と言えるのではないか。
そして罰は…。これが、無きに等しい。地方自治法第百三十五条には、戒告・陳謝・出席停止・除名の懲罰を掲げるが、どれだけの効果があろうか。除名すら次の選挙で当選すれば無効になる。
政治家には選挙があって、それが最大の勤務評定であり審判になると言えないこともないが、実態は市議選はお祭りにすぎない。一部には期待してもよい議員も存在するが、多くは、正しく評価する眼を持たない選挙民が、そのレベルに相応の議員を選び年収1千万円を与えているのが現実の姿である。その陰で良識を持った少数派議員は埋没していく。
どうすればよいのか。マーケティングの4P(Product, Price, Place, Promotion)のうちのPromotionは息長く続けていくとしても、一方で、迂遠ながらも教育に活路を求めたい。子どものころから政治的なテーマに接し議論になじむことが必要だ。その環境を作らない為政者は、国民・市民が愚民のままであることを好んでるということになる。(黄鶴)

214日 ぶろぐ日曜版 まちかどの歴史 「万延元年の道標」
高槻市内には江戸時代の道標が多く残る。その一つ、高槻城下の乾方向の出入り口近く、八幡大神宮の東の参道口からまっすぐ北上して突き当たったところ、京口町の圓成寺の前あたりに万延元年の道標がある。東面に「左 大阪 富田 茨木 尼ヶ崎 惣持寺」、南面に「右 京 山崎 淀 柳谷 伏見 宇治 八幡」、西面に「萬延元庚申九月吉辰」とある。吉辰とは吉日のことである。
そして北面に「当町往来安全 願主 〇政 金治郎 新五郎 竹蔵 油〇」と、この道標を建てた人達の名前が刻んである。一部判読できない文字もあったが、私はここに注目した。
姓がないことから町人階級であるが、屋号もないので職人かもしれない。当町とあるから地元の馬町や魚町在住の人々である。
万延元年(1860年)とはどのような年だったのだろう。
その20年前、清ではアヘン戦争が起き、西欧列強の牙がアジアに向き始めた。それはわが国の庶民には遠いことだったが、7年前には黒船が浦賀に来航した。これは当時の大事件で、西国の神社にも黒船の絵馬が残るほどこの情報は日本の隅々に行きわたっている。そして日米通商条約の勅許をめぐって争いが起き、安政の大獄を経て安政7年3月3日(旧暦)には井伊大老が暗殺された桜田門外の変が起きる。
その直後に改元され万延となり、この年の9月にできたのがこの道標である。
翌年には辛酉の年なので更に改元されて文久となったが、文久2年には京都守護職とその下部組織の新選組が置かれ、文久3年には5月に下関でアメリカ船を砲撃、同年8月には七卿落ちの一行が芥川の宿に泊まるなど、政情騒然とした時代の中で、万延という年号の1年は一瞬の静寂のような年になっている。
天保の大飢饉から20年、江戸では「三人吉三廓初買」が初演されている。そこから、民の暮らしはほぼ落ち着いて居ることが想像できる。しかし島崎藤村の「夜明け前」にもあるとおり、国事に奔走することが一つのブームであった時代である。西国街道には、薩長と京を往来する勤王の志士たちの姿もたくさんあっただろう。
石を磨き、文字を刻み、道に立てる、それは相当の経費がかかることだ。しかし支配階級にもない町方の五人がそれを実行している。屋号がないから大店の主人でもない。組頭クラスかもしれないが、ごく普通の町人だろう。町内の顔見知りの、仲良しであったにちがいない。そこには成熟した地域社会の連携が見てとれる。高槻は、わたしたちの自治の町、その原点の一つでもあるのだ。
やがて来る激変の時代を予感しているかのような道標であると私は思う。地域の人たちが、縁もない往来の人々の安全を願い、公共のために私費を投じている。何とすばらしい先輩たちか。(黄鶴)

212日 「特別委員会への疑問」
高槻市議会委員会条例は、その第4条に「特別委員会は、必要がある場合において議会の議決で置く。」と、定める。そして現在、市街地整備促進、新名神・交通体系等対策、史跡整備等、地方分権推進、決算審査の五つの特別委員会が置かれている。これが疑問だらけなのだ。
まず、決算審査がなぜ特別委員会なのか。国の場合、予算も決算も常任委員会となっている。当然だ。臨時に必要に応じて設けるものではなく毎年必要になる審査だから、常設が当たり前なのだ。「必要がある場合において」置かれる委員会とは性質が違う。決算審査に「必要のない時」はありえない。常任委員会をもう一つ増やす余裕がないのならば、決算審査の業務を常任委員会でやればよい。予算は現在それぞれの常任委員会で審議されているのだから、決算も常任委員会でやれば、内容は各委員が熟知している(はずである)し、組織としても平仄が合う。
次に、決算審査を除く各特別委員会の開催頻度だが、昨年4月の改選以降、本日まで、
市街地整備促進:2015/10/28, 2016/02/12 2回
新名神・交通体系等対策:2015/11/2,  1回
史跡整備等:2015/07/29(94分)、2016/02/04 2回
地方分権推進:2015/08/18 (20分)、2016/02/01 2回
という状態である。議会は各特別委員会を本当に「必要がある」と認識しているのか。
「議会の議決で置く」という文言には重要な意味がある。住民の代表である議会が主体となって特別の問題を審議する場を設ける能動的な姿勢を持たねばならないという哲学が、そこにはあるのだ。しかし現状はどうか。理事が提出する案件の説明・報告を受け、それを了承し協力するだけの追認機関に堕している。議会が置いているのではなく、まるで市が設けた市の付属機関のような体を為している。20分で終わる委員会に存在意義があったのか。
交通渋滞、空き家の問題、認知症の親を抱えた家庭…。議員が取り上げるべき事象は市内にいっぱい転がっている。問題意識を持ち、その問題を解決する体制・条例整備についてデザインする、市民にも問いかける、議員にそんな積極的な動きが乏しいと、改選以後は感じ続けている。(黄鶴)

211日 「放送法」
国会での民主党議員の質問に対する高市総務大臣の答弁が、マスコミ・野党で問題視されている。そのテーマは放送法と電波法における所管大臣の権限だ。
放送法は第一条に不偏不党を、第四条に政治的に公平であるべしと謳い、第百七十四条に放送事業者がこの法律に違反したときは三月以内の業務停止命令を出すことができると総務大臣に権限を与えている。また電波法第七十六条も、電波法と放送法に違反した場合に無線局の運用停止を命ずることができると総務大臣への授権を明らかにしている。
実は、今般の高市総務大臣の答弁も閣議後の記者会見の内容も、その内容をなぞっただけに過ぎない。法文とその立法趣旨につき、当たり前のことを当たり前に述べただけだ。官房長官の談話も、だから「当然の事」と言ったのだ。
しかし問題は、当たり前のことが当たり前のこととして受け取られないことにある。まるで自民党の意向に沿わない放送は弾圧するかのごとき発言と野党に受け取られ、マスコミもそんな色彩を付けて報道した。それはなぜか。総務大臣の発言は無色透明でも、そのガラスを通して見える風景に色が付いているからだ。民主党政権から自民党政権に替わった後、自民党は新聞・テレビに圧力を加えたことはなかったか。その姿勢を一方に見せながら放送の公平をうたっても国民は信用しない。正すべきは自民党自身の姿勢ではないか。
我々も側近の立場になったら気を付けよう。側近というものは領主に問題があるときは透明であってはならないのだ。窓ガラスは美しく彩色して内部を見せないようにし、領民の目から真の問題を隠すことこそ側近の任務なのだ。(黄鶴)

210日 「シルバーパワー」
久しぶりに芝生町の市民プールに行った。ここも駐車場が広いから助かる。
いやぁ、これも久しぶりに見る若い女性の水着姿の、なんと美しいことか、豊かな髪を納めた水泳帽から滴り落ちる水が、背から肩のあたりに落ちてはすぐに弾かれる、その肌の艶やかさ…。太からず、細からず、くびれてはまた広がる張りを持った体の曲線の、鮎のようなしなやかさ…。
あ、そういう話ではない。
市のプールでは昨年4月から65歳以上の人は250円の料金になった。その効果だろうか。以前はまばらだった冬場の客が、シルバー世代ではあるが、今は各コースに4~5人いる。ウォーキングコースでも、泳いでいても、前後がつかえる。客同士は笑顔を交わして和気あいあいの雰囲気だ。いいことだ。この世代の人はどんどん外に出て、健康を保持し、幸せな日々を送る。そのための市の施策こそ、あらまほしけれ。
市バスもそうだ。現在70歳以上の人には無料パスが配布される。これを半額徴収に改定すれば、少しは増収になるかもしれないが、見込みどおりにはいかない。今無料で乗っている人がそのまま乗り続けて料金を払ってくれるわけではない。有料ならば乗らないという人が半数はいるだろうから。そしてこの世代の人は外出もせずぽつねんと家に閑居して老いを進めることになる。それは本人のためにもよくないし、何かと市の費用もかかる。わずかな投資でシルバー世代の幸せが手に入る、老人対策費も低減できる。良いことずくめなのだ。
そしてその世代の人も、がんばってお金を使い、市内の経済を循環させねばならない。お金は次の世代の人々のためにこそ使うものだ。(空)

209日 「議員報酬は府内5位」
のんびりと話をする暇もない方もいらっしゃるかもしれない。今日、115円/ドル台の円高を受けて株式市場は暗転している。日経平均は午前10時30分現在、前日終値比700円を超える下げとなっている。そのうち落ち着くだろうが、為替レート115円/ドル、日経平均16,000円を死守するための日銀のマイナス金利であったが、早くもそのラインが眼前に迫っている。アベノミクスの誤りが海外からこういう形で指摘されているのかもしれない。
株価の上がり下がりはどのような要因によるものかと研究したこともあったが、結論は、上がったから下がり、下がったから上がるのだと悟った。上がって儲かったから売る、売る人が多いと株価は下がる、下がって買い頃になったから買う、需要が多くなれば価格が上がる、基本的にはその繰り返しなのだ。
さて、昨日の続き。議員報酬について、他市と比べる必要はない。それぞれに置かれた状況は違うから。ではあるが、まるっきり周囲を無視するわけにもいかないだろう。白雲子曰く、次のようなランキングのページがあるとか。
http://area-info.jpn.org/IcomSenat270008.html
これによると、高槻市議会一般議員の毎月の報酬(66万円)は、
堺市(78万円)、大阪市(77.6万円)、東大阪市(70万円)、茨木市(66.4万円)
に次いで堂々の5位である(大阪府43団体)。
そしてこの金額は、お隣の島本町(31.35万円)の2倍以上で、大阪府議(65.1万円)よりも多い。ちなみに全国規模では1,749団体中の73位である。
市議会の活発さがこのランクに見合うものならば問題はないが、果たしてどうか。また、平成26年度において高槻の市民と事業所は年間1人当たり約140,300円、夫婦と子ども2人の家庭に換算すると年間約561,200円の市税を払っている。その一部が充当されて大阪府内第5位の報酬となっているのだが、やれやれ、本当にそれだけ払う必要があったのか、という思いも湧いてくる。(黄鶴)

2月08日 「にっぱち」
以下は半数以上の高槻市会議員に対する印象である。
2月と8月、いわゆるニッパチ…。商い閑散の月である。
市議会は、というと、これも閑散。2月中は議会運営委員会が1回だけ。3月に本会議が6日、常任委員会が1日(というより過去の例を見ると1~2時間)。年間を合計しても本会議が18日、常任委員会が4日、ほか特別委員会が数日、合わせて30日足らず。ではあるが報酬は毎月支払われている。
もちろん、表に出る日数だけではなくて議案の審議検討、あるいは一般質問のための準備、市民生活相談という業務、そして選挙民対策のためのパフォーマンスもあるから、1年を20日で過ごすよい男、とは言えないが、それにしても…。
日数だけではない。一般質問の回数と内容を顧みれば、全議員が重労働に耐えているとは見えない。もし投下労働量が多いのなら、議会における質問はもっと活発に、内容豊かに行われているはずだ。
その労働状態に対し、一般議員は月66万円(年間ボーナス4.05か月分を合わせて1,059万3千円)、議長は月75万円(年間約1,204万円)の報酬が支払われている。ちなみに議員の平均年齢は2016年現在で53歳だ。
一方、市の職員は、「人事行政の運営等の状況のお知らせ」(平成27年8月31日公表)によると、平均年齢42歳8か月で年収582万5千円である。
議員報酬の性格が何なのかという議論はあるが、それにしても上記の議員報酬の額は労働の質と量に対して適正なのか。議会あり方検討会の結論はどの程度活かされているのか。議会基本条例はどうなったのか。選挙の時に改革を叫んでいた若い人たちは、その後議会で何をして年収1千万円を得ているのか。報酬は議員のどのような活動への対価なのか。
昨年4月の改選以来、疑問はどんどん大きくなるばかりだ。議席に座っているだけで、例え質疑・質問ゼロでも年収は1千万円!市民感覚からは凡そかけ離れている。そういう状態に対する議員同士の相互チェックも欲しいのだが。(黄鶴)

207日 ぶろぐ日曜版 「漢字散歩・・・罪と罰」
数奇な運命をたどるのは人間だけではないらしい。罪という字は、もともと犯罪とは何のかかわりもない清浄無垢のものであったのに、ある権力者によって暗い世界に放り込まれてしまった。
ルール違反という意味で古来使われていた文字は「辠」。ザイと読む。虫眼鏡で見ても判読困難だが、「自」と「辛」から成る。自は鼻、辛は刺青の針の象形文字だ。この辠が皇帝の「皇」の字に似ている、気に入らない、ルール違反を意味する文字は他からもって来よう、と言ったのは秦の始皇帝。同じザイの発音で罪という字をこの意味に当てることにした。罪はもともと魚を獲る竹製の網という意味だったのが、罒(網冠)は法の網、非は悪人、だからこの字は犯罪者を法の網にかけること、という解説まで捏造した。余談だが則天武后は文字を作った。昔からの伝統を変えることは、権力者にとって己が力に酔いしれる最高の美酒であるらしい。領土に関する歴史の捏造も同じようなものか。
さて、罰には2説ある。一つの説は、罵詈雑言の「詈」と刀から成るとし、刀、すなわち権力を持った人間が厳しい言葉を浴びせかけること、口頭注意という軽い刑罰であるというもの。他の説は、罒(網)を打つように言葉を投げかけ、その後に切る刑罰の総称である、とする。切る場所によって、「刵」(ジ:耳切り)、「刖」(ゲツ:足切り)、「剕」(ヒ:膝蓋骨の切除)、「刎」(フン:首切り)となる。バツという発音からして「伐」からきており、「伐」は人が戈を持っている姿で、切ることであるという。どうも後者の方が、より説得力がある。ちなみに、古代日本の律には笞・杖・徒・流・死の五罪はあるが、身体の一部を切ると言う刑罰はない。いや、思い出した。人倫の道を踏み外した男女に対し、女は髪の毛を全部抜き取り、男はアキレス腱を切って原野に放逐するという刑罰がアイヌ社会にはあった。遠い縄文時代からの刑罰だったのかもしれない。(黄鶴)

206日 「悪質商法」
たかつきDAYS 2月号が配布され、その中に「悪質商法の手口と対策」というリーフレットが折り込まれていました。まさにその日、つれ合いの携帯電話に面白いメールが入りました。
『㈱○○○○
代表:03-×××5-××43
担当:△△
※必ずお読み下さい
当方はインターネットサイト運営会社より依頼を受け、料金滞納者の個人調査、身辺調査及び手続きの代行を行っております。
この度の件につきましては、お客様がご使用になった携帯電話端末より、以前ご登録されました総合情報サイト(占い・ゲーム・音楽・動画・出会い・アダルト)等において、無料期間内退会手続きが完了されていない為にご利用料金が発生しておりますが、料金が未払いの状態となったまま長期間放置されております。
本通知メール到達より翌営業日までにご連絡を頂けなかった場合、法的規約に伴い、個人調査の開始・各信用情報機関へのブラックリスト登録・法的書類を準備作成の上、即刻法的手続き(損害賠償請求)の開始、以上の手続きに入らせて頂きますので予めご了承下さい。
また、誤ってサイトに登録した、お気付きでなかった、というご理由であってもこのまま放置されず、手続き移行の前により良い解決に向かう為、退会処理・和解の相談等ご希望の方は、お電話にて担当までお問い合わせ下さい。
本通知を最終通告とさせて頂きます。

㈱○○○○
代表:03-×××5-××43
担当:△△

営業時間
9:00~20:00 』
話に聞いたメールが、やっと身近なところに届きました。メールアドレスがどうしてわかったのか、疑問ではありますが、おもしろいものですね。会社名や担当名が2回も書いてあったりして。
このメールには、悪徳業者に知恵をつけることになりますので詳細は申しませんが、常識に照らしてただちに嘘とばれる表現が幾つかあります。日本語を母国語としない人の文章という臭いもあります。しかし、スマホで何かのサイトを閲覧した覚えのある人は、ドキッとするかもしれません。法的手続き、なんて書いてありますと、法律に疎い人は恐怖感を覚えるでしょうね。
この種の悪徳商法の犠牲者は、さまざまな調査によると、アンケート回答者のおよそ1割にのぼります。被害額も相当なものでしょう。数十億円という報道もありますが報告しない人もありますので実態は不明です。
高槻市立消費生活センターから配布されたリーフレットには、この種の手口も紹介されています。高槻市民から被害者が出ないよう、頻繁に啓発して戴きたいものです。(白雲)

205 「忘れっぽさ」
安倍内閣支持率が回復している。毎日新聞、テレビ朝日の1月末時点の調査ではいずれも50%台に上昇、読売の調査でも甘利大臣辞任の影響はないようで低下していない。NHKは1月9~11日の調査だから1月のデータは前月と同じだ。毎日新聞の分析では、回復に寄与しているのは女性の支持率向上が大きいことである。
安保関連法案の強行採決が行われた昨年夏、「国民は餅を食ったら忘れる」と、某自民党幹部がうそぶいたが、一見、その通りになっている。人間、以前の事は次第に忘れ去り、直近のことを記憶に重ねていく。参院選にあたっては、国民は安保関連法の事は忘れ、2016年のできごとを投票の拠りどころにするのだろうか。ものごとには、忘れたほうが好いことと忘れてはいけないことがあるのに。
調査に際して、内閣を支持すると答えた国民はいったい何を見ているのか。甘利大臣の辞任は潔い?何という愚かなことか。ほめるよりも、辞めた原因を追究し、議員辞職もせず居座っている責任感覚の欠如を責めるべきだ。会見の際の涙に同情する浪花節のような感覚は、政治を見るときは不要だ。客観的冷徹さこそ必要だ。日韓の慰安婦問題が解決したとしても、それはアメリカの圧力がもたらした強制着陸、棚ぼたであって、内閣の努力の成果ではない。野球に例えれば、打者と野手と新盤が相談して作ったヒットであって、評価には当たらない。
おおさか維新の支持率上昇にも驚く。共産党支持率と同程度になってきた。この国の人々は、障がい者・貧困者などの弱者対策にしっかり取り組む地味な姿を見るよりは、内容空疎で派手なパフォーマンスを好むものらしい。いや、アメリカ国民もある大統領候補の品のないこき下ろし話法に喝采していた。歴史の曲がり角には、そうした場面がしばしば現われるものだけど。
内閣の支持率回復は、瞬間最大風速のようなものであってほしい。評価すべき本来の姿を見ずに、つまらない演出やデマゴギーに踊らされて支持率を高めている愚かな国民が日本人だとは思いたくない。(黄鶴)

204日 「電力自由化」
4月から電力の小売り自由化が始まります。ということでTVのコマーシャルもいろんな所が宣伝しています。だけど、それぞれ安いの高いのと、金目ばかりが強調されています。一番知りたい電源構成については、PRのついでに「原発からの電気かどうかもチェックポイントですね」と、一言追加する程度です。なんか物足りないですね~。安ければいいというものではないのですが。
で、自分で調べようとしました。結果は、関電・東電と大阪ガス以外、電源構成はわかりませんでした。国の方針が原発を利用することですから、それを斟酌して、原発利用でないことを宣伝するのは各社とも控えているのかもしれません。全国消費者協会や主婦連は、電源構成の表示義務を求める運動をしているのですが。
高槻で利用できる電気小売会社についての調査結果は次のとおりです。(白雲)

203日 「政党への肩入れマスコミは」
毎日新聞は、おおさか維新を記事にする頻度が高いのではないか?
ある日、各紙の紙面を見ながらそんな印象をもちました。そこでこの前の日曜日(1/31)、各政党はメディアにどの程度取り上げられているか、政党名をキーワードにして1/26~1/31の間のニュースをGoogle ニュースで検索してみました。その結果は下表のとおりです。Googleニュースがすべてのニュース配信を押さえているわけではなく、ここに現われない報道もあった可能性がありますが、報道各社がどの党に肩入れしているか、なんとか傾向が読み取れます。
なお、この時期は民主党大会があったこと、自民党が民主党議員の鈴木貴子氏(父は鈴木宗男氏)の引き抜きを図ったこと、自虐的なポスターが話題になったことなどから、民主党については数多くヒットしました。(白雲)

202日 「ネット利用状況 1601月末」
1月末時点での高槻市議会議員のネット利用状況を調べました。
選挙のときに素晴らしい話をされても無意味で、やはり普段の活動状況が議員の価値を決めます。
その活動状況は、限定された支持者に伝えるのは紙のメディアでもいいのでしょうが、広く知らせるためには、ホームページ、そしてブログが一番のように思えます。
議員のネット利用状況を通覧しますと、地道な活動状況がわかり自然に応援したくなるブログ、虚飾の臭いのあるホームページ、さまざまです。このほど本会議だけネットで見ることができるようになりましたが、これをもって公約を実現したと称する議員あり、明確に選挙公報に書きながら実現してもネット上にはあえて何も書かない議員あり、これもさまざまです。あれこれの議員のページをネットで逍遥されることをお勧めします。(白雲)

201日 「外遊成果」
安倍総理のロシア訪問が春に予定されている。ロシアのラブロフ外相は「平和条約締結と領土問題解決は同義ではない」とジャブを送っているが、このロシア訪問において北方領土に関する進展が見られれば、安倍内閣にとって大きな得点になる。佐藤優氏は「ロシアは北方領土問題について軟化し始めている」と言う状況だ。確かに、領土問題など存在しないと強硬な態度を見せていたロシアが、領土問題の存在を認めたかのような外相発言ではある。
安保関連法で国民を敵に回した安倍総理、法案が成立した去年の夏以後、臨時国会も開かず一切の説明を放棄し、経済一辺倒になった。アベノミクスの成功を謳い、三本の矢に続くキャッチフレーズ…一億総活躍社会とか。内容不明瞭であるが…を繰り出し、3万円のバラまきも用意して参院選に備えている。
しかし、その経済も様子がおかしい。中国経済の減速を発信源として、日経平均の株価はどんどん下がり続けている。今日あたりは先週末のマイナス金利発表の余韻があるが、中国の上海総合指数を横目に見ながら世界の株価も下がって行く趨勢にある。日本の株も7割は外国人が売買する。3割の国内勢ががんばっても株価は思うようにはならない。世界の流れに押された株価の下落は、国民に対して経済の失政を印象付ける。参議院選挙費用も株式の売買からは捻出できそうにない。
経済がダメなら外交で成果を出したいところ。歯舞・色丹の2島返還プラスαの成果、たとえば北方4島の面積を等分するなどの取り決めが発表されれば、大きなサプライズになるだろう。内閣支持率の急上昇、参院選勝利、長期政権樹立も間違いない。(黄鶴)

131日 ぶろぐ日曜版 「漢字散歩憲法」
漢字が「象形」「指事」「会意」「形声」という由来をもち、「転注」「仮借」という使われ方をするのはご存じのとおり。自分の名前が、そして普段のニュースの中で使われている文字が、本来はどんな意味だったかをさぐるのも面白い。
憲法改正(改変と言う人もあるが)がしばしばしば話題になるが、憲法とは、そもそも何だったのか。
まず、「憲」の字は、害と目と心から成る形声・会意文字である。害は音を表わすと同時に、妨げると言う意味を持つ。意味にはいくつか説があって、①妨げになるものを目と心が素早く判断すること、すなわち優れた知識と判断力を持つことによって生じる法規範、②心や目の勝手な動きを押さえつけて、規則を作ること。だから目は押さえつけられて横になっている。③頭を覆うもの。
「法」は、簡略化されて水と去だけになっているので意味がよくわからないが、もともとは水と廌(タイ)と去から成る会意文字である。その意味に諸説ある。①廌は、触ると罪人かそうでないかが判る動物(永田町に一匹いると面白い。拙宅には不要)。廌に触らせ、水の如く公平に悪人を見分け追放すること、即ち刑罰をいう。②廌は囲むという意味で、水を流し去らないように囲み、支配下に置くこと。③水で囲まれた島に珍獣である廌を追い去って、出さないように支配すること。(以上、小学館 新選漢和辞典より)
要するに、憲の①②、法の①~③、いずれにしても人を従わせるものである。
この「憲法」という文字がわが国で初めて使われたのは、これも御存じ、聖徳太子の十七条の憲法。ただし日本書紀巻第二十二推古天皇夏四月の項では、「憲 法 十 七 条」を「いつくしき のり とをあまりなな をち」と読ませている。直訳すると「おごそかな決まり事の十と七の条」となり、基本的な法規の意味にはならないが、弘仁格式序に「国家の制法これより始まる」といい、わが国最初の法規だったことから、近代になって法体系の頂点に座る法律にその名を贈られたのだろう。
Constitution を憲法と訳した幕末の学者の頭には、聖徳太子の「和をもって貴しとし…」で始まる十七条の憲法があったはずだ。(空)

130日 「マイナス金利」
日銀がマイナス金利を設定した。と言っても庶民には直ちに影響するわけではない。銀行が日銀の当座預金に今後預ける金に対して、いわば保管料のような0.1%の金利を設定しただけである。
これによって今後の経済はどうなるか。銀行が市中に貸し出しやすくなると言われるが、本当にそうか。今ですら十分に低い金利がさらに0.1%下がったからといって、借り手が増えるか。企業の設備投資が増えるか。個人の住宅建設が増えるか。疑問である。金利うんぬんよりも需要がないのだ。企業は国内よりも外国に生産拠点を移して久しい。その外国で、中国を筆頭に居て経済成長の力は失われつつある。個人としても、車が欲しい、テレビが欲しい、という時代ではない。欲しいものがないのだ。この需要喚起策という根本のものがなくて、どうして経済が盛んになるだろうか。空や海に目を広げ、世界中の人の欲しがるものを開発する、それが先だろう。それはコロンブスの卵のように、後になって見れば、どうしてこれに思い至らなかったのかと笑うようなものかもしれない。
確かにかつては金利が経済の重要な舵取りの道具であった。しかし、その効果も時代状況によるのではないか。モノ作りを捨てた国にとって、金利操作はもはや過去の幻影でしかないのではないか。マイナス金利は落日のアベノミクスの悪あがきに見える。
マイナス金利発表によって、為替レートは一気に121円/ドルまで円安に動き、株価は日本(2.80%)を始めドイツDAX(1.64%), スイスSMI(2.04%)、フランス CAC40(2.19%)、ニューヨークダウ(2.47%)など軒並み急激に値を上げた。株価が上がれば安倍内閣の経済政策は成功なのかもしれないが、日本証券業会の調査(平成24年度。その後も大きな変化はないと見る)から推定すると、株式を保有しているのは国民の約12%
、そのうち半数以上が60代以上(国民の約6%)である。50代以上に広げると国民の約9%となるが、ともかく株価上昇の恩恵を受けるのは主として経済力のあるごく一部の老人世代であって、これから家を建てようとする消費世代ではないのである。(黄鶴)

129日 「大臣辞任?」
昨日、甘利氏が大臣を辞した。
日本の株式市場は09時30分現在、前日と変わらず、我関せずと平静を保っているが、国民としては平静ではいられない。わからないことが多すぎる。
まず、実態はどうなのか。金の収受は事実なのか。収受があったとして、政治資金として正しく、つまり政治団体への寄付として金額や月日が正確に処理されたのか。報道によると、50万円ずつ2回あったところ、100万円として別の日に処理されたらしい。この点、違法性はないと甘利氏側は言う。そうだろうか。寄付金の額、年月日等を会計帳簿に記入すべきとした政治資金規正法第9条に違反するのではないか。
次に、この違反があったとしても違法性のレベルが低く立件が困難、つまり刑事事件として裁判を行うには当たらないとの報道があるが、ことは政治とカネの問題である。厳格に処理すべきではないか。違法性の程度が低いならば、処罰の程度を小さくすればよい。法に触れるのに無罪とするのはおかしい。何十万円もの話が(老人の年金の何か月分?)微罪処分の対象なのか。
さらに、甘利氏側は、大臣として口利きを行ったのか、議員として口利きを行ったのか。政治資金規正法違反は政治家としての違反なのか大臣としての違反なのか。いずれも私は、議員としての不祥事であり議員を辞めるべきで、大臣を辞任するだけでは罪と罰が相当関係にないと考える。大臣を辞めるだけでよい、議員の身分はそのままとするならば、例えが悪いが、新幹線に無賃乗車した者を在来線に載せ替えたようなものではないか。無賃乗車なら改札口から外に出されるはずだ。一度議員を辞めて、必要なら改めて議員に立候補するのも悪くない。
一方、本件についておおさか維新は、TPP等の重要法案の審議が優先されるべきとして国会で政府を追及しない立場を表明している。重要法案の扱いが大事なのはそのとおりだが、悪いことは悪いと言うべきだ。正邪の判断も示さず政治とカネの関係を清浄化しようとしない態度では、国民の信頼を得られる政党にはなり得ない。(黄鶴)

128日 「善く人を用いる」
本日は28日、甘利大臣の申し開きの期限の日である。現金をもらったか否かについて、事実確認に一週間もかかるのは庶民には理解できない。ないならば即座にNoと言えば済むことだ。毎日もらっていることで、いちいち記憶にないということだろうか。どう言い抜けるか考えねばならないし、周囲や党幹部との相談もあるから、また他への影響を最小限に抑える調整・連絡も必要だから、それらに数日かかるのだろうか。いずれにしても、何が出てくるか、会見が待たれる。
ある政治家について、テレビに見せる顔とはまるで違う顔に接したことがあると、現役時代を思い出して憤慨している当サークルメンバーがいる。票になる国民に対する立候補者の顔と、頼みごとに来る関連事業者に対する権力者の顔とは、たしかに違うだろうと想像できる。
人間社会においては、傲岸不遜という態度が何かの利益や幸をもたらすということはない。論語に謂う。政を為すは徳を以ってす、と。また、やや趣旨が違うが老子にいう。善く人を用うる者は之が下となる、と。つまり、人を上手に使う上司とは、人の上に立って威張るようなことはせず、謙虚に部下の下に立って部下のやる気を引き出し、組織全体を活性化させる者なのだ。
組織の内に対してであれ外に対してであれ、謙虚であることは重要なことだ。むかし、未だ若年だった私にその有り様を見せてくれた上司を、今、さまざまに思い出す。(黄鶴)

127日 「付け届け社会」
江戸時代の武家社会は付け届け社会であったようだ。年始のあいさつに、家督相続お礼に、あるいは養子縁組ご裁可のお礼に、「時服」、「御馬代白銀〇枚」、「御太刀一腰」などを献じたとの記録がある。また、白鞘の脇差を上司に贈るときは、「御拵料」として現金を添え、その脇差が無銘ならばどの時代の誰の作かにつき鑑定書(折り紙)を付けるのが常識であった。鑑定するにはいくらかの金がかかるが、鑑定書は、それを鑑定した業者に持って行けば、6割方の金が返ってくる。だから、脇差を受け取った上司は、拵料と鑑定書の6割分の両方の現金を受け取ることになる。社会全体がそういう習慣があった。賄賂でもないし、別に悪いことではない。ちなみに、折り紙つきの語源はこれで、また白鞘の脇差が現代にまで多く残るのも、こういう事情による。
しかし、このような付け届け社会は昔の話。世話になった人にお礼をするのは人情だが、現代の政治の世界に、職権を利用した口利きのお礼として現金の授受があるというのは許せない。政治資金に関する法律は何のためだったのか。
政治家も品性を疑うが、政治とは広く国民のために存することを忘れ自分の利益のために政治家の権力を利用しようとする国民の劣悪さにも問題がある。そういう国民を産んでいるのも、また政治の責任である。とにかく仕事が欲しいという気持ちは分かるが、過当競争を産む業界を作ってしまった責任は、誰が取るのだろうか。(黄鶴) 注 白鞘:朴の木で作られた鞘と柄のセット、拵え:漆塗の鞘、鍔、目貫や柄巻を施した柄などのセット

126日 「国際常識」
1月25日付け毎日新聞夕刊の「今、平和を語る」というインタビュー記事が面白い。のっけから「憲法より米国重んじる政権」という見出しが躍っている。語り手は、自衛隊を米軍の手先として提供しようとする対米従属主義の政権を痛烈に批判する。また自民党の憲法改正草案についても「中身のない人たちが考えたものにまともな中身などあるはずもない」と、容赦がない。詳しくは記事をご覧いただきたいが、ものごとの本質をえぐること、これに過ぎるものはない。語り手は政治学者白井聡氏(38歳)。
アメリカと日本…。日本人はアメリカに幻想を抱いている、と氏は言うが、まさにそのとおり。占領政策の一環に、アメリカは理想的な自由の国、信頼できる自由社会の庇護者と日本人に刷り込むことがあったのではないかとさえ私は思う。昔、学友とそんなことを話したことがあって、彼もそういう幻想を取り払うのに時間がかかったと言った。聡明な彼にしてそうだったから、今も大多数の日本人がそうなのだろう。
例えば、尖閣に何かあったらアメリカが守ってくれる…、そんな幻想を払うにはアメリカに行けばよい。日本人は間違いなく差別の対象であることを肌で感じるから。レストランに入っても、出入り口に近い席とか外の美しい景色の見えない席とかに案内される。そういう国が有色人種の他国のために血を流すか、疑問である。自国にとって利益になれば他国で血も流すが、そうでなければその国を見放す、これは冷厳な国際常識だ。(黄鶴)

125日 「公約追求議員」
2015年12月議会までの一般質問が公約を追求したものかどうか、「2市議会という舞台で 第二部 …公約を果たそうとする姿勢」に表として示しておきました。
この一般質問の傾向をみますと、公約との関係において幾つかの類型に分かれます。その類型とそれに属する議員は次のとおりです。例によって敬称は略します。
① 公約の実現を求めて、積極的に公約に忠実に一般質問をする議員 14名
公明党:三井、笹内、吉田忠則、五十嵐
民主・元気ネット:岡井、森本
維新・市政刷新:太田、吉田稔弘、米山
共産党:中村、宮本
自民・蒼政会:竹中、真鍋
無所属:高木
② 公約を顧みながら時事問題も積極的に扱う議員 3名
公明党:吉田章浩
無所属:川口、福井
③ 一般政策論、時事問題を積極的に扱う議員 2名
公明党:岡
自民・蒼政会:田村
④ 公約に関する一般質問を1回行った議員 7名
公明党:宮田
民主・元気ネット:橋本
維新・市政刷新:岩
共産党:強田、出町
市民連合:段野、山口
⑤ 時事問題に関する一般質問を1回行った議員 1名
民主・元気ネット:平田
⑥ 一般質問のなかった議員 5名
民主・元気ネット:中浜、野々上
維新・市政刷新:木本
市民連合:久保隆、久保隆夫
⑦ その他(具体的な公約はないが不正追及を掲げ毎議会一般質問をする議員)1名
無所属:北岡
(白雲)

124日 「自民ムラの掟」
甘利大臣の口利き献金に関連して山東昭子参院議員が取材に応じて発言した。「告発者はゲスの極み。ケンカ両成敗、告発者も厳しく処分せよ」と。
これを聞いていろんな思いが同時に湧き起った。その思いを順に解きほぐして記す。
とんでもない発言である。口利きにからむ金銭の授受ならば贈収賄の罪そのものではないか。悪いことを悪いと言って、何が悪いのか。
口利きは政治家の業務の一つであり金の授受はそれに伴う当然の利得であって、それを騒ぎ立てる方がおかしいと聞こえる。もしかして自民党内部ではこのようなことが一般化しているのか。それを告発するのは罪だとするルールでもあるのか。
一般的に、人間が一つのムラ(群または村)を作り、それが長年月を経るとムラを維持するための掟が自ずと出来上る。たとえば原子力ムラには原子力関係者だけが理解できる独善の論理(=安全神話)が成立し、役人ムラには国益よりも組織保護のための論理が優先されるべきという暗黙のルールが産まれる。これらの論理またはルールを産むものは何だろうか。国民がそのムラの存在を許し、特別のものとして崇め奉り、そのムラに住む人々を潤す大きな利益を与えていることである。利益とはすなわち社会的地位や金銭である。美味しいものは離したくない。人情としては分かるが正しいことではない。しかし、内部に居ながらムラの掟に背き、それを外に向かって口にする者は異端者として弾き出されるのが人間社会の常である。
ムラから外に出ない者は、ムラの掟が国法と違っていてもそれと気づかない。そこが問題なのだ。国民的な正邪の感性・視点を保ってムラの掟を正す、そんな政治家は出ないものか。(黄鶴)

123日 「その根底にあるのは」
1月8日の衆議院予算委員会で自民党の議員が、今年は「伝統的な数え方では皇紀2676年」と発言した。この議員は、神武天皇が実在した人物で、紀元前660年に即位したのを歴史的な事実と思っているのだろうか。
神武の即位はどのようにして紀元前660年とされたのか。この問題に関しては、明治の歴史家である那珂通世の説が最も支持されているようである。那珂通世によると、年代の算定の基準になったのは中国の予言説で、その考え方では、辛酉(かのととり)の年には革命が起こるとされ、なかでも21度目の辛酉の年ごとに大きな革命が起こるとされた。こうした辛酉(しんゆう)革命説を根拠にして、日本書紀の編者は推古9年(辛酉、601年)から数えて1260(60×21)年前の辛酉の年である紀元前660年を神武即位の年とした。暦が日本に入ってきたのは6、7世紀になってからで、文字も暦も知らなかった時代の人々が歴史を年数で記録することはなかった。だから、1260年も前に神武が即位したというのは後世に作られたものであり歴史的事実ではない。
古代史のタブーから解放された戦後の歴史学は、その大勢が神武を神話上の人物とし、さらに、神武以後の天皇についても、どの天皇が確実に実在したかについて議論してきた。よく読まれてきた古代史の本に、井上光貞『日本の歴史1 神話から歴史へ』(1965年)があるが、井上の考えでは、2代綏靖から9代開化までに関しては、古事記と日本書紀には事績が全く書かれていないことなどの理由から、実在しなかった。実在の可能性が高くなるのは、10代崇神から12代景行までの3代である。確実に実在したといえるのは15代の応神からである。15代応神に至るまでに、途中実在しなかった、あるいは実在の可能性が低い天皇を経ていることから、神武即位から始まる万世一系を事実とするのは困難だと戦後の歴史学の大勢は考えている。
万世一系思想に関わるもう一つの問題で、戦後歴史学が議論してきているのが、王朝交替論(血統の異なる三王朝の交替説。4世紀代の崇神王朝、5世紀代の応神王朝、6世紀以降現代に至る継体王朝)。例えば、水谷千秋『謎の大王 継体天皇』(文春新書)は継体について全体的に論じながら、継体と万世一系思想との関係についても論じていて、とても興味深い。高槻市立図書館が所蔵していて、これまでに多くの人が借りているようである。地元ということで、継体には高槻市民の関心が高いのだろう。
昨年3月に、自民党の議員が参議院予算委員会で「八紘一宇」という語を使ったことがあった。いうまでもなく、これも神武神話に関わる語で、東アジアに「一大王道楽土」を建設しようとした日本帝国の軍事政策の理想を表すものとして、1935年(昭和10年)ごろからよく使われた。この議員と「皇紀2676年」発言の議員がどのような歴史観を持っているかは知らない。深く考えずに発言したのかもしれないが、二人の意図や思想がどのようなものであれ、こうした発言が出てくる社会の底流に、古代史と天皇に関して実証的な研究をしてきた戦後の歴史学への反発があるのではないかと思う。井上光貞の言葉を借りると、「その根底には、旧日本そのものに対する強い郷愁と、戦後の歴史学や歴史教育に対するはげしい憎しみがある」のではないかと思ってしまう。
どんなに反発や憎しみがあろうとも、戦後の古代史研究の成果を覆すことはできない。現在も論争中で結論の出ていない問題も多くあるが、研究の積み重ねには確固たるものがあり、一素人として、今後も多大な関心を寄せていくつもりだ。(ト・ケノン)

122日 「偏向とは」
椿貞良氏が亡くなった。79歳だった。氏は、元テレビ朝日報道局長で、1993年の「反自民の連立政権が成立する手助けとなるような報道をしよう」との発言が放送の公正・公平性を害すると批判され、引責辞任した人だ。批判したのは、時の郵政省。テレビ朝日を厳重注意した。
二つの問題を感じる。その一つ。反自民の方向の番組編集が政治的中立性を欠き偏向していると言うのなら、定期的におおさか維新を題材にして市民に一定の潜在意識を育て、そうして自民・公明・おおさか維新の連合を手助けする新聞・テレビの報道は偏向ではないのか。政治的にある方向を向いているという点では同じではないか。ベクトルの方向が違うだけの話だ。現政権を批判する勢力だけが偏向だとするのは権力の驕りだ。歴史を眺めると時の政権の目指す方向が(結果的に)誤りだったと言わざるを得ない時期がある。
もう一つ。テレビ朝日はNHKではない。放送法は第1条に放送の3大原則の第2号として不偏不党を謳う。しかし、これはNHKだけでよい。すべての放送に思想・意見を持つなと指示する放送法はおかしい。それぞれの報道機関が自由に意見を戦わせる言論環境こそ健全ではないか。放送に害される国民が多いから自由な意見発表や政治的行動は危険ということなら、それはどこかの国と同じように、初めから政治的なバイアスがかかっている。
しかし、このようなブログが書けるのは、ありがたいことではある。(黄鶴)

121日 「高槻市内限定プレミアム商品券」
はにたんプレミアム商品券の使用期間が12月末で終わった。
発行は10万冊。プレミアムは1冊2千円。その経済効果はどうだろうか。1世帯当たり年間の消費総額は約288万円(総務省:家計調査報告、平成27年7~9月月平均×12)。高槻市民15万8千世帯、約4,550億円の支出に対してプレミアム2億円である。わずか0.04%の増額では、景気変動や季節変動に紛れて、事業実施の効果は計測しにくいだろう。またプレミアムの2億円が確実に市域での消費増になったかも疑わしい。つまり、現金で買うべき食料品2,000円分がプレミアムでまかなわれ、浮いた現金2,000円はどこか遠い旅行先で使ったとしたら、地域限定型のプレミアム商品券の意味はない。このように、事業効果には疑問符が付く。また、この商品券は全世帯に配布されたものではないから、公平性も欠く。
それにしても、確実にいくらかの消費増はあっただろうし、プレミアムをきっかけとして消費が拡大しているのなら、喜ばしいことである。そして、地域限定型の商品券には、もうひとつの側面がある。高槻市内で消費するから、カネが高槻市から出て行かないことだ。市内の事業者が潤う、地域社会が潤う、これはいいことだ。この側面を何とか持続させる方策はないものか。はにたんプレミアム商品券を一過性のものに終わらせるのではなく、制度として根付かせたい。
基本的な食料品、生活必需品は近所で買うだろう。その分野にはプレミアム商品券を充てる必要はない。やや高額な衣類、健康・医療器具、音楽・スポーツ用品など、交通費を払っても梅田近辺に出たほうが安くて買い物の環境も良いとなったら、人はその方向に流れる。そこを引き留められれば、と、思うのだ。そういう分野の支出額は米味噌の類に匹敵するかもしれない。ブティック、メガネ店など大阪市内の同業者と競合する種類の店だけで使える商品券など、高槻市内でカネを使おうとするインセンティブになるものが欲しい。
市外に出る運命だったカネを市内に留める、それによって市税収入が増える、市はそれを市内のインフラ整備に使う、そんな循環があればと思う。(黄鶴)

120日 「バス事故民営化の行先」
15日未明に長野県軽井沢町でスキーバスが大事故を起こした。バス民営化の究極の姿がここにある。
安全は交通産業のキーポイントである。安全に対する乗客の信頼がないと事業は成り立たない。しかし一方において、営利企業である限り利益は確保されなければならない。人件費、燃料その他の運行費、事務部門の間接費、その他ありとあらゆる経費が極小化される。そのとき問題が発生する。利潤を最大限まで追求するあまり、経費節減に歯止めがなくなることだ。社長や担当者が替われば、前任者よりも成績を上げようと人件費などの節減に拍車がかかる、そういうことがサラリーマン諸氏の身近に起こったことはないか。
いや、バスの安全のための歯止めは、実はある。「道路運送車両の保安基準」、「一般貸切旅客自動車運送事業の新運賃・料金制度について」、などの通達が国土交通省の関連部局から出されている。これを守ってくれればよいが、利潤を重視することから、また安値競争に走ることから、それらが等閑視されるのだ。そしてこのことは昔からいくら事故が発生しようとあらためられることはない。もはや金に執着する人間の業のようなものと言わねばならない。
これが今後改善されるだろうか。否である。人間が人間である限り、処を替え、時を替え、同じことがまた起こる。人間はいつも欲望には忠実だ。その事故は、万一高槻市営バスが民営化されるようなことがあれば、そこにも起こるおそれはある。事故の確率は、ゼロにはならない。民営化=利潤の追求、であり、そこに安全確保のためのタガを常に期待すると裏切られる。例えば労働条件、たとえば車体・エンジンの安全点検、儲けを産み出すための手抜きはいくらでもできる。しかし、人の命を預かる事業ならば、その悪魔のささやきを断固拒絶しなければならないのだ。そのためには、一定の収入を保障された公的職員による安全管理は必須条件だ。軽井沢の事故は他人事ではない。(黄鶴)

119日 「市長が市議選応援?法の趣旨に反する」
人が人に対して尊敬の念を抱く、それは大いに結構だ。しかし市議選において市長が特定の候補を応援する、それは地方自治法の趣旨に反する。
そも地方議会とは何か。憲法第93条に謳っているように地方公共団体の「議事機関」である。地方自治法第96条はもう少し詳しく、「条例を設け」「予算を定め」「決算を認定する」などの権限を与えている。つまり地方議会とは、その地方における唯一最高の意思決定機関である。ゆえに、それは何者からも侵食されない独立性・至高性を持たねばならないのは当然のことである。特に議会がチェックする対象である市政の、その長からは適度の距離を保たねばならない。そうでなかったら、どうなるか。たとえば市長の提出する条例案、予算案はお仲間の議会をやすやすと通過し、市長の思いは何でも叶うようになる。いろんな立場の人との議論の洗礼も受けないままに。ここには議会の存在意義はない。それでよいか。翼賛議会は過去に何をもたらしてきたか。他国に何をもたらしているか。
繰り返す。議会は独立不羈の精神を捨ててはならない。その独立性の現状はどうか。市長は何人かの議員を応援して与党にする、これによって市長選挙に当たってはその与党支持者の票が期待できる。議員は市の側に立つ、それによって己が政策を市の予算案に盛り込むことができる。そんな構造になっている。市民連合の議員は選挙の際に市長の推薦を受けていないが、「濱田市政を支える立場」「濱田市長の「みらい創生」のまちづくりを支持することを表明する」と、代表質問で会派の姿勢を明らかにしている。
これは本来の姿ではない。何のための二元代表制か。議会に与党は不要だ。オール野党でよいのだ。予算案に自党の政策が盛り込まれるのを歓迎するのもよいが、その余の予算案を看過していないか。自らの政策を予算に反映させたいのであれば、議会が結託して市長提出予算案を否決し、議員が予算案を作ればよいのだ。それが真に「予算を定める」ことなのだ。地方自治法は「予算案を承認する」ことを権限とするとは謳っていない。議会が主体性をもった議決機関でなく単なる承認機関に貶められるならば、憲法の精神すら失われることになる。(黄鶴)

118日 「市議選候補を市長が応援?」
先週、平成27年の選挙公報を整理していて気が付きました。現職市長が…というか、市長選も同じ日に行われましたので市議選の選挙公報が配布された時点では市長候補なのですが、市議選候補者に対して「私たちも応援(推せん)します」という人々の中に「高槻市長 濱田剛史」の名前がありました。ただし、濱田市長は全部の候補者を応援していたのではなく、公明党8名の候補者全員と自民党まなべ・福井・かなもり・平井候補の4人、無所属の山口候補、合計13人でした。
ちなみに平成23年の選挙では、奥本勉市長の名前が公明党8人全員、自民党の角・三本候補、民主党の中浜・橋本候補、無所属の山口候補の応援者の中に、はまだ剛史弁護士の名前が公明党8人全員、濱田剛史弁護士(はまだ剛史氏と同一?)の名前が無所属の山口候補の応援者の中に明記されていました。
市長が市会議員候補の応援?それも全員じゃなくて、一部だけ。あれ?なんかヘン…と思うのは私だけでしょうか。
もう一つちなみに、平成27年の選挙で市長の応援を受けた議員11人(32%)の6~12月議会での質疑・質問件数(12月議会の常任委員会を除く)は合計56件、全体の27%でした。(白雲)

117日 「ぶろぐ日曜版 町かどの歴史 殉職の碑」
JR摂津富田駅付近から北に府道115号線が延びる。その途中、高層集合住宅の敷地の北東隅に1本の石碑が立つ。近くには氷室バス停がある。
石碑に記された文字はごくわずかしかない。「(東面)石崎芳忠殉職之碑 昭和三十五年六月七日亡 (南面)高槻市教育委員会建立 (北面)南無阿弥陀佛」これだけである。西面には文字はない。
石碑はまだ新しい。碑の足下には、水の入った小さな白い湯呑と、たった今供えられたかのような生花。白菊、黄菊、赤いカーネーション…。
碑文には殉職の経緯が何も書かれていない。何があったのだろうか。当時の新聞の縮刷版を見たが、縮刷版というものは東京版のみから成るもので、大阪の衛星都市で何が起こったかはそこに残っていなかった。特に6月8日の新聞は東京下落合で起こった通り魔による2人の女性の殺傷事件が大きく扱われ、他の記事の入り込む余地は少なかった。その後もハガチー事件や安保改定関連の動きが新聞情報の中心に座っていた。
とりあえず、想像するしかない。昭和35年と言えば高槻市の人口は7万人程度。これから人口が爆発的に増えようかという時代であった。場所は富田駅と北の奈佐原を結ぶ街道。街道には多くのトラックなどが走り始めていたのではなかろうか。そして現場は、今の集合住宅の位置には工場があって、その北側に走る細い道が緩やかな下り坂となって街道につながった地点である。碑は教育委員会建立であるから、石崎氏はたぶん教師。それも小学校の。気象庁のデータによれば梅雨の季節ながら当日は雨もない。傘も持たない身軽な児童が細い道から街道に走り出ようとした、それを制止し、あるいは庇い、そこに通りかかったトラックなどがこれを避けきれず事故になった…。そんな想像が成り立つ。悲しい想像である。
新聞には残っていない。高槻市史にも記述はない。しかし尊い犠牲は忘れ去られていいものではない。さまざまな献身的な教師の努力によって戦後の高槻教育は全国に名を馳せたが、この殉職事故はそんな教師の精神を表わした行動の一つと言えないか。
人の世は、いつも辛さ悲しさの上に幸せが存在する。花を供えている人は、いま幸せだろうか。(黄鶴)

116日 「緊急事態と憲法」
質問者は元高級官僚。答弁も100点満点の官僚的作文であった。
昨日の参院予算委で、緊急事態条項のない日本の憲法を問題視する自民党片山さつき議員に対し、安倍総理は「大規模災害など緊急時に国民の安全を守ることは重要で、憲法のあり方については国民的な議論と理解が深まるよう努力する」と答えた。
このやり取りは、いったい何だろうか。
まず、憲法のあり方は国によって事情が異なる。他国にあって日本にないからといって問題にする必要はない。憲法にその条項がなくて今まで不都合があったか。それよりも天変地異を直ちに緊急事態にしてしまう国の備えの無さの方が問題ではないか。70年間そういう国にしてしまったのは何党の政権だったか。憲法改正についての考え方を総理に表明せしめんがために質問という演出をしなければならない議員も痛々しい。
次に、ここが一番の問題だが、国民の理解を求めると言うが話が逆ではないか。国民の憲法に対する思いを総理が理解し、それを総理は行動の規範とすべきではないか。それが民主主義だ。国民主権というものだ。総理の考えを国民が理解せよ?それは総理に全権があるとする王制にほかならない。
そして、緊急事態とは何を指すのか。とりあえず国民に支持されやすい自然災害を例に挙げるが、そのうち垣根が曖昧になって国防の範疇にまで広がっていくのが目に見えている。いきなり9条改正を話題にすれば国民にそっぽを向かれるから、とりあえず災害を入口にしようということか。憲法解釈変更で安保関連法案を成立させた政府が、緊急事態うんぬんのレベルの話で改憲を目指すのは理解できない。それこそ解釈で対応可能ではないか。
最後に、総理は本当に国民の深い理解を求めているのか。必要としているのは、国民の無理解・無関心とおおさか維新・公明を合わせた国会議員の数だけではないのか。だからこそ大阪ダブル選では自党候補を捨てた。違憲状態と判定された衆議院の議員定数の改正にも前向きにはなっていない。
国民の無関心をいいことに国政がどんどん国民の幸せから離れていく。まことに緊急事態である。

116日 「初心と実践
(7 基礎資料 (2)各議員の選挙公報と当選後の本会議における一般質問項目 に移転しました)

115日 「初心と実践

(7 基礎資料 (2)各議員の選挙公報と当選後の本会議における一般質問項目 に移転しました)

114日 「民意ではなく官意」
人民日報は中国共産党の機関紙。ある一つの思想のもとに、共産党政府の方針を広報し、情報を選択して国民に流し、国民を教育し、もって国民の顔を一定の方向に向かわせる。
その対極ともいえるのがアメリカのマスメディア。建前と本音の違いはないという建前のもとに、自由を標榜し批判の対象を限定しない。私のような古い人間はウォーターゲート事件をすっぱ抜いてニクソン大統領を辞任に追い込んだ昔を思い出す。
日本はどうか。
公明党の大阪の新年会におおさか維新の幹部を招待したことが、NHKや大新聞にニュースとして流れた。府知事や大阪市長の姿がTV画面に大写しにされ、或いは写真を添えた記事になった。13日夕刻のことである。
それほどのニュースか。自民党の大阪府連は新年会をしないのか。価値のないニュースをなぜ流すか。記事を読むと、何を文章として表わすべきか、無から有を産み出そうとした記者の苦労がよくわかる。ここに私は一つの圧力を感じる。TVのコマーシャルのように、絶えずおおさか維新の存在を国民に見せつけ、知らず知らずのうちにおおさか維新を心にくからず思う潜在意識…民意を植え付け、育て、夏の参院選においてはそれを顕在化させる官邸の意思が見える。官邸は、先の大阪府・大阪市長ダブル選において自民党の組織を挙げて維新候補を支援し、圧勝に導いた。そしてそれを民意であるとして、公明党をおおさか維新に接近させる大義を与えた。その先にあるものは何か。安倍総理が最近、はばかることなく口にし始めた、公明、おおさか維新の援助のもとでの改憲である。取引材料は、維新への大臣ポストだろうか、何だろうか。
権力によるマスメディア支配、その流れが「沖縄の新聞はつぶしてしまえ」という発言に結びつく。TVも新聞も、そうした側面があるということを、覚めた目で見なければならない。そうしなければ、偏った情報によってあらぬ方向に押し流される自分に気が付かない。
いや、そんなはずはない、マスコミの正義は汚されていない、というのが大多数の意見かもしれない。そう願いたい。(黄鶴)

114日 「初心と実践

(7 基礎資料 (2)各議員の選挙公報と当選後の本会議における一般質問項目 に移転しました)

113日 「初心と実践

選挙公報と、当選後の本会議での一般質問の対比につき、民主・元気ネットに属する議員については以下のとおりです。

(7 基礎資料 (2)各議員の選挙公報と当選後の本会議における一般質問項目 に移転しました)

112日 「水俣病60年」
1月9日の毎日新聞夕刊で、胎児性・小児性水俣病患者6人が60歳前後になり、「還暦を祝う集い」が水俣市の生活支援施設で行われたことを知った。タキシード、ドレス、振り袖、はかまの6人の写真を見ると、左から二人目に半永一光氏の姿があった。地元の新聞ならもっと詳しく書いてあるだろうと思い、熊本日日新聞のホームページを見ると、6人の写真とともに全員の名前が載っていた。そして、作家の柳田邦男氏がお祝いに訪れ、また作家の石牟礼道子氏が「みなさんの亡くなった両親や兄弟も今日ばかりは心和んでおられることでしょう。気高い心を分けていただき、私も一緒に生きていきたい」というメッセージを寄せた、とあった。
数年前のことだが、NHK・ETVの番組「花を奉る」で、パーキンソン病で不自由な体ながら作家としての仕事を続けている石牟礼さんが明水園(水俣病患者支援施設)を訪れ、三人の胎児性水俣病患者と会い、車いす四人でしばし語りあう場面があった。その中に、50歳代になって明水園で生活している半永さんがいた。半永さんのことを知ったのは桑原史成氏の写真である。寝転がっている半永少年と世話をする祖父が一緒に写っている写真など、今もはっきりと記憶に残っている。桑原氏の写真で半永少年の姿を記憶にとどめている人は多いと思う。
これもまたETVの番組の「石牟礼道子 近代を問う」(2015年1月放送)でのことだが、石牟礼さんは再び明水園を訪れ、半永さんと再会した。このときは半永さん一人への訪問だった。半永さんは石牟礼さんの『苦海浄土 わが水俣病』の江津野杢太郎少年のモデルで、番組では「杢は、こやつぁ、ものをいいきらんばってん、ひと一倍、魂の深か子でござす。耳だけが助かってほげとります。何でもききわけますと。ききわけはでくるが、自分が語るちゅうこたできまっせん」と祖父が語った箇所が朗読された。テレビを見ていて、半永さんの黒い目が印象的だった。深い黒の生き生きとした目をとても美しいと思った。番組を見た後、『苦海浄土』を読み返すと、杢太郎少年の目について書いている文章があった。「彼の眸(め)は泉のかげからのぞいている野ぶどうの粒のように、どこからでもぽっちりと光っていた」とあった。石牟礼さんにも半永さんの目は印象的だったのだ。
還暦祝いの記事をきっかけにして、久しぶりに『苦海浄土』を読んでいる。やはりすごい作品だと思う。自分たちが先に死んで、あとに残された杢太郎少年の将来を案じた祖父の天草弁での語りは胸を打つ。「罰かぶった話じゃあるが、じじばばより先に、杢の方に、はようお迎えの来てくれらしたほうが、ありがたかことでございます。…この子ば葬ってから、ひとつの穴に、わしどもが後から入って、抱いてやろうござるとばい。そげんじゃろうがな、あねさん」。こう語った祖父も、杢太郎少年が還暦まで生き穏やかに過ごしていることで、「心和んおられる」ことだろう。(ト・ケノン)

111日 「初心と実践
選挙公報に掲載された公約は、その議員の政治家としての基本的な思想と向こう4年間の活動目標を表わすものと見て間違いないでしょう。また本会議における一般質問は、議会活動において具体的に何に取り組んでいるか、その時点で何を問題と認識しているかを示すものでしょう。そしてこの両者を並べることは、政治家としての己が理想と現実の行動を対比させるものになりそうです。見方によっては選挙公報の虚実を浮かび上がらせることにもなりかねません。
この意味で、選挙公報と2015年の本会議における一般質問の標題を並べてみました。
なお、一般質問において、見え消し は、予定されていた項目が取り消されたもの、なし は、一般質問が行われなかったことを示します。
初日は公明党議員に関するものを掲げますが、公明党はほぼ共通した公約を掲げてあり、議会活動においては個々の議員による個人戦ではなく、各議員が全体の一部を受け持つ団体戦の観があります。(白雲:以下⑤まで担当)

(7 基礎資料 (2)各議員の選挙公報と当選後の本会議における一般質問項目 に移転しました)

 

110日 ぶろぐ日曜版 町かどの歴史「工兵上等兵殉難之碑
春は花咲き、初夏には天空に数多の鯉のぼりが泳ぐ芥川。今はのどかな場所だが、80年前ここで悲劇が起こっていた。川縁に立つ石碑の碑文を載録する。
陸軍工兵上等兵故北野小一郎君は、府下泉北郡南横山村父鬼に生る。資性温厚、事に従って熱の人なり。昭和9年1月選ばれて工兵第四大隊に入るや日夜軍務に精励し上下の信望を一身に集め隊中の模範たり。適(たまたま)昭和十年六月二十九日、関西地方は未曽有の豪雨の見舞うところとなり、夜来の雷雨沛然として各地に惨禍を流す。本町またその厄に遭い、各河川の氾濫、堤防の決壊、橋梁の流失、家屋の浸水等と危険の声巷に満ち、町民その色を失うに及び、工兵隊に援助を求む。君は升本中尉の率いる救援隊の中にあって、最も危急を告ぐる芥川阿久刀神社東岸に向かい防備の事に従い、決壊を免れずと見るや身を挺し己を忘れ敢然として楓樹に攀(よ)じて斧鉞(ふえつ:おの・まさかり)を加え尚も防衛の手を緩めざりしに、一瞬濁流ひときわ強く岸を噛み樹木もろとも激流の呑むところとなり遂にその職に殉ず。ああ、その行動の壮なる、まさに 軍人精神を発揮してのこすところなく、君の一死よく夥多の水禍を救い長く軍人の亀鑑としてその名は後昆に詒(のこ)るべし。高槻町民、深く君の死を悼み、有志相計り君が殉難の地に建つるにこの碑をもってし、地方人士をして永くその遺徳を仰慕せしめんことを画さる。今撰文の嘱に応ずるにあたり、当時を追懐して、転(うたた)感慨無量なるものあり。謹みてここに行跡の梗概を叙しもって誌となす。
昭和十年十月 高槻町長 磯村彌右衛門 撰書
発起人 芥川東部 芥川西部 磯村彌右衛門 桃井兼吉 中村八十次郎 上田清 河上敬藏 工兵第四大隊御用商人一同
なお、石碑の表面は「陸軍工兵上等兵 北野小一郎殉難之碑 工兵第四大隊長 陸軍工兵大佐 中島九平書」
*読解の便宜上、句読点を加え、一部は常用漢字または平かなに変換した。

109日 「議員に自覚ありや」
「3 説明責任の果たし方 …インターネットを利用した市民への説明状況 ( 2016.01.04更新)」を見ると、各議員の月間ブログ数に大きな開きがあるのが目に付く。吉田章浩議員、三井議員の、平均して1日1回以上という数字は驚異的だ。吉田忠則議員の月23回というのもすごい。どれだけすごいか。自分でやってみればわかる。私など暇な体なのに週1回のノルマも果たせない。頭が休憩状態で、まず問題意識がないし、あったとしても刹那的な感情だけで、文章にはならない。そこへいくと、このお三方は、市民に何かを伝えようという、その熱意からして見上げたものだ。
それにひきかえ、月間ひとケタとかゼロという議員は何だ。
一般に組織の上司というものは、部下社員・職員の人生の一時期を預かっている。たとえば50人の部下社員の2年間を無駄に終わらせた場合、延べ100人・年の無駄を発生させたことになり、人1人殺したに等しい。殺人罪だ。職場の上司はそういう覚悟で仕事に臨まねばならない。同様に、高槻市会議員は市民の現在と将来を預かっている。そこで市民の福祉向上に努める義務がある。然れども34人が連帯して35万市民の4年間を幸福から遠ざけるようなことがあれば、文字どおり、その罪は万死に値する。議員にそういう自覚ありやなしや。自覚があるとすれば、これこれしかじかの問題処理方法如何など当然日々思い悩むこともあろう。何故にそれが表に出ないのか、出そうとしないのか、不思議で仕方がない。
毎月のインターネット利用の状況を見て思うこと、以上のとおりである。(空)

108日 「アイ・アジア」
iAsia(アイ・アジア)というNPOがある。既存の大手メディアが人々の真に必要とする情報を提供しない(或いは、できない)状況の中で、公平な立場から真相に迫る調査報道機関として設立された非営利活動法人である(iAsia HPから)。安保法制やCOP21など国の内外の時事問題について、マスメディアに報道されない真実を扱っていて、その報道は極めて興味深い。
昨年12月11日付けの記事に、橋下前大阪市長の特別秘書についての報道がある。橋下氏の後援会会長の子息は大阪市の特別秘書として雇用されていたが、勤務の実態がないという理由で市民から給与返還を求める訴訟を起こされており、その裁判の模様が逐次報道されているが、その一つである。
記事によると、12月9日の裁判では同特別秘書の勤務実態が俎上に載ったようだ。「政治的役割」が任務と同特別秘書は言うが、その具体的内容についての原告代理人の質問には明確な答えがなかったこと、電話で連絡する秘書課職員の職名を知らなかったこと、休職の前後に引き継ぎはしていなかったことなどがそこで明らかになった。原告代理人は「大阪市の仕事ではなく維新の仕事をしていることが今回の尋問で明らかになった。そういう人物を市の税金で雇用するのは市民の常識からかけ離れている」としている。
特別秘書は橋下市長の退任とともに辞職しているが、裁判は今年も続く。どういう判決が出されるのか、興味深い。(黄鶴)

107日 「権力の傲慢さ」
この頃、民主主義を歪める力をあちこちで感じる。
少し古いが昨年12月21日、釧路市議会は共産党議員の質問を本年2月の議会広報に掲載しないことを決めた。検閲に等しいことだ。
事の次第はこうだ。北海道高校教員組合が「アベ政治を許さない」と書いたクリアファイルを組合員に配布した。その配布状況を、北海道教育委員会が札幌市立校以外の全公立校教職員を対象に調査した。そこで釧路市議会において共産党議員が調査の適不適についての認識を市教委に質問したのだが、広報委員会は当該質問については議会広報になじまないとして不掲載を決めた。そういう流れである。
考えてみよう。ファイルを組合員に配ったことは問題か。実は公立学校の教職員の場合、教育公務員特例法第18条に違反し懲戒対象となる行為である。その条項にいう。「公立学校の教育公務員の政治的行為の制限については、当分の間、地方公務員法第三十六条の規定にかかわらず、国家公務員の例による」と。ここで、「政治的行為」とは、たとえば特定の政党・内閣の支持または不支持を目的として児童生徒の親に教師の影響力を行使すること、賦課金、寄附金等の受領、公職の選挙での投票の勧誘運動、デモの企画、政治的目的を有する文書の発行・掲示・配布等である。アベ政治を許さないと書いたファイルの配布は、「政治的目的を有する文書」に該当すると私は考える。たとえ組合内部の話であっても、それは教育の中立性を犯すことになり問題である。どのような政治思想の主張があろうが自由ではないか、とは言えない。
であるにしても、道教委の調査について質問した事実を広報しないというのは、いただけない。ありのままを伝えて市民に考える材料を与えるのも広報の任務ではないか。特定の情報だけを流して市民の思想を偏らせるのは問題だ。
もう一つ思う。かつて純な子どもを戦争色に染め、生徒を戦争に送った教師の悔恨はいかばかりだったか。その反省は今でも教育の世界に語り継がれているはずだ。子どもを戦争に送り出したくないという自然な思いを基礎に置く行為は、あって当然ではないか。刃を握らせて人を殺せと教えることが正しいことか。(黄鶴)

106日 「1人当りGDPダウンを嘆くN君へのメール」
国民1人当たりGDPが世界第27位に落ちた、30位には韓国が!…ああ、日本は普通の国になった、と、嘆くN君へ。これについていろいろ言いたいことがある。長くなるかも。
たしかに、日本はここ20年というもの足踏みをしている。足踏みをしている間に、どんどん他の国に追いつかれ、追い越されている。まあ、一つには国際比較がドル表示で、今は円安だからドル表示では低くなる。そして、上位には小さい国が多く、そんな国では少ない人口を分母にし、生産性の高い産業の産出額を分子にするから、1人当たりでは高くなる。けれども…。
けれども、そんなことじゃないね。もっと本質的な問題がある。このように日本が停滞している原因は何か。産業政策の失敗だと思う。他の国に優るような、日本でなければできないことが、最近はなくなった。昔のトランジスタラジオのように世界を席巻するモノが今はない。水準の低いモノ作りは後進国に移転してしまい、それに替わる新しい産業がないから、日本には失業者が増えた。特に若者の。或いは、同じことをやろうとすると、他国の安い賃金と競争しなければならないから、どうしても給与は切られる。
従来の産業にしがみつく、そこが間違いだ。アベノミクスで成長の矢と喧伝されて、何が出てくるのかと思えば、めぼしいものはなく各省庁の細かい施策のオンパレード。たとえば、建設分野における外国人材の活用、NISA口座、クールジャパン官民連携プラットフォームの設立、未来投資に向けた官民対話…。これらは政策立案の準備段階にありますよと白状しているようなもの。要するに何もないのだ。がっかりした。 炭素繊維で成功しているように、素材産業など、日本独自の産業を育成して国際競争力を高める具体的な努力をすればいいのに、その努力が足りない。従来型産業ならば生産システム改善により飛躍的に生産性を高める努力、それがない。日本周辺の海底に眠るメタンハイドレートの開発を進めれば日本もエネルギー供給国になれるのに、その作業を急ごうともしていない。 1人3万円のばらまきなど愚の骨頂。
ここからは私の勝手な想像だよ。思うに、ここにはアメリカの圧力があるんじゃなかろうか。日本がアメリカよりも強くなっては困る。何かにつけて。だから、産業や防衛力の、日本の伸びる芽を摘もうとしている。アメリカの言うことを聞く人間を総理に据え、そうじゃない人間は、田中角栄さんのように、罠にはめて叩き潰す。
かといって、日本が弱くなりすぎるのも困る。ほどほどに強くて、集団的自衛権も具えてくれて、アメリカの手先になって働いてアメリカ人の代わりに死んでくれないと困る。また日韓の関係が壊れるのも困る。だから慰安婦問題も早めに解決させる。全てがアメリカの掌の上のできごと。私には、そう思えて仕方がないのだよ。
ただ、そこは日本がどんな立ち位置を選ぶかと言う話。分をわきまえ、どこかの国の陰に立って目立たないながらもほどほどの生活を送りたいと日本人全体が思うなら、それでよし。だけど、豊かな平和国家として第三極を占めたいなら、別のやり方もあろう。
話が飛躍したかも。ともかく、日本には新しい時代を開く努力が必要。それは国レベルだけじゃなく、地方レベルでも考えるべきことじゃなかろうか。いつかも言ったような気がするけど、江戸時代の各藩は産業開発に力を注いでいる。幕府頼りじゃなくて独力で。地方創生なんて何百年も前に実行されている話だ。山陰には製鉄業があり上州には絹織物、丹後にも縮緬、久留米に絣、阿波に藍。幕末に蒸気船を造った藩もあったね。そんな産業政策の前に、各藩で人を作る教育熱もあったけど。
それと同じ努力を、今やるべきじゃなかろうか。今は先人の遺産の上に胡坐をかき、中央政府を頼っているだけだ。力強い産業振興を柱にして、福祉政策も展開していく、そんな地方のデザインが求められている時代だと思うんだ。どう? (黄鶴)

105日 「市会議員のパフォーマンス」
12月議会までの議員の質疑・質問数をまとめ、既に「1 市議会という舞台で」にアップしておきました。ただし、12月の常任委員会での質疑数については、まだ議事録が公開されていませんので、ここには含んでいません。今回の調査で、質疑・質問ゼロの議員は1名に減りました。
ところで、議員の仕事は市民の声を議会に届けることです。ある議員に投票した市民の声は、その議員の発言数に応じて議会に響くことになります。何かを信じてある議員に投票しても、その議員があまり発言してくれなかったら、投票した市民は市政に参画したとは言い難いことになります。発言回数が多ければ、市民の声はより頻繁に議会に届きます。この状況は、失礼な表現ですが、市民にとっての議員の利用価値ともいえましょう。この際、声の質は別問題とします。
そこで、各議員の選挙時の得票数に質疑・質問回数を乗じた数字を、議員毎に棒グラフで示してみました。ちなみに、この総計が35万を超えた時、全市民の声が1回、議会に届いた計算になります。現在、661,318票・件です。(白雲)

104  「今年も」
市民社会には暗黙の規則がある。ある人の才能の有無、性格、貧富、美醜、障害の状態などの属性について、人に優れないことは、誰も面と向かってはそれを口にすることはない。何か言うにしても将来に向けて希望を持たせる表現をとる。ウソも方便だ。それは社会生活を円滑に進めるために当然必要な配慮であり、他者への思いやりでもある。
しかし、こと政治の世界にウソ偽りがあれば、これは断じて容赦すべきではない。政治の虚構、ミスリード、或いは議会の懈怠…、そんな類は許せない。市議会・市政、府議会・府政、どの次元であれ、許せない。
梁塵秘抄にある。「鈴は亮(さや)振る藤太巫女、目より上にぞ鈴は振る、ゆらゆらと振り上げて、目より下にて鈴振れば、懈怠なりとて、神腹立ちたまふ」《414》
税のムダ遣い、議員の怠慢、市政に関する議論の方向の誤り、そういうものに厳しい目を向けながら、今年も過ごしていきたい。(黄鶴)

1226日 「自民・おおさか維新の二人連れ」
失恋の日記のようだと友人は揶揄するが、ここに記録しておくのも悪くはない。時の経過とともに、いろんなメディアに露わになってくることもあるのだ。
繰り返しになるが、あの、11月22日、語呂合わせで「いい夫婦」の日の大阪府知事選のことだ。自然の民意によってではなく、自民党の組織的な活動によっておおさか維新府知事が誕生した。これに関し、やるせないものが幾つかある。
自民の少数と公明党の大半の票か、あるいは自民の多数と公明党の半数の票か、それは分からない。しかし共産党の票を加えても府議選の自民得票数に届かないことからわかるように、大阪府知事選においてはまとまった票が自民から対立候補に流れ、おおさか維新候補の圧勝という結果になった。そこに自民党中央の意思が透けて見える。石破氏ほか幹部を送り込んでの応援も白々しい。選挙を形骸化させ、捻じ曲げ、自らの意思を実現させてそれに民意という仮面をかぶらせたことは、昨年7月の閣議決定で集団的自衛権行使容認という憲法解釈変更を行ったことの強引さにつながる。
それはおかしいと言う人は自民党内にはいないのか。確かに、権力にすり寄れば利と名誉が得られる。異を唱えれば政治家としての地位を失う。日本の将来よりも現在の自分の地位が大事なのだろう。
そして、自民党の地方組織とそれに連なる人々は、そのことの歴史的な意味を考えているのかいないのか、中央の決定に盲従する。そして、すべての人々の将来を巻き込みながら破滅の縁に向かって突き進んでいく。それは昭和史の、いつかのページに似ていないか。
自民中央は、いい。教育その他のおおさか維新府政の弊害を受けないから。憲法改正に必要な議員数など、メリットだけを享受する。その構図は、中国からさまざまな迷惑を受けている日本とAIIBに参加して経済的な利益を中国から受けるヨーロッパ各国に似ている。
いい夫婦・・・それは自民とおおさか維新の二人連れだったのか。間違った歴史を刻みつつ、かくて今年も暮れていく。(黄鶴)

ブログは12月27日~1月3日の間、休みます。(管理人)

12月25日 「9月議会2日目」
9月議会の議事録が公開された。
どの組織でもそうだが、積極的に動いて組織を支え果実を生む人がいる一方で、組織の動きに付いて行くだけの人がいる。申すまでもなく、前者の割合が多いほど組織は強い。
高槻市議会はどうか。質問者の数から、何らかの形容ができるかもしれない。
9月議会の2日目。決算や補正予算、条例案が議題に挙げられ、それらはすべて委員会に付託されていたが、付託の前に本会議でいくつか問題点が指摘されている。これらの質疑に立った議員は13人。質疑件数は22件。北岡・高木両議員が4件、川口議員が3件、強田議員が2件、宮本・太田・中村・岡・山口・出町・笹内・宮田・吉田章浩議員が各1件だった。新人議員は女性の出町議員だけ。おい、どうした若手男性議員!と声をかけたくもなる。
質疑のやりとりは、なかなか見応え(読みごたえ)のあるものもあった。生活保護の基準を国が引き下げた影響を市が緩和すべきと訴える宮本議員、子宮頸がんワクチンの遅発性副反応の危険性を指摘し、ふるさと納税制度の得失を説き、下水道料金の不正徴収について追及するなどの高木議員、バス職員の年齢構成を明らかにしたうえで人的な面から安全を担保すべきと指摘する川口議員、入院中の食費給付について、削減は子育て支援の観点から疑問ありとする山口議員、ほか、いちいち書き上げられないが、種々の問題点を指摘して市政を糺して行こうという熱意は読み取れる。また、北岡議員も有功者会への公費による食事代支払、活動のない特別顧問の存在などに疑問を表明するなどの質疑があった。有功者会については確かにそうだ。元議員が集まる会に食事の提供など時代錯誤だ。
こうして質疑を通じて市政の姿が明らかになっていく。市民にとっては有難いことである。さらなる健闘を願いたい。(黄鶴)

1224日 「府議選・府知事選の分析  維新府知事 made by  ?
(2) 地域差の原因
区・市ごとに府知事選の候補者別得票数をそれぞれの府議選党派別得票数と比べてみたとき、その比率が区・市町ごとに違う。それは地域の特性ともいうべき自然の風だろうか。何かの要因に基づく法則的なものだろうか。幾つかの観点から検討した。
① 投票率との関係
知事選投票率は大阪市浪速区の37.6%から阿倍野区の58.3%まで大きなばらつきがあるが、投票率が高い区・市は各候補者の票も伸びているということは言えない。図3のとおり、両者には相関はない。
図3投票率と得票の伸びの関係

② 府議選から知事選への投票率の伸び
区・市別に府議選と知事選の投票率を比較した。大阪市内は知事選の投票率が伸びているが堺市内は低下している。大阪府全体では大差がない。
図4投票率の比較

なお、投票率の増減が維新の得票数に影響しているか否かについては、図5のように、府議選に比べて府知事選で投票率が上がっても下がっても維新候補の得票数に影響はない。
図5投票率の変化と維新得票数の関係


③ 各政党の影響
共産党は自民候補の支援を明らかにしているので、ここで検討するまでもない。図2で、公明党府議選出区・市(大阪市大正・西成・淀川・東淀川・住吉・平野区、岸和田市、吹田市、豊中市、高槻市、枚方市、茨木市、八尾市、寝屋川市、大東市・四条畷市、東大阪市)をみると、維新の知事候補の得票数が高い伸びを示すと同時に自民候補の得票数も府議選結果からの減少が緩やかである。
また府議選において無所属候補が存在した選挙区では、知事選における維新候補の得票数がやや多い傾向がある。ただし、当該選挙区では自民候補がなかったため自民知事候補の得票数への影響はわからない。
④ 衆議院選挙区との関係
図2の区・市を、衆議院選挙区の1区から19区までに整理し、それぞれの小選挙区の自民党衆院議員の有無との関係を見ると、衆院議員が選出されている選挙区では自民候補の得票数の伸び率が抑制される傾向がみられた。4区・9区・2区はその傾向が特に大きい。それぞれ自民大阪府連会長・副会長の選挙区である。
図7小選挙区別にみた各候補の得票伸び率

ちなみに、公明党府議の選出のない区・市における両候補得票伸び率の相互の関係を見ると、図8のように、大阪市内では維新候補の得票の伸びが大きくなるにつれて自民候補は伸びが抑えられている。経済学にいうパレート最適の状態である。一方、府下各市ではこのような関係はない。

図8両候補の得票伸び率の相互関係

4 分析のまとめ
以上を総合すると、次のとおりである。知事選における自民候補の得票数は、多くの区・市で府議選自民及び共産候補の得票数に満たず、その欠けた分プラスαが維新候補に流れている。そのことは大阪市内の自民大阪府連会長・副会長選出の選挙区で鮮明に現われている。

5 所感
少なからぬ府民が、選挙とは公正なシステムであると信じて投票したのであるが、実態は、自民党の組織的活動(区・市ごとの濃淡はあるが)によってもたらされた維新府知事である可能性が浮かび上がった。こうした組織の事前の動きが「ダブルスコア」という選挙情勢を早くから伝えさせることになったのであろう。決して自発的な維新旋風の再来ではない。そして、いわゆる都構想の住民投票も、あるいは同じ動きがあったのかもしれない。そう考えると、「意外な結果」と自民党幹部が口にしたことにも納得がいく。選挙という仮面をかぶった大きな黒いものは維新府政を作ったが、これはまだ次の大きなものの序曲なのだろう。
(データ処理:白雲、文:黄鶴)

1222日 「府議選・府知事選の分析

1 はじめに
府知事・大阪市長ダブル選挙が終わって1カ月になった。今頃、というそしりを受けることは承知のうえで、あの府知事選挙で何が起こったかを振り返ってみたい。
本年4月、統一地方選が行われた。これは5月に予定されていた大阪都構想に関する住民投票と11月のダブル選挙の行方を占うものでもあった。
府議選の結果、大阪維新の会(以下「維新」という)は議席数において第1党を堅持したものの過半数には達せず、得票数においても過半数には遠く及ばないものであった。
この府議選における各党得票数が不動のものであるならば、そして維新対非維新の構図のもとに投票が進んだならば、都構想に関する住民投票は大差で否決されるはずのところが、結果は僅差による否決となった。また府知事選の中では各党が持っていたはずの票数はさらに大きく変動し、維新の圧勝となった。
どこで何があったのだろうか。その疑問を解明するために分析を始めた。

2 府議選の分析
図1 府議選各党得票数(付:知事選の得票数)

府議選における各党派別得票数を、維新対非維新に2分して示すと、上の図1のとおりである。この時点では、大阪府全体で維新127万票対非維新182万票という構図であった。また図1ではこの票数が知事選でどのように変化したかを併せて示した。なお、投票率は府議選45.2%、知事選45.5%であった。

3 知事選の得票数の分析
(1) 地域による細分
府知事選の各候補の得票数が府議選と比べてどう違うのかは図1によって明らかであるが、これをさらに大阪市各区及び府下各市(以下本稿では「各区・市」という)別に調べてみた。図2は各区・市において府知事選各候補の得票数が府議選における各党の得票数からどれだけ伸びたかを示す。ただし、自民候補の票数の伸び率については、府知事選では共産党が自党候補を立てず自民候補を支援する姿勢を打ち出したことから、府議選における自民党候補と共産党候補の合計得票数をベースにして、府知事選得票数がこのベースからどれだけ伸びたかを示した。この図から、維新は、大阪市内においては、平均して150%程度、つまり府議選よりも1.5倍の獲得票があったことがうかがえる。ただし、地域差がある。堺市ではやや伸び率は低く、府下各市町では地域差が大きい。自民候補は、ほとんどの区・市でベースを上回ることができず、府議選自民獲得票数すら下回っている市もある。ここでも、伸び率に地域差が見られる。なお、図2において、府議選の候補がいなかった場合は知事選における得票の伸びが測定できないのでゼロ表示の区・市もある。
地域差は、なぜ生じるのだろうか。それが次の疑問である。(続く)
図2 得票数の伸び 府議選と知事選

1221日 「12月議会一般質問
御島媼「さて、総じて、どうじゃな?」
かえで「高槻は来年度のふるさと納税制度で1千万円の収入を見込むとか、マイナンバーの配達が遅れていて来年1月からの制度開始に間に合わないとか、マイナンバー返送が先週末時点で1万通あったとか」
御島媼「ほぉ」
かえで「議員の質問と答弁からそんな情報が耳に入るのも、傍聴に行けばこそ、だわね」
御島媼「そうそう。されど問題じゃなぁ、マイナンバーは」
かえで「マイナンバー専任部署の10人に加えて他の課の30人が、休日も出勤してて大変なんだって」
御島媼「市役所の大変さよりも、市民の情報流出が、それがいつ現実のものになるか…」
かえで「心配だわね。そういうこともあるけど、今の議会はねぇ…」
御島媼「おや、また険しい顔になった」
かえで「質問は市の部長に受け流されてそれでおしまい。議員もそれを当然のこととしているみたい。市のおざなりの答弁を打ち破る論理構成が質問の中にないのよ。市長と議員の論争を見てみたいものよ。一般質問で市長が答弁に立つ場面…」
御島媼「ないこともないよ」
かえで「私、知らない」
御島媼「昨年は6月議会で維新、市民連合、公明党の議員に対して、12月議会で公明、自民党の議員に対して、答弁があったぞよ」
かえで「そうだった?」
御島媼「短いから記憶にないのかもな」
かえで「お役所言葉の羅列だしね。心に響かない」
御島媼「それより、何か言いたそうじゃが」
かえで「これを言いたいの。今の議会はね、市政を糺そうという気概もない、力もない。そういう現状を変えようとする気力もない。自分が議員であることで満足しちゃってるみたい。選挙さえ済めば何もしなくても4年間安泰だものね。だから議会への魅力もない」
御島媼「ないないづくし、じゃな」
かえで「チェックのない市政は惰性に流れ、自省を欠き、その結果、幸福から遠ざけられる市民もでてくる。そのことを議員は自覚しているのか、と襟首をつかんで言いたいのよ」
御島媼「珍しく、長口舌じゃな。ほほほ」
かえで「笑わないでよ!真剣なんだから。それから議会のありかたとか検討委員会がかつてあったけど、どれだけ実ったのかしら。遠い市に見学に行ったりしても成果もないし」
御島媼「市民のほとんどが興味を示さない話じゃな」
かえで「はぁ…。ため息が出るわ。次、3月だわね。次は傍聴に行く?」
御島媼「さあ、面白そうな質問でも通告されていれば、な」
かえで「じゃ、よいお年を」
御島媼「そなたもな。新春をことほぎせむ。 」

1220日 「ブログ日曜版 高槻災害史 慶応4年の水害
堤防の修築工事が終わった翌年の明治2年2月14日、三島鴨神社に村役が集まって荒れ地の復興を神に祈り、地割について協議した。従来の水路幅では水はけが悪いので幅を広げることと区画を変えて水田を11に分割することにつき藩の許可を得て、縄張りをして元の畦とは別の区画割りをして、積もった土砂を取り除ける作業を開始した。そうして6月までには13町余の水田が出来上り、苗を植えた。翌年には20町にしようと困窮の農民が寝食を忘れて力を尽くした結果、明治3年6月に400石に相当する田に植え付けすることができた。
その年の夏はイネの生育も良く、秋になって採りいれをを待つばかりの頃、10月12日に集中豪雨が発生、淀川の水位は4.5mとなった。そして芥川川尻の芝生村で堤防が決壊、淀川からの強い逆流により唐崎村西田堤が切れた。またもや農作物は水底に沈み、農民は呆然として言葉を失った。
しかし短時日で水が引いたので田に出てみると、幸いにも6~7割の収穫量が見込まれた。全員がほっとしたのは言うまでもない。その後も村中の住人が心を一つにして砂礫の排除作業を続けた。明治3年11月には芥川の川底を伏せ越し(*)にする石樋をみんなで作り、明治4年1月には伏せ越しの工事を行った。そのとき水路の高さを旧来より60㎝余り高くして開田を進めた。
明治5年4月、ついに開田完工。絵図面を改正して後世に伝えることとした。この時にできた砂山は197にのぼったが、村では順次砂山を減らすことに努め、明治17年ごろ、ようやく現在の姿になった。
(*伏せ越し:水路の行く手に別の川などの障害物が横たわっているとき、一度その下をくぐり、障害物の向こうで再び水路を地上に出す工法。)
以上は三箇牧小学校近くの水路脇にある説明板の記事を、現代語訳して、若干の説明も付けたものである。振り返ると、1802年、1868年、1885年、1917年、1953年というふうに、高槻市域ではここ200年で5回の水害の歴史がある。その間隔は最短で17年、最長で66年であり、1953年から今年まで62年を経過している。そろそろ、とは思いたくないが…。(黄鶴)

1219日 「12月議会一般質問
かえで「具体的に印象に残ったこと?その前にね、ネット中継があるせいか、なんとなく緊張感があった」
御島媼「撮られていると思えば、な。そうかも」
かえで「9月議会の議事録公開がまだなのよね。だから9月議会の記録情報より12月議会のネット情報の方が先になるのかもね」
御島媼「議案審議は、既にそうなったぞよ。議事録は周回遅れのランナーじゃ」
かえで「そうね・・・。それでね、特に印象に残った話は、まず健康保険の話ね。国民健康保険、略して国保」
御島媼「健康保険が、どうなるの」
かえで「高槻市でやっていた健康保険事務を大阪府全体でやるんだって」
御島媼「はぁ。何のために?それによってどうなる?」
かえで「私も目的がよくわからないけど、宮本議員の質問の中で高槻市は1人当たり3,803円の負担増になり、逆に大阪市では1人当たり8,831円の負担減になるとか。大阪市など苦しい所を他の市町が助けるような構図みたいね」
御島媼「う~ん」
かえで「それに、減免制度もなくなる方向とか」
御島媼「痛みが大きくなりそう」
かえで「そう。はたして国保の広域化というのが正しい政策なのか、わたし、問題意識をかきたてられた」
御島媼「ふむ。傍聴の甲斐があった」
かえで「だけどね、だいじょうぶかしら。過剰な投薬・診療がないかというレセプトの審査が適正にできるのか…、遠い病院の内情も知らないままに、とかね、全体のパイが大きいから大丈夫だろうと安易に保険に頼るとか、赤字が増大することにならないかしら」
御島媼「府全体で均等に支え合うより、今の赤字の原因にメスを入れるのが先でしょ…と言いたいのじゃな」
かえで「そう。それから高木議員の質問を聞いて初めて知ったけど、この10年間で市の正規職員は700人減って、逆に非正規職員は700人増えているんだって」
御島媼「職員総数は同じ、じゃな」
かえで「質問を聞いていてね、労働環境が悪化することのないように、という高木議員の願いが伝わってきたのよ。じ~んと来た」
御島媼「博愛衆に及ぼすか、己だけを愛するか、その違いが本物の議員かどうかの分かれ目じゃな。思いをちゃんと表してくれる議員は、市民にとって有難い存在じゃ」
かえで「そう。果敢に行動することによってのみ、政治家の思いは市民に伝わるって、よくわかった」
御島媼「ほかには、何か?」
かえで「川口議員が、犬猫の殺処分について質問してたけど、市議会の一般質問としては珍しいテーマじゃない?」
御島媼「そうじゃなぁ。犬猫よりも人間が大事と思いがちではあるが、生き物の命を大事にするってことは、豊かな社会を作るための一つの要素ではござらぬかな」(続)

1218日 「12月議会一般質問
御島媼「おや、いかが致した?柳眉を逆立てて…」
かえで「あれを見て怒らない人、いるのかな」
御島媼「まあまあ、そなたにいとどつきづきしきものは微笑みじゃぞ」
かえで「ほほえみ?無理!当分、ムリ!」
御島媼「市議会はどうじゃった?」
かえで「ママ、行かなくてよかったわよ。あれはひどい!」
御島媼「どう、ひどい?」
かえで「発言することだけが目的みたい。中身がない。」
御島媼「ほぉ」
かえで「一般質問というのは、市政全般について、世相から見て今の問題となっていることをテーマに取り上げ、議論する場というか機会というか、そういうものだと思うの」
御島媼「うむ」
かえで「ところが、議員が何を問題として意識しているのか、質問から見えてこない」
御島媼「そぉ?」
かえで「もっとはっきり言うと、問題意識がない」
御島媼「それは困る」
かえで「これが問題だとおっしゃる話も、切実さが伝わって来なかったり、議員の意識の中にだけあって客観的には存在しない話だったり」
御島媼「たとえば?」
かえで「それを言うと個人攻撃になるから、やめておくけど」
御島媼「他に先んじて危機を唱える人を先駆者という。そういうことなら有難いのじゃがな。ま、いずれネット中継でわかるわ。全員そうか?」
かえで「ところがね、時々目の覚めるような発言をする人もいるのよ。ほっとする。こういう人が議会に対する市民の期待を繋ぎ止めるのよね」
御島媼「そういうときは、行って良かったと思うわなぁ」
かえで「うん。そういう人のおかげで、8~9割の無駄な時間も我慢していられる。よいしょする質問じゃなくて、文字どおり市政を糺す質問ね。準備も大変だったでしょうけど、市民のためになってる」
御島媼「それは…?」
かえで「まず、高木議員、宮本議員、中村議員」
御島媼「ほかには?」
かえで「他にも、吉田稔弘議員とか、うん、なるほどと肯ける人もいたけどね。だけど質問者が多くて時間を圧縮されていたのか、皆さん早口で書いたものを読むから、聞きづらくて」
御島媼「そうか」
かえで「それと、相変わらず質問しない議員がいるのね。何のために議員になったのか、何もしないでも議員報酬を…、年間1千万円もよ!…もらえるって、ホントに腹が立つ」
御島媼「市議会のホームページで見ると、北岡委員の質問予定に『議員や監査委員の除斥について』というのがあって、議員や、の3文字が見え消しで消されているわな。それと関係あったのかも」
かえで「市民感覚としては、仕事をしない議員は不要だわね」
御島媼「手厳しいのぉ」
かえで「もう一つ。市側の答弁はいつも味がないわね」
御島媼「ふふ、想像できるぞよ」
かえで「『動向を注視しながら適切に対処して参ります』、『関係法令に従って…』とかね」
御島媼「長い質問に対し、答えが15秒で終わる」
かえで「あ、そうそう。教育委員会の答弁には重みを感じることもある。だけどね、質問をきっかけに市の方針が変わるとか、市の答弁の中に問題を解決する答を見出すとか、それは今は期待できないけど、議員が何を問題にしているか、どう訴えているか、それがどのように市民を助けているか、そういうものを見ることによって議員の判定をする、傍聴とはそういう機会なんだと思ったわ」
御島媼「ふむふむ」
かえで「ネットでスポット的に一人の議員の発言を聞くのも悪くないけど、議場でいろんな質問を聞き比べるのが一番だわね」
御島媼「そうじゃろうなぁ。ところで、特に印象に残った具体的な話は?」
(続く)

1216日 「議会のネット中継開始」
これでは too late too small ではないか。
高槻市でも議会のネット中継が開始された。高木議員のブログなどで12月議会から開始されるとの情報には接していたが、市議会のHPにもそれらしい予告は発見できず、いきなりという感じでそれは始まった。
ただ、中継は本会議だけである。それも2週間遅れでの配信だ。大阪市や府内の他の市に比べて、物足りない印象はぬぐえない。改善を要する、もどかしい点もある。次の点を注文したい。
その注文の1。常任委員会の中継も行うべきである。なぜか。議事録を読むと、本会議よりも常任委員会の方が議論が活発で、市民の声がじかに届いている。過去の経緯に関するベテラン議員の解説もあったりして、市民にも有益である。
注文の2。一般質問については議員ごとの検索が可能になっているが、議案の質疑については、その議案審議の初めから見ないと、誰がどのような質疑を行っているのか、わからない。2週間遅れで配信するなら編集の余裕もあろう。議案の案内のついでに質疑者も付記したらどうか。そうすると、支持者にとっても議員の活躍状況がよくわかる。紙メディアにはある一覧機能を、画像メディアに付与する手助けにもなる。
注文の3(全編を視聴しないままの発言であり解決済みならお許しを)。いまは発言者だけの画像になっているが、会議場全体を見渡すシーンもほしい。そうすると傍聴に行ったような臨場感が出てくる。木を見て森を見ずという不満もなくなる。居眠りとか席を外すとかができなくなって、困る議員があるかもしれないが。
今日、明日の一般質問は24人の議員によって行われるが、ここまで人数の増えたのはネット中継の効果だろうか。画面に顔が出なければ、議員は存在を主張できない。影が薄くなる。ともあれ、不満は残るが、ネット中継は悪いことではない。(黄鶴)

1215日 「政党支持率」
NHKは政治意識月例調査を行っており、電話調査による内閣支持率や政党支持率の集計結果を毎月発表しています。
このデータのうち、統一地方選挙のあった今年の4月、安保関連法案の取扱いに対する批判が激しかった8月、そして現在の政党支持率の変化を覗いてみると、次のグラフのとおりでした。安保法制云々の批判はあったものの、それは一時的な揺らぎでしかなく、自民1強体制に大きな変化はありません。「国民は餅を食ったら忘れる」と誰かがうそぶいた記憶がありますが、そのとおりになるのでしょうか。
もう一つ、昨年12月の各政党支持率と、その時期の衆院選挙の各党当選者数を並べてみました。そして、支持率1%が何人の当選者数に相当するのか、調べてみました。その結果は、各党によってずいぶん違います。選挙システムの影響、各党の戦術の影響がここに現われているのでしょうか。どうぞ、解釈はご自由に。(白雲)

1214日 「COP21の虚飾」
灰白色に濁った空気の下に、うっすらと横一線の海岸が見えた。やはり大陸。日本とは地形が違うと感じた。やがて飛行機は旋回し、機種を北に向ける。浦東国際空港に近づいているのだろう。眼下に、別荘のような大きな建物が散在する。高度を下げるにつれて屋根は赤い色だと見えてくる。上空からは豪華な建物に見える。それぞれが広い敷地を持つ。しかし、車の出入りもなく庭やベランダに花もなく、人が住んでいる様子がない。上海を訪れる外国人に中国の国力を見せようという特殊目的のための家屋のようだ。ただ、大気汚染が同席しているのでは飾り立てた意味もない。…以上は、数年前上海を訪れた時の印象である。
その中国が、COP21に参加した。そして案の定、大気汚染改善のためのゼスチャーだけを残し、終わった。
18年前の京都議定書。先進国だけに温室効果ガスの削減が義務づけられた。中国は途上国であるという理由でこの義務から脱した。そして18年、環境に顧慮することなく経済成長を続け、GDPは約8兆人民元から約69兆人民元に、8.7倍の規模にまで膨れ上がった。今の北京の大気汚染がどのくらいのものか、国民が如何に困惑しているか、先日来の報道のとおりだ。
自国民に対してすら大気汚染について何の配慮も払わない国が、他国人からなる世界に対して貢献するはずもない。個人として優しい人も多いが、基本的に、困っている他人を助けない民族でもある。今回の協定案では各国が自主的に削減目標を定めるが、その達成義務はない。「中国は国内の状況や能力に応じて国際的な責任を果たしていく」と言う中国代表の言葉を翻訳すると、「当分の間、何もしない」という意味になる。大気汚染防止のための技術や経済力がないわけではないが、経済成長に専念し、その果実を軍備など覇権のための諸施策にあてると言っているに等しい。国際会議では、他国向けに、あるいは自国国内向けに虚飾に満ちた表現による文書が採択されることがあるが、これはその最たるものだ。
国の状況の如何を問わず具体的な目標を定め、速やかに実行に移すこと、今はそれが必要な時代だ。危機が迫っているどころか、太平洋の島しょ国が海に没し、中国内陸部の砂漠化が進行する、今はその最中であるというのに、なんとのんびりした会議だったことか。(黄鶴)

1213日 「ぶろぐ日曜版 高槻災害史 慶応4年の水害 
実を言うと、このぶろぐ日曜版の災害史は、人気の無さは一番なのである。日曜日はこのHPを訪問してくださる人が少ないし、のんびりしたい日曜日に暗い災害の話なんか読みたくない…のかもしれない。が、われらがご先祖様の苦闘の跡でもあるし、始めたものを途中でやめるのも口惜しいので、最後まで続けよう。
さて、慶応4年7月2日に決壊した淀川の堤防は、8月25日になって改修工事が始まったものの9月3日の洪水によって工事途中の仮堤防など一切が流されてしまったのだが、一同は気を取り直し、9月12日、工事を再開した。
三島江村付近の決壊個所は長さ約430mに及んだが、それを北・南・中に区切り、それぞれに500人ずつの作業員、100隻ずつの舟を宛て、工事を急いだ。しかし、何分にも水勢は強い。工事は難行した。9月が過ぎ、10月23日には慶応は明治に改元されたが、工事現場には何も変わったことはなかった。
10月26日、南部の水止めが成功した。作業員は直ちに北部と中部の加勢に回った。そして工事に死力を尽くすが、そこは淀川一番の難所。杭打ちも土砂投入もうまく行かない。そこで大阪八軒屋の石垣を取り払い、その数万個の石をもって対処することとなった。総督は現場に寝所を設けて詰めきりとなり、三箇牧役人も昼夜となく現場に詰めた。
11月9日、夜間も工事を行うこととなった。そして艱難辛苦の末、12月4日に決壊個所から流れ込む水流を完全に止めた。その後せき止めた場所に土砂を積み上げて堤防とし、水線下もなお堅固に補強するなどの作業があり、12月8日まで誰も現場を離れることなく、工事に精を出した。
12月9日早朝、総督は大阪に引き上げた。庄屋も初めて現場を離れ、生き返った心地で田畑を見渡したが、一円に土砂が流入して厚い所は1.8mにも及び、耕作土はまったく見えていない状況だった。水は止めたが、そこは田畑ではなく川原になっていた。さてどうしたものか。(続)(黄鶴)

1212日 「一般質問と得票数」
高槻市議会・12月議会の一般質問予定が市のHPにアップされています。
来週16~17日に行われる一般質問では、34人中24人が質問に立ちます。最近では珍しく、20人を越えています。答弁する市の方も大変とは思いますが、議論が活発に行われるのは結構なことです。
質問者24人の得票数を計算しますと、80,085票(1人平均3,337票)です。これは選挙当日の有権者数285,555人の約28%、投票者137,075人の58%に当たります。このことによって、有権者の28%の声が、投票者の過半数の声が、12月議会の一般質問で議会に届けられることになったと言えるでしょう。逆に今回は質問をしない10人の議員の得票数合計は41,465票(1人平均4,147票:ただし得票が格段に多かった木本祐議員を除けば1人平均3,154票)です。ただ、この10人の議員はいずれかの会派に所属しており、同じ会派の誰かが質問を予定しています。本人の選挙公約と質問予定議員の質問テーマを照らし合わせてみますと、両者の間には大なり小なり関係が認められますので、同じ会派の誰かに意見を託したと言えるかもしれません(実際に質問を傍聴して確認しないとわかりませんが)。(白雲)

1211日 「技術立国へ」
飛行機がロシア上空からポーランドを経てドイツ上空にさしかかる頃、下界は荒涼たる平原から次第に耕地らしくなり、やがて森と整然とした畑地に変わる。その頃には飛行機はフランクフルトに向けて高度を下げ始め、黒い森の間に畑が広がり、畑の中に教会を中心とした赤い屋根の集落があるのがはっきりと見えてくる。また都会には工場らしい大きな建物も見える。農業と工業の見事なバランスが上空から見える国、これがドイツである。
対して、我が日本はどうか。農業後継者はなく田畑は耕作放棄され、食料自給率は39%というみじめな姿である。潜在的な生産力を加味した食料自給力ですら、栄養バランスを考えたパターンでは一人一日1,478Kcalで、必要とされる2,146Kcalの69%しか生産できない国なのである。また、何を買おうとしても日本製を目にするのは希で、安いが品質に難のある中国製ばかりが目につく。日本は既に、モノ作りの国でもなくなっている。
日本はどこに行こうとしているのか。そんな心配をさらに深めるように、低所得の高齢者に一人3万円の臨時給付金を出そうとしている。総経費は3,400億円。消費増税で生活が苦しくなる層への給付金の前倒しらしい。しかし、このようなばらまきに何の社会的意義があろうか。老人の懐に入った金が新たな消費喚起になるか。それは疑問である。日常生活で雲散霧消するのは目に見えている。年齢的な制約による年金生活者の行動能力からみて、日常生活を越える分野への消費行動は珍しい。また3万円では何かまとまったものを購入するには足りない。したり顔で支持者に恩を売ったような発言を繰り返す政治家の顔が思い浮かぶ。
年寄りへのバラマキよりは新しい世代のための教育投資や技術開発投資、産業開発への投資に回すべき…。そう思っていたら、科学技術基本計画に関する小さな記事が目に付いた。政府は来年度からの5年間でGDPの1%に当たる26兆円を技術開発に当てることを目標とするということだ。これまでの5年間では24兆円が目標であったが実績値は21兆円だ。GDP比でみると、アメリカ、ドイツ、フランス、イギリスよりも低い。国際競争力を維持するため、今後もがんばってほしい分野だ。(黄鶴)

1210日 「府議選・知事選の分析」
街を歩くと、W選用に貼られた維新のポスターが今でも目に付きます。「過去に戻すか、前に進めるか」…この曖昧な表現で府民に幻想を抱かせた戦術は、成功したのでしょうか。
あの結果が生まれたのはどんな要因によるものか、それは投票結果から浮かび上がって来ないか…と、私はふと疑問に思い、データを分析してみることにしました。
今年4月の府議選から、5月の大阪都構想にかかる住民投票を経て11月のダブル選に至るまで、大阪府下全体における各党の支持はどう変化したか(しなかったか)、その際の地域性はどのように現れるのか、そんなことを調べてみたいと思っています。調査結果がまとまったら、報告します。
調べ始めて、おや?と思ったのは有権者の数の変化です。4月の府議選から11月の知事選まで、わずか半年の間に、大阪府全体で0.4%の有権者増加があり、とりわけ大阪市北区などの中心部では2~3%の増加を見ていることです。一方で門真市などは1%程度の減少です。(白雲)

1209日 「図書館の自由に関する宣言」
本が好きで、高槻市の図書館をよく利用している。図書館のホームページの「運営方針・事業報告」欄に「図書館の自由に関する宣言」(以下、宣言)が掲載されている。これは1979年に日本図書館協会(以下、協会)が出した4つの項目からなる宣言で、その第3に「図書館は利用者の秘密を守る」とある。高槻市には直接関係のないことであるが、最近「利用者の秘密を守る」ことに関して気になることがあった。それは、作家の村上春樹氏の兵庫県立神戸高校時代の図書館の貸し出しカードが見つかったことを、カードの写真とともに神戸新聞(10月5日)が報道した件である。
ネットでこの件について知り、図書館の問題に詳しい知人に話すと、知人は神戸新聞の記事のコピーをくれた。「村上春樹さん早熟な読書家」という記事には、貸し出しカードの写真とそのカードを発見した元教員(69)の写真の2枚が掲載されていた。貸し出しカードの写真には村上氏だけでなく他の二人の氏名と貸出返却日が写っている。もう一枚の写真では、カードを発見した元教員が村上氏の借りた本を前にして得意満面の笑みを浮かべている。明らかに、「利用者の秘密を守る」ことに違反した記事である。
この件に関して、協会は神戸高校と神戸新聞の聞き取り調査を行い、11月30日に調査報告を公表した。協会は、本人同意なしに読書記録を公表したことは「利用者のプライバシーの侵害である」と指摘したうえで、神戸高校に対しては「利用者が内面の自由を侵害されることなく安心して利用できるよう」にしてほしいと、また神戸新聞に対しては「基本的人権をまもり育てるものとして、ともに図書館の自由への理解を深め広げていただきたい」と要望した。当然の調査報告である。
神戸高校が同様のことが起きないように努めるとしたのに対して、神戸新聞は村上氏以外の二人の名前を報道したことに関しては非を認めたが、村上氏の貸し出し記録を報道したことに関しては、「世界的作家であり、その文学の形成過程として報道に値するという判断は変わらない」と非を認めていない(毎日新聞12月1日夕刊)。この数年、ノーベル賞の受賞者が発表される時期になると、文学賞受賞への期待から村上氏に関する報道が多くなる。神戸新聞は「公益性」が高いと判断して記事を載せたというが、村上氏以外の二人の記録も報道する無神経・無感覚ぶりから判断して、「利用者の秘密を守る」ことの重要性を認識していなかったのではないのか。それが本当のところではないのか。
高槻市立図書館のホームページに載っているのは宣言の縮小版である。全文は協会のホームページで読むことができる。協会は宣言を出した理由の一つとして、国家権力の介入によって、図書館が「国民に対する「思想善導」の機関として、国民の知る自由を妨げる役割さえ果たした」ことへの反省を挙げている。そして、図書館の自由は憲法が保障する表現の自由、知る自由、思想・良心の自由と密接に関係するものであることを強調している。こうしたことを一人の利用者として普段は意識することはない。しかし、今回のようなことがあると、図書館の自由は空気のように何もしなくても与えられるものではなく、努力して守るべきものであると改めて思う。(ト・ケノン)

1208日 「128日」
高槻には旧陸軍の工兵第四連隊があった。今の城跡公園・第一中学校・しろあと歴史館などを含む広大な敷地を有し、檜尾川にかかる橋の一つ、演習橋に活動の跡を残している。いや、演習橋は架け替えられているから、工兵連隊の昔を偲ばせるものは営門だけだろうか。
最近、その営門を見に行った。さすがに工兵連隊。営門も衛兵立直所も、70年以上を経た今なおまったく損傷のない姿形である。衛兵が今そこにいても不思議はない。
その衛兵の立つ位置に、花崗岩に矢印のようなものが刻印されているのに初めて気が付いた。何だろうとしばらく考えた。そして、実際に立ってみて答がわかった。両足の踵を付けて立ち、爪先を広げるときの目印なのだ。その角度は60度。衛兵は剣を付けた銃を持ち、常にその姿勢で勤務をしていたのだ。
足先の開き具合まで決める刻印からは、厳しい軍律が想像できた。そして、その軍律の中、この営門から戦地に赴いた多くの将兵の姿が見えたような気がした。帰らぬ人もあったのであろう。
それから70年余。日本にはいろんなことがあった。しかし戦争の記憶を捨ててはならない。そのための生きた教材は末永く保存すべきだ。この営門、そして高槻地下倉庫、略称「タチソ」も。
今年の夏には生涯学習センターで「子どもたちと考える戦争と平和展」が開かれた。戦後70年を記念しての同展in高槻島本実行委員会の主催であった。戦争の記憶をとどめるために、今後も続けて欲しい行事である。(黄鶴)

1207日 「市バス経営計画案」
もう30年以上前のことである。
「たかつきは こころとこころを むすぶ まち・・・」
初めて乗った市バスの車内に、そんな放送が流れていた。それを聞いて、この街は他と違うなと私たち家族は感じた。バスの運転手さんも子供や老人、障がい者に優しかった。それやこれやが、私たち家族を高槻市に住まわせる力の一つになった。あの案内放送の女性の声は今も耳に残る。「たかつきは…」というのは高槻市民憲章であると後で知った。
その市バスの経営計画案に対する意見募集が市のHPで呼びかけられている。
一読して、市バスを街づくりの大きな要素ととらえていることに共感を覚えた。そうなのだ。街づくりとは、道路や公的施設の建物配置、商店街の配置という静的なものだけではなく、交通手段、通信体系という動的な要素が備わってはじめて成り立つものだ。人間の身体と同じだ。骨があり筋肉があり、血管があり血液があり、そして神経系統がある。そんな人間の身体の構成要素に相当するものが、市という一つの大脳のもとに集約管理されることによって、構成要素の全体が生きてくるのだ。
維新の市議は、この市バスの民営化を公約にした。これぞ思慮浅薄の最たるものだ。民営化によって何がもたらされるか。市の補助金を打ち切ることによって若干の市財政への貢献ができるかもしれない。しかしその一方で、この経営計画案にもふれられているが、給与体系など労働環境の悪化によって人手不足に陥ることは間違いない。その結果路線の削減となって経営規模は小さくなり、給与面から行く末が見込めない従業員の士気も低下する。子どもを大学にやる給与の出ない企業に、誰が骨を埋めようと思うだろうか。それなりの人は早晩ほかの道を選ぶことになる。その悪循環が重なるとバス会社は縮小均衡への道をたどり、やがて消滅。高齢化によりハンドルを握ることを止めた市民は移動の足を失う。そして南北に長い高槻市の町々は有機的結合を絶つことになる。民営化には、街づくりを阻害し市民生活を破壊する恐ろしいシナリオが待っているのだ。(黄鶴)

1206日 「ぶろぐ日曜版 高槻災害史 慶応4年の水害
慶応4年(1868年)7月2日、大雨のため高浜・前島・冠・大塚・唐崎の各所で淀川の堤防が決壊した。
地元民は申し合わせて堤防の改修のため杭打ち工事を始めたが、大政奉還直後で上を下への大騒ぎのお上の対応は遅い。8月1日になって堤防係の役人が来たが、水勢の強さを見て呆然とし、何もせずに帰ってしまった。
8月19日、大阪北司農局長・陸奥湯之助が見分。有難いことに、ただちに救済の方針を明らかにして工事を計画することとなり、21日に陸奥は帰阪の上翌22日に村々の代表を呼び出し、先に始めた杭打ちの資金として2500両を拠出した。
23日には工事総督・関龍二、勘定調査役・名和松五郎が出張、柱本村の桑間清十郎宅に宿泊、とりあえず被災民救済のため米100石を支給し、鳥飼・三箇牧の村々に配分した。
高槻藩(版籍奉還はこの翌年のこと)からは家老の須長貞、郡奉行の千鳥良左衛門、堤方の杉浦嘉一・竹嶋七郎・大山了輔・宮本国蔵・並河正蔵・樋口馬次郎が出張、三島江村市屋に宿泊することとなった。
総督は毎朝午前4時に馬で出勤、25日からは数百人の作業員が仮堰の工事を開始した。
仮堰が半分ほど出来上った8月30日の夕刻から少雨が降り始めた。その雨は9月3日には暴風雨となり、淀川はまたも大洪水となった。水位は4.5mまで上がり、仮堰を押し流して後に何も留めず、川面に打ち込んだ3千本余の杭が流失、数多くの小舟、杭打ち足場も破損したり流失したりした。工事はまた初めからやり直しとなった。(続)(黄鶴)

1205日 「15分審議」
常任委員会における審議の状況をまとめてみました。
6月議会では、4委員会において各1日ずつ、計22議案を計346分で審議しており、1議案当たりの審議時間は15分44秒でした。この時間数には委員長の議事進行や挙手による採決の時間も入っていますので、実質的には1議案当たり15分程度です。
22議案のうち6議案が質疑なし、1議案当たりの質疑数は1.77件(同一人による質疑は関連質疑を含めて1件とカウント)でした。質疑は、一部の委員に限定される傾向があります。活発に質問する議員はあらゆる議題に対して発言する一方で、発言のない議員は終始無言です。ただ、当サークルのカウント方法では質疑数は1件でも、関連質問が多く、議案に対する研究の深さがしのばれる議員もあります。
詳細は、1市議会という舞台で (3)に一覧表を掲げました。
9月議会については、12月5日現在、市議会HPへの議事録がアップされていません。わかり次第、同様の調査をします。(白雲)

1204日 「維新のウソ」
維新の嘘がまた明らかになった。すぐばれるウソを、よくも臆面もなく書けたものと、今私は府知事選のチラシを手に苦笑を禁じ得ない。
大阪維新の会の選挙用チラシは1面の上半分に橋下大阪市長の横顔とキャッチコピーを書き、下半分に維新政治の「功績」として、有効求人倍率の向上、雇用創出、来阪外国人旅行者数の増加、ホテル客室稼働率の向上の4項目を挙げていた。
ところが、中国春秋グループ日本代表のワン・ウェイ氏がインタビューに答えて話している(12月4日毎日新聞)。関西に来る中国人が多いがなぜかという問いに対して、
「関西というより日本がブームになっている。中国と成田を結ぶ路線開設は時間がかかるため関空の方がLCCは就航しやすい。24時間空港という利便性も大きい。関空と中国の地方都市を結ぶ路線を、11都市・週46便に増やしたことで中国内陸部からの訪日客が増えた。今後も2020年までに20都市以上週100便以上を目指す」
また、ホテルについては、
「中国からの観光客のために宿泊施設の確保が必要だ。リピーターを増やすために日本でホテルを開業する。まずは愛知県で開業予定。関西・関東も物件を探している」と、収容力不足を指摘する。
外国人観光客が増えたのは、維新の政策とは何の関わりもない。手近な海外旅行先として日本を選ぶ中国人が、就航しやすい関西空港に飛来するLCCに運ばれて来ている、それだけのことだ。これが事実だ。
しかし、困ったことに、人間は事実を調べてそれを根拠に動くことをしない。噂話や印象をもとに動く。事実を調べる暇もない忙しいビジネスマンが、外界を知らない家庭人が、理屈抜きの維新信奉者が、チラシから誤った印象を刷り込まれ維新に投票する。その数は少なくない。そして維新はミスリードの責任を取ることもなく府知事・大阪市長の椅子に座り続ける。寄らば大樹と、そこに人も集まる。嘘とペテンで勝負に勝って、権力握れば人がすり寄る。これでいいのか。(黄鶴)

1203日 「市長ご乱心」
記事本文を一見して、その発言の乱暴さから橋下大阪市長に関するものかと思ったら、今村西宮市長に関する記事だった。
市と住民の意見が対立する借り上げ復興住宅問題などを対象に、記者会見ではなく市のHP(ホームページ)に文書を上げて市の見解を公表する…そういう趣旨の今村市長の発言である。
これに対して中川智子・宝塚市長が定例会見で「ご自身中心の情報発信で、同じ首長として怒りに震える」とコメントし、今村市長は「そんな方がいるのかと驚きに震えた」と応じている。また兵庫県の井戸敏三知事は定例会見で、今村市長を評して「いささか、かたくなになり過ぎているのではないか」と、述べている。
今村市長は別の日の定例会見でも、重要政策に関して「記者会見ではなく、HPの文書で市の見解を発表する。市内部でどんな議論があったのかなど、政策判断に至る過程は絶対に公表する気はない。政策への批判は甘んじて受けるし、他市からどう思われようと仕方がない」と述べたということだ。
西宮市のHPを覗いてみた。他市のHPと大差はない。暮らしの情報、市政情報などが並んでいる。西宮90年祭というロゴも目を引く。しかし、この中の、どこに重要な施策に関する意見があるのだろうか。他の情報に紛れて、発見できないおそれがある。HPに載せれば、市は広報したよという言い訳になるが、市民から見ればふだんの光景に溶け込んだものは特別情報でもなんでもない。
HPで公表するだけ…。これは本来の姿ではない。責任逃れ体制の最たるものだ。やはり情報は目に訴え耳に訴え、あらゆる方策をもって伝達するのが親切というものだろう。何ゆえにその政策を選ぶに至ったか、その一点の説明こそ市民には必要なものだが、今村市長は最も重要なところの説明を拒否している。自説のみに固執し唯我独尊、これでは困る。相互の良好な関係のもとに議論を尽くし、納得の上で市民生活の在り方を決めるべきだ。
ところで、「関係」は英語ではrelationship、その本の動詞形はrelateだが、辞書を引いてもらいたい。第一に書かれている意味は、tell, narrate 即ち「話す、物語る」なのである。じっくり話し合い、そうして始めて関係は出来上がるのだ。説明拒否は施政者としてはあり得ないことだ。(黄鶴)

1202日 「今城塚古墳と地震考古学」
古墳や遺跡のなかには過去の地震で受けた被害の跡を残しているものがあり、それらを調査することで地震に関する情報を得ることができる。考古学の調査を地震研究に結びつけることで、地震のことが一層わかってくる。寒川旭氏は、考古学の成果を地震学に生かし、地震学の成果を考古学に生かそうと1988年に地震考古学を提唱した。著書 『地震考古学』で寒川氏が言っているように、古墳はまさに「巨大な地震計」なのである。
今城塚古墳(高槻市郡家新町)が1596年の伏見地震によって墳丘の一部が崩れる被害を受けていたことは、2000年の第4次調査で明らかになっている。秀吉によって築かれたばかりの伏見城が倒壊したことで伏見地震と呼ばれているが、マグニチュードは7以上だったと推定されている。被害については『地震考古学』で詳しく知ることができる。京都では、「洛陽の中、死人の数4万5千、其余は其数を知らず」というほど犠牲者が多かったが、被害は京都にとどまらず、京阪神を中心とした広い範囲にわたっている。西は四国東部、東は滋賀県南西部にまで地変が生じて、いくつかの遺跡で地震の傷跡が見つかっている。京都と大阪の4つの遺跡での液状化跡の写真が複数掲載されていて、それを見れば、地震の凄まじさがよくわかる。
『地震考古学』は今城塚古墳の本格的な調査以前の1992年に出版されたので、当然のことながら、今城塚の地震被害については触れていない(被害発見後、寒川氏は、有馬-高槻構造線の活断層群を構成する安威断層が活動して、その断層の上にある今城塚古墳が被害を受けたと説明している)。高槻に近いところでは、山崎と対岸の八幡の被害の記録が残っていて、それによると「山崎では家が悉く崩壊して死者の数は数えきれないほどである。八幡でも家が悉く崩壊した」とのことである。伏見地震の原因となった断層として考えられるのは、淡路島の北端から六甲山地南縁を通って宝塚高槻を経て京都盆地南西縁に至る活断層群である。山崎付近の被害が特に大きかったことについて、寒川氏は、断層の活動によって断層の北にある北摂山地が大阪平野に対して相対的に右へ激しく移動し、それによって進行方向にある京都盆地西縁付近の岩盤が強く押し付けられて大きな破壊が生じたのだろう、と説明している。山崎に近い高槻においても相当大きな破壊力が加えられたことであろう。地滑りによって大きく変形した今城塚古墳の墳丘の写真から破壊力の凄まじさが伝わってくる。
今城塚古墳は継体天皇陵として歴史的に重要な意義を持っているだけでなく、天皇の墓を公園として整備した唯一の古墳である。墳丘に上がり木々の中を歩くことができる天皇陵は他にはない。これに加えて心に留めておくべきは、この古墳ほど明確で大規模な地震の痕跡が調査された大型古墳は他にはないということである。過去の地震被害を伝え、高槻市が有馬-高槻構造線の断層群の上にあるということを思い知らせてくれる古墳でもあるのだ。(ト・ケノン)

1201日 「ブログ命」
一定の人の支援があれば議員には成れるので、議員活動の詳細を市民にあまねく公報する必要はない、支援者には何年も印刷物の配布を行っているので問題はない…。
高槻の市会議員にインターネット利用者が少ないのは、そういう考えに基づくのだろうか。しかし、平成27年版情報通信白書(総務省)によると、2014年におけるインターネット利用率は、60歳台で75.2%、70歳台で50.2%、80歳台で21.2%に上る。高槻市においても同様の数字だろう。これだけの耳があるのに、それに向かって声を上げないのは政治家として異常と言わざるを得ない。
各議員のHPを通覧すると、高木議員の内容豊かで真実を突いたブログが光っている。また吉田章浩議員、三井議員、吉田忠則議員の積極的なブログ投稿が目立つ。いずれも市民への説明責任を果たそうと努力する姿勢が明確である。
その一方で、「統一選挙に向けて活動中」という文言が残っていたり、高槻市民から見た高槻市議の活動価値という点では何の意義もない「大阪市長選に応援」という記事があったり、失望するものもあった。
また、ダブル選についての論評がほとんど見られなかった。自民党候補が落選したのに、自民党所属市会議員は何の感想も述べていない。
ツイッターやフェイスブックは、個人的には、政治家の意思広報手段としては不適格と思う。1行か2行の文章で何が伝えられるだろうか。せつな的感情は伝えられても論理的意見は伝えられない。どこに行った、何をした、それだけでは活動報告とは言えない。
書くならば、やはりブログだろう。今、市バスで、市の税収面で、市民会館の建て替えについて、このような問題がある、これについて自分はこう考える、反対意見はこのようなものだ…そういう市民への説明はネットならばブログにしか書けない(費用をかければ紙メディアでも書けるが)。
書くことは同時に考えることである。仕事をしながら考えることは、そのまま仕事の中で自己を高め、自己を豊かにすることになる。議員からの発信は市民に有益なだけでなく議員本人にも有益なはずだ。あまりにもブログの少ない議員は、それだけ論理的に考える機会が少ないのだ。それは質問が少ないことにもつながっていく。(黄鶴)

1130日 「ネット利用状況 11月」
恒例のネット利用状況調査を行い、該当のページを更新しました。あまり変化はありませんが、変化のないことを記録するのも、また統計として意味があることです。
ブログ回数も前月同様にグラフにして掲げました。ただ、フェイスブックで活動状況を市民に報告している議員もいますので、このグラフだけが議員の活動状況を示すのではないのは、このHPを訪問される方々にご推察いただけると思っています。(白雲)

1129日 「ぶろぐ日曜版 高槻災害史 慶応4年の水害」
享和2年の水害から66年後の慶応4年(1868年)にも、高槻市域は大水害に襲われている。
鳥羽伏見の戦いで明けたこの年、戊辰戦争は東に進み、江戸では上野寛永寺に集結した旧幕府軍が彰義隊という旗を掲げて新政府軍と睨み合っていた。そんな頃のことである。
大阪では、雨は6月中旬から絶え間なく降り続き、下旬になっても晴れ間は全くなかった。
7月2日、淀川の水位は上がり、三島江村で4.8mとなった。そして高浜・前島・冠・大塚村の所々で堤防が決壊し、高浜村から唐崎村の弥右衛門屋敷へまっすぐに激流が当たり、その日の午後3時ごろにはそこも決壊した。
雨が降り続く中、村々は大騒ぎとなり、懸命に水中を移動して家財を堤防に運んだ。轟々という決壊個所の水音やら泣き声やらが辺りに響く。平野部の耕地には濁水が充満し、夜になると村中の往来は不可能になった。みんな家や家財を捨て、やっとの思いで堤防に避難し、立騒ぎながら朝を待った。
翌日、堤防の決壊個所から見渡せば、北は富田・茨木、西は尼崎・中島に至る一円が水に覆われて、そのまま海に続いていた。家々は浸水していて、生業を失った数万の人々は泣き惑うのみであった。
ちなみに、この雨は江戸にも降り注いでおり、この翌日の7月4日、上野の山で彰義隊は新政府軍に攻められ、その日のうちに全滅している。
数日が過ぎ、人心地がついた頃、鳥飼・三箇牧村役人が現地視察に来た。庄屋は水止め工事を嘆願した。その回答を待ち兼ねて、村々申し合わせて作業を開始し、7月18日、大塚の岬から川筋に沿って2か所の杭の列(長さは567mと351m)を打ち始めた。ようやく8月1日になって大阪堤防係秋葉貫一郎が見分に来たが、決壊個所が広く、またその水勢が強いため、具体的な工事の指示はせずに帰ってしまった。期待を裏切られた村人は、海となった田を見ながら呆然とするだけだった。しかし、いずれ追加の沙汰もあるだろうと庄屋は励ました。(続く)(黄鶴)

1128日 「選挙権の定年制」
興味深い説を唱える友人がいる。彼は大学紛争盛んな時代に学生生活を送り、初めは熱心に参加していたが中核だの革マルだの路線争いに熱中する学生たちの教養レベルにうんざりしてやがて批判的ノンポリ(無関心ではない)に。今も、民主党の有り様、共産党の疑似保守化、地方議員の政活費問題を嘆き、国政や地方政治に鋭い視線を向ける。
その彼の説は、
①野々村元兵庫県議に感謝状を出しても良いのでは?国民の目を覚まさせてくれたから。
②全ての法律は30年で見直しをすべき。
③選挙権を75歳でなくすこと。
である。
①は冗談半分だと彼も言うが、すべて一考に値すると私は思う。③は反対も多いだろうが、18歳まで選挙権が与えられない理由は、ある年齢以上の人間にも成立するだろうし、行き過ぎたシルバー民主主義の是正にも役立つはずだ。75歳が適当かどうか、そこは議論の余地があろう。昔、政治家70歳定年制を唱えた人がいたが、その人は70歳になったら自説を引っ込めた。どんな仕事でも、表舞台を自ら引退する時期をいつにするか、その決断は難しい。何であれ、外から強制するのも一法だ。(黄鶴)

1127日 「維新政治による文化の破壊」
大阪の伝統芸能に造詣が深く文化行政にも詳しい知人が嘆いていた。「今度の選挙の結果にはショックを受けた。大阪市内だけでなく、府下の各市もダブルスコアで維新が多数を占めた。これでますます大阪の文化は先行き暗くなるだろう」。この嘆きを聞いて、別の知人の言葉を思い出した。関西の演劇界で仕事をしているその人は、今年5月の住民投票で維新に反対の票を投じて、「維新政治には反対だ。文化が破壊される。私は何回でも投票に行きたかった。そんなことを思ったのは初めてのことだ。しかし、残念ながら1票しか持たなかった」と言っていた。
二人の知人に共通するのは、次のような思いだろう。「橋下維新は、関西で長い時間をかけて形成されてきた伝統芸能の価値が分かっていないし、分かろうともしない。また、新たな文化は伝統の土壌の上に創造されていくことも分かっていない。価値が分からないから補助金を簡単に切る。芸能や演劇は実生活の豊かさを市民に提供するのみならず、学問の対象としても存続に意義がある。こういう発言をして橋下維新に反対すれば、返って来るのは文化論ではなく、財政の話ばかりで、財政再建の必要性をまくし立てられるだけだ」。財政再建の必要は分かるが、大阪らしさ、人間らしさを失っては何にもならない。財政が生きて人が死んで、心の豊かさを失って、そんな殺伐とした社会では生きている意味も薄れる。財政再建の道程は長い。5年や10年ではない。その旗のもとに圧殺された文化は、同じ形で甦ることは難しい。
黄鶴子と同じく、「住民投票否決は誤差範囲内」という記事には、私も久しぶりに頭に血が上った。分野は違うが同じ学究の徒として、学者の風上にも置けない者の発言とみた。都構想の理解には時間がかかるといい、時間が経てば賛成者も増えるというが、支持者にも都構想の中身が解っていない人がいるのではないか。自分の払った税金が他市に回ると知ると反対に回る大阪市民もいるのではないか。(ト・ケノン)

1126日 「生命の原画」
高槻市立中央図書館の2階から3階へ階段を上がったところに、絵本の原画が何枚か置いてあった。
あ、絵本か、と思いつつ通り過ぎようとしたとき、絵の中の緑の葉っぱが動いたような気がした。あらためて絵を見直した。
その原画は、絵本作家としての画家の絵ではなかった。植物学者の描いた絵だった。ハウチワカエデ、ホオなどの植物を丹念に描いた絵は、単に植物の形を写し取るというよりも、自然界に根付いて精いっぱいに伸びようとするものの生命を写し取ったもののように見えた。
ハウチワカエデが落ち葉の間に種を落とし、それが芽を出し葉を広げる、その姿が2枚、時間差をもって同一場所で描かれているのは、まさにその生命そのものであった。
その原画が絵本になったものが、展示場所に置いてあった。心にくい展示である。絵本には、地に落ちたハウチワカエデの種が芽吹くことの説明に続けて、
「でも ササのあいだや くらいはやしのなかに とんでいった たねは
おおきくなれずに しんでしまいます。
ネズミに たべられたり びょうきで しぬ たねも たくさんあります」
と、自然の営みを描写してある。そこから私は、この植物学者の、森の中の生命への深い慈しみを感じた。それなくしては、このような絵は描けまい。
展示説明によれば、植物学者の名前は堀田満博士。1935年本市生まれで、大阪府大を経て京都大学大学院博士課程修了、理学博士(植物分類学)取得の後、鹿児島大学教授や鹿児島県立短大学長を歴任、2009年に第19回南方熊楠賞を受賞されている。残念ながら本年7月永眠された。
なお、この原画展は途中で展示を換えながら2016年3月9日まで行われる。(黄鶴)

1125日 「維新が崩す社会価値」
私はこれまで、仕事を通じていろんな民族社会を見てきた。東・東南アジア、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ・・。
そして、滞在が短かったゆえに表面的な見方でしかないが、民族によって価値観が違っているのを肌で感じた。つまり、それぞれ大事にするものが違うのだ。己を大事にする民族あり、公を重んじる民族あり、金だけを信奉する民族あり、貧しくとも誇りと友愛を失わない民族あり。そんな価値観を共有することによって、それぞれの民族が一つの社会価値とも言うべきものを持っているのを感じた。その目で日本人をあらためて見ると、誠実でまじめで向上心が強く粘り強い、そんな特質が際立っていた。
大阪ダブル選の結果を見て、それまで自主投票を決め込んでいた大阪の公明党がすり寄った。維新と共に大阪での与党を構成するつもりのようだ。また大阪財界も維新に秋波を送った。自民党中枢も満足していることだろう。このような動きの基に維新の勝利がある。そしてその勝利の裏にペテンがある。
選挙に勝ちさえすればどんな手段を用いてもよい、市民はまじめに政策を語る対象ではなく、言辞を弄して幻想を与えておけばよい、実質は必要ない…。このようなやり方は、日本の社会価値に影響しないだろうか。大阪府・大阪市の選挙民は、こんな選挙に疑問を感じなかったようだが。
大きくなっていく子や孫をやがて迎え入れる世の中が、嘘や詐欺が中心をなす独裁政治に汚染されるのはまっぴらだ。日本の社会価値は、そのまま残しておいてほしい。勝つためには何でもすると誤解されている砂漠の民も、誠意には誠意で答えてくれた。あのときの彼らの目が、懐かしい。(黄鶴)

1124日 「がんばった維新議員。自分のために」
維新のことばかり書くつもりはないが、書かざるを得ない間違いが維新にはあまりに多い。
「大阪維新再び」と題する毎日新聞のシリーズがある。その記事(11/24)の中から抜粋する。
圧勝の理由は「5年半の我々の活動を理解いただいたから」(①)
路地裏を回り、半日かけてチラシ3000枚を投函した。「一斉行動デー」と呼ばれる全員参加の恒例行事だ。(②)
ある府議は「注目選挙で維新が勝って力を見せないと、自身の進退に関わるという危機感がある」と明かす。(③)
間違いの①
新聞記事を読む限りでは、「活動」とはチラシ配りなどの選挙民対策のようだ。そんなことより府民・市民の望む政策を研究すべきだ。政策の中身よりPRが大事らしい。
間違いの②
維新のチラシは、既に明らかにしたとおり、事実を歪曲し自党に有利な表現をしたものである。調べる暇がなくて何も事実を知らない人は、活字になったものをそのまま正直に受容し、維新の「活動」に理解を示した。しかしこれは組織的な詐欺まがいの行為である。
間違いの③
大阪府民の危機感は、このまま貧しくなっていったらこの先どうなるのか、である。一方、記事に紹介された維新府議の危機感は、自分が議員として存続できるか、である。
消防・警察官に自分の生活を第一に考える人はいない。市民の安全を考えればこそ夜勤にも訓練にも耐えられる。市民第一だ。ところがこの維新府議の考え違いは甚だしい。何のため、誰のための府議なのか。
大阪府・市民は、こういう人物の所属する集団を今回選んだのだが、折に触れ自分たちの選択を見直してほしい。どういう人物が何を目指しているのか、よくよく見極めてほしい。見極めているうちに、府・市民が豊かになるための政策は都構想などの制度論ではないことがすぐに了解されるはずだ。(黄鶴)

1123日 「維新の勝因」
国政レベルの維新のゴタゴタも大阪人には影響しなかった。ダブル選は終わった。知事・市長とも有権者の約28%の支持を得て、維新はトップの座を得た。
維新の勝因・自民の敗因は何か。考えられるものを列挙する。
・改憲を目指す首相官邸は、数の確保のため国政レベルでの大阪維新の協力が必要で、そのためには第一歩としてダブル選に勝って勢いをつけさせる必要があり、表では自民候補者を応援しながら裏で維新を支援した。支援のため府連に中山衆院議員を送り込み、栗原・柳本両候補者が共闘する共産との分断を図った。また有権者もこの共闘に違和感を覚え、あるいは反維新の立場であっても自民候補を拒否し、棄権した。
・都構想再挑戦に理解を示す有権者が多いことから、維新は有権者に準首都建設という幻想を与え、有権者が見事にそれに乗った。また、改革を口にして何かがよくなるような錯覚を与えた。意味のないキャッチフレーズでも世の中が何かよくなりそうという錯覚を与えればそれでよい。今は考える時代ではなくイメージを感じて動く軽い時代。「まじめ」に考えるのは流行りではない。
・どうしようもない貧困があって生活に忙しく、余裕がない。そのため政治に目が行かない。そんな中で投票に行ったとしても、藁をもつかむ思いで甘い幻想にすがりつく。
・何も知らない有権者を啓蒙すべき新聞が、維新に不利なことは書かない。
・住民投票で負けた維新に同情票が集まった。
・公明党が自主投票とした。
・イケメンを表に出し、さわやかさを演出して、女性票を獲得した。政治なんかどうでもよい、ただの人気投票。
以上は、すべて選挙の戦術でしかない。大切な政策論議は何もできていない。が、維新側は有権者の心理と行動パターンを読み切り、戦術をうまく活用した。。
さて、選挙で勝ちさえすれば、今後の政治は自由に行える。選挙さえ終われば、何をやっても選挙民は政治の日々の実態までは見ようとしない。有権者に興味がないから新聞も書かない。たとえば教育界の崩壊があったとしても、高校無償化などの有権者受けする形で民は騙される。福祉予算の切り捨てがあったとしても、被害者は少数だから票の減少にはならない。大多数の有権者にとって福祉は他人事であって詳細を知る必要もない。府の財政状態くらいは知っておいてほしいが、有権者はそれすら興味を抱かない。「豊かな大阪を作って行きたい」という知事の発言は、借金が増えていくばかりであることを知っていれば、白々しい言葉であることはすぐわかるのに。
何も知らないまま、改革を進めたという嘘を信じさせられ、人は日々是好日と時を送る。これぞ維新の思う壺。この先どうなるか。ものの見えている人は、今後の維新の動きに注意し、言葉を上げ続けてほしい。高槻市議にも、そういう人は何人もいる。
なお、「大阪人はなぜ維新に惹かれるか」という記事がネットにあり、大阪人の一面を突いていて興味深い。(黄鶴)

1122日 「維新完勝 大阪自壊」
大阪府知事・大阪市長ダブル選で維新完勝のニュースが入った。
大阪人は何を考えているのか…。いや、何も考えていないことがよくわかった。ただデマゴギーに流され、ペテンに騙され、錯覚の中で自壊への道を急ぐ。それが大阪人のようだ。さらに続く維新政治の中で、教育、行政組織、福祉社会、あらゆるものが破壊されていくだろう。それが万人の目に見えてくる頃には、もうどうしようもない大阪になっている。
それにしても低い投票率だ。これをどう理解するか。政治に期待することは何もないという絶望だろうか。維新政治への白紙委任だろうか。無関心が政治の乱脈と将来の自分の不幸を呼ぶのは、歴史が証明しているのだが。
政治とは本来、市民・国民を活かす道であって、政治家自身を活かす道ではない。それを知らないグループに大阪の今後の4年間を委ねてしまった。この傾向が大阪に限定されるのか、全国に波及するのか。今後の心配はそこだ。(黄鶴)

1121日 「橋下市長特別秘書&大新聞」
ダブル選挙に関して高槻市議のHPを調べた白雲子曰く「二木前市議のHPに注目すべきブログがありましたよ」と。なるほど、11月19日付け「情実人事」に橋下大阪市長の特別秘書の話が載っている。調べてみると、この特別秘書については2013年2月に住民監査請求がされていて、同年4月に却下されている。
却下の理由は「住民監査請求に当たらない」という門前払いなのだが、一応の理屈付けをしてあるその文書を読むと、市民の常識から外れたところに正しい法理論が存在し得るのかという疑問が生じる。ご一読されたい。
特別秘書の奥下剛光氏は橋下大阪市長の後援会長の息子だとか。現代日本に、まだそんな情実の通る世界があるのか、それも先進都市であるはずの大阪市に、という驚きがある。アフリカや東南アジアではしばしば見られるのだが。ダブル選のポスターの「前に進む」という言葉と、この前近代的な情実人事と、どう関係づけられるのだろうか。
他にも問題がある。住民監査の却下の後、同じ内容で同年5月、住民訴訟が提起され、現在係争中である。このことを新聞は伝えているのだろうか。本年5月、裁判所は特別秘書の勤務実態調査のため被告側にメールの提出を命令、大阪市長側はこれを拒んでいるが、そうした記事は見当たらない(あるけれども発見できないのかもしれないが)。
大きな疑問がある。私たちは十分な情報を与えられているのだろうか。時の政権の意思にかなう官製情報だけが新聞やTVに流され、本当に知るべき情報から遠ざけられていないだろうか。そして十分に考えることもなく誤った選択を重ねていないだろうか。例えば大阪ダブル選について、市民を維新から離反させる情報は、あえてカットされていないか。そして投票の方向を誘導されていないか。上記のような情実人事の情報が選挙前に流れたら、維新には大きな痛手となろう。住民訴訟の判決が選挙前になされるのも維新には困ることだ。
じっとしていては世の中の真実は解らない。幸いに今はインターネット社会である。小さなブログからも真実は見えてくる。努めて自分で調べて、真相に近づこう。(黄鶴)

1120日 「高槻市議の府知事選への視線は」
投票が明後日に迫った大阪ダブル選。高槻市議はそれにどのような視線を向けているのか、各氏のHPなどに当たってみました。管見の限りでは、次のとおりです。
○ブログで (会派:議員名、日付、内容、その他参考事項の順)
・公明:宮田 11月5日 選挙があることのみを紹介
・民主元気ネット:岡井 11月8日 投票を勧める
・民主元気ネット:平田 11月1日 民主党のパーティーへの柳本立候補予定者の飛び入り参加を紹介
・民主元気ネット:森本 11月1日 同上。11月3日栗原候補支持と維新ストップの意思表明。HPにこのブログへの批判的コメントがあったが、「ご意見ありがとうございました」と冷静な対応。
・共産 10月15日 ダブル選に向けて維新ノーのアピール
・共産:宮本 11月5~6日 栗原支持のブログ
○Facebookで
・維新:米山 維新候補応援活動の自己紹介(高槻市内で11月6~7日、大阪市内で11月12,14,16,18~20日)
・民主元気ネット:野々上 11月1日 維新終焉に向けたアピール
以上のとおりです。
不思議なことに自民党市議は誰一人、ブログの上では自民の栗原候補の支持を表明していません。
どちらかの支持を鮮明にしているのは、ブログ発信者19人(議員総数34人)の議員中、8名です。
大阪府知事が誰になるか、それは市政への影響もあることから、市議は政治家として明確な態度を表明すべきでは?(白雲)

1119日 「羊頭狗肉 その2 選挙ビラ」
大阪府知事選挙政治活動用ビラが、維新、非維新連合それぞれに新聞の商業用チラシと共に配布された。
おもしろいことに、維新のビラは二つ折りにされ、その日配達されるチラシの全体を包んでいた。非維新のビラは商業用のチラシに紛れ込んでいた。当然、維新のビラは最初に目に付く。非維新のビラは、どうかすると見ないままになるかもしれない。目立つための作戦としては、維新は成功している。
しかし、その目立つビラだが、内容は詐欺に等しい。府民にとってそれほどの意味もないものを実績として掲げ、不正確な言語表現のマヤカシばかりが並んでいる。政党としてやるべきことは、客観的で正確な資料を呈示して府民を正しく判断させる方向に導くことだ。この点、非維新のビラは正確なデータを用いている。
維新のビラの問題点は次のとおり。
【身を切る改革!】の嘘は既に何度も触れた。
「財政再建は黒字転換!」という標題で「大阪府の実質収支」をグラフ化しているが、実質収支とは何なのか。内容が不明だ。どのデータを採るかによって、赤字にも黒字にもなる。黒字転換したのなら、どうして府の借金が増え続けているのか。
生まれた財源で住民サービスアップ!】として、地震津波対策、重粒子線がん治療施設を挙げるが、これらは生まれた財源でまかなう予定なのか、起債はないのか。そもそも財源が新たに生まれているのか。
またこの中に「私立高校授業料の実質無償化」とあるが、教師の給料を削ったことも同時に書くべきだ。
「子ども主体の教育改革!」に至っては、これまで営々と築き上げてきたものを破壊したに過ぎない。
大阪経済はよくなったとして有効求人倍率、雇用創出などの数字の好転を挙げているが、維新の政策とこれらの数字の変化との間に、因果関係は証明できるのか。全国的な動きの大阪における一面だ。学問的には、論理的に連関を証明できないものは存在しないと考えるのが普通だ。
「中央官庁の大阪移転」の、中央官庁が何を指すのか不明だが、各省各庁の中枢は国会から離れた位置に本拠を置くことはあり得ない。
いわゆる都構想について、ビラは一言も触れていない。衣の下に鎧があるのなら、それは初めから見せるべきではないか。フェア精神に欠ける。
このビラの極めつけは、自民・共産の共闘に対する批判だ。黒い人型を描いて自民共産などの名札を付け、相乗り候補は「決断できない知事」、「経済は低迷!住民サービスは低下!」と、一方的に決めつける。そんなスペースがあるのなら、将来の夢を書けと言いたい。
他にもあるが、とりあえずここまでとする。以上、すべての項目にわたって不正確な情報提示であることを記した。この種のビラの常として、自分に都合の良いことだけを書く傾向があるのはわかるが、その程度がひどい。加えて、政策の論争ではなく他陣営に対する感情的な攻撃まで書くのは、品位を貶めている。日本の政治状況はこのレベルなのかと嘆きたくなる。(黄鶴)

1118日 「ダブル選挙戦の終盤」
先日、新聞各紙は独自の調査による選挙情勢を報道した。それによると、知事選・市長選ともに維新がリードしているようだ。
4年前はどうだったか。終盤では知事選も市長選も維新リードと大方の新聞が書き、一部の新聞は最終的には大接戦と予測した。ふたを開けてみると、市長選は約75万票対約52万票(得票率は約59%対41%)、府知事選は約200万票対120万票(得票率は約55%対約33%)で維新が圧勝した。選挙情勢の報道がそのまま選挙結果を示していた。
前回は、府知事から市長に転身を図った橋下氏が注目を集めたこと、大阪都構想が選挙戦の目玉となっていたことから、市長選が約61%、知事選が約53%という高い投票率を示した。それがそのまま維新に向かってなだれ込んだ。
しかし、都構想に関する住民投票が終わった今、市民に前回ほどの熱はない。維新優勢を聞いた有権者はどう動くか。低い投票率の中で、どの陣営が確実に府民・市民の心をとらえ、投票所に向かわせるか。
維新は選挙戦は巧みである。ウソを見抜けない、政治の実態を知ろうともしない市民の無知につけこみ、中身はないが印象は良いキャッチフレーズを乱発し、イメージ戦を展開する。
選挙民も選挙をテレビのワイドショーの延長としか見ず、自分や家族の将来の道を選ぶことであることを忘れ、投票する。既に弊害が出ているのに、それは自分に関係がないとして、維新支持者は維新への幻想を捨てない。たしかに、信仰にも似た主観は、そう簡単に変化しないだろう。
既に終わったはずの都構想の、再議論を容認する者の数が容認しない者を上回る。この現実には愕然とする。一事不再議という民主主義社会のルールが通用しない人間の方が多いのだ。これでは真の改革に向けて自ら新しい一歩を踏み出すのは難しい。奈落への道を選ぶなら、それも民主主義なのだが、その場合は最大多数の最大不幸になること請け合いである。(黄鶴)

1117日 「JR架線切れ」
JR西日本が昨日、東海道線神戸駅付近で架線切れ事故を起こした。これは社会のほころびではないか。
事故原因は、エアセクションで停車したこととされている。人為的なミスである。
エアセクションとは何か。線路の上の給電のための架線は、長い電線が1本で日本中つながっているのではない。10~20km毎に変電所があって、一つの変電所がその区間の給電を行っている。そしてある給電区間から隣の変電所の給電に移行する部分は、それぞれの架線が合わせて2本、平行に走っている。2本の電線の間は空気が絶縁していることから、この平行する部分をエアセクションという。この2本の電線は、電圧に差があるのが通常である。エアセクションでは、パンタグラフはその2本の電線に同時に接するのだが、走行中は問題はない。あっという間に通り過ぎるから。ところが、エアセクションに停まってしまうと、電圧の違う2本の架線はパンタグラフを介して接触しているから、高電圧側から低電圧側へ電流が流れ、接触部ではアークも飛び、高熱を発して弱くなった電線は、常時引っ張られているため、切れてしまう、というメカニズムだ。
技術的な説明をすることは本日の目的ではない。このエアセクションでの停止による架線切れは、今年の8月4日にも京浜東北線で起きている。言いたいことは、あってはならないミスが起きている、ということだ。
市民の生活を支える電力、水、ガス、通信・運輸手段は、常に、間違いなく、供給され続けなければならない。それが文化国家というものだ。アフリカに行くと燃料不足で予告なしに停電する国はいくらでもあるが、日本はそうあってはならない。市民生活を支える側もかつてはそういう意識が強く、設備の点検を十分に行い運用者の教育を絶やさず、無事故に努めてきた。もちろんそのためにはコストがかかる。運転の100時間毎に、500時間毎に、こういう点検をするという基準があって、摩耗限度に達した、あるいは次の点検までに限度に達しそうな部品は交換した。点検する技術者も経験豊富な人が多く、彼らは事故ゼロという状態をめざして一般人の知らない世界で努力を重ねてきた。また、事故があっても一般家庭に影響しないシステムも作られてきた。その結果、利用者から見ればそれが当然と思えるほど、外国人から見れば驚嘆すべき、事故の希な社会となった。
しかしある時、民営化という風が吹き始めた。提唱者には、事故ゼロを目指す地味な技術者の不断の努力は、おそらく見えていなかったのだろう。民営化すればコスト削減につながるとの単純な論理を掲げる論者は、大体が法律屋か社会学者で、技術屋ではない。見えないものはないに等しい。そのコスト削減だが、設備点検時の部品交換費用の削減、点検の下請け企業への委託、運行人件費の削減、また場合によっては基準そのものを変更し点検間隔を延伸することによって可能になる。その結果、過去にはなかった事故が発生するようになった。それが近年の社会状況だ。
それは私には、ほころびと見えるのだが、十分なコストをかけて安全な社会を構築するか、コストは抑えてその結果発生する事故(死者も出るが)は容認するか、これからの市民社会はどちらを選ぶのだろうか。民営化には罠があって、副作用も大きいのだ。(黄鶴)

1116日 「誤差範囲」
新聞を見て(読んで、ではない)、驚きを新たにしている。中央大学教授佐々木信夫氏「住民投票の結果は誤差の範囲だ。これで大阪の将来を左右する都構想を葬るのは正しい選択ではない」(11月14日毎日夕刊)…読む前に字面の異常さが目に飛び込んでくる。
学問の世界の中で何を唱えようが自由だが、学説を現実世界に適用しようとするのなら、常識という着物をまとって世に出るべきではないか。一般人に話しかけるのならば、一般人同様の常識人であるべきではないか。大学教授である前に。
誤差の範囲だから再試験が許されるのならば、中央大学の入学試験は1点差で落ちた人は再試験させるのか。1票差で敗れた市長候補は再挑戦できるのか。そもそも多数決の原理の中で誤差という概念があり得るのか。あるとしたらその範囲はどこまでか。住民投票が再び行われる場合、仮に0.5%差で都構想推進派が多数を占め、反対派が「誤差範囲だから再投票しよう」と呼びかけたら、僅差で勝った推進派は何と言うのか。
「都構想の理解には時間がかかる」と言うが、安保関連法案と同じく、時間が経過して理解が進めば反対が増える可能性もある。人の考えはさまざまだから。それを押して賛成が増えると考えるのも、また象牙の塔の人なればかもしれない。
維新がどうとかの雑念なしにいろんな目標追求の努力ができ、それを楽しめる他府県の人は幸せだ。(黄鶴)

1115日 「大阪市長が飛ばすデマ」
本当に、こんなことってあるのでしょうか。大阪市長という公の職にある人が、ツイッターでデマを飛ばすなんて。http://matome.naver.jp/odai/2144749492178686301
でも本当のようですね。悲しいことです。
彼にとって、やはり政界から引退というのは正しい選択でした。こういう人倫にもとる人は早々に表の舞台から去るべきです。
多くの人をリードすべき市長が、政党の頭が、こういうことをしてはいけません。人としてやってはいけないことがあるのを、知らないようですが、これでは橋下人気も終わりでしょう。慢心を見た途端、人は離れていきます。何かやってくれそうだという幻想も、もう色あせてきました。(空)

1114日 「敬老パス」
最初に負担金3,000円を払い、以後は乗るたびに50円払う…。敬老パスに関する現在の大阪市の制度である。これは2013年4月1日から施行されている維新の政策である。この制度につき11月13日毎日夕刊は藤田暁市議の話として「子育て世代の流出が続くため、その世代に支援する経費の財源として老人対策費をカットしている」との説明を載せている。
これをみて思う。維新とは論理的な思考のできない集団であると。政治家は医者に似ているのだが、その認識はなさそうだ。
例えば、子どもが発熱したとする。普通の医者なら発熱の原因は何だろうかと考える。原因を探るために、最近変わったことはないか、病歴は、などを家族に尋ねる。いろんな検査もする。そうやって原因を確かめて、対策を講じる。投薬については副作用も考え治療の身体への影響のバランスを取る。そして、施した対策の効果を確認する。
社会現象も同じだろう。子育て世代が大阪から逃げて行く。その原因は何なのか。物価高か、劣悪な住環境か、公害か、教育環境か。それをシスティマティックに調べるのが先だろう。そしてどのような対策がどのような効果を生むのか、可能性を調べ、関係者の利害の調整を図る。ところが維新は、子育て世代の経済的な支援さえすれば流出が直ちに止まるという考えのようだ。原因探求の前に対策が動いている。こういう動き方では合理的な大阪市経営計画の策定などはとても無理だ。維新は、末永く政治に携わろうと思うなら、誰彼となく公認するのではなく、きちんと物事を順序立てて考えることのできる人を育てたほうがいい。(黄鶴)

1113日 「野合と言うが」
大阪に限っての話だが、自民・共産・民主、その他すべての政党が維新に対抗する立場をとり、選挙で連合している。それはいいことだ。もちろん、消費税にしても福祉政策にしても各党の政策は異なる。しかし、それらの党相互の議論は同じ土俵の上で行うことができる。そこへ行くと維新は違う。異質だ。自民その他が、現実を直視し現状分析から対策を考えるのに対し、維新は幻想を前提にして空論を唱える。二重行政云々がその例だ。また自民その他が論争しながらも協調を宗とするのに対し、維新は徒に対立をあおる。自民その他が個人の働きを尊重するボトムアップ方式なのに対し、維新は独裁的なトップダウン方式である。党首がいなければ何も決まらない。ことほど左様に…、失礼にならないような言葉を捜すのに苦労するが、ことほど左様に、維新は政治の世界での立ち位置が違う。維新には退場してもらわないと、世の中が前進しない。だから連合するのだ。決して「対立する者どうしがよこしまな理由で結びついている」(角川国語辞典)のではない。維新の皆さんは状況をよく見極めてほしい。
そもそも野合とは何か。正規の手続きを踏まないで夫婦になることだ。今風に言えば事実婚だ。仲人を立てるとかしないが、相思相愛の二人が結びつくのである。何の遠慮があろう。形はともかく実質的な問題はない。
とりあえず政治の世界を正常に戻したい。そうして初めて、各論における各党の議論が始められるのだ。7年間の混乱の傷は、この先も少々では癒えないけれども、更なる悪化よりはましだ。
ちなみに論語では「野」を「素朴」という意味に使っている。『先進の礼楽におけるは野人なり』(論語・先進 第十一)…周の初めのころの人の礼楽のありかたは素朴であった、という意味である(『論語』加地伸行全訳注 講談社)。野合とは素朴な結びつきなのである。(黄鶴)

1112日 「羊頭狗肉 維新のHP」
ダブル選挙用の維新のHPがある。これについての疑問を列記する。
総論の1。維新の「実績」が挙げられているが、数が少ないと言う印象は否めない。
総論の2。「実績」として種々列挙されているが、府の話と市の話が混在している。ここにこの集団(まともな政策がないので政党とは呼び難い)の性格、すなわち論理性がなく情緒的というおおさか維新の性格が表われている。高槻市民は大阪市の話を聞いても府知事選挙の参考にはならない。誰に何を訴えるかを整理して掲載すべきである。
各論の1。議員定数削減と報酬削減により6億円浮いたと声高らかに言うが、府の平成26年度の歳出は2兆7945億円である。削減額は決算額の0.02%に過ぎない。実績の第一に挙げるべきものか。
各論の2。議員定数削減とは言うが、それは他党の削減であって、維新の議員が影響を受ける選挙区の削減はほとんどない。他党の封じ込めの作戦が、府民の利益と言えるのか。少数派の意見を抹殺することが民主主義の理念に適うのか。何人が適正かという定量的な検討があったのか。ちなみに、今年4月の改選前は維新対非維新の議席の比は43:56(定数109、欠員10)であったものが、改選後は42:46(定数88)となった。
各論の3。知事の報酬30%・退職金85%カットとは言うが、カットされた後の給与はいかほどなのか。数字の説明がない。調べてみるとこの点を詳しく調べた方があって、そのブログによると、カット後の平均月額は約141万円だそうだ。減らされてもなお平均月収141万円!それが実績なのか。庶民感覚では理解できない世界である。なお、削減額が財政再建に寄与するのかについても、上記各論の1に同じである。
各論の4。水道料金が100円下がった、地下鉄の料金が20円下がった…。主として大阪市の話で、高槻市民の私たちには影響がない。しかし、このオーダーの金額が、生活するうえで何の意味があるのか。
各論の5。府の借金が減ったと説明する図がある(下図1)。故意か過失か、標題も縦軸の単位も書かれていないが、この図は累積債務の推移であり、単位は億円である。この図を掲げて維新は言う。減債基金2,308億円復元、通常債務7,546億円圧縮と。しかし、素直にこの図を見ると、累積債務は年々増えているではないか。増えているのは臨財債(臨時財政対策債)であり償還は国がやるからいいのだ、とは言えない。名前は何であれ借金を増やした責任は大阪府にあるのだ。さらに言えば、府の財政は平成18年度以降黒字になっている(図2)。18年度はまだ橋下府政の前だ。前任知事時代の努力によって黒字化が達成された後、平成20年度に橋下維新の時代になっている。ただ、黒字とはいえ経常収支比率は改善していない(図3)。平成22年度、全国的に改善された年もあるが、特異点としてそれを除けば平成20年度以降は悪化の一途をたどっている。傾向としては平成19年度まで改善が進んでいたのに、である。
以上、「実績」と維新が言うものは、すべて無意味なものばかりである。それでもなお、善政を施したと強弁するのか。(黄鶴)

図1 大阪府の累積債務(維新のHPより)

図2 決算の推移(大阪府HPより)

図3 経常収支比率の推移(大阪府HPより)

1111日 「過去に戻すか 前に進めるか ん?
これほど偽善と独善と詐妄に満ちた言葉はない。府知事選・維新松井候補のポスターである。
レクサス購入、チラシ契約不履行に代表される政務活動費の不正使用がまかり通る政党に、進歩の評が下せるのだろうか。教師が逃げ出す世界を作ったのは、前に進んだことなのだろうか。「過去に戻すか前に進めるか」…この言葉は偽善の最たるものである。
そして、前進と言い後退と言うが、それはおおさか維新の主観に基づいた表現でしかない。例えば教育にまで競争を持ち込み公営事業の民営化を図って、そうして人心を荒廃させることを前進と称するならば、日本人は応仁文明の大乱の頃、最大の前進を遂げていたことになる。当時、悪党と呼ばれる階層が出現して略奪暴行を業とし、守護代は守護を倒し、国人層は守護代の領地を蚕食した。破壊はどう見ても破壊であって前進とは言えない。
また、「過去」と言い「前」と言うが、それは何を意味するのか。ポスターだけでは何もわからない。前に進むと聞けば、人は何かが良くなるのではないかと期待する。そして賛同の姿勢をとる。しかし実態は、今生活に苦しむ人々の暮らしが維新の政策によって良くなることはない。今の富裕層がより富裕になるだけなのだ。人々の、明日の暮らしに賭ける様々な思いを悪用し、曖昧な言葉を使って錯覚を誘い中立の人間を自陣に引きこむ、ここに詐欺がある。このやり方は卑怯である。錯覚した人が維新に投票し、政策が自分の理解と違うことに後で気づいた場合には、「調べない方が悪い」という橋下流の言訳が待っている。
ポスターのキャッチフレーズの意味が判らないのでおおさか維新のHPを覗いてみた。噴飯ものの「実績」がそこにあった。詳しくは別稿に示そう。
後戻り、大いに結構。維新が世の中に顔を出す前まで、時間が逆進することを望む。(黄鶴)

1110日 「要望だけが議員の仕事?」
白雲子は9月11日、市議会だより231号の内容に苦言を呈した。私も、市議会だより232号(9月定例会)の非なるところを申し上げる。もちろん、私も編集作業ご苦労様と敬意を表しては、いる。長い質疑・質問を短く要領よくまとめてあるから。
言いたいことの1。議案質疑のいくつかが紹介されているけれども、ここに議員の市政に対するかかわり方がよく映されている。つまり、議案質疑のすべてが、最後が「要望します」で終わっていることから見て、議員は市民の要望を市役所に届ければそれで任務終了と考えているかのように映る。それも仕事の一つではあるが、議員は市の職員に要望するだけの立場ではない。考え違いをしないでほしい。議員は政策を立案し決定するのが本来の役割なのだ。そしてその過程で、専門知識を駆使して素案を作成し議員に協力するのが市の職員なのだ。国会議員は国家公務員にお願いなどしない。大臣・副大臣・政務官として政策の企画実行に携わる。地方議員も本来は同じだ。「要望します」、「検討してほしい」の羅列はみっともない。議員自ら検討して予算案・条例案を作ったらどうか。そういう常任委員会の活用方法もあるのではないか。もちろん調査権をもとにした議員個人の企画でもよい。「お願い」はやめるべきだ。
その2。一般質問はどのような基準で選んでいるのか。芥川緑地プールという地域限定の話よりもマイナンバーや無戸籍、教員の在校時間の長さなど、市民全体に大きな影響を与える話が質問されているのに、それらは等閑視されている。どんなテーマを掲載するか、そこに市議会だよりの価値がかかっている。重みのある順番に掲載してほしい。議員に平等に、座席の順番に掲載する必要はない。(黄鶴)

1109日 「社会不安の始まり」
何気なく新聞のチラシの求人広告を眺めていたら、大阪シティバス株式会社の運転手大募集というのが目に入った。
同社は平成14年以来大阪市交通局からバスの運行の一部を委託され、平成26年度は湾岸地域を中心に53系統、216台のバスを使って678万kmを走行しているほか、USJ行きのバスも運行している。26年度の営業収益は約24億6千万円。営業費用は約24億4千万円で、25年度は赤字だったがこの年度は2千万円の黒字である。ただ、営業費用のうち約22億円、実に90%が人件費であるため、黒字化達成のためには人件費の圧縮が第一条件となる。社員378人中運転手は309人、うち173人が社員で136人が嘱託社員である。過去の流れを見ると、平成21年度は運転手が407人、うち150人が社員で257人が嘱託社員であった。22年度以降、正社員化が進むが、路線の減少もあって25年度以降は運転手の数も激減する。激減の担い手は嘱託社員である。
チラシに戻る。募集の内容は嘱託社員で給与は月額19万円+諸手当となっている。時間外手当や休日給を含めれば月収30万円となる例示もある。勤務時間は4週間平均で週40時間である。
繰り返すが、労働は一日平均8時間が基準でそれ以外に超過勤務もある。人を載せるバスの運転が、である。過酷な勤務体制と見えるがどうだろうか。給与も安すぎないか。これで大丈夫だろうか。末永く勤められるのだろうか。バス運行の安全は保たれるのだろうか。
個人の不安定な身分は、希望のない不安定な社会を作る。バス会社が黒字になればすべて解決ではない。短期的に黒字になっても、実はそこから社会の根底を揺るがす長期的な問題が始まる。市営バスが民営化されれば、この状況が大阪市全体に広がるのである。維新の政策は誤っているというほかない。(黄鶴)

1108日 「維新という教育破壊者」
こんな記事に出くわしました。3年前のものですが、教育の破壊が進んでいることを教員養成の立場から紹介した、今でも生々しい感じの文献です。
http://kyoikunoashita.sakura.ne.jp/naigai74_20120228.pdf
この記事によると、教師の卵たちはどんどん大阪から逃げ出しています。誰のせいで?まあ、読んでみてください。
このままだと、子どもたちは質の良い教師にめぐり会わないまま、自分の才能に気が付かないまま、人として成長しないまま、体だけ大人になっていきます。競争だけを強いられ、豊かな心というものを知らないまま大人になった「子ども大人」はどんな社会を作るのか、恐ろしくなります。
上からの統制と、それに従うだけの質の悪い教師たち。児童生徒の学習意欲をかきたてようと頑張った教師も今は昔。工夫も何もない授業…。そんな教育の破壊は、明日の大阪を破壊することにほかなりません。大阪の繁栄を目指すのとは逆方向に作用するのです。そこに考えが及ばない者は、大阪の明日を設計する政治家としては失格です。過去4年間のそんな流れを、私たちは批判し続けなければなりません。
しかし、維新に都合の悪いことを大新聞は書きません。むしろ維新に媚びへつらう論調の記事すらあります。いま、選挙前ですから、候補者を紹介する際に公平を宗とするのもよいのですが、伝えるべきことを伝えず、市民を盲目状態に置き、誤った方向にリードするのは犯罪に等しい行為です。
仮に新聞メディアに期待できないとなったら、どうすればよいのでしょうか。ネットの力に頼るのも一法かもしれません。拙文を目にされた方!上に紹介した記事の大阪府民への拡散をお願いしたいと切に思います。(空)

117日 「教員の採用数(27年度)
この表は、平成27年度における大阪近辺の教員採用状況です。(資料出所:教育新聞 http://www.kyobun.co.jp/kyosai/rate.html 
人口は各府県HPより)

この中で目立つのは、大阪市の小学校教員の競争倍率の低さです。何らかの理由で敬遠されているようで、557人の枠に1103人しか応募していません。或いは、言い方を変えれば、応募者は普通だったけれども、合格者数が多く、結果的に倍率が下がったのかもしれません。大阪府の中・高校も同様です。
ただ、行政体の大きさに比べて合格者が多いのか少ないのか、この数字を並べただけではわかりません。そこで人口千人当たりの合格者数を調べてみました。すると、大阪市は神戸市・京都市の約2倍の枠だったことが判りました。
合格者≒採用数と思われます。採用が多いと言うことは、それだけ退職者が多いということです。その理由はなんでしょうか。(白雲)

1106 「見ざる聞かざる大学教授」
大学教授やら評論家やらという方々は、こんなにも社会を皮相的にしか見ないのか。
ダブル選挙にからめて、毎日新聞夕刊(10/05)は、3人の識者の意見を並べた。これは談話をまとめたもので、まとめる段階で抜け落ちたものを私が批判することになるのかもしれないが、その点はご容赦いただきたい。
まず、府市特別顧問・慶応大学教授の上山信一氏は言う。「市営地下鉄は348億円の黒字になった、バスは31年ぶりに黒字になった、これは橋本市長の剛腕あればこそだ、都構想が成立すれば市議会もなくなり民営化が可能になるので、経営体質は強化される」と。ちょっと待て。人件費2割削減の憂き目にあった700人のバス運転手の声を聞いているのか。そこに生きる人々の呼吸を感じたことはあるのか。公営企業の黒字は本当に望ましいことか。赤字も黒字も、公企業としての適正な経営方向からずれていることの証ではないのか。剛腕などではない。数の暴力を伴った、実態を見ない短慮の所為にすぎない。
次に前府教育委員長・陰山英男立命館大学教授は、中学校の給食や私立高校の無償化を挙げ「なかなか動かなかった事態を前に進め」たのは功績だと、言う。しかし私は思う。動かなかったのはそれなりの理由があったのではないか。動かなかった原因をさぐり、解決することが政治ではないのか。荷車の進行を阻む大きな石があれば、時間をかけてその石を取り去るべきなのに、石を乗り越えて無理やり進めば、一応進むだろうが、荷崩れするか車軸が折れるか、ろくなことはない。進んだことだけを評価しても正当な評価とは言えないのだ。陰山氏は「教育現場に悪影響を与えることにならないか心配だ」との視点があるから、まだ真っ当だ。
そして府市特別顧問・元経産官僚の古賀茂明氏。合意形成しない、政界引退の橋下氏の立ち位置がわかりにくいなど、全体的な維新批判の論調はうなずける。しかし「私立高校無償化など、めりはりのある予算配分は良かった」と言うが、現場の生の声を知っているのか。教員を悲惨な労働環境に追いやって、他府県以上の教員退職者を出して、それで「良かった」のか。現場を破壊する予算配分が「めりはりがある」のか。
何らかの肩書きをもって、情報の公器に皮相的で思慮浅薄な意見を盛る。それを世間にまき散らす。活字になったものは本当だろうと、庶民はこれを鵜呑みにして投票所に向かう。まことに弊害は大きい。
ついでに言う。世のオピニオンリーダーたち、実に優秀な人ばかりだ。その才は光り輝いている。しかし世の中を見る時、その光が邪魔していないか。必要に応じて自分が発する光を消さないと、暗闇の中で人々が灯す小さな光は見えないのではないか。(黄鶴)

1105 「流浪維新」
おおさか維新結党に参加した国会議員の経歴をウィキペディアで調べてみました( *[氏名 年齢] 学歴 政治家としての略歴)。政党のデパートを見る思いがします。
国会議員19名中、
他党経験者は13名(衆議院9名、参議院4名)、当初から維新所属者は6名(衆議院4名、参議院2名)、
選挙区当選者は7名(衆議院5名、参議院2名)、比例区当選者は12名(衆議院8名、参議院4名)
でした。 (白雲)
【衆議院】13名
[谷畑孝68] 関西大学卒 1989年日本社会党公認 参議院大阪選挙区当選 1996年自民党公認 衆議院大阪14区落選・比例区復活当選 以後大阪14区3期連続当選 2012年自民党除名 日本維新の会入党 同年大阪14区当選
[松浪健太44] 早稲田大学卒 2002年自民党公認 衆院選大阪10区当選 2003年落選するも2005年以降は比例復活を含め連続当選 2012年自民党除名 日本維新の会入党 同年大阪10区当選 2014年大阪10区落選比例復活
[下地幹郎54] 中央学院大学卒 1996年自民党公認 衆院選沖縄1区落選比例復活 2003年沖縄1区落選 2005年民主党推薦沖縄1区当選 同年政党そうぞう代表就任 2007年国民新党・無所属の会入会 2008年そうぞう離党国民新党入党 2012年沖縄1区落選 2013年国民新党離党 2014年維新の党公認 沖縄1区落選比例復活
[井上英孝44] 近畿大学卒 2003年自民党公認 大阪市議会当選 2010年自民党離党 大阪維新の会結党に参加 2012年衆院選大阪1区当選 2014年衆院選大阪1区当選
[馬場伸幸50 ] 大阪府立鳳高校卒 1993年堺市議当選(自民党)2010年自民党離党 大阪維新の会結党に参加 2012年衆院選大阪17区当選 2014年衆院選大阪17区当選
[遠藤敬47] 大阪産業大学付属高校卒 2010年大阪18区で次期選挙の自民党公認 しかし反対者がいたため2012年自民党離党 日本維新の会入党 2012年衆院選大阪18区当選  2014年衆院選大阪17区当選
[丸山穂高31] 東京大学卒 2012年日本維新の会公認 衆院選大阪19区当選 2014年大阪19区当選
[足立康史50] 京都大学卒・同大学院修士修了 アメリカ・コロンビア大学大学院修士修了 2011年みんなの党入党 2012年同党離党 日本維新の会入党 2012年衆院選大阪9区当選 2014年衆院選大阪9区落選比例復活
[伊東信久51]神戸大学卒 大阪市大大学院医学研究科修了  2012年日本維新の会公認 衆院大阪11区当選 2014年大阪11区落選比例復活
[浦野靖人42] 聖和大学卒 2003年自民党公認 大阪府議会当選 2011年大阪維新の会公認 府議当選 2012年日本維新の会公認 衆院大阪15区当選 2014年大阪15区落選比例復活
[木下智彦46] 慶応大学卒 2012年日本維新の会公認 衆院大阪8区当選 2014年大阪8区落選比例復活
[椎木保49] 東海大学卒 2012年日本維新の会公認 衆院千葉13区落選比例復活 2014年大阪2区落選 2015年10月9日吉村洋文辞職により繰り上げ当選(比例区) その際おおさか維新の会には参加しないと誓約書提出 しかしそれを反故にして10月31日おおさか維新結党に参加
[河野正美54] 愛知医科大学卒 2012年たちあがれ日本福岡県第四選挙区支部長  2012年日本維新の会合流 福岡4区落選比例復活 2014年維新の党 福岡4区落選比例復活
【参議院】6名
[片山虎之助80] 東京大学卒 1989年自民党公認 参院岡山選挙区当選 2007年参院岡山選挙区落選 2010年たちあがれ日本入党 同年参院比例区当選 太陽の党を経て日本維新の会合流
[室井邦彦68] 追手門学院大学中退 尼崎市議・兵庫県議を経た後、1996年自民党公認 兵庫8区落選 2000年無所属 兵庫8区落選 2001年自由党公認 参院兵庫区落選 2003年民主党入党 衆院兵庫8区落選比例復活 2005年衆院選兵庫8区落選 2007年参院比例区当選 2013年民主党離党 参議院辞職 日本維新の会入党 同年参院比例区当選
[東徹49] 近畿大学卒 東洋大学大学院修士修了 2003年自民党公認 大阪府議当選 2010年大阪維新の会参加 2013年参院大阪選挙区当選
[清水貴之41] 早稲田大学卒 2012年日本維新の会公認 衆院兵庫4区落選 2013年参院兵庫区当選
[儀間光男72] 東京農大卒 1972年浦添市議当選 1980年沖縄県議当選(自民党)2001年浦添市長当選 2013年浦添市長選落選 同年日本維新の会公認 参院比例区当選
[藤巻健史65] 一橋大学卒 2013年日本維新の会公認 参院比例区当選

1104日 「月払いの政務活動費」
高槻市のHPの中に、政務活動費収支報告書のページがある。ここに「※二木議員は平成27年度4月分の政務活動費の交付申請をしていません」という記述があって、一見、奇異な感じを受けた。
そこで、あらためて政務活動費について振り返ってみた。
政務活動費支給の根拠は地方自治法にあり(第100条14項)、支給についての詳細は条例に委ねられている(高槻市議会政務活動費の交付に関する条例)。この条例により、政務活動とは、
① 議会審議にかかる案件等についての調査研究及び情報収集、
② 市民の要望聴取等、
③ 市民に対する広報活動、
④ その他議長の認める活動、
であり、
政務活動費は、
月額 70,000円
と、定められている。このほか、政務活動費を充てることのできる経費について詳細を定める文書もある(HP参照)。
思うに、「月額」という定めには意味がある。ただ漫然と年額を12カ月に分けたのではない。例えば日給がその日の労働に対して支払われる賃金であるように、月額の政務活動費は、その月の政務活動に費やす経費を補てんするものである。つまり、条例は一月毎の政務活動をひとくくりとしているのである。
さて、4月とはどのような月であったか。統一地方選挙の月だった。高槻市議選も4月19日(日曜)に告示され、26日(日曜)に投票が行われた。…のだが、告示前から候補(予定)者がいろんな活動をしていたのを思い出す。つまり選挙の月である。4月どころか、3月から市議会は選挙一色で、3月議会では一般質問の時間もなく、議案に対する質疑も少なかった。
選挙のある4月という月には、通常の政務活動は実行の見込みがないので、その経費も要求しない…。考えてみれば、こちらの方が至極まっとうな話である。聞いてみなければ二木氏の真意はわからないが、一番自然な形である。議員であるからといって当然のように要求するものではないのだ。月払いの主旨を考えることもせずに請求して未使用のまま返却した議員もいるが、初めから請求しない方がよかったのではないか。この月に政務活動費を使用した議員は、選挙とは関係のない通常の政務活動があったのだろう。その詳細を聴いてみたい。(黄鶴)

1103日 「おおさか維新」
10月31日、維新が新党を立ち上げたらしい。
「らしい」と評するレベルの話だと私は思うのだが、なぜかマスコミの扱いは大きい。ある全国紙はこの日、夕刊1面の半分以上を充て、NHKは7時のニュースの30分のうち3~4分(計測していないけれど)を使っていた。維新としては宣伝になって有難いことだろう。しかし、何ゆえに、これほど騒ぐのか。
① 大阪ダブル選挙に勝ちたくて話題作りを試みた、それを大きく宣伝してほしいと維新から依頼でもあったか。まさかそれはないだろう。
② 維新を扱えば新聞が売れるのか、視聴率が上がるのか。あり得る。善きにつけ悪しきにつけ、維新は話題性がある。マスコミはそういうものには弱い。
③ 維新を支援する官邸からの圧力が絶えないのか。これもあり得る。沖縄の新聞をつぶせと自民党の若手がかつて言った。これは思いつきで言ったのではなく、権力はマスコミ操作というものを常にやっていて、それを見習った若手代議士がつい本音を言ってしまったのではないか。国民はマスコミとは公正なものだと信じて素直にニュースを受け入れる。そして受け入れた情報だけを判断材料とする。そんな国民の習性を知っているが故に権力はマスコミを操作する。だから私たちは、報道とはそういう側面をもつものだと、一歩引いてニュースに接したほうがいい。権力にすり寄って自分の党勢を伸ばしたい維新、維新の勢力を使って数の力を増し改憲に進みたい官邸。両者は利害が一致する。
マスコミの使命は何か。公正な世論作りに資する客観的な報道を素早く行うことに尽きる。報道すべきものは社会の真実である。政府の作る虚像ではない。もちろん言論の自由に基づく意見の主張はあってもよい。偏らない歴史観に立脚した、天道に従う意見を言うのはよい。しかし世論の誘導はいけない。大東亜戦争の前のように権力の手先になって国民を煽ってはいけない。(黄鶴)

1102日 「ネット利用の状況」
3 説明責任の果たし方のとおり、10月末現在のネット利用状況が白雲子によって調査済みである。
これを見ると、高槻市議会議員のネット利用状況には非常に大きな格差がある。基本政策を表わすページのほかに日々ブログを更新する議員がある一方で、何もしない議員がいる。…ネット利用だけが説明責任の手段ではないのだが。
議員は日々変転する社会情勢を真っ先に知るべき立場にある。で、ありながら、新しい通信手段になじもうとしないベテラン議員の姿勢は問題ではないか。世の中の変化を踏まえぬままに時代に即した政策立案ができるのか。また若年にもかかわらずネット利用に背を向ける議員がいるが、論外だ。
3 説明責任の果たし方には、また、1カ月で何回ブログの投稿がされたかを示すグラフも示されている。選挙のあった4月と、選挙から半年過ぎた10月とを比較してある。このデータだけでそれと決めつけることはできないが、選挙には熱心だったがその後は…という人も窺えて、興味深い。
ブログとは何か。まず、ブログによって市政の問題点、自分の考え方や日々の活動状況を伝えるのは、貴重な記録になる。そしてブログは人の真価を伝えるものである。人でもモノでも真価と評価は違う。欠けた茶碗が百両の値が付くこともあるし、太公望呂尚は文王に見出されるまで誰にも認められなかった。議員について言えば、得票数は市民の評価(あるいは期待)である。真価と比例しない。活動状況や政治的主張を展開するブログの文章は、議員の生の姿、真価を示すものであろう。文は人なり、である。
ひと月に20回以上書き続けるのは大変なことである。毎日となれば、なおさらのこと。それなりの資質と努力が相まって、初めて実行可能となる。それを実行中の吉田章浩議員、三井議員は敬服に値する。今後もなるべく続けて欲しい。市民は議員のブログによってその政治思想を理解し、また市政への真摯な取り組み方から何かを感じることもある。
市政に関するさまざまな問題に取り組めば、自ずと思いも湧きおこるはず。なぜそれを公にして市民に訴えないのか。私にはそこが理解できない。市会議員になっただけで目標完遂なのだろうか。
ちなみに、前議員でも二木氏は今なお健筆をふるっている。活発な日々の活動が背景にあるようだ。和田氏は最近途切れているが再開を期待したい。蔵立・平井両氏にも言論の自由はあるのだが。(黄鶴)

1101日 「ぶろぐ日曜版 ため池のお地蔵はん」
京都大原野上羽町のため池の脇に小さなお地蔵様が立っています。そばに由来を書いた看板がありました。高槻の話ではないのですが、紹介します。
「秋の終わりごろ、この前の池を空にして、北の町総出で毎年雑魚とりやったもんだ。みんなで掻き回す泥の底に長いことお地蔵はんがあったん、気付く人居なかったんや。昭和30年ごろのお話やった。泥の中を足で、こんなとこに石があると思い、よく見るとびっくり仰天、お地蔵藩やった。息子の寅やんに相談、さっそく大工の高田はんに頼んで館が作られた。お地蔵はんは水でよく泥を落とし赤いよだれかけをして、花や線香で、五日目には、ワテ心をこめて祭ったえ。その晩やったかなあ。ワテの枕元にあのお地蔵はんが出て、太い声で『オシゲハン、明ルイエエ処ヘアゲテクレタナア。コンナ嬉シイコトナイデエ。オオキニ。コノオ礼二病気セント長生キスルヨウニ、キット守ラセテモラウデエ』と云わはった。目を開けたら夢やった。けどけど、声だけ今でもはっきり耳に残ってる。ワテ嬉しなって、それから毎日お詣りしてるねん。3年ほど前の夕方やった。「オーイ」と声がした。びくりして四方見たけど誰もおらん。思い出したら忘れもせんあの太い声やった。よう見たら三百円お供えしてあった。役員さんに納めといた。気にしてはったんやろなぁ。今までそんなこと二回程あったわ。ワテ今日まで長生きさしてもろて、よう考えてみたら、ほんまに結構なご利益もろててんな。お地蔵はん、おおきに。
みんなにもよろしいお願いします。
昭和五十八年五月吉日
上羽シゲ九十四歳
平成二年一月七日 永眠 享年百一歳」

1031日 「ダブル選 ほくそ笑む官邸」
エコノミスト11月3日号p 46~47「橋下・維新が制して国政へ 大阪ダブル選の深謀遠慮」を要約する。記事の筆者は大阪在住のジャーナリスト 今井一氏。
「橋下・維新は改憲を唱えており、安倍首相と方向が一致する。
5月の大阪都構想についての住民投票で負け、党は分裂、普通ならとても知事選など戦えないはずだが、市長選・知事選とも維新は優勢に立っている。
住民投票では自民・共産が協力したがここへきてヒビが入っている。10月12日に自民党大阪府連に新会長として選出された中山泰秀衆院議員は、『共産党に対して要請することなどあり得ない』と言明。これは維新を盟友として活用したい安倍首相の気持ちを斟酌したのだろう。
住民投票の後、いわゆる二重行政解消のため大阪会議が設置されたが、機能不全に陥っている。維新の方は、住民投票で否決されたものを1年以内に再び持ち出しても理解は得られないので、とりあえず票を取りやすい改革路線を打ち出し、ダブル選に勝った後に、おいおいと都構想の話を進める算段である。
しかし、維新・自民の応酬は市民不在。どちらが勝っても市民は敗者のまま。大阪の再生は望めない」
*********************
ダブル選は、大阪府・市における維新・反維新の戦いではない。実態は、官邸+維新、対するに反維新連合、という構図なのだ。言うまでもなく官邸は自民であり、反維新連合の一部も自民。それは尻尾を食べようとする蛇のようだ。それにからまるように、総理への点数稼ぎをもくろむ成蹊大学の後輩の自民党中山泰秀衆院議員(45)(大阪4区)は、府連会長になるや否や、この記事のとおり反維新連合にくさびを打ち込む姿勢を見せた。そして報道によれば30日、重ねてそれを実行に移し、共産党系の市民団体が開いた「さよなら維新政治」に出席した柳本卓治参院議員(70)に口頭で厳重注意した。同参院議員は市長選に立候補予定の柳本氏の叔父にあたる。
改憲のための議員3分の2の票が欲しい官邸。票にさえなればだれでもよい。官邸としては、ここで維新は勢いをつけてもらわねば困る。大阪の教育その他について維新がどんな悪政を布こうが、改憲という日本の大事の前には、それは小事なのだ。
しかし、大阪はそれでよいのか。日本もそれでよいのか。(黄鶴)

1030日 「質疑質問数まとめ」
高槻市議会の第3回定例会(6月22日~7月16日)の議事録が10月下旬に市のHPに掲載されましたので、これまでに分かっている質疑・質問数のデータをまとめました。その詳細は7 基礎資料に、一覧図は 1 市議会という舞台で 第一部 にアップしました。(9月議会の常任委員会における発言数は、議事録公開後に調査します)
データ収集の対象になっているのは、
・常任委員会1日、本会議9日間における議案67号から103号まで37件の議案、その他若干の認定・報告案件に対する質疑
・定例会2回分の一般質問
です。
これに対し、質疑・質問数の多いのは、
北岡議員の27件、
少ないのは
久保隆夫議員と木本祐議員の0件
でした。(白雲)

1029日  「ユーは何しに鹿児島へ」
市のHPを見ると、8月6~7日、自民党・蒼政会の竹中・田村・真鍋議員、市民連合の久保隆夫・久保隆・段野・山口議員合わせて7名が、「セーフコミュニティ推進事業」及び「コミュニティビジョン推進事業」視察のために鹿児島市に、そして「人権・平和に関する取り組み」視察のために南九州市に派遣されている。これについてコメントしたい。
① 鹿児島といえば、明治維新関連の史跡や桜島その他で有名な観光地。南九州市と言われてもピンとこないだろうが、地図を見れば真ん中に知覧特攻基地跡がある。
② セーフコミュニティにしてもコミュニティビジョンにしても、それらがどんな取り組みなのかは、鹿児島市のHPに明らかである。わざわざ行くまでもない。HPには書けない本音の部分もあるに違いないが、現地でそれを聞いたとて、出張目的を阻害するだけで、役には立たない。本音とはそういうものである。
③ コミュニティには、それぞれの長い歴史に由来する個性がある。視察に行ってもマネができるものではない。特に鹿児島には古来「郷」という制度があって、身分制を帯びたコミュニティ内部の結束の強さは今も残る。
④鹿児島市は県内における一極集中の結果として膨張した部分があって、そこは経済成長期の急拡大都市・高槻と類似した性格がある。
⑤以上要するに、公費で観光地に何の目的で行ったのか。個人的に得るところがあるのなら、それは自費で行けばよい。議員派遣の計画・実行・結果のレビュー・果実の反映という要素の一つ一つの詰めが甘く、プロセスとしてもまったく成り立っていない。
他の会派視察も同様である。無駄な出張はやめるべきである。旧弊を何の疑問もなく受け入れる新人議員も嘆かわしい。
ちなみに標題のユーはもちろん複数形のyou(*)である。(黄鶴)
(*)単複同形のyouは、13世紀にフランス語から単数として入ってきたのが、後に複数にも使われたという説と、古英語2人称複数ye の対格・与格だからもともと複数だという説とがある。

1028日 「政治への関心を育てるには」
「政治に関心ありますか 18歳選挙権導入へ」と題したNHKのクローズアップ現代(10月21日)は、30分では物足りない番組だった。もっと時間をかけて掘り下げたいテーマだった。
番組はまず、ある高校での公民の授業を取り上げた。今度の法改正によって18歳以上の若い人は選挙権を得るが、それに備えての主権者教育の一つとして、授業の中で集団的自衛権を材料に討論しようという試みを紹介した。しかしこういう試みには、学校教育の政治的中立性維持の難しさが伴う。親・政治家からの圧力、偏向教育と見る、それこそ偏見であるものが新しい試みを妨げる。だから多くの学校はこうした微妙な問題からは逃げる。それが生徒を政治的に無知な状態のまま世に送り出しているのではないかと言う。正鵠を射た指摘であった。
自分の過去を振り返っても、当時、公民という科目はなかったが、高校では政治を身近に感じさせる授業はなかった。考えさせる授業、面白い授業を企画する教師には出会わなかった。むしろ政治的意識に染まらないまま卒業する方が健全だと言う風潮すらあった。それが高度成長の戦士を産んだのかもしれない。強く反省するところである。今からは、学校でも家庭でも、日常的に政治を語ってもらいたい。
番組はまた、新城市の若者議会をとりあげていた。16歳の高校生から29歳の社会人まで20人が任命され、政策提言を行うのだ。それは図書館の在り方など具体的なものであり、政治と若者の間の距離を縮める作用をなした。
日々新たな挑戦はすばらしい。自治体であれ企業であれ、挑戦のない者は生き残れない。団体でも個人でも、挑戦して新しい日々を得ていくことは、勝利に直結する。議会も然り。挑戦のない議員は議会には要らない。(黄鶴)

1027日 「教育現場の混乱」
ひとつの事実をお伝えします。
高校の無償化は2010年度から始まっています。大阪ではその財源を教員の人件費の削減によって調達しています。すなわち、教員のうち2割ほどは講師として採用し、その給与を低く設定することによって教員全体の人件費を抑えています。講師だからといって軽労働というわけではありません。
この給与面や他の要因もあって、大阪では教師のなり手が少なく、小学校教員の採用試験の倍率(2015年度)は、京都市の4.4倍、神戸の4.6倍に対し、大阪市は2.0倍、大阪府は3.2倍という現状です。ちなみに中学校の倍率は、京都市9.5倍に対し、大阪市6.2倍、大阪府4.8倍です。神戸市はデータがありません(教育新聞調べ)。なり手は少なく、辞める人は多く、教育の現場は混乱しています。
以上は、ある会合で昨夜聞いた、教師を辞めたばかりの人のお話です。大阪府政の一つの断面を示しています。こういう話を、一部の浮いた活動家がするのではなく、ふつうの奥さんの井戸端会議の中で出してもらって、政治の在り方を考える道しるべにするのもよいことかと思います。
1年の計は米を作るにあり、10年の計は木を植えるにあり、100年の計は人を作るにあり。そういう格言を死語にする町では困るのです。(白雲)

10月26日 「ダブル選の情勢」
大阪府知事・市長ダブル選が1か月以内に迫ってきた。次第に報道も熱を帯びてきている。新聞社による世論調査の結果、市長選は拮抗、府知事は松井氏優勢と伝える。また、この4年間の維新による府・市政を「評価する」が市内で61.8%、府全体で63.0%を占めたという。
この数字を見て思うのは、この世は宣伝が一番重要ということだ。見た目8割、口先9割でコトが決まるのが大阪の政界である。
教育長人事や区長人事の失敗、ミラノ出張の無駄遣い、再議権濫用による混乱、対立だけで前進しない府政・市政。失政を数え上げればきりがない。なのに、支持がある。この不思議さは何に由来するのか。
一つには橋下氏の口舌にある。ないものをあるといい、欠ける部分を隠す、その流れるような話法に、時々それを聞く人は己が期待も込めて自分の中に幻想の世界を作り上げる。信仰に近い心理状態である。一事をもって万事を見通せというのは無理かもしれないが、大阪の有権者には、よくよく真実を見極めてほしい。この4年間、本当に維新の政治で大阪が救われたか。維新以前の体制のときの努力の成果が数年後に現われても、中央政界の政策の果実が大阪に現われても、維新はそれらすべてを維新の手柄にしていることを見抜かなければならない。石原慎太郎氏に軽んじられて日本維新の会が分解し、松野・江田両氏に嫌われて維新の党が分裂したのはなぜなのか、自民党幹部に利用されているけれども重視されていないのはなぜなのか、よくよく考えてほしい。
もうひとつ、庶民の現状への不満がある。東京一極集中による大阪の地盤沈下、正社員になれず給料も上がらない生活の苦しさ、等々。溺れる者はワラをもつかむ、そのワラが維新なのだろう。耳ざわりの良い言葉は頼りになる気がするものだ。しかし地方の地盤沈下は近代日本の歴史の帰結の一つであって、大阪の政体を少々いじったところでどうにもなるものでもない。生活の苦しさは経済のグローバル化でふつうの生産活動が途上国に流れた中で日本の産業転換の遅れたことが原因だ。大阪の政治だけでは改善は難しい。今必要なのは国を挙げての地道な長期計画なのだが、その立案は思慮浅薄な政党には無理だ。
考えてみることもしないで他人に自分の運命を委ねることを、私達は繰り返していないか。自分で選んだ道であることを忘れて、出くわす艱難辛苦を天運のごとくに諦めてしまうことはないか。多くの大阪府民が、そうならないように祈る。(黄鶴)

1025日 「ぶろぐ日曜版 三島鴨神社秋祭り」
神を迎える大きな提灯が、集落の入口に、そして家々の玄関に灯される。現代の強烈な閃光を見慣れた目には、その灯りはぼんやりと見えるが、懐かしい色である。
10月第4土日は三島鴨神社の秋祭り。参道の両側には手作りの灯篭が百個近くも並んで足下を照らす。夜の7時半ともなると、柱本・西面・三島江の村々を発して練り歩いた高提灯の列が、それぞれに参道に入り、唄に包まれて宮入りを始める。あまり抑揚のない宮入の唄は、一人が唄い、句切りに全員が力強い合の手を入れる。村によって、唄の調子が少し違う。夜の闇の中、少しずつ近づいてくる唄声は、幻想的で、遠い世界を思わせる。唄う人たちはみんな、同じ集落の住人。そろった合の手の声の中に強い連帯感を感じさせる。祭を通じて地域社会が生きている。すばらしいことだ。
ところで宮入唄は、伊勢道中唄が元唄だとか。いつごろ導入されたのか、そのきっかけは何だったのか、興味がわく。お伊勢参りが盛んだった江戸後期だろうか。主として寿ぎ唄であるが、時に即興的なものもあり、「色が黒くて嫁のもらい手がないならば、山のカラスはみんな後家」などと聞くのは楽しい。しかし、闇に響く唄声は、遥かな連想を呼び起こし、昔の歌垣もかくやと思わせるのである。(黄鶴)

1024日 「ハニートラップは日本にも」
ハニートラップは日本国内にもある、と友人は言う。以下、友人の話を載録する。
「外交官がどこかでハニートラップにかかったという話があるが、日本国内にもあるぞ。ただ、だな。もしかしてあれはハニートラップじゃなかったかと後になって思うような、実に巧妙なものだ。
例えば、女は留学生と偽って、ホステスなどをやる。その仕事の間に客の中からこれはと思う男を選ぶ。その男は、外交・防衛・治安官庁の幹部、民間ならばメーカーの製造や開発担当。そういう男が狙われる。そして女は、さりげなく近づく。一歩ずつね。獲物に忍び寄る豹のようなものだ。
もちろん、最初から男の仕事の話など聞き出さない。まずは親しくなることに努める。食事だのなんだの、いろんなことをやって、少しずつターゲットを虜にしていく。独身の男なら家に行くとか。そして男が心を許した頃から、仕事の話を聞き始める。家族同様に思う相手がまさかスパイとは思っていないから、ぽろっと大事な話をしてしまう男もいるのだ。その近づき方、世間話のなかに重要な話を盛りこんだりする話法、その辺りが実に巧妙なのだ。ハニートラップにかかりながら、それと気づかぬ男もいるんじゃないかな。事実は小説よりも奇なり、だよ」(空)

1023日 「中共と橋下氏」
標記の二者に対し、つい私はイメージを重ねてしまう。
遠交近攻の策というのを、昔漢文の授業中に聞いた。今、ヨーロッパへの輸出を確実なものにしたい中共は遠いイギリスと交わり、隣国日本へはいろんな攻撃を仕掛ける。大阪維新は、かつての「みんなの党」の渡辺氏と会談し、維新の党東京派と敵対する。
六韜の中の龍韜は、清廉な敵将は侮辱して怒らせるべし、相手をすぐに信用する敵将はあざむくべしと教える。中共は、国連の場で「尖閣を盗んだ」と日本を口汚くののしる。日中共同開発の約束を破って単独でガス田開発を進める。大阪維新は、東京系を「偽の維新」だから「潰しにかかる」と言う。毎日発言内容を変え周囲をあざむく。
同じく龍韜は、欲深な敵将には財貨を贈って買収すべし、と記す。呉子の論将編も同じことを書いている。確証はないが、インドネシアの高速鉄道が、地質調査や市場調査など日本の周到な準備活動にもかかわらず、中共案に決まったことを思いだす。インドネシアの政権が替われば真実は明らかになるだろう。また、ハニートラップも中共にはある。
中共では今も、国の政策の中に兵法の古典が生きている。しかし、兵法とは敵に勝つために用いるもの、である。つまり日本を敵としか見ていないことになる。共に協力してこそ繁栄の道が開けるのだが、そうする態度はない。大阪維新も同断である。
上に引いた呉子は、図国編でこう述べる。「有道の主は、まさにその民を用いんとするや、まず和して然る後に大事をなす」と。国内(組織内)が和していない状態で外国(組織の外)に戦いを挑んでも負けるという法則を、呉子は通覧した歴史の中に見出したようだ。標記二者にも参考になりそうな法則である。なお、中国共産党と中国国民一般は同一視できない。よって標題では中国共産党を略して中共とした。(黄鶴)

1022日 「大阪系維新の刑法犯」
新聞報道によれば、維新の党の代表印や政党交付金が入金される通帳が大阪市の党本部にあるとのこと。これに関係する犯罪の臭いがある。
まず、この代表印を使って総務省に分党の申請をして政党交付金の分与を受けようとする動きがあった。これは私文書偽造の罪に当たる疑いがある。刑法第百五十九条は次のように定めている。「行使の目的で、他人の印章若しくは署名を使用して権利、義務若しくは事実証明に関する文書若しくは図画を偽造し(中略)た者は、三月以上五年以下の懲役に処する。」と。代表権のない者が、維新の党の代表者の了解もなく代表印を使って党が発簡した形の文書を作る、これは犯罪である。子供でもわかる。これが維新における刑法犯の疑いの第一である。(注:判決が出るまでは、「疑い」の状態。以下同じ)
第二。本年度第三回の政党交付金が各党の口座に入金された。維新の党の口座は直前に凍結されたとの報道もあってよくわからないのだが、振り込まれていれば維新の党には6億6千6百万円。それを大阪系議員は東京の党執行部に渡そうとしていないと昨日の毎日新聞の記事にある。仮にそうだとすれば、そしてその状態を長く続ければ、刑法第二百五十三条「業務上横領」の罪が成立する疑いがある。同条は「業務上自己の占有する他人の物を横領した者は、十年以下の懲役に処する。」と、定める。この場合、所有者を排除して自己のためその占有を持続すれば犯罪は成立する、また、占有者が自己の利益取得を意図しなくても、不法取得の意思が成立すると判例は示す。つまり、自分のためではなくても、大阪系維新のために占有を続けると罪になるよと判例は教えている。
これらの例は、大阪系維新が、犯罪を犯罪と認識できない集団であることを示している。この社会規範に対する認識水準を見ても、選挙前の話題作りとして敵を作り攻撃することによってのみ自分の存在を主張する戦術を見ても、大阪系維新は政策集団ではなく単なる徒党であるとしか言えない。批判にも値しない。高槻市議にも大阪維新に属する議員が3人いるが、その集団の本質をよく見極めてほしい。いずれ一般市民が大阪維新にがっかりする時が来るが、それよりも前に。そうそう、大阪維新からは軽減税率をどうするという話は流れてこない。政党交付金の奪い合いで忙しいからか。(黄鶴)

1021日 「選挙まで私は忘れない」
おかしい。これは間違っている。そう思わざるを得ない挙動を示す人物が、今の日本に2人いる。1人は海上自衛隊の観艦式の後、米空母ロナルド・レーガンを訪艦し、あまつさえ同艦の艦載機の操縦席に座った。1人はある政党を離党したにもかかわらず、いまだにその政党の党首であるがごとく、臨時党大会を開いて党の解散を決議すると言った。
まずアメリカの戦闘機のコックピットに座って笑顔を作った人。一国の総理として、まことにふさわしくない行為である。アメリカという空母に乗る日本という艦載機…、そんな風刺漫画の構図そのものではないか。図らずも…いや、図ったことなのか、これは日本がアメリカの戦略の一部分を担当する存在であること、アメリカのパートナーではなくパーシャルに過ぎないことを象徴する行動となった。これによって日本人は独立国の国民であるとの矜持を完全に捨てることを余儀なくされた。(形ばかりではあったが、これまでは保っていた)。過去このような総理がいたか。思い浮かばない。平和日本のイメージとそぐわないから、誰もやらなかったのだ。慨嘆に堪えない。ついでながら、戦闘機のパイロット席に座るということは、一国の総理が「私の階級はこの程度」と言うようなものだと私は感じる。詳しくは知らないが、飛行隊長でも少佐か中佐程度ではないか。その意味でも日本国民全体を貶めることになりはしないか。
維新を離党したはずのもう1人も、言うことやることが理解できない。1日前には分党を主張する党員を抑えるかのように分派と言っていた。一日過ぎたら解散になった。おおさか維新の会には政党助成金をもらえそうにないから、分裂相手の維新の党の助成金も邪魔しようということか。しかしまあ、中身が何にせよ、離党した後に言う資格があるのか。会社を辞めた顧問が社長を無視して会社の経営を左右できる、そういう会社が日本にあるのだろうか。
政治家に必要なことは、ひとつには、自分の夢を実現するために権力をふるうことではなく、国民の夢を実現するために努力することではないのか。また、発言、すなわち国民との約束は、徹頭徹尾守りぬくことではないのか。
おかしいことをおかしいと直言する人は側近にいないのか。いないのならば、いても本人が聞き入れないのならば、こういう2人は速やかに退場してもらいたい。そのための選挙も1年以内にある。昔の呉越の戦いで、臥薪は3年、嘗胆は20年の期間があった。1年はそれより短いから、私は絶対にいろんなできごとを忘れない。(黄鶴)

1020日 「パブコメ如何にあるべきか その拙論」
パブコメのありかたを問うことは、市政への市民参加のありかたを問うことに等しい。
市民参加については、そもそも市民を代表した市議会があるのだから、付加的なシステムは不要であるとする考えがある。しかしこれは、法律や行政のプロの選良が市民全員を代表して議員になっているという理想的な代表制民主主義が実現されたときの話で、実際は違う。
まず市議選の投票率が低く、議員は市民全員の代表にはなっていない。少数意見を代表する候補者が落選した場合、その少数意見は議会に届かない。さらに、入院等で投票できない人もいる。転入してきたばかりで土地にも人にもなじみがなく棄権する人もいる。そして選挙はといえば、然るべき政見もビジョンもないままに候補に立ち、選ぶ方も定見や信念もなく「あら、若くて、いい男!」というレベルの人気投票を行う。その結果として議場に参集した市議たるや、必ずしも全員がプロの選良ではなく、市民のニーズを知らず照らすべき政治の鑑も持たないため議場で何も質問できない議員や、質問原稿の漢字を読み間違える議員が、少なからず存在する。
このような間接民主主義の欠陥がある以上、議会とは別の市政参加の場は不可欠となる。その場の一つがパブコメである。
この制度が、高槻市においては、今は単なる「指針」に基づくことには疑問がある。指針とは事務手続きに関する内部規則である。上記のとおり議会の現状は質が高いとは言えないが、それでも市民の共同意思である条例の形が必要である。現に豊中市もその条例を持っている。指針と条例では規範としての強制力が違う。パブコメが条例で定められていないこと自体が、高槻市の市民参加への市政を象徴している。
パブコメについて、行政手続法は国の各行政庁に対し、命令等の具体的な姿が明らかになってからと指示している。たしかに基本理念だけを示されてもコメントの方向は発散するが、さりとて法案の国会審議の末期に行われる公聴会のように、最終段階で儀式として行われてもたまらない。のれんに腕押し、何を提案しても聞き流されるのではパブコメを行う意味もない。そんなことでは市と市民との信頼関係を壊すだけである。基本となる法律には従わねばならないから、具体的な姿が見えてからというタイミングは押さえながら、さらに原案段階でのパブコメも実施すべきである。高槻市で現在実施中のパブコメは素案の段階で行われており、概ね満足できる。
パブコメの対象については、先日述べたように各部の所掌に留まらず、市民の権利義務に関わるものすべて、つまり議員定数など議会関係の条例・規則、各種委員会の活動にかかる条例など全てをその対象とすべきである。市の事務局が恣意的に範囲を狭めるのは、市民の知る権利と参加する権利を制限することになる。
パブコメを実施しているのは現在、それぞれのパブコメ案件を担当する所管課であるが、これでよいか。統一的な処理をするためには、法務課などに窓口を設け一括処理したほうが合理的ではないか。
そして、パブコメは他の手段による市政への市民参加(たとえば市のHPにある「提案の広場」、タウンミーティング、審議会)と有機的に連携するような制度設計が必要である。案件を企画し、パブコメに出し、意見を集約して具体案を作り、またパブコメに出すという反復的な意見聴取体制が望ましい。
このようにして、立法過程・政策立案過程の透明化・協働化が達成されていけば、市政に関する情報が早めに市民に伝達され、すべての政策にすべての市民の意見が多面的に反映され、市の説明責任も十分果たされることとなる。
残された問題は、立派なパブコメ体制ができあがったとして、その中に生きる市民の政治的成熟度である。今は十分とは言えないが、まず子どもの頃の小中学校での教育、長じて後の身近な問題の呈示、住民投票、そして頻繁なパブコメ案件の提示など市からの積極的な働きかけによって、次第に改善していくと思うのであるが、この点は機会をあらためて述べたい。(黄鶴)

1019 「パブコメ如何にあるべきか①」
かえで「ママ、昨日上空を飛びながら下界を見てたらね、いっぷう変わった爺さんがいたよ。」
御島媼「どんな?」
かえで「白くて長~い服を着て、日曜日なのにね、出かけもせずにパソコンの画面をじっと睨んでいたり、かと思うと窓から空を見上げて太陽に向かって手を合わせたり、そのままニッと笑ったり」
御島媼「パソコンのゲームに負けて、次は勝たせてくれとお祈りしていたんだ」
かえで「ううん、もっとまじめな顔」
御島媼「ほぉ」
かえで「その様子が面白いから、降りてみたの。その爺さまの目の前に」
御島媼「驚いたでしょうね?」
かえで「ちっとも。500年前の大永だか天文だかの頃にも同じことがあったんだって」
御島媼「は?…もしかして、それ、あたしだったかも」
かえで「若い娘と話すのは久しぶりだと、爺さま、喜んでたけどね。変わってるぅ~と感じたのも当然。もう何百年もこのあたりに暮らしてる、私たちと同じ世界の人だったのよ」
御島媼「あらま」
かえで「爺さまの身体は借りてるけど、中身はひとすじに理想を追ってて、この世は善意と誠意によって成り立っていると思ってるみたいで、まあ言ってみれば子どもみたいな、化け物みたいな」
御島媼「化け物の一種ではあるかも。八百比丘尼と八百坊主。で、パソコンで何を書いてた?」
かえで「パブコメ如何にあるべきか」
御島媼「ぱぶこめ?刈り入れの時季だし、新しい品種の米かい?」
かえで「いいえ、public comment の略。意見公募」
御島媼「そうか。かえでは物知りじゃ」
かえで「パブコメは何のためか、何を対象に、いつ実施すべきか、と、パブコメの理想の姿を一所懸命書いてた」
御島媼「どれどれ、読んで進ぜよう」
かえで「固くて長い文章だから、明日にでも読んでね。これは深い林の芝蘭のようなものだと、その爺さまが言ってた」
御島媼「さよか。ではそうしよう。ところで、爺さまは何をお祈りしてたのかや?」
かえで「パブコメの体制が理想どおりできたとしても、問題はそれを与えられた庶民の側にある、庶民の目を政治に向け、庶民がパブコメの制度をじゅうぶん活用するようになるには、どうすべきか、教えたまえ…と」
御島媼「そりゃ難しい。民を政治から遠ざけようとする勢力が、この二千年というもの存在し続けておったし、長い間教育の眼目も個人の徳性にあった。為政者たるの教育はごく一部の階層に…」
かえで「ストップ!長くなりそう」
御島媼「左様じゃな。で、莞爾と笑ったのは?」
かえで「ママと同じようなこと言ってたけど、これも100年河清を待つの類かと気づいたら、心の霧が晴れたんだと。愚かな歴史を繰り返すのが人間である、と」
御島媼「そう言いながらも希望は捨てない、そういう爺さまじゃろ?」
かえで「あれ?ご存じの方?」
御島媼「ほほほ。はて、知るも知らぬも逢坂の関」

1018日 「ぶろぐ日曜版 高槻災害史 享和2年の水害
柱本村と三島江村の間の堤防が決壊した後、淀川は本来の流れを変え、決壊個所を入口にして大阪平野の耕地に流れ込んでいた。堤防を元どおりに修復することは、即ち、その流れを止めようとすることだった。だから淀川の水流は入口が狭められるにつれて流速を増し、勢いを強めていった。そして入口が20mほどになった時、にわかに牙をむき、構築中の土手に襲いかかった。最後の20mの部分に打ち込んだ杭は根元を洗われて次々に傾き、抜かれて浮き上がった。投入した数千の土俵も淵へ塩を入れるかのように溶けて流れた。杭は時と共に次々に浮き上がって流れ去り、その日の午後4時ごろには長さ150mにわたって杭が流失した。このような状況により御役人様はじめ作業員も困り果て、どうしようもなくて堤の上流側下流側に退避し、その日の作業は中止になった。以後、決壊個所は、せっかく修復したのに徐々に切り口も広がり、9月10日頃には幅は50mほど、水流によって掘られた最深部の深さは約20mになった。
この間の天候は、8月29日から時々にわか雨が降り、8月31日から9月3日までは東の風であった。9月1日昼ごろからは水位が上がり始めたので堤防に置いてあった家財道具類はまた家々に運び込んだ。3日の夜10時ごろには拙宅も床まで20㎝と、もう少しで床上浸水になるところであったが、同日夜半には15㎝ほど引き、翌4日には晴天になったので少し安心した。しかし、昼ごろからまた増水し始め、夜10時ころには元の水位になってしまった。そうは言っても最初に堤防が決壊したときに比べると50㎝ほどは低くなっていた。
工事もここまで延引させていたところであるが、そのように水流も弱まる兆しを見せたので、協議の上、工法を変更し、9月15日に工事を再開、堤防からやや離れた位置に遠回し杭を打ち始めた。9月27日ごろ、大原彦九郎様は半割の竹に水を盛って水準器とし、淀川の中洲である外島と堤防決壊個所の水位の高低差を検分されたところ、123㎝であり、また外島と遠回し杭の下との高低差は63㎝であった。9月30日には堤防予定位置の水流を弱めるための堰となる遠回し土俵を入れ始めた。
作業員は近隣の村々に仰せつけられ、八ケ庄、榎並庄、五ケ庄、門真庄、上庄、友呂岐庄及び藩の作業員で堤の杭打ちを、人家の裏々は九ケ庄、遠回し1300mの杭打ちは各庄にて分担、土俵入れは藩の作業員と寺島からの作業員で担当した。詳しくは絵図を参照されたい。
遠回しの杭は4m間隔で3筋を打ち込み、その間に4本ずつを打ち込んだ。そして10月7日には外島から土砂を持ち込み、遠回し杭付近に投入した。この経費は川方様の負担であった。
このころ決壊個所には千俵ばかりの土俵が入ったが、この土俵には土砂止めのため葦を結びつけてあった。そして数百隻の小舟で決壊個所の上手から土砂を流し入れた。この作業によって10月8日には決壊個所の深さは6mばかりになった。
10月9日、礫の投入が始まった。同日夕刻、礫5個、10月11日礫8個を投入。そして10月13日夜8時ころには堤防の修築工事が完成した。工事の所要日数は77日であった。
ここで礫とは、伐採したばかりの松の丸太を約4m四方高さ約2mに組んだ籠のようなものであり、その重さは800㎏と言われている。沈め方は、まず先端に葉を残した長さ10mほどの竹竿を正方形に立てて礫を沈める位置の目印にする。礫の内側四隅には四斗樽を1個ずつ浮きとして付け、他に四隅に長い綱を付ける。次に長さ10mほどの丸太を礫の上に置いて長めの綱2本で連結する。そしてその丸太の両端に2隻ずつ小舟を固定する。つまり1本の丸太の真ん中に礫があり、その両側に2隻ずつ小舟がある形になる。その状態で小舟を漕いで礫を運び、目指す位置まで来ると、礫の四隅の綱で位置を微調整し、枚方から運んだ石俵を礫の中に5~60個も入れれば、礫は沈んでいく。一緒に小舟も沈んでいくが、頃合いを見て丸太と礫を結んだ長めの綱を斧で一気に切れば、礫は予定の位置に沈み、小舟は浮かび上がるという寸法である。[終わり]
注:本稿は葉間家文書を口語訳したものである。原文のままでは理解しにくいところは言葉を補った。長さ・重量は原文の尺貫法記載を概数のメートル表示とした。日付は旧暦を現行の太陽暦に変換した。村の名は原文のままとした。原文の「牧方」は「枚方」に、床までの水位「五分」は「五寸」に修正した。

1017日 「情報公開の遅れ」
あ~、困りました。高槻市議の成績表作りが進みません。
理由は、6月議会の議事録がまだ公表されないからなのです。正式な議事録がないと、発言数も確定できません。
確か、6月議会の一般質問が7月の15~16日。それから3か月が過ぎました。9月1日には「市議会だより」が発行されましたが。
高槻市議会会議規則には、その第86条に「会議録は、議員及び関係者に配布(中略)する」と、書いてありますが、いつまでに、とは定められていませんから、遅れても別に規則違反でもないのでしょうが、早稲田大学マニフェスト研究所の調査(2014.10.21付け)によれば、地方議会が会議録の公開までにかかる日数は、
14日以内  1%
30日以内  5%
60日以内 38%
90日以内 50%
90日以上  5%
です。
高槻市は、最悪の5%の中に入りました。鳥取県議会川崎市議会は速報版として短期間での公表に取り組んでいます。高槻市もがんばってください。9月議会も終わったというのに、6月議会の議事録がまだ市民には読めない…。インターネット中継の遅れと併せ、情報公開不足は目に余ります。市議諸兄にはその問題意識もないのでしょうか。それとも、公開したくない何かがあるのでしょうか。(白雲)

1016日 「維新という名の原始細胞」
もっと大きな問題もあるが、とりあえずこの話。政党は誰のために存在するのか。
この党のゴタゴタを見ると、少なくともこの党は、上から下まで「自分たちのために」であることがよくわかる。
原始細胞のごとく分裂したり融合したりを繰り返すだけのテレビタレント出身者は、公共政策と民間事業活動の違いも理解せず教育長や校長、区長への民間人登用を実行し、一方でいわゆる大阪都構想を提唱し、いずれもうまくいかないまま政界引退を口にした。そして不思議なことに引退を唱えつつも、新党を立ち上げると政界割拠の群雄の一人であろうとしている。そこで新党設立の軍資金が必要だから政党交付金を当てにして維新の党からの分党をもくろんだところ、当該国会議員は除名されて交付金の分け前はもらえそうもなくなった。そうすると「自分たちこそ正しい」、「法廷闘争を」、「党執行部のおつむは大丈夫か」と、発信し始めた。
維新の闘うべき相手は何だろう。清濁ある自民党ほか既存の党の、旧弊・陋劣なる部分ではなかったか。自分の党の中の小さな争いに時をつぶして何とする。昔の学生運動の内ゲバを思い出す。小人度し難し。
弁護士出身だから法廷闘争にも強いだろうと、盲従する150人の国会・地方議員にも呆れる。何が正しいことか自分で判断できないのか。そんな彼らに国民・市民が幸福に暮らせる社会を設計する能力があるとはとても思えない。政治を任せられる集団ではない。
堺市の維新所属の某女性市議は、政務活動費でチラシを作ったと報告したがチラシ作成の事実はなかったことが判明し約286万円を返還した。その名目で支出した286万円は、どこに消えたのだろうか。レクサスのローンの件もまだ記憶から消えていないが、ここにも維新議員の存在価値如何を示す好例があった。(黄鶴)

1015日 「パブコメ その実態」
パブコメにつき、いくつかの市のHPを覗き、総括的なデータをまとめてみました。


調べた限りでは、高槻市が特別に低いわけではないようです。むしろ茨木市が特別のようです。なお、この表において、特異事例とは、
・各市における子ども・子育て支援事業計画(案)または支援新制度の施行に伴う各種基準(案)、
・大阪市・堺市における放課後児童対策事業の設備及び運営の基準を定める条例(案)、
・大阪市における水道事業の民営化(案)、高齢者健康福祉・介護計画(案)、子ども・子育て支援新制度にかかる条例の骨子(案)、
・堺市における障害者長期計画(案)及び障害福祉計画(案)
をいい、一般的な案件が1桁乃至は2桁の意見数なのに対して、これらの案件はそれぞれ1件で膨大な数の意見が集まっていました。
調査中に感じたこと、発見したことは次のとおりです。
① パブコメの意義などについての文献は多いのですが、その実態に関する定量的な調査研究は希なようです。実態を知るには自分でデータを集めるしか方法がありません。
② テーマによっては市民の強い関心を呼んで膨大な数の意見が集まっています。やはり、子育てや老人保健は市民の重要関心事です。しかし、特異事例以外は、パブコメは極めて低調です。1万人に1~2人の意見提出という状況です。昨年1年間の高槻市内における交通事故負傷者が1,552人(1万人当り約43.7人)であったのと比べると、その少なさがわかります。
③ 市によってパブコメ結果のまとめ方が違い、枚方市、吹田市ではパブコメ総数がどれくらいなのかHPをちょっと覗いたくらいではわかりませんでした。
④ 回答の文章が意見を採用したのか拒絶したのかわからないものがありました。やはりお役人!
⑤ 文言の修正要求には応じる例が多いのですが、骨となる部分を意見に沿って修正したものは極めて希でした。
⑥ 大阪市のパブコメ実施状況のHP上における報告は、政策の骨子の段階でパブコメを行い、市民の意見を集約した後に条例などの案を策定していると理解できる掲載方法をとっています。
⑦ 全体的な印象ですが、同じパブコメでも市によって活用の方法というか政策立案過程におけるパブコメの重要度、その認識が違います。そこから市の横顔が見えるようで、興味深い調査でした。(白雲)

1014日 「パブコメの問題点」
パブコメについてとりあえずの感想を述べよう。まず、制度そのものに二つの問題がある。
たしかに、条例制定前に市民の声を聞くのは悪いことではない。しかし、その方法が一方通行でしかないことが問題だ。市から提案された条例案などにつき市民が何か意見を言う、それに対して採用するか否か、それはなぜかを市が回答する。現状では意見の一波があってそこで終わりだ。一応市民の声は聞くが決定権は役所にある、と言わんばかりの、形ばかりの意見聴取だ。それが問題の一つである。デルファイ法のような方策は取れないものか。
もう一つは、パブコメの対象だ。現状では、市の基本的な計画案、市政に関する基本方針についての条例案又は市民等に義務を課し権利を制限することを内容とする条例案につき、パブコメを実施することとなっている。しかし、議会の運営については対象外である。たとえば昨年3月の議員定数削減条例案は、得票数低位の議員(すなわち少数意見の代表者である議員)の削減を通じて、市民の発言権を制限するものであるから、本来パブコメの対象であるにもかかわらず、正当な手続きもなく成立してしまった。ここにも一つの問題がある。緊急を要する案件は対象外とするのも、パブコメの対象を曖昧にさせる結果になる。
次に運用上の問題がある。高槻市における昨年の数字を見ると、325件の意見に対し、その意見に沿って原案を修正したのはわずかに12件。あまりに低すぎる。
たとえば、子供・子育て支援新制度に関するものでは、93件に対しわずかに1件の修正でしかない(一人の保育者で乳幼児3名以下→乳幼児保育は複数の保育者で、に修正)。これはなぜか。意見があまりに幼稚で取り上げる価値のないものだからか。いや、提出された意見を読むと、現場の体験に根ざした切実なものばかりと感じる。そしてその回答たるや、真摯な申し出に背を向けているかのような書きぶりだ。
このような対応からは、まじめにパブコメに参加しても無益だと言わんばかりの無言の圧力が透けて見える。各個の意見に応える形でなく総体的に述べるものでもよいから、なぜ原案を優先するかの理由を誠意をもって詳述すべきだ。
ついでながら、高槻市と茨木市の市民の取り組み方の違い、これは一体なんだ。市政への関心の強さは、ここまで違うのか。意見提出者数も意見の数も茨木市は高槻市の約7倍である。意見ゼロという案件も茨木にはない。高槻が低劣なのか茨木が盛んすぎるのか、どうなのだろう。(黄鶴)

1013日 「パブコメ」
パブリックコメント、略してパブコメ。意見公募ともいいます。お上にモノ申すというこんな制度、昔の目安箱や幕末の海防意見書以外にありませんでしたが、国では改正された行政手続法が2006年に施行されて以来、高槻でも2004年に指針ができて以来、政省令・条例の制定の前などに国民・住民の意見を聞くパブリックコメントの制度ができました。
で、高槻ではその制度がどのように活かされているのか、市のホームページを覗いてみました。そして…う~む。私が唸ったデータは、次のとおりです。
○○○○○○○○○○○○○○○○2014年度      2013年度      2012年度○○○○○○○○○○○○○○○○
パブコメ案件数      19           9            11
意見提出者数   77人27団体         58人        415人 4団体
意見数         325           156           204
意見に基づく原案修正箇所数 12           1             10
市民からのコメントがなかった案件数 3            4                                4
ここでやめておけば、唸る回数も少なくて済んだでしょうが、隣の茨木市ではどうかと、お隣も覗いてみました。そして2014年度について両市を比較すると・・・。
○○○○○○○○○○○○○○○○高槻市                   茨木市○○○○○○○○○○○○○○○○
パブコメ案件数     19 (18)                  16(15)
意見提出者数(*)  77(60)人27(22)団体        1,565(577)人
意見数          325 (232)              13,996(1,550)
意見に基づく原案修正箇所数 12 (11)             未集計(2)
市民からのコメントがなかった案件数 3                0
注:( )内の数字は、「子ども・子育て支援新制度の施行に伴う各種基準(案)」に関する数字を除いたもの。

さて、お立合い、いかがでしょうか?   (白雲)

1012日 「1枚のチラシ」
昨日、郵便受けにチラシが1枚入っていた。手に取ると「維新」という赤い文字が目に入った。また選挙前の維新の運動かと一瞬思ったが、違った。見出しの文字は「維新政治ノー」と並んでいた。そうか、反対の立場かとあらためて読むと、当たり前のことが実にわかりやすく書いてある。発行者は「明るい民主大阪府政をつくる会」でURLもちゃんと記載している。http://osaka-akarui.com/
内容は、維新府政をストップさせるために立場を越えて手をつなごうと呼び掛け、「カジノよりは中小企業対策を」「健康保険料軽減を」など、いくつか具体的な政策を提言するほか、裏面は、維新府政のこの8年間でどのような不都合があったか、いかに大阪が遅れてしまったかを教育・子ども医療費・防災・雇用と暮らしの4分野を挙げて述べ、このほかに大阪都構想についての住民投票に政党交付金を数億円使ったことなどを指弾したものである。
裏面の維新批判は泥仕合のようで、どうも品がないが、指摘はいちいちうなずける。知り合いの教育関係者も、このところ大阪府での教員のなり手がない、みんな近隣の他府県に流れると嘆いていた。カジノ反対も、賭博に無縁の一般市民は同じ思いだろう。
チラシを手に思う。全体的な主張は正しい。目の覚めるような政策提案はないが、むしろそれが正しい姿だ。奇をてらう必要はない。現状よりは一歩進む、それが平時における政治の姿だ。遅々たる動きに業を煮やし、それを愚なるもののように批判することにヒロイズムを感じ、大衆もそうした演説に拍手喝采するが、それは間違いだ。本当の政治は地味なもの、なのだ。そして、一歩前進のために手を取り合う、それもよいことだ。提唱者、これに応ずるもの、いずれも何党であろうがかまわない。
ふと、思い出した。旧海軍には次室士官心得というものがあった。大きな艦(フネと読む)には大尉以上の使う士官室と中尉少尉クラスの青年士官のための士官次室の二つがあり、この青年士官を次室士官と称した。その彼らのための、帝国海軍70年の伝統から晶出した心得集である。その中の一文に、こうある。
「少し艦務に習熟し己が力量に自信を持つ頃となると、先輩の思慮円熟なのがかえって愚に見える時が来ることがある」
一文は、さらに続く。
「これ即ち慢心の生じたる証拠で、此の慢心を断絶せず増長に任せ人を侮り自ら軽んずる時は、技術学芸共に退歩し、終には陋劣の小人となり無為不用の亡者となる」と。(黄鶴)

1011日 「ぶろぐ日曜版 高槻災害史 享和2年の水害
享和2年(西暦1802年)7月26日(現在使われている太陽暦で。以下同じ)、空は曇り、東風が吹いていたが、その夜から雨になった。
27日、風は東風。この日、雨が強くなった。そのまま雨は降りやまず。
28日、夜半になって淀川が増水。
29日、朝には水かさが4mを越え、摂津河内の堤防を越え始めた。柱本村も所々、堤防を越える水の高さが60~90㎝に及ぶようになったので、老若男女区別なく手に手に鍬などの道具を持ち、また土俵を作ったり畳を持ち寄ったり、中には米麦の俵まで堤の上に置いて防水に努めた。しかし危ない場所も多く人々は皆疲れ果て、友八村杉の辺りは堤の上半分が崩れ、水位はますます上がってきたことから覚悟を決めて全員退避した。
同日正午ごろ、対岸の仁和寺村の堤防が決壊した。すると淀川の水位は一気に20㎝も下がった。これに力を得て皆声を励まし、土俵を高く積み上げて少し安心していたところ、柱本村と三島江村の間の用水樋の辺りが崩れかけたので、またまた皆で励まし合ってそこに駆けつけ、土俵を積むなどして防水に努めたが、人力では限りがあり、ますます強くなった水流のため、午後4時ごろ堤はその位置で決壊に至った。
この時の人々の嘆き悲しむ声は、ほんとうに蚊の鳴くようで、哀切なる有様は筆舌に尽くしがたい。皆、泣きながら、残った上流側下流側の堤の上を命の限り走り、逃げのびた。
人々は、崩れ残った堤の上に、あたかも道具屋町のように様々な家財道具を並べ、その間に座って、あるいは流れ残った家の中で一夜を明かした。そして翌日からは思い思いに一族や知人を頼って、または仮小屋を建てて生活を始めたが、親子兄弟散り散りで悲惨な状態だった。
しかし、4~5日も過ぎれば、皆夢から覚めたような心地で、残った居宅や流れてきた家にあった米麦、衣類や諸道具を小舟で堤防上に運び、ようやく回復した太陽の下に広げて干し、生活の立て直しが始まった。
この水害による柱本村の流失家屋は堤通りで14軒、下で16軒、計30軒、土蔵の流失10カ所、損壊家屋5軒、流失した小屋20カ所という状態であったが、幸いなことに人は怪我人などなく、牛馬の損失もまったくなかった。
用水樋あたりで堤防が決壊した長さは106間(約190m)であった。これを8月2日に役人が見分された。そして3日には藩の手配された作業員により決壊個所で杭打ちが始まり、大阪の樋屋、吹田屋から杭木、縄、俵を運んできた。作業員は増員されて杭打ちや土俵作りに精を出し、8月25~26日頃までにその作業もほぼ終わった。
8月27日早朝、決壊個所に数千人が集められた。そして鬨の声のように声を合わせながら、堤防が以前に存在した場所に数十万個の土俵を次々に投げ込み、同時に木の枝を雨のように打ち込む作業が続いた。数百艘の小舟が淀川の中州の外島から土俵を運び、決壊個所の上下から締め寄り、ようやく残り20mほどになったとき、悲劇が起きた。(続く)

(高槻市史 災害編 p579~ 葉間家文書を口語訳し、一部わかりやすくするため言葉を補った。)(黄鶴)

1010日 「9月議会 一般質問余聞(続)」
④ 問題意識
吉田稔弘議員が教員の勤務時間の長さを質問した。在校時間は11~12時間に及ぶとの回答だった。議員の問題意識や善し。よくぞ光を当てたもの。
そうなのだ。余裕のないところ、ろくなことはない。人はゆとりを失うと笑顔も忘れる。気の伸びる者は神となり気の屈する者は鬼となる。この意味の鬼は、本来の仕事も十分にはできない。自分の小学生の頃。…ガキのたどたどしい話をじっくり聞いてくれた先生、毎日昼休みになるといっしょにソフトボールをした先生、給食のパンを半分食べ残して捨てたら、日本は戦争に負けた国だ、こんなことをしてはいかんと、標準語で怒った先生。そんな先生たちの、こどもを見る目の光を思い出す。あれは、ゆとりが作ったこどもへの眼ではなかったか。
⑤ 辛口質問
北岡議員の質問から市の偽善があぶり出されることがある。そういうものはもっと追究されてよい。住みやすさの定義について議論があったが、議員の主張にも一理ある。また同議員の質問に市が答えないことがあるが、それは議会の調査権(地方自治法第100条第1項)との関連で疑問なしとしない。公益性を考え、須らく答えるべきである。同議員も主戦場は法廷ではなく議会であることを忘れないで欲しい。
⑥ 議長の役割
今9月議会において、質問の一部を留保して1問目を終えた議員に対し2問目の内容は1問目の範囲内と議長が規則に則って指示した場面があったが、当然のこととは言え、適切な議事運営であった。ただ、議会のレベルアップ、議論の内容充実のために、陰に陽に、もう少し発言への積極的な関与がほしいと私は思う。一方に議員個人の自主的な発言権を尊重しなければならない面もあるが。(空)

109日 「9月議会 一般質問余聞」
① 専門用語について
新しい言葉をちりばめた論説は、アカデミックで華やかに見える。しかし時としてそれは、必要以上に詳細に学問上の説明を加えようとし、あるいは自分の知識をひけらかすために学術用語を使ったものでしかなくて、がっかりすることがある。普通のことばで、易しく語りかけるのが一番だ。
市議会の一般質問でも同じことだ。行政の最前線や教育の現場に、いちど意味を聞かないとわからない新語は必要ない。たとえば「エンパワーメント」と言わなくても「こどもの力を引き出す」と言えばすむことだ。接頭語のem に power で、わからないこともないが、現場で真剣に対象と取り組んでいる人間から見れば、自分たちの実践のなかで体得しているものを、わざわざ新しい言葉で言い換えられても当惑するだけだ。日常業務の中に新しい学説を持ち込まれて仕事が煩雑になるのはもっと迷惑だ。関連の教育学、行政法学に関する知識は、現場の人間にとっても、持つに越したことはないけれども。
② 一般常識について
泳力をつけることは防災対策になるとの発言があったように思うが、聞き間違いかも。プールで泳げても、渦を巻き水が上下に流動する強い乱流の中で常に水面に位置するのは、浮き袋を持たない限り、人間の力では難しいのだが…。
③ 質問の継続性
吉田章浩議員が、前回の質問の回答の、履行状況を質していた。これはいい。市もテキトーに答えてお茶を濁すことができない。不誠実な公務員がもし居たら、痛いだろう。また観光政策のありかたを同議員が質していたが、市の発展の方向を考える、議会の一つの望ましい姿と見た。(空)

108日 「マイナンバー 
国は個人をどこまで監視すべきか。国とは何か。マイナンバー法に関しては、その基本的考え方がガラリと変わった。
19世紀の欧州各国は夜警国家を目指した。外には他国からの軍事的脅威に対して国の存立を守り、内部では治安を維持して社会の最低限の枠組みを保ち、あとは自由な活動を国民に許し、不干渉を基本方針とした。その後、人権思想の発展により、貧困を救い、道路交通・通信インフラを整備し、産業を興し、福祉国家への道を歩んだ。そして国民に対しては、兵役・納税の義務者の確認のため戸籍を編纂したが、何もかも監視下に置こうとはしていない。近代においては基本的に個人の自由主義が尊重されていた。
この点に関し、わが国にはおもしろい歴史がある。織豊時代、領主は適正に年貢を取り立てるため農民の収穫量を正確に把握する必要があり、このため厳密な検地が行われた。これは社会科の教科書でご存じのとおりである。検地は江戸時代も続いた。これに際し、役人を田のある場所に案内しないなどの方法で検地を逃れた田を隠田(おんでん)と称し、隠した者は磔、追放などの刑罰を受けるものとされた(奈良時代から隠田は多く、いわば日本の脱税の歴史は古い)。また隠田があることを密告した者には褒美をとらせることにもなっていた。このほか教科書では五人組の制度も習い、江戸時代とは厳しい監視社会であったとお思いの方も多かろう。しかし実際は少し違う。検地の際に漏れた田がある旨を検地後に申し出れば咎めはなく、新たに開墾された田は数年間は年貢を取らない、ゆるやかなものであった。その理由を江戸中期の書物である「地方要集録」は述べている。「そうしなければ百姓は荒れ地の開墾に精を出さなくなる」と。著者は、あの寛政の改革で名高い(悪名高い)松平定信公の白河藩で藩校教授を務めた本田東陵である。領主に把握されていない田の収穫は100%自分のもの。であれば、そういう田をなるべく多く所有したいと願うのは自然な欲求だろう。豊かになりたいという農民の欲求を原動力に新田開発を進めさせた当時の侍も偉い。
何もかも白日の下に曝し当局の監視下に置かれることを人は好まない。グレーな部分があってこそ人の活動、すなわち産業も活性化する。そのことを本田東陵は200年前に喝破している。
ところで、マイナンバーの一番の問題点は情報流出である。どんなにファイヤーウォールを構築しようと、どんなに担当者を訓練しようと、情報流出は必ず起きる。日本年金機構の情報流出問題は記憶に新しい。アメリカでは連邦人事管理局から政府職員の人事情報の漏洩があった。その数は2210万人分にのぼる可能性がある(エコノミスト 2015  9/15)。今後、マイナンバーの応用範囲が広がれば情報流出の被害も大きくなる。
他面、法人番号は社会保険料徴収の手段としての期待が大きい。現在源泉徴収税を納めている事業所は250万カ所であり、同じ数だけ社会保険料も納めているはずだが、実際は180万カ所しか納めていない(エコノミスト同号)。差の70万カ所につき社会保険料納入を進め、公正さを回復すべきではあろう。老人が増えるこれからの社会で社会保険の適正な負担と給付を図ることとGDPの200%にのぼる借金の返済を急ぐためには、真剣に歳入増を考えねばならず、もう、なりふり構っていられないというのも理解できる。
デメリットが大きいかメリットが大きいか、天秤にかけることのできるのは、今のところ神だけである。(黄鶴)

107日 「マイナンバー 
マイナンバー法、正確には「行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律」が2015年10月5日、施行された。この法律は、直前の10月3日に、任意ながら預金口座にも適用されるよう衆議院で改正案が可決されたこともあって、この頃にわかに騒がれるようになった。しかし、我々は目の向け方が遅いのではないか。
個人の番号については、国民総背番号制などと称され、昔から何度も取りざたされては消え、出ては消え…を繰り返していた。消える理由は、株式、預貯金、給与その他の資産保有状況が白日の下にさらされることを多くの国民が嫌ったからである。しかし世は民主党政権となった2009年、状況が一変した。その年の暮、税制大綱の中で導入につき言及され、翌2010年から2011年、税と社会保障の一体改革の一環として諄々と検討が続けられ、2012年2月14日の閣議決定をみるに至った。ただ、このときは民主党政権崩壊とともにひとたびは廃案となった。この制度はまたもや政権交代とともに去りぬ、となるかと思いきや、自民党も民主党と同じく官僚にリードされて(?)ほぼ同じ内容で復活し、2013年3月1日閣議決定、同年5月9日衆院通過、5月24日参院通過、成立、同年5月31日、公布された。
個人番号、乃至はマイナンバーは、高槻市議会の本会議場で議論の的になるのは早かった。マイナンバー法の公布直後の2013年6月27日の第4回定例会本会議で、二木議員(当時)がこの制度のもつ問題点を的確に指摘し、市としての対応の困難性を示したうえで取り組み状況を質問している。新聞が騒ぐ2年も前であった。このとき市の方はまだ切迫感がなく、具体的かつ詳細な内容の質問に対し、これから勉強するという趣旨の簡単な答弁に終わっている。二木前議員の本件についての質問は、市の検討作業の道しるべのように、2014年3月(2回)、6月、9月、12月、2015年3月と、定例会ごとに続けられ、その多彩な質問が市の作業の深化を促した観がある。この間、2014年3月には総務消防委員会で中村議員が、文教市民委員会で高木議員が、市における所要経費など関連の質問をしているが、他の議員は一顧だにしていない。
議員ならば、「マイナンバーで副業の所得が会社に把握されるから、キタのホステスが何人も辞めるんやて」というレベルの関心・知識では困るのである。ある法律が国会に上程された、何かの経済現象がどこかの国で起こった、その結果それがどのように市の仕事に影響し市民生活を脅かすか、そこに具体的なイメージを作る能力が議員には必要なのである。そして早めに対応体制を整備し、危難の芽は小さいうちに摘んでおくことが望ましい。
話が逸れるが、預貯金口座に採用されるなどマイナンバーの本質が露わになろうとする今、一番詳しかった二木前議員の姿が議場に見えないのは市の行政機構と市民にとっては不幸である。不条理としか思えない。(黄鶴)

106日 「小牧市住民投票 TSUTAYA図書館反対多数」
為政者と市民の間に意識のズレがある、これもその例ではなかったか。
小牧市において市が進める図書館建設計画を巡って住民投票が行われ、反対多数となった。反対票は約32,000、賛成票は約25,000であった。この図書館は、当初既存の商業施設の中に設置する計画だったが、市は、TSUTAYAを展開するカルチュアコンビニエンスクラブ(CCC)などと連携し名鉄小牧駅前に約42億円をかけてカフェや書店を併設する鉄筋3階建ての建物を建設するよう変更したものだった。これに市民が反発し、署名を集めて住民投票条例の制定を要請、これを受けた市議会の議員が別途動いて条例を定め、住民投票が実施された。
意識のズレはどこから始まったか。種々の報道を読むと、CCCがこのシステムを提案し、市がこれを受け入れた時点からのようだ。市が計画変更を発表した後、建設費の高さ、商業施設と公共施設が併存することの異質さに批判が集まったのだが、計画変更の過程において市民の声を聞いていなかったとみえる。聞いたとしても声の大きさを読み違えたようだ。
意識のズレを防ぐにはどうすれば良いか。その答は、議員を通じて市民の意見を吸い上げるパイプを複数作るほか、市民の意見を直接聞く対話集会などを設け、それを節目ごとに継続的に機能させることだ。投票率50%の産物でしかない議員ルートの意見聴取では不十分だし、1回だけのミーティングでは市民の受ける情報も一面的になる。これに関して思い出したが、高槻市でも安満遺跡公園の建設が既に走り始めているけれども、本当に市民の声は十分に届いているのだろうか。
ところで、佐賀県武雄市では、今回小牧市で反対意見の多かったシステムとまったく同じものが「TSUTAYA図書館」として2013年4月から運営が始まっている。カフェ併設の新しいスタイルは地元の評判も悪くないようだ。しかしその運営状況を調べた小牧市の市民グループは、図書選定の不透明さや旧図書館からの改装の際に本やDVD約9,000点を廃棄したことを問題視した。これらも反対の根拠になった。
同じものでも、市によって市民の意見は違う。計画中のものと実績を見た後とでは、同じ人でもまた意見が異なる。なかなかに市民の声を聞くことも難しい。
ちなみに、佐賀県の武雄市には2012年10月に維新の議員2名が赴き、会派視察として図書館の民間委託をテーマに調査を行っている。しかしその後の議会において本件についての言及はない。(黄鶴)

10月5日 「公約追求」

一般質問が公約追求の一環であるか否か、選挙公報における公約と照らし合わせて確認してみました。
9月議会では、公約に関連のある一般質問を行った議員は18人中12人でした。その詳細は本日更新した「市議会という舞台で 第二部…公約を果たそうとする姿勢」をご覧ください。
調査結果を見ますと、愚直なまでに公約に沿った質問を重ねる議員、公約に沿いつつマイナンバーなど時の話題を盛り込む議員、公約を忘れたかのように別の範疇の質問を出す議員の3種に分かれています。質問しない議員は論外です。質問しない議員にとって、公約とは何だったのでしょうか。
なお、議案質疑を通じた公約追求活動もありますが、議事録が公開された後にデータを収集します。(白雲)

 

10月4日 「民族的災害」

日曜版は高槻災害史の途中だが、割り込ませていただく。言ってみればこれも災害、人災である。
9月28日の毎日新聞は、安保法制に関する憲法第9条の解釈変更につき「法制局に公文書なし」と1面トップで報じた。
大宝令の公式令凡八三条は「凡そ文案は詔勅奏の案、及考の案(中略)此の如き類は常に留めよ」と定める。当時の解説書である令義解(りょうのぎげ)は「その便奏小事なるは必ずしも常に留めず」と付記する。
爾来、1300年間というもの役人は政策立案過程の記録を残してきた。なのに、現代に至って、内閣法制局は一時代を画する憲法解釈変更という作業をしたけれどもその審査の過程を記録していないのだ。
はじめ私は記録を残さない法制局に腹を立てた。しかし、これは何を意味するかを考えている間に立腹の方向が変わった。記録がないということは、審査をしていないということだ。荒れ狂うものが法制局の機能を奪い、、記録に値する正しい手続きを取らせなかったということだ。であれば、そうさせた暴力的なものに問題がある。ここに腹を立てねばならない。あらためて、のことになるが。もしかして法制局の担当者は、記録を残さなかったことによって、解釈変更が不法なものであるとの消極的な主張をしているのではないか。
あらためて思う。誰がどのように政治を行うべきかについて、日本は長い時間をかけ、多くの犠牲を払って、いまの民主主義、法治主義に基づく統治体制を獲得してきた。それが一夜にして崩れた。悲しみが消えない。自民党政権は法制局の門を閉じ、時の総理・政権の思うままの法律を作ってしまった。国会の各委員会や本会議での審議・採決はどうせセレモニーだからと、内容のないまま時間だけは費やして外形をつくろった。民主主義国家・日本は崩壊し、民主政体の中に絶対王政がまぎれ込んだ。なんと忌まわしいことか。
また民主主義の後退に自民党議員の誰も異を唱えないというのも情けない。そんなに我が身がかわいいか。我が身を捨てて国民の声に従う議員はいないのか。それとも、法律制定はしばし待てという国民の声は誤りで、制定を急ぐことが正しいのか。
議員にしても公務員にしても、盲目的に時の権力に従うのではなく、これが真理と信じるものに殉じるべきではないのか。そうすれば、すべてを振り返る時期に至ったとき、我が身に吹く風のさわやかさを自覚するはずだ。(黄鶴)

 

103日 「ネット利用と質疑・質問件数」

質疑・質問を通じて市政を糺そうとする意欲のある人は、同時に、インターネットによる情報発信にも熱心だという傾向は、改選前から変化はないようです。なお、件数は6月~9月議会の本会議におけるものです。(白雲)

 

102日 「本会議での質疑・質問件数(20156月~9月議会)と得票数」

これはクロス・オブ・データの一つです。横軸に得票数、縦軸に本年6月議会と9月議会の本会議における議案質疑数、代表質問及び一般質問の数の合計を置き、その両者の位置関係の中に各議員が占める位置をプロットしたのが上図です。得票数は市民の期待値であることは疑いなく、また質疑・質問件数は議会での仕事量の一つの指標と言えますので、議員が期待どおりの活躍をしているか否か、本図により一目瞭然となります。図で右に行くほど期待値は大きく、上に行くほど本会議での質疑・質問関係の仕事量は多くなります(質問のレベルはともかくとして)。ちなみに、この2回の定例会で付議された件数(契約案件15件、条例案件21件、予算案件8件、認定その他14件)に対して、質疑・質問件数の平均値は2.8件でした。ところで、2回の定例会において質疑・質問ゼロというのは、どう理解すればいいのでしょうか?市民の目に見えない仕事があるのなら、誰でも読めるホームページなどでそれを説明してほしいのですが。(白雲

101日 「9月議会 一般質問

御島媼「あ~、忙しい」
かえで「ん?」
御島媼「世をしのぶ仮の姿は主婦なのよ」
かえで「は?」
御島媼「化けてこの世に存在しているとは、誰も知らぬ。ひひ。ところで昨日の続きじゃが。良い男はおったか?」
かえで「良いって言うか、なるほどと思った意見もいくつかあったよ」
御島媼「ほお」
かえで「三井議員がね、公共投資については中長期計画を作るべしと。将来の財政負担が軽くなるように、長期的な観点を忘れてはいけない、と言う意味のことをね。当たり前の話だけど新鮮に聞こえた」
御島媼「市長も議員も、任期の4年間しか考えない傾向があるからね」
かえで「具体的に数字で迫れば、もっと面白かったけどね。でも、他の複式簿記の採用とかの話にしても、会計屋さんらしい特色が出てたわ」
御島媼「議員がそれぞれの専門性を活かして市政をチェックするのは良いことじゃ」
かえで「そういう意味では、出町議員も健康づくりの話で、まじめな質問だったけど、市の回答がね、『努めて参ります』では、本当にもう、形ばかり」
御島媼「今の話は、二人とも新人じゃな」
かえで「そう。今回はね新人7人のうち6人が一般質問に立ったよ。ただね、新人であるだけに追及が甘いというか、真鍋議員なども生産年齢人口の増加のためにどうするか、市の政策を越えるようなアイディアをぶつけてほしい。アイディアは支持者から聞き出すとか」
御島媼「うんうん」
かえで「そうだ、今回は同じような質問が重複するのが目についたわよ」
御島媼「たとえば?」
かえで「8月に中学生の死体遺棄事件があったからか、防犯の青パトの話、洪水関係で高槻市の防災の話、それからマイナンバーの話。市はそれぞれの議員に同じような答弁をして、時間の無駄だわね。事前に整理するわけにいかないのかな。前もって通告するんだから内容は事務局もわかっているだろうに」
御島媼「議員の立場もあるかもねぇ。合理化すればよいというものじゃない、そういうものも世の中にはあるよねぇ」
かえで「川口議員、情に訴えながら自殺者の防止、未遂者の相談支援の制度をしっかり、と、訴えていた。消防の皆さんの今の努力も誉めながら。うまいね」
御島媼「市政チェックとは言っても、けなすばかりではねぇ。必ずしも多くはない給料で、使命感に燃えている人も多いんだよ」
かえで「マイナンバー、これ、今の旬なのね」
御島媼「10月から個人への通知が始まるからなぁ。」
かえで「高木議員と中村議員が、中止すべきという考えをベースにいろんな問題を追及してたよ」
御島媼「国が個人を監視し始めたのは、1350年前、大化の改新からじゃ。それまで豪族の部民であった民を、な。天皇の下に集め直した。天智天皇6年、庚午年には戸籍をはじめて編纂したよ。昔の戸籍が今でも残っておるがな、それを見ると戸主が女というのもあったりして、昔の家族の姿が…」
かえで「市政と関係ない!そういう昔話になると、話が長いんだから…。高木議員はね!」
御島媼「ふむ」
かえで「情報漏えいの恐れとか、マイナンバー伝達の混乱とか、問題を挙げてた。中村議員もね」
御島媼「国も税収を上げる必要があるしねぇ。年金を納めない法人も追い詰めたいし」
かえで「世界の潮流に逆行してるみたい。ちょっと勉強したくなっちゃった。ほとんどこの制度について知らないもん」
御島媼「う~む。難しい話じゃ。市も国の指示に従う立場でしかない」
かえで「だけど、市として情報漏えい防止とかやるべきことはあるはず。でも、まあね、議員の質問から私の中に問題意識が芽生えたのは、今日の収穫よ」
御島媼「うん、それはよかった」
かえで「じゃ、またね」

9月30日 「9月議会 一般質問

かえで「ママ、こんなところに居たの」
御島媼「あぁ、かえで。少し菅原道真公とお話をね。ここなら高槻市内全部が見えて気持ちがいいし」
かえで「いい天気だしね。ところで今日の本会議のご感想は?」
御島媼「はぁ…」
かえで「どうしたの(笑) ため息ついて…」
御島媼「一般質問を少し聞いたけど、活気も熱気も覇気もない。情けない」
かえで「議員の迫力もないわね。だから答える方もおざなり。ありきたりの答弁で身をかわしている」
御島媼「いつも言うけど議員の勉強不足が目立つわいな。これこれの件について現状はどうか、と尋ねる質問がある」
かえで「うん、多いね」
御島媼「現状はどうかと自分で調べて、そこに問題を発見し、その対策について市の行政に与る者と議論するべきなのじゃ」
かえで「3問のうち、そういう現状認識を共有するために現状を聞いている議員もいるけど」
御島媼「それは時間のロス。最初から問題に切り込んでいけば議論も深まる。妾のように800年生きておってもなお時間は惜しい。命短し恋せよ乙女、じゃ」
かえで「花を踏んで同じく惜しむ少年の春…」
御島媼「お。白楽天じゃな」
かえで「和漢朗詠集にあったよ」
御島媼「質問する議員は、まだ救える。座っているだけの議員、ありゃ何じゃ」
かえで「ふふふ。まあまあ…」
御島媼 「腹も立つぞよ。26年度決算書を見ると議員報酬総額は、2億8799万6775円。それだけの価値のある議会か、とね」
かえで「そうね」
御島媼 「データを見ると、改選以来、議案に対する質疑も一般質問もしていない議員が5人。まだ議事録も公開されていないので、件数も暫定値じゃがな」
かえで「ともかく、今のままでは魅力ある議会とは言えないわね。寄席じゃないんだから笑って楽しくとはいかないけど、こんなに低調じゃ市民の足は遠のくわ」
御島媼 「かえでにとって、興味のある話はあったかな?」
かえで 「その前に、おや?と思ったのがね、ある議員が2つの質問項目を通告してあったの。災害対策とクロスパル高槻の施設整備の2つを、ね。ところが新人議員でまだ不慣れなためか、1問目で登壇したとき災害対策の話だけで壇を降りて自席に戻っちゃったの。そうしたら議長曰く、二問目ではクロスパルの話はできないと。そんなのあり?かわいそうじゃないの」
御島媼「会議規則にはね、発言の通告をして、自分の順番の時に発言しなかったら、通告は効力を失う、とあるのよ。そして、2問目は1問目の内容の範囲内、とね。1問目でクロスパルの質問をしなかったら、そこでその話については発言の権利はなくなるの」
かえで「そっかぁ・・。仕方ないね」
御島媼「おや、もうこんな時間!続きは明日ね」
かえで「え?…あ、そうしようか」

「ネット利用状況 9月末」
9月末におけるネット利用状況を調査しました。
積極的にインターネットで活動状況を市民に報告する人はする、しない人は全く見向きもしない、そんな状況は前月と変わりありません。
何らかの理由で選挙の心配のない議員はネット利用もない傾向にあります。
facebookが議員活動報告の媒体たりうるか、これは活用の方法次第のようです。
全議員34名のうち、ネット利用経験ありは27名、うち5名は選挙後の挨拶以降に更新なく、9月もブログ更新するなど継続的なネット利用者は20名でした。(白雲)