8-1 過去ろぐの倉庫①2014年7月~2015年3月

(目次)
2015年3月28日「高槻の高齢化率」 21日『黄昏』 19日「春の陣」 12日「大阪府教育長辞職」    7日「知らなかった…?」   3日「不信不許」
2月24日 「農水大臣辞任。では、あの人は?」  22日 「誰のための市政か」  22日 「は?今何とおっしゃった?」 7日 「公約の賞味期限」    3日 「公約追求率」
1月08日 「十数人の怒れる男女」
2014年12月31日 「寝返り」 26日 「議員の値打ち」 21日「12月議会一般質問」 12日「怒れる大女子会」  9日「衆議院選挙候補者公開討論会」 2日「投票行動」
11月28日「麻生太郎講演会」 23日「質問1件300万円」…勤労感謝の日のブログ  15日「男女比」 9日「離党」 4日「収益事業」
10月26日「成長率」   19日「残土処分」  15日「デュー・プロセス」  11日 「No.1」   6日「9月の本会議を覗いてみたら・・・ (続編)」      5日「9月の本会議を覗いてみたら・・・」  3日 「鞍替え」
9月28日 会派行政視察 その3  26日 「『2 説明責任の果たし方』の更新」 20日 「年齢と仕事量の相関」   13日 「政務活動費返納率と質疑数」  8日 「得票は多かったけど」    5日 「今年2月、7名の議員マニラへ」  1日 「会派行政視察 その2」
8月31日 「インターネット利用議員」   7日 「会派行政視察 その1」
7月30日 「インターネット更新状況」  17日 「基礎資料のページ」     10日 「アップしました」

328日「高槻の高齢化率」
市の広報誌「たかつきDAYS」が全戸に配布されました。数十ページもの本のようになったこの広報誌が、どうも私の周辺では評判がよくありません。安っぽいタウン誌のようで読まずに捨ててしまう、読みたい情報がどこにあるか、紙面を広げてパッと捜せるというわけにいかない…そんな声ばかりが近所では聞こえるのです。広報誌の中に、選挙タイムズが折り込まれていました。以前の広報紙のスタイルです。これこれ、これが判りやすくていいんだよ、と連れ合いは喜んでいます。いや、広報誌(紙)の体裁は今日の本題ではありません。
「介護保険制度が変わります」という小冊子が同時に配布されました。その中の高齢者人口の推移は、深刻な数字を示していました。昨年9月現在、高槻市の人口約35万5千人のうち65歳以上は約9万5千人、率にして約26.7%だということです。そして老齢人口も割合も、今後ますます高まるようなのです。
一般に、統計値はそのまま行政需要を示します。この老齢化率の数字は、この年代の方々にどのように幸せな毎日を送っていただくかが市の喫緊の課題であることを端的に示しています。課題といっても、老齢化問題=十分な介護、という単純な話ではありません。今の60代は戦前の60代とは違い、元気な人も多いのです。複雑な様相を見せる課題です。さて、どうするのでしょうか。どのような妙案があるのでしょうか。時あたかも統一地方選間近です。こういうシチュエーションであればこそ、老齢化問題への処方箋をもつことが今回の出馬の要件の一つといえましょう。そのとき、若いよりもむしろ60歳を超えた人の方がベターです。年齢ゆえに事の切実さが理解できて、そして市側と対等に渉り合える知識経験もあるからです。
若いだけでどの分野にも政策を提示しなかった人、議員の椅子を温めていただけの人を、私たちはこの4年間ずっと見てきました。そういう人は市議会の場には不要です。他の道をお勧めします。 (白雲)

321日 『黄昏』
人は何のために生まれてきたのか。10代の半ばごろから、私はそれをしきりに考えるようになった。答は簡単には出なかった。出ないまま日を過ごすうちに恋をした。そしてその甘美さゆえに難問の存在を忘れてしまった。しかし幼い恋は壊れやすい。と言うより、自分にはその恋を成就させる条件が整っていなかった。時がきて独りになり、改めてその難問が自分を覆った。確たる答のないままに、やがて仕事にも就き、それに没頭することで滝壺に身を投じる道は避けられた。不惑前後に見た映画の『黄昏』でヘンリー・フォンダ演じる主人公は、人生の意義を「年をとった今になってもわからない」と言ったが、その台詞を聞いて私はつぶやいた。人生に初めから意義などない、自分で意義づけができなかっただけじゃないか、人生は真っ白い画布、与えられた画布の大小はあるけれども、そこに何を描くかは自分次第、何もしなければ白いままだが山の絵でも海の絵でもその気になれば何でも自由に描けるではないか、と。そのときの自分にはもう、育てるに値する二人の子供がいた。私の選んだ仕事は社会的な意義も大きかった。
今の日本の地方自治の場にも同じことが言えるのではないか。昔のように領主がこの地方を治めているのではないし、どこかの国のように特定の教義や政治体制によって縛られているわけでもない。民主主義の国であり地方制度なのである。白い画布に市民が自由に絵を描く権利が保障されているのだ。市民の思うとおりの街づくりが(もちろん多数決によってだが)できるのだ。何か描けば、何かやれば、それだけ意義のある地方自治となるのだが、市民が何もしなければ画布は白いまま…いや、埃にまみれ鼠やイタチの糞尿に汚れるだけだ。私たち市民は、汚れた画布を前にして、何もしないまま、ただ絶望してはいないだろうか。では、どうすべきか。絵筆をとるべきだ。何か意義のあることをする、その手始めは然るべき人を市会議員に選ぶことだ。有権者の二人に一人がその権利を放棄しているのは、なんとも悲しい。 (黄鶴)

319日 「春の陣」
統一痴呆…あ、変換間違いです…地方選挙が近づいたためか、我が家の郵便受けにも市会議員の皆さんの市政報告が入るようになりました。それぞれ顔写真入りで、4年間の実績と今後展開すべき政策案が書かれ、体裁や編集にも工夫が凝らされています。文面からは政治への熱い思いが感じられます。これらを読むと、次の選挙では皆さん全員を応援したくなるのですが、残念ながら1人1票しかありません。
ところでこの市政報告、郵便受けに入っているのはほとんど無所属の議員です。大政党所属議員は、お一人だけ。そのお一人を除く大政党議員は、大物政治家と二人で写った写真のポスターが街頭に貼られていまして、それがプレ選挙戦での宣伝になっているため各戸に配るチラシは不要のようです。しかし、ポスターでは政治への思いは伝わりません。顔で仕事をするのは俳優だけです。私案ですが、任期を終えた時点で全議員に実績報告を出してもらったら如何でしょうか。選挙公報がプロローグだとしたら、こちらはエピローグ。市議会のHPで検索できる議会発言と実績報告書を照合すればその嘘実がすぐにわかり、人物評価にも役立つのですが。
いろんな思いが交錯します。まず、ポスター作製可能な大政党議員と、それができない無所属議員の間の法制上の不公平さ。議員1人当たり4年間で4千5百万円を越える税金をつぎ込みながら、議員個人には何ら業務報告を求めない制度上の甘さ。広く市民に語りかけなくても支持団体への挨拶だけで当選しそうな大政党議員と、熱心で優秀で市民に顔が向いているにもかかわらず今回の2名削減の波をもろに受けそうな無所属議員の間の格差。すべて、今の地方自治の欠陥です。  (白雲)

3月12日 「大阪府教育長辞職」
大阪府の中原教育長が辞職した。しかし、新聞報道をもとに子細に観察すると、自ら反省して責任を感じて辞めたとは見えない。
まず、法律家3名による調査報告書に彼は異論を唱えている。報告書が事実と違うと言うのだが、パワハラを受けた人の痛みは厳然として存在する。自分が犯したパワハラの罪を罪とも思わず、教育長である自分の発言がどれほど周囲を痛め傷つけたかの自覚がないのが、ここからわかる。人の痛みの見えない者に教育の世界に住む資格はない。
次に、辞職の時期である。今の政治状況からみると、大阪都構想の住民投票を行おうとする時、維新の党にマイナスの要素を付加する者の存在は都合が悪い。早めに切除しておけという動きがあるのが当然だろう。はっきり言えば、辞めたくないとの本人の意思に反し、党が困るからと辞めさせられたのではないか。予算に関する答弁のため今日まで延びたと言うが、仕事は代理する職がいくらでもある。パワハラ発覚の時点で辞めるべきものを、今日まで延びたのは本人の未練以外の何ものでもない。
辞める必要はなかったという大阪市長の発言も解せない。教育の世界の不適格者をなぜ残そうとするのか。古い友人だからか。そもそも教育長に友人を据えるという公職の私物化からして、ありうべからざることである。加えて、不適格者を据えた責任もある。二重の責任をどうとるのか。   (黄鶴)

37日 「知らなかった?」
補助金受給企業・団体からの献金のニュースが、全国ネットの大新聞から消えつつある。民主党幹部も同罪であると発覚するに及んで、火消を謀る政界にマスメディアも協力しているのか。しかし国民は簡単には忘れない。「知らなかった」ことに呆れ果てているからである。知る手段はいくらでもある。各省各庁は補助金交付先のリストを当然持っているはず。それを集めて政府全体のデータベースを作ればよい。いや既に国の会計システムなどにデータは入力されているのではないか。そのデータベースで企業・団体名を検索すればよい。また、国会議員には国政調査権がある。関係省庁に問い合わせれば補助金交付の有無が明らかになるにもかかわらず、「知らなかった」のは知ろうとしなかっただけの話である。補助金が多すぎてわからないとは50年前のパソコンのない時代の言訳なら通用するかもしれないが、現代人に対しては説得力がない。
などとうそぶいていたら、奈良県市議長会の公費出張&コンパニオン付き宴会のニュースを聞いた。コンパニオンの費用は自前だ、などという説明に、もう笑うしかなかった。 Shame on you!  こちらも時代錯誤である。 政治家の時代錯誤とはすなわち、己が内的世界は旧態依然として人々の意識の変化を知らず、時代のうねりにも気付かないことをいう。知らなかった…では済まされない。ソドムと化した奈良県市議長会は、どうすれば救えるのか。 (黄鶴)

33日 「不信不許」
三閣僚に留まらず、国の補助金を受けた企業・団体から政治家への献金が続々と報道されている。補助金交付の事実を知らなかったので政治資金規正法に抵触しない、返したので道義的な責任もない、と、彼らは言う。しかし、許せない。許せないことの一つは、法の不備である。知らなければ無罪という逃げ道をあえて作っている。自分たちに都合のよい法律を作ったのは、ほかならぬ献金を受ける国会議員である。二つ目は、汚いカネだろうが個人の浄財だろうが見極めもせずに受け取る政治家の無神経さである。献金を受けようとする段階で、どこからの献金か、その団体は補助金を受けていないかという点をなぜ調べようとしないのか。ここに認識ある過失または未必の故意がある。故意ならば有罪である。過失は処罰されないが政治的に問題なしとは言えない。いずれにせよ責任があるにもかかわらずこれらは不問に付され、国民の疑念を小事として自民党は何かに向かって突き進む。これらが政治不信を深めているという足元崩壊の事実が見えないのか。政治不信をかたわらに置いて、何が達成できるのか。
大阪府の教育長にパワハラがあったと認定された。しかし続投が保障されている。これも許せない。許せないことの第一は、反省しているから続投、という処分理由である。反省すれば罪は消えるのか。責任は阻却されるのか。もしそうなら反省をもって窃盗も殺人も許されるはずである。パワハラを犯した、その時点で責任の原因は発生している。消しようがない。反省の有無は責任の果たし方如何を決める情状に過ぎない。府知事はその程度の話も理解していないことを自ら明かしている。第二はこの教育長の資質である。経歴を見ると法律家ではあるが教育の専門家ではない。教育現場の経験も、国歌口パク検査の校長以外、お持ちではなさそうだ。経歴に現われなくても一定の見識を具えている場合もあるが、パワハラ発言はその可能性を否定する。人と人との信頼関係を必須要件とする教育の世界には人格欠如の人間はなじまない。一度くらいの反省で人の本質は変わるものではない。法廷等での戦いに当たっては優秀な弁護士なのかもしれないが大阪府の教育の世界には不要な人物である。泣いて馬謖を斬ることをしない教育長処分のあり方が、維新の党の末路をより鮮明にしてしまったのを、当の(党の)ご本人たちは悟っていないようである。   (黄鶴)

224日 「農水大臣辞任。では、あの人は?」
農水大臣辞任のニュースが駆け巡っている。辞任も当然だろう。今の、このご時世に、補助金をもらった団体からの献金を受け取る…その神経がわからない。カネと政治の関係の汚さゆえに国民から見捨てられ、政権を失った過去を忘れたのか。さすがに、辞任とは相成った。しかし金を返せば済むものではない。たとえば、カネを返せば窃盗も許されるのか。いや、刑事責任は依然として残る。同様に、献金を受け取った時点で諸々の責任が発生する。政治資金規正法に関する刑事責任、政治家としての説明責任・・・。これからどうなるのか、推移を見守りたい。また報道によれば、落選中も顧問料に名を借りた企業からの献金が続いていたとか。人間ならば借りを返さないわけにはいかない。恩義に報いるのは、どういう形で?そういう貸し借りが過去にもあったのかも。
似たような話は身近にもあった。昨年末、高槻市議会の議員にも、餅やワインを配ったとかで物議をかもした女性議員がいた。こっちはどないなってる?説明責任は?責任を感じて議員を辞めた?いや、そういう報道はない。このまま沈黙を続け、4月にまた立候補?で、市民はそれを許しますのか?市政を糺そうという議員の資質云々よりも、目に見える餅やバス旅行を有難がる選挙民が多くいるとしたら、問題の根は深い。  (黄鶴)

222日 「誰のための市政か」
散歩中、公園を利用する人のための注意書きが目につきました。いわく「ボール遊びはやめましょう」…。また別の公園でも「バットや棒で球を打つことはやめましょう」…。これでは子供は遊べません。我々の子どもの頃はどうだったでしょうか。昭和20年代~30年代、学校から帰宅するや否やランドセルを放り出し、空き地にみんなで集まっては暗くなるまでいろんな遊びに興じていました。その主体は野球でした。そんな遊びを通じて自分の体を作り友達を作り、言ってはいけないこと、やってはいけないこと等の社会生活のルールを覚えていったのです。しかし今、そういう場所を、地域も行政も提供していません。上記の公園は老人が使用することだけを想定しているようです。老人が、公園という公共の場所をめぐって、自分たちだけの利用を、我欲を主張しているようです。それでいいのでしょうか。子どもの遊びを禁止して老人天国を作り、20年後に自己消滅する高槻でよいのでしょうか。
市政の場でも同じことが言えます。一般質問でも、老人福祉、障がい者福祉、道路その他、市政への要求は自分たちの利害に関することが多いようです。政治とは我欲の調整である…ならば、そうした要求を声高に叫ぶのもよいのでしょうが、それだけでは、ちと寂しいのです。近いうちにこの世を去る自分たちの欲は抑えて、子供たちが育つための環境を整備することにより多くの資源を使うべきです。今世紀末に日本の人口は半減する・・・、いま国にも地方にも何の政策もなければ、確実にそうなります。  (白雲)

222日 「は?今何とおっしゃった?」
ソーコージレイ、ジクギ、トシソーチ・・・。議場で耳に入ってくるこれらの言葉を的確に漢字に置き換えられる人がどのくらいいるだろうか。
ある日、議会での議員や市の幹部の発言を傍聴している途中にこれらの言葉に出くわして、つまずいたような思いがしたことがあった。なかなかの質問だな、いいお話だな、と感じながら聞いている途中だっただけに、一部の言葉を噛み砕けないまま吞み込まざるを得なかったのは、残念だった。
しかし最近、これらの意味するところが理解できた。奏功事例、熟議、都市装置、と、議事録に載っていた。ジュクギをジクギと聞き取ったのは、こちらの年のせいか。
それにしても・・・と、思う。議場には傍聴者がいる。台本の棒読みではなく、聞いてすぐ、その場で理解できる易しい表現ができないものか。耳で聞く一般人のために専門用語も話し言葉で言いかえるべきだ。書いたものを飯炊き婆さんに読み聞かせ、理解してもらえなかったら書き直したという有名なエピソードもあるではないか。身近な問題を扱う市議会であればこそ、易しい言葉で語りかけてほしいものだ。  (黄鶴)

27日 「公約の賞味期限」
議員たちにとっての花の舞台は、一般質問を行う本会議場の演台のようです。ここで市政全般にわたって所信を述べる機会が年に4回あるのですが、当選の年の一般質問では、全議員の公約総計184項目のうち、90項目がこの場で言及されました(代表質問に盛り込まれたものも含む)。しかし2年目は、それが61項目に減少。あらら、公約の賞味期限は1年か・・・と、思いましたが、さにあらず。所替わり、常任委員会や本会議での議案質疑の場では1年目が30項目のところ、2年目は68項目に増えていました。両者合計は1年目2年目とも約120。3年目も4年目もほぼ同じ数でした。このことから、高槻市議会では活発に発言する議員においては公約の賞味期限はない、在任中ずっとおいしい、と、言えます。
ただし、ただし、「活発に発言する議員においては」です。例によって個人差は大きく、活発な議員の対極に、公約については最初の年に1回質問したっきり、後は3年間席を温めるだけの議員がいたり、多くの公約を掲げたものの、そのフォローについては時期も項目もまことに散発的な議員がいたり。その状況は、2 第二部の公約追求状況の表をご覧いただければ、黄色に染まっているか否かですぐにわかります。
市民は、基本的には、掲げられた公約を頼りに投票します。その公約が、選挙のためだけの華やかな虚像であって詐欺に等しいものなのか、それとも裏打ちのある政治思想そのものなのか、見極める必要があります。どうやって見極めるか?それはまず実績でしょう。この4年間どのようなテーマに対して何を発言し続けたか、どう行動してきたか、議事録や議員のHPを見ればわかります。新人ならば、提案する政策に幅があるか、訴えるものに論理性があるか、人間としての広さ深さが感じ取れるか否か、でしょう。
さあ、あと2か月後・・・。どのような公約が見られるのでしょう。民主政治を愚民政治に貶めないためにも、市民を自発的に投票所に向かわせるような、魅力的かつ実のある公約に触れたいものです。(白雲)

2月3日 「公約追求率」
選挙戦で掲げた公約を、議員諸氏はその後の議会活動でどのようにフォローしているか、それを高槻市議会の全議員(北岡議員を除く)について調べました。具体的には、議事録をひもとき、本会議と常任委員会での各議員の質問・質疑を精査し、公約実現のための発言数が質問・質疑の総数に占める割合を算出したものです。その割合を名付けて公約追求率。聞きなれない言葉ではありますが、ご勘弁を。聞きなれないのも道理。政治学の教科書にはありません。おそらくこんな調査は日本中探しても誰もおやりになっていないのでは?けっこう根気の要る作業ですもん。
調査してみて、悟りました。公約は地方政治家としての志の高さを表わし、公約追求率の高さ+公約を実現しようとする質問・質疑の多さは初志を貫徹しようとする意志の強さと想念の深さを示すものであると。ただ、そうはいっても公約追求率1.0というのはあり得ません。それは自分の公約のみにこだわり、他の一切の問題に目をつぶるという姿ですから、これは議会人のあるべき姿ではありません。 自分のフランチャイズを持ったうえで、市の組織に巣食う問題を糺し、時の流れに運ばれてくる問題にも解決の指針を示すとなると、公約追求率は0.3~0.4が適正であるように観察できました。
また、各議員の発言をたどっていくと、色鮮やかな人間模様がそこにあるのを発見できました。ベテラン議員の骨太の存在もあり、素質のある新人が各種の問題を検討する中で議会人として成長し、4年の任期の最後の頃ともなると強烈に市政を糺していくという姿もありました。逆に、渦中に飛び込み仕事に揉まれて成長しようという意志の見えない人もありました。それらは、はっきりとデータに表れています。 (白雲)

2015年0108日 「十数人の怒れる男女」
このサイト、5か月前のスタート時に比べると項目とページ数がだんだん増えてきました。それが進化なのか贅肉なのかは、お読みになる方にご判断いただくしかないのですが、いま、「1市議会という舞台で」に第二部を加え、議員の皆さんが公約実現のために議会の場でどのように質問を繰り出しているのかをまとめているところです。これが本会議と常任委員会の議事録のすべてに目を通す作業で、けっこう大変なのですが、やってみるとなかなかに面白い…こともある…のです。市や市議会の広報はお役所流の平板な紙面に事務的な文章が並ぶだけですが、それらの原材料となっている議場でのやりとりは一つのドラマです。昔々、「12人の怒れる男たち(Twelve angry men) 」という映画がありました。スクリーンに見る場面は陪審員の議論する一室だけ。被告に不利な証拠の数々に疑念をもった1人の陪審員が、その証拠をひとつひとつ取り上げ、証拠能力と証明力に欠けることを次々に明らかにしていくのですが、その映画のシナリオを彷彿させるような議事録もあるのです。そういう楽しみがあればこそ、この作業も続きます(ただし映画と異なり、正しいと思われる論理が多数決によって排除されるという理屈に合わない不自然を見せつけられることもあります)。まあ、傾聴すべき内容のないものや、無理して難しい言葉を並べたけれど言葉が本来もっている概念がつながっていないため、傍聴していてもわからず議事録になった文章を読んでもやっぱり正確に理解できなかった質疑・質問も一方にあります。それもまた一興です。   (白雲)

1231日 「寝返り」
都構想をめぐり、大阪では公明党が維新に寝返った。新聞報道によれば、公明党の大阪支部の判断ではなく東京の本部からの指示だという。憲法改正をもくろむ安部自民が、維新を取り込むために公明党を動かした、という見方もできる。都構想で維新に恩を売り、憲法改正問題では公明党と維新の党とを味方に付け、衆参の三分の二以上を確保しようということだ。東京人にとって、大阪都がどうなろうが無関係。大阪人がハシモトのおかげでどれだけ苦労しようが、知ったこっちゃない。憲法改正で味方になってくれれば、それでいいようだ。それまでの態度を変えさせられる大阪の公明党も気の毒だが、日本は本当に民主主義の国なのかという疑問、というより、東京の指示でひっくり返るようでは日本は真の民主主義の国ではないという確信が湧いてきて、抑えようがない。これまでの反維新の民意はどこに追いやられたのだろうか。         何が争点かわからなかった先の衆院選挙で、自民党は確かに圧勝した。しかし、国民は自民党の経済政策には賛成したものの安全保障政策を含むすべての政策につき白紙委任したわけではない。アベ、ハシモトという戦争を知らない世代の暴走が始まった。この怒りをどこに向ければよいのか。なんとも嫌な年の暮になった。後藤田さんが生きておられたら…と、つくづく思う。(黄鶴)

1226日 「議員の値打ち」
当選後、議員は公約を果たそうと努力してきたか…。これも議員評価の一つの方法でしょう。結果として公約を果たせたかどうかは、会派の大小やテンポラリーな事情によって変わるので公平に評価する基準にはなりませんが、そのプロセスならば、機会は均等…あ、そうですね、無所属議員や小会派は代表質問の機会がないのですが、まあ…均等といえます。そこで、各議員の質疑・質問と公約との関連性を調べることにしました。
そもそも公約とは何でしょうか。それは有権者と候補者との、法的拘束力はないが社会的規制力のある双務契約ではないかとわたしたちは考えます。有権者は公約を信じて1票を投じる、議員は当選して議員たる地位と4500万円の収入を得る代わりに公約を果たすことに努める、公約を無視する議員に刑罰はないが次の選挙での万歳はない、というふうに。議員が契約を履行しようとしたか否かは、その議員の誠実度を示すものと言えましょう。
3年9か月前の選挙公報を今でも保管しているという家庭は、まずありません。市民の側は選挙公報に掲載された公約を一々覚えてはいないのです。そして、調べてみると喜劇的なのですが、議員も選挙直後は公約に忠実ですが年を追うにつれて熱意が冷めて行くのか、関連する質疑・質問が減少する傾向にあります。
議員の議員たる所以は何でしょう。それは、議員個人として、会派として、市民生活の根幹たる分野に高い理想を持ち(それは同時にその議員を支持した市民の思いでもありますが)、議場での体系的な質疑・質問を通じてその実現に努めようとすることにあると思います。そこに、議員の値打ちがあると思うのです。多義的存在である人間の価値を一つの数値で端的に示すのはそもそも無謀ですが、公約を追求せんとする質疑・質問数の割合を明らかにすることによって、理想の追求の度合いの一端を示すことはできると思います。
ただ、この作業は簡単ではありません。3年余の間の1200件を超える質疑・質問のすべてにつき、(多くもない人数で)内容をチェックするのですから、少々時間がかかります。調べ終わったものから、順次載せていきます。(白雲)

1221日 「12月議会一般質問」
かえで「ママ、帰ろ!」                                 御島媼「帰りなん。いざ。む?ママとお呼びか!嬉しき哉」
かえで「800年も生きてる割に、外見は若いから」                                  御島媼「中身も若いぞよ。古いものも混じってはおるが」                                  かえで「今日も面白かったね。一般質問」                                  御島媼「さようか」                                  かえで「まだ、あの書いたものの棒読みには慣れないけど」                                  御島媼「うむ」                                  かえで「書き言葉を耳で聞くって…ねぇ、辛いわ。ヨウエンゴシャと耳で聞いて、頭の中で要援護者と漢字に置き換え、そうして初めて理解できる」                                  御島媼「左様じゃな」                                  かえで「キョウドウって、共働?協働?それとも協同?」
御島媼
「前後関係で判断しなはれ」                                  かえで「書いたものがあるのなら、記録のための速記者が必要?書いたものを提出するだけでいいのに」                                  御島媼「さはさりながら、シナリオから外れる非常の場合もこれあり。ところで、昨日今日の本会議で印象に残ったのは?」                                 かえで「まじめな議員っていいなあ。こういう人たちが議会にいて、市政を糺し、市政を支えてる、それを目の当たりにして、わたしとっても嬉しくなっちゃった。感動ものよ!こういうのはもっと多くの市民に知ってもらいたいわ」                                  御島媼「たとえば?」                                 かえで「勉強したいけど金がないという子どもの貧困対策を訴えた川口議員、市民参加の制度作りを説いた野々上議員、英語教育のシステム作りや若者のサポート体制の不備を突いた高木議員、学童保育や幼児教育の質問をした中村議員、そして自治体の骨格をなす基本条例の必要性を強く訴えた二木議員」                                  御島媼「うむうむ」                                  かえで「みんな、市の抱える問題を何とかしようと一生懸命!」 
御島媼
「至誠に悖ることなかりし議員たちじゃ」                                  かえで「市民参加については市長選の公約にもあったんだってねぇ。それが必ずしも果たされていないみたい。そこを野々上議員が突いてたわよね。答弁は誰がどのように?と興味深く見ていたら、政策財政部長が立ったわ。あらら、それだけ?市長の公約をどうしたかって話なのに市長は答えないの?おかしいよって思っていたら、市長が手を挙げて答弁した」                                  御島媼「あそこで何も言わなかったら、市長失格」                                  かえで「保護を要する虐待児の数には驚いた!」  
御島媼
「二木議員の質問に子ども未来部長が答えていたわな」             
かえで
「400件以上もあるんだって!そのうち8割は小学生以下。痛ましい・・。それから実母による虐待が8割も!母親が虐待に走ってしまう環境があるのね」
御島媼「ああ・・。幕末に日本に来た西洋人は皆、子供をかわいがる日本人を称賛したものじゃったがなぁ」
かえで「英語補助員を年間9か月しか雇用しないことの、真相を突いた高木議員の質問も面白かった。だけど、どんな質問にも、市は反応が鈍いわね」                                  御島媼「予算を伴うものばかりじゃから、簡単に色よい返事はできんぞよ」
かえで
「そういう事情だけじゃないと思う。質問に立つ議員からは熱いものを感じるけど、ひな壇に座る市の職員からは同じものを感じないのよ。逃げる答弁が多い!」          
御島媼
「ふふ」                                  かえで「自治基本条例だって同じ。約10年前に報告書や提言があったのに、その後は放置されてるみたい」                                  御島媼「物事を順序立てて考えることに罔い(くらい)議員が多いのじゃろ。基本条例はなくても困らないと思ってる」                                  かえで「怠慢だわ」                                  御島媼「金属には応力弛緩という現象があってな」                                  かえで「チカン?趣味なの?」                                 御島媼「シカン。これも古典のうちじゃ。最近は応力緩和というらしい」 
かえで
「で、それ何?」                                 御島媼「両方から引っ張られた金属板も、そのままにしておくと、初めは内部に生じていた引っ張り応力が次第に消えていく。これは引っ張られていた結晶の中で原子が近所同士で新しい仲良しクラブを作り、緊張状態を忘れてしまうのじゃ。金属も人間社会も同じでな、毎日さまざまな問題に取り組む役所は、初め緊張して問題に向かうけれども、そのうち問題の緊急性が見えなくなり解決の必要性も感じなくなってしまうのかも、な」                                  かえで「それじゃ困る」                                  御島媼「そう。だからこそ議員の活躍も必要なのじゃ。ゴマすり質問しかしない議員は、不要」   
かえで
「うん」                                  御島媼「上に立つ将には、じゃな、自分と違う人間を傍に置くことが必要なのじゃ。それがどれだけできるかが、その将の器量を表す。議会にもさまざまな意見を表明する議員が必要。大政翼賛会は百害あって一利なし。80年前はそれが日本を破滅の縁に…」                                 かえで「…。勉強になるね、ママの話」                                  御島媼「ママ?ホッホッホ…」                                 かえで「あ、急がなくちゃ。友達を待たせてるから。またね!」

1212日 「怒れる大女子会」
衆院選を翌々日に控えた12月12日の夕、JR高槻駅南の陸橋の上で開かれたのは「怒れる大女子会」。大阪10区の辻元候補者を応援する女たちの集まりです。陸橋の手摺に林立するのは「Peace— You can’t save the world without  it 」と白く染め抜かれた紫色のフラッグ。辻元候補者本人も「怒れる」一人ですが、同様に怒りを抱いて小さな壇上に上がったのは、高槻・島本の市議・町議、お隣茨木の市議、あるいはNPOで働く市民たち。怒りの材料は、まず、日本の選挙における投票率の低さ。大事な自分たちの現在および未来を決めるのは政治であるのに、それに関心が低いとはなんたることか。先進国の一員として恥ずかしい…。集団的自衛権の行使容認を、憲法を変えるのではなく解釈の変更によって行うのは許せない…。ここ高槻島本は、いざ事故があれば福井原発の影響下にあるのに、何ら対策が考えられていない…。さらには、子供を産めない社会になってしまっている…などなど。怒りの材料に事欠かないのですが、その怒りを国会の場に持ち込んでもらえるのは辻元候補者以外にないと、皆さん声を大にしていました。また、最近の報道では、自公で三分の二以上の議席を占める勢いとか。憲法改正の発議までできる数字となると、国民としては恐ろしさを覚えるのですが、辻元候補者も、自公三分の二、それでよいのか、それで平和が守れるのかと訴えました。そして、有権者の責任というものを強く戒め、政治に絶望するな、政治に絶望し選挙の際に棄権するのが日本の政治をさらに悪くする…と結びました。マイクを持つ辻元候補者の手に力が入っていました。この声が、高槻市民の何割に届くのでしょうか。選挙のたびに問われているのは、候補者の政見よりも、わたしたちの見識なのです。(白雲)

129日 「衆議院選挙候補者公開討論会」
12月7日(日曜)の夜、高槻現代劇場中ホールで大阪10区の候補者4人が顔を揃えた。「公開討論会」と銘打たれていたし、時間は18時半から21時まで2時間半も予定されていたので、候補者同士の議論、熱いバトルが繰り広げられるかと期待したが、実態はさにあらず、司会者のガイドにより順番に自分の政見を述べる穏やかなものであった。会場を見渡すと、定員600人の椅子席には空席が目立った。150人くらい、いただろうか。若い人は少なく、初老の男女ばかりが目についた。主催者である「高槻まちづくり株式会社」のホームページによれば、衆議院選挙のたびに同様の討論会が開かれており、同じ会場が聴衆であふれたこともあったらしい。150人という参集者の数は、今回の選挙に対する一般市民の関心の度合いを示してもいる。
討論会は、まず、なぜ立候補したかという主意について10分間ずつ、続いて質問に答える形で5分間ずつ(4問×5分、計20分)、最後にこれだけは言っておきたい点について5分間ずつの時間を与えられ、各候補者の思いが披瀝された。質問は各候補者から出されたもので、1憲法解釈の変更による集団的自衛権の閣議決定につき、どう思うか、2日本のエネルギー政策の中で原発はどうあるべきか、3議員定数削減・行財政改革についてどう考えるか、 4わがまちの発展に貢献する国会議員像とはどんなものか、の4問であった。各候補者とも与えられた時間内にピタリと話をまとめ、そこは実に折り目正しかった。
同じテーマについて四者四様の話が展開していくのは、実に興味深く、2時間があっという間に過ぎて行った。日本を何とかしたいとの思いは、論は違えども各候補者に共通して存在するようで、その熱さを感じた。その熱さをベースにして、高槻の有権者29万の持つ問題意識にどれだけ添い遂げる論を展開するか、そこが投票の分かれ目になるのだろうか。ただ、選挙の常として、有権者は論理的な行動だけをとるのではなく、組織の動きに従い耳触りの良い言葉に流されることもあるのが、残念である。この会場での拍手の大きさに比例して得票が伸びるのかどうか、それにも注目したい。今回の討論会は、話が理路整然としてメモを取りやすい候補者がある一方で、一生懸命さは伝わるが話が発散してポイントを押さえたメモを取りにくい候補者もあった。このため各候補者の主張を公平に伝えることができないので、それぞれの話の内容をここに記するのは差し控える。各党のパンフやインターネットでも候補者の主張の概略は読めるであろう。(黄鶴)

12月2日  「投票行動」
高槻市議選において、有権者はどのような行動原理に基づいて投票してきたのだろうか。その答をさぐるために過去3回の市議選における党派別・候補者別の得票数の推移をまとめてみた。

この図が示すものがある。まず風に揺るがぬ組織的行動が顕著である。次に時代の風に乗る行動、そして数は少ないが個人的活躍への期待や政見に賛同した自ら考える行動の3種が見える。その数の比率は、大雑把な推定であるが8:4:3といったところだろうか。

組織的行動の明らかなものは、毎回8名の候補者が押し並べて約3000票を獲得し落選者のない公明党、労組や建設・教育などの業界、地縁血縁をバックにした自民党・民主党・保守系無所属の一部である。共産党も一定の組織化が見えるが議員数確保に結びつく組織的行動には至っていない。ともかく組織的行動は強い。不動の地位を確保している。したがって、彼らが言う「身を切る改革」は、議員定数削減については「他人の身を切る改革」でしかない。組織的行動に身をゆだねる有権者は約8万人。29万人の有権者の3割弱が、市政全体を決めている。
時代の風は2回吹いている。一つは民主党に期待する風、もう一つは維新・みんなの党の風である。風に乗る凧は風が止めば地に落ちる。2011年の選挙で風に乗った4名のうち2名は、すでに所属を変えた。維新・みんなの党は、一時的な風であって継続性のある力強いうねりではなかったらしいが、全国的にはどうなるのか。それも12月14日の衆院選挙ではっきりするだろう。
組織とも時代の風とも無縁でありながら、根強い人気をキープしている無所属議員の一群がある。何ものにも束縛されない、自由意志を持った有権者が、その背後にいるのが見てとれる。ただ、その数は有権者の1割に過ぎない。
一方、興味深いことに投票率はこの3回の市議選では向上している。その理由は、2007年の選挙では民主の風が吹いたことと若い清新な候補者が出てきたことが挙げられる。若い候補者の得票数が、そのまま投票率の向上に相当しているのがわかる。また2011年の選挙では、若い新人の登場に加え、維新の会の旗印が2名の候補者の得票数を9000票押し上げた。これが寄与するところが大きい。
ともあれ、憂うべきは自分の考えもなく組織や時代の流れに従って投票する大多数の動きである。有権者の愚行は愚昧な議会を作る。そうして現在の予算の無駄遣いを生み、将来の市民生活の基盤を破壊する。必要なのは考える有権者を増やし、考える議員を選び、増やすこと。そんなことを考えていたら、11月30日付毎日新聞の保坂正康氏の「私の視点」という記事が目にとまった。私の論と軌を一にしている。
考えるには、材料が必要である。市のHPも格好の材料だが、小欄もそれに貢献したいと願っている。小さな声だが、上げ続けなければならない。  (黄鶴)

1128日 「麻生太郎講演会」
SPついてるだろなとは思いましたが、麻生警備のため入口で金属探知機2台もという物々しさ、そのわりに手荷物はスルーでは、あまり意味ないんじゃないか?まあ調べられても嫌だけど、単なる「厳重警備してますよ、VIPのあそーさんくるんだからね、そんくらい自民党すごいんだよ」アピールなのかなと。
威圧感与えるだけにしかみえませんでした。
どなたか馴染みの顔があるかと思いましたが、ものすごい満員で、中ホールだけでなく急遽レセプションルームも追加というから、いったい何人、入ったのでしょうか。自民党に何かを期待する人々の多いこと!回りの参加者に何考えてるのかインタビューしたくなりました。
あそーさんは、流石に喋りは上手でしたが悲しいかな、「ザ・ニュースペーパー」の役者にしかみえない(笑)、慣れとはこわいものです。
それにしても自民に、「予期せぬ選挙」「急な政局で…選挙の準備が大変」みたいなことを言われると「あんたらがやったんやんけ」と怒りが沸き起こってしまいますね。「オマエが言うな!」とツッコミたくなります。
壇上は府議、自民党市議会議員全員と次回候補の○○○、△△△(まだ出るんや…)。
はまだ市長も行儀のよいご挨拶。
田村市議が市議会議員を代表して挨拶、田村さんが重用されてる感がありました。
女性の「活用」ですね。
市議会議員全員名前を呼ばれて一礼してましたが、岩議員ファンがアツい!会場中央にかたまって陣取り、10人ほどが立ち上がり「岩会」とかかれたでかい旗を拡げて声援…。
講演会中身はもちろんいろいろツッコミどころ満載でしたが、多分松浪ケンタを意識したのでしょうが、「風見鶏、人気取り、渡り鳥の『サントリー』はいかん、機をみてあっち行きこっち行きじゃーだめだ」 と笑いを取った場面では、壇上の平井議員はちと辛かったろうなあと、全く同情ない感想を持ちました。ザ・「自己責任」。
とりま、いつもよく行くような集会と違って、いかにも偉そうなスーツ姿のおじ様方や小金持ち風なじじばば様が多く、たまにこういう所を覗くのもわるくはないなと思いました。
しかしながら「アベノミクスがきいて、いまどこの小さな町に行っても景気良くなった!と皆さん言ってる」とあそーさんはおっしゃるのですが……。    (悠々)

1123日 「質問1300万円」勤労感謝の日のブログ
2013年における質疑・質問数を分母に、当該議員に給付された俸給や旅費その他の経費を分子に置いて、質疑等1件当たりの投入経費を算出しました。その棒グラフを下に示します。

そうですね、はい、各議員の働き具合の経済性、コスト・パフォーマンスの一覧図です。ただここで、角議員においては2013年中に質疑・質問がなく、分母がゼロですので答は無限大になるのですが、描ききれませんので便宜上1件としました。ご覧のとおり、質問1件につき多い議員で約1200万円、少ない議員で31万円、平均で118万円です。1件当たり300万円を超える議員は6人です。
分子に置いた「投入経費」は、全額が市の予算、つまり市民が納めた税金や国からの地方交付税(これだって税金!)が源になっているのですが、その詳細は次のとおりです。
まず俸給。これは議長が月額75万円、副議長が71万円、常任委員長と議会運営委員長が68万円、一般の議員が66万円、これに年2回の期末手当(月額の120%の額×3.9)が加算され、年額約1210万円から1100万円になります。次に別項の政務活動費の使用額、そして会派行政視察旅費、以上の合計額を投入経費としました。
これに加えて、北岡議員においては、同議員が提起した住民訴訟に対し市側がこれに応じるために支出を余儀なくされた弁護士費用を加えています。その正確な金額は、実は公開資料からはわかりません。現に係争中の事件ですので情報公開も困難でしょう。そこで推定額150万円を計上しました。住民訴訟の件数は、平成25年度主要業務執行報告書によりますと、同年度末で25件を数えますが、そのうち何件が同議員の関わるものか不明です。しかし、議事録に「3件あり」とする発言があります(*1)ので、それを計上し、1件当たりの訴訟費用は日弁連資料「市民のための弁護士報酬の目安」(*2)の住民訴訟の項(P42)を参考に50万円としました。
*1 平成25年12月19日第6回定例会議事録
*2    http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/attorneys_fee/data/meyasu.pdf

高槻市の行政行為に何か問題があったとき、住民としてはどう動くべきなのでしょう。その答は、監査請求を行い、それでも解決しない場合は訴訟を起こすことになります。しかし、それは住民の場合です。立場が違えば行動規範も違います。市議会議員ならば議会の場で質問し、また市政についての報告を求めることで市の姿勢を糾せるし、それが本分のはずです。市議会議員の活躍の場は議会であって法廷ではありません。訴訟を起こせば当然ながら市にコストが発生します。無駄遣いを戒めるべき議員が、それと知りながら逆に無駄遣い(北岡議員の敗訴もある)を強いることは、市民として看過できないことです。議員として重要なことは、裁判に勝ってヒロイズムに溺れることではなく、市民を一つの方向に誘導すること、つまり、市民みんなが税の使い道を考え、市政に参画するように、市民の意識改革を進めることです。裁判という手段の必然性は見えません。それはいたずらに市と敵対関係に陥るだけです。さらに言えば、濫訴により市の職員を委縮させ、善意に基づく積極性を失わせている実態があります。組織において士気というものは極めて大事なものです。公務員においてもそうで、例えば国家賠償法も公務員個人の軽過失までは追及していません。些細なことの追及は公務員を臆病にさせ、公務員としての正当な職務の執行さえ十分に行われなくなることを恐れたからです(*3)。北岡議員の行動には誤りがあります。市の職員の、のびのびとした積極的な活動こそ、市民のためになるのです。
*3 「国家補償法」下山瑛二 筑摩書房  p83~84
もうひとつ、表現方法を換えた図を掲げておきます。これは縦軸に2013年の質疑・質問数、横軸に1件当たりのコストを測り、各議員がどのあたりの位置にいるのかを示したものです。経費のうちでは俸給が大部分を占め、その多い議員と少ない議員と10%以上の差がないので、X ・ Y = C という反比例のカーブにしかなっていないのですが、私たちの投票した議員がどこにいるのかを見るには役立つでしょう。この図では、左上に行くほどコストパフォーマンスは高いことになります。   (白雲)

 

1115日 「男女比」
それほどインパクトのある話でもないので、載せるのはやめたらいかが…と、いう意見もサークル内にはあるのですが、無意味な統計はないという主張に従い、この図を掲げておきます。

高槻市議会における議員の男女比は、24人対12人、ぴたり2:1。つまり女性議員の割合は33.3%です。これはクォータ制をとる北欧諸国には及ばないものの、全国平均の11.8%(総務省。平成25年12月31日現在における市区町村議会の状況)はもちろん、隣接の市よりも高い数字なのです。もっと高くてもいいのですが。
では、その仕事ぶりは、といえば・・・。選挙の年の2011年においては、質疑・質問数の男女比も2:1。つまり、1人当たりでみれば男性も女性もまったく同じ働きぶりでした。男性がより活発に働き、女性がしとやかに聞き役に回る、といった状況ではありません。質疑・質問の数の上では、まったく同等でした。ただ、その状況も年を追うごとに変化し、女性が優勢になっていきます。その原因を探ろうと議事録を読んでみましたが、明確な理由は見当たりませんでした。強いて言うならば、福祉・介護・子育てに関するテーマが近年は多く、女性議員がそれに敏感に反応してきたこと、また市役所の業務の進め方に対して女性議員の方がより厳しく批判の目を向けていることが挙げられるかと思います。
がんばれ~。女性議員!      (悠々)

119日 「離党」
高槻市議会のHPは11月6日、「会派の構成を更新しました」という新着情報を載せた。見るとこれまで「日本維新の会・みんなの党議員団」に所属していた蔵立議員が、「無所属」となっていた。彼は2007年2292票で初当選、 前回の2011年には「高槻維新の会」を旗印にして7335票でトップ当選であった。前回2位の太田議員も同じ「高槻維新の会」であることから、2011年当時のブームであった大阪維新の会の風に乗ったことによるトップ当選であったことは疑いない。
ところがややこしいことに、当初は「高槻維新の会」は「大阪維新の会」とは無縁のものであった。それを知らずに大阪維新の会の高槻支部と勘違いして彼に投票した者が身近にいる。同じような人は、1人や2人ではないだろう。その後大阪維新の会に合流したとはいえ、選挙戦術としてまぎらわしい名前を使って市民を惑わしたことの罪は軽くない。そして今回の離党である。維新の風が吹いていると見ればまぎらわしい命名によって市民を惑わした上でこの風に乗り、3年過ぎて風が止んだと見れば維新の旗を捨てる、これは無節操のご都合主義というほかない。離党ということは、その党とは思想を異にし、別の道を進むということだ。5千余の上乗せ票は、ともかくも維新の会による新しい政治を期待した。その期待はどうなるのか。選挙のときの錯覚を誘導する手法に加え、今回は二度目の裏切りである。許しがたい。このような行動が、市民の政治離れに拍車をかけるのだ。 ご自身の口から離党理由を聞きたいものだが、11月9日現在、ホームページ上でも何の説明もない。 (黄鶴)

秋…。木の葉が色づいて枝を離れ、地を覆う・・・。 あるいは秋…。夏の恋が終わり、人の心は互いを離れてさまよう…。そういうものの類でしょうか、蔵立議員が維新の会を離れました。
私は少し黄鶴子と違うのです。確かに、無節操という観はあります。しかし、実態は違うんじゃありませんか? 2011年当時、経済は停滞したままだったし、東日本大震災やら福島原発の事故やら起こるし、暗い世相でありました。そんなとき、人々は維新という新しい政党に変革の希望の火を見た思いがしたのです。ですがそれは閉塞感に満ちた現世に巧みに映し出された幻燈でしかありませんでした。人々は最近、次々に政党名を変え離合集散を繰り返す維新の会が、口先だけで実体のないことに気付きました。その点は地方政治家も同じなのでは? 地方にいれば党の中心は見えないのですから、とりあえず言われることを信じるしかありません。地方政治家も、幻影を信じた市民と同じ被害者なのです。橋本旋風から数年、実体のないことに気付いただけでもましです。今もって盲従している輩も多いではありませんか。それよりは、いいじゃないですか。 戦国時代、主君を替える武士もたくさんいました。と言うか、ダメ主人とみれば見限る、それが当たり前でした。ダメな政党を離れる、むしろそれは正しいことではないでしょうか。  (白雲)

114日 「収益事業」
大阪市住之江区に競艇場がある。競艇の主催施行者は箕面市と大阪府都市競艇組合。その組合に高槻市も名を連ねる。ちなみに、他の市は、堺、岸和田、泉大津、貝塚、八尾、泉佐野、富田林、東大阪、守口、豊中、池田、吹田、枚方、茨木、寝屋川の15市である。ここには1日平均3,300人が来場し1人平均21,000円の投資をして、3連単最大配当率2,000倍の一攫千金を夢見る。

長さ約400m、幅100m以上の広い水面の対岸には巨大なマルチビジョン。レーサー名や人気の度合いなどのレース情報を表示する。水面と同じ長さのスタンドには、休日のこの日、ちらほら若いカップルや家族連れも見えるが、ほとんどが初老の男たち。その身なりはお世辞にも美しいとは言えない。申し合わせたように古毛布のようなブルゾンとしおれた野球帽。手には新聞とレーサー出走表。虚ろな目が水面をなぞる。視線の先には6隻の小さなモーターボート。それが爆音を上げながら楕円を描いて水面を走る。見守る男たちは終始無言で、2分足らずのレースが終われば、ぞろぞろと動いて払い戻し窓口に暗灰色の列を作る。ここでも無言。列の順番争いは見られないが、生気のある動作もない。列に並ばず私の側でカップ麺をすすっていた男が、箸と容器をスタンドの床に投げ捨てた。汁は残っていなかった。別の男が、舟券を破り捨て、左足を少し引きずりながら出口に向かっていった。

高槻の市民憲章第5条は、「高槻は文化の華を咲かすまち」と定める。どうにもこの競艇場に似つかわしい文言ではない。あの言葉のない群像の、どこが文化か。少なからぬ人をあのような姿に導くことが、地方行政体のやるべきことか。
観点を替えよう。競艇は地方公共団体にとって儲かる事業か。まず全体的なカネの流れを眺めよう。平成24年度における総売り上げは全国で9,176億円。その75%が配当として還元され、25%が主催者に残る。その25%から、レーサーへの賞金やボートに要する費用、施設費、競艇場人件費などの開催費を差し引き、日本財団交付金2.6%、モーターボート競走会交付金1.3%及び地方公共団体金融機構への納付金0.2%(計4.1%)を差し引き、残額が主催者である地方公共団体の収益となる。その残額は年度によって変動するが、総売り上げに対する比率は概ね1.0~1.2%, 金額にして約104億円(平成24年度)である(*1)。
収益には105の主催者団体(県・市・町・企業団)が群がる(*1)。そのうち高槻市の収益は平成24年度47百万円、25年度44百万円である(*2)。一方、平成25年におけるレーサーの年間獲得賞金の1位は約1億2千万円、100位の選手で年間約25百万円、約1500人の選手の平均は約17百万円である(*3)。近年は平均的な選手2~3人の年収に相当する収益しかないのに、この事業を継続する意義があるのか。
*1:全国モーターボート競走施行者協議会HP、*2 : 平成26年9月高槻市議会定例会資料, *3 : ウィキペディア「競艇選手」及びボートレース住之江HP、

また、次の図は競艇の売上額の推移である。この図から直ちに競艇事業の将来を予測することはできないが、もろもろの経済指標を思い浮かべると1991年のピークの再来は期し難い。むしろ、競艇場に足を運ぶ人の年齢層を見る限り、いずれ赤字に転落すると予測する方が現実に近い。「収益事業」ならばそうなる前に撤退すべきだ。それは遠い先のことではない。それとも、赤字になっても高槻市は大阪府都市競艇組合に居続けるのか。  (黄鶴)

 

1026日 「成長率」
年に4回ある会期の、その1回当たりの質疑・質問数の年間平均を調べ、それを年を追って並べてみました。

この絵を掲げるだけで議員の通信簿になるとは思いますが、とてもこのまま秋の物思いの世界に戻れませんので少し言葉を足します。
申すまでもないのですが、1回の会期には、本会議が1回、常任委員会が少なくとも1回(まれに、ないことも)開かれます。合わせて2回の発言の機会があります。委員会は1日で終わることが多いのですが本会議は1回=1日ではありません。ですから会期中1日1回の発言でもって、この絵の上では2回以上になるのです。にもかかわらず、1会期当たり2回以下の議員の、なんと多いことでしょうか。新人議員の半数がこのグループに入っています。何のために議員を志したのか、聞いてみたいものです。唯々諾々と市の提案に賛成するだけで市会議員ですか。無駄飯惰眠の3年間を市民が許しますかどうか。
逆に敬服すべきは活発な議員です。質疑・質問の数がコンスタントに多いということは、教育・福祉・環境その他市政に関わる総体について、まんべんなく意見を出しているということで、政策のマルチプレイヤーである証明です。もともと全能の天才がいるわけはなく、質疑・質問の陰には相当な勉強があったと推測できます。とりわけ、右肩上がりに質疑・質問数の増えている議員が目にとまります。二木・和田・野々上・強田・中村・宮本、さらには高木議員といったところは、10~20%、あるいはそれ以上の年間成長率です。それが2014年の数字を底上げしています。あれやこれや、言わずにおれない何かが、年々大きく、あるいは多くなっているのでしょう。一般質問から、それは窺えます。
なお、下位グループは混戦というか、混線もようで、誰がどの線か、絵を作った本人もわかりません。なので、基礎データを次に掲げておきます。     (白雲)

1019日 「残土処分」
高槻市議会は9月29日、樫田地区の良好な自然環境を求める請願を全会一致で採択した。一定の見識を示したというべきであろう(当サークルは、高槻市議会のウォッチングをするものである。是は是とする。いつも批判ばかりしているのではない)。
大阪府の形を、あごひげの長い男の顔が西を向いた形とすると、樫田地区は頭頂部の髪の毛が逆立った部分に当たる。この入道雲のように京都府に入り込んだ部分は、実は元京都府の地で、高槻市と合併したのは1958年のことである。府境にふさわしく緑豊かな桃源郷で、集落の起源を思い起こさせるゆかしい名前の樫舟神社もある。
この地の山林約3Haを残土処分場とする話がある。地元住民にとっての驚きと困惑は十分想像できるが、下流域市民にとっても迷惑なこと限りない。緑の山が周囲をめぐり、田が広がる盆地は市民の憩いの場所であるほか、残土処分場計画地そのものが、健康な生活に欠かせない良質な水の源となる場所だからである。この状況は、折しも10月17日の夜、NHKのかんさい熱視線の番組でも取り上げられたが、本当に困る。なんとかならないものか。
1951(昭和26)年に森林の保続培養のために公布施行された森林法は、1970年代の列島改造ブームによって骨抜きにされた。即ち1974(昭和49)年、第10条の2を設け、都道府県知事の許可があれば、広さ10,000㎡以上の土地の開発(土石の採掘、開墾その他の土地の形質を変更する行為)が可能となったのである(道路設置の場合は30,000㎡、幅員3 m)。この場合の許可は、行政法にいう自由裁量行為ではない。つまり勝手に許可したり不許可にしたりできるのではない。一定の条件が整えば許可しなければならない羈束(きそく)行為なのである。おまけに無許可で開発行為を行ったとしても、その罰則は、わずかに罰金150万円以下と定められている。自然保護のために森林法にすがろうとしても、まことに心もとない。
いま、国も府市も、その役割に応じて早急に為すべきことがある。
その一。考えてみれば、時代は変わっている。既に貿易立国でもない。産業界の土地需要は減退し、人の望みも開発から保全へと変わっている。その自然が国際的な観光資源にもなっている。にもかかわらず、法体系は開発時代そのままである。残土は人が不要にしたものにもかかわらず廃棄物ではない。これもおかしい。40年前の遺物である。国、あるいは府でも市でもよい。山中への残土処分を違法とする法・条例を直ちに作るべきだ。先の番組によると、府は3,000㎡以上の面積の開発行為を許可制にし、違法行為への罰金を100万円以下にしようとしているようだが、本法を越える罰則は設けられないのはわかるけれども、生ぬるい。
その二。残土処分を禁止するだけでは、実は問題は解決しない。国や府として、広域的に残土処分場の設営を考え、建設業、自然保護、両方にバランスのとれた政策の展開こそ必要である。場合によっては遠い海洋への投棄もやむをえない。ちなみに、横浜の山下公園には関東大震災の瓦礫が埋まっている。
その三。請願にいうように、市は里道の変更不許可などの行政処分を断固として行うべきである。
その四。請願を採択し意見書を提出したほどの事件ならば、市はもっと本件のPRをすべきではないか。市民全体の問題なのである。
ついでに言う。条例の起案に当たっては、市の法務担当課だけでなく市民の力も借りたらどうか。高槻市ほどの文教都市なら相応の知識経験を持った市民もいるはず。そういう方に市議会スタッフになって戴き条例制定の援助をお願いするのも悪くない。一方的にサービスを受けるだけが住民なのではない。専門知識を活かして市政に貢献できる喜びを感じ、生き生きとした日を送ることができるのも、住みよさの一つである。 (黄鶴)

1015日 「デュー・プロセス」
2014年3月議会及び6月議会における質疑・質問数を調べ、「1 市議会という舞台で」にそのグラフを、「5 基礎編」にデータを、それぞれ追加しました。傾向はそれまでの3年間に同じく、活発に質問する議員はそれまでどおり、サイレント議員は相変わらず静かでした。
今回の追加資料には、3月26日の本会議における議員定数削減条例案についての発言も「本会議質疑」の回数に含めています。この日に条例案に反対の意見を表明した議員は、普段から質疑数の多い方々でした。質疑の多いこと、それは市政に関する勉強の量の多いことの証でもあります。よく勉強していれば見えてくるものがあるようです。
その3月26日の、議員定数削減条例案についての議事録ですが、私は質疑数を数えながら思いました。これは永久保存の必要のある、そういう意義のある議事録である、と。条例に反対する議員(発言順に、強田、和田、北岡、川口、高木、宮本、野々上、中村、二木)の発言の、なんとスジの通った、堂々とした論旨、論調であることか、と。 市のHPで、ご一読をお勧めします。
議員定数の削減については、議会あり方検討会で約1年半かけて検討された項目の中の一つであり、最終報告書には「結果として、削減すべきであろう、という意見が多数であった。」と中途半端な表現のまま留め置かれ、だからどうするという明確な結論はありませんでした。このような「合意の結論を得られなかった項目」については、同報告書は「今後の動向を見ながら、必要に応じて、協議の場を設けるべきである。」としていました。
ところが、約束された議会での「協議の場」は何もなく、パブリックコメントなど市民への情報提供と意見聴取の場もないまま、突如として議会多数派が2名削減の条例案を提出しました。そして、議論らしい議論もないままに、原案どおり可決されました。決定までの手続きに瑕疵があると言わざるをえません。
デュー・プロセス、つまり法に基づく適正手続の概念は、刑事法だけでなく行政法においても大原則とすべきことは今や常識であり、また実定法の運用のみならず、その精神は行政庁のすべての行為に底流する行動規範であることにも、公務に携わる者は、思いを致さねばなりません。3月26日は、そのことを弁えない、あるいは無視する議員が高槻市議会では多数を占めていることを天下に示し、彼らによる強権的議事運営が行われた記念日になりました。
合意形成のための適正なプロセスがあってはじめて民主主義だと思うのですが、議会の中での約束も守られず、市民の無関心をいいことに、絶対多数の市民の知らないままに事が運ばれていった、このような決定に効力をもたせていいものなのでしょうか。市議会で多数決を得れば、それだけで条例施行の必要十分条件を満たすのでしょうか。
正直に白状しておきましょう。上記は、ほとんどが反対派議員の発言の受け売りです。    (白雲)

10月11日 「No.1
 「No.1 」という「英単語」を辞書で調べた人・・・いるでしょうか。そんな解りきったことを今さら…とおっしゃる方が大半でしょう。でも、ここに落とし穴があるのです。                                 「住みやすさナンバーワン」という言葉を、最近しばしば耳にします。現市長の進める政策を一言で表すと、この表現になるのでしょう。しかし私は、これを聞くたびに独り笑ってしまうのです。なぜかというと、英語でNo.1には、特別の意味があるから。辞書によれば幼児語という注釈もありますが、その特別の意味とは、pee 。なぜ Number one が pee の意味になるのか私は知りません。朝起きたらまず最初にする仕事・・・ボウルに溜めたものを窓から捨てる(注)・・・だったからか、子どもにとって一番大事なことだったからか。ともかく「ナンバーワン」には、そういう意味があります。そういうことをご存じなのかどうか・・・?     すでに普遍的な日本語になった言葉が、その本来の外国語では意外な意味を持っていることがあります。それを知らないまま使うと、その外国語を母語とする人々の失笑を買う場合があります。ですから、生半可な外国語は使わない方がいいと思うのです。公的業務には、特に。
住みやすさナンバーワン、そんなキャッチフレーズを使わなくても、高槻には立派な市民憲章があります。この市民憲章に沿って具体的な政策を展開すれば、その成果はおのずと住みやすいまちを形成するはずです。昔は市バスの中でこの市民憲章が放送されていました。行先案内などと共に、艶ややかな女性の声で。他市から遊びに来た友人がそれを聞いて、新鮮な驚きを示していたのを昨日のことのように思い出します。そうそう、思い出すと言えば1980年頃でしたか、Japan as number one というベストセラーがありました。あの標題は、もしかすると、栄えているとはいえそれは小便程度で、ノアの洪水のような迫力はない、すぐ停滞する…そんな国・日本、という揶揄も込められていたのかもしれません。事実、それから10年ほどで日本経済の勢いは止まり、以後は「失われた二十年」と称されるようになりました。下手をすると20年に留まらないかもしれないのですが。エズラ・ヴォーゲル、慧眼の士と言うべきかも。 (白雲)
(注…は、不要でしょうが^^念のため) ヨーロッパでは近世まで、大小便を窓から捨てていました。ですから、捨てられたものが流れやすいように道路は断面がゆるやかなV字形になり、道路も坂道のようになっていました。建物の1階部分にアーケードがあるのもこのためです。世界遺産でもあるスイスの首都ベルンの街は、昔のままの姿を今に残しています。

106日  「9月の本会議を覗いてみたら・・・ (続編)」
かえで「やっぱりだめだ~。私、帰る。市議会って、いったい何なのよ、つまらない質問につまらない答弁!質問に立つことだけが目的のような議員もいるのね。中身はなくてもいいみたい」
御島媼「ふふふ」                                  かえで「さっきから聞いてたら、なによ、あれ。国や府の職員にしか権限を与えられていない危険ハーブ店の臨場検査に市の保健所の職員も同行させろという議員。それはだめでしょ。同行するといっしょに検査することになる。公務員ができること、しなくちゃいけないことは、ぜ~んぶ法律で決められてるのよ。国には国の、市には市の、役割分担があるのよ。それを越えてやるのは越権行為。法律上、許されないことなのよ。…こういう質問にも丁寧に答えなければならない市には同情するわ」
御島媼「まあまあ、お怒りめさるな」
かえで「他市の先行事例だとか法律の改正趣旨だとかを尋ねる議員に言いたいわよ、そんなことは自分で勉強しなさいって。本会議場で高槻市役所に尋ねることじゃない」
御島媼「論戦の前に議論の前提を相互に確認するって作戦もあるけどね」
かえで「そうは聞こえない。防犯や防災について、事件の数だとか現在の問題点を質問する議員もそう。そういう現状は自分で調べて、その上で、こういう問題についてはこのように対処すべき、と政策を提案するのが本会議の一般質問でしょう。」
御島媼「それが理想ではあるがな、36人の議員が全員そうだったら市も大変!ほほほ」
かえで「いろんな議員の質問やら答弁やらを聞いていて思ったわ。議員に必要なものは、社会の変化を敏感に感じ取る嗅覚と、その変化に対する処方箋の作成能力だわね。その能力がない議員は、すみやかに辞表を出すべし!税金の無駄遣いがこれ以上増えないように」
御島媼「かえでが、ますます激しくなってきた・・・。議員に必要な資質は、ほかにもあるでしょう」
かえで「ほかに、何が?」                                 御島媼「一言以ってこれを覆えば…」                                 かえで「うん・・・」                               御島媼「それ、忠恕か」                                  かえで「あはは。上の句と下の句と、合わないよ」                                  御島媼「よいのじゃ!要するに一言で言えば市民への愛。市民への思いやり」
かえで「そのとおり!だけど一定の基準以上の能力も・・・」
・・・しばらく議場を眺めている二人・・・
かえで「つまらないやり取りばかり、と思ってたら・・・そうでもないケースもあるのね。こんどは市も結構まじめに答えてる・・・。」                              御島媼「蔵立議員じゃな。財政問題を正面からとらえて論戦を挑んでおる。まあ、高槻も茨木も、名だたる健全財政のまちでな、これは維持せねば。健全財政が残って市政は貧困、では困るが。・・・しかし、追及が今一歩じゃな。傍聴席に聞かせるためのスタンドプレーと言われないように、もっと深く掘り下げた話こそ、あらまほしけれ」                                  かえで「あはは。まじめな話になったら、昔の言葉がよみがえった。ところで、慰安婦問題のパネル展を市の施設でやったの?ヘイトスピーチに近いようなパネルを並べた・・・」
御島媼「そうらしい」                                  かえで「あれは許可すべきではなかったと和田議員が迫ってる」
御島媼「市としては、対応が難しい。表現の自由との兼ね合いもあるし、ヘイトスピーチを違法とする国の姿勢も未だ定まってはおらぬ。そういう中で高槻市だけが突出して方向を示すわけにはいかない、というのも媼には理解できる」                                  かえで「そうかしら。地方が率先して新しい方向を示してもいいのに」
御島媼「そこが役所の玄界灘、いや、限界じゃな。この限界を突き破る原動力は世論じゃ。世論でもって国を変えるべし。国も今、世論の動向を慎重に見極めようとしておる。国が変われば地方も変わる。和田議員の熱情もそうした世論の動きとして、いつか実る時が来るであろう」
かえで「この人もなかなかやるわね。若い高木議員。姉妹都市のオーストラリア・トゥーンバ市から来てる英語補助員、無断で住居変更しちゃった?市の対応に問題があったのかな? あれま、英語補助員が行方不明で話し合いができませんでした、だって。・・・調べればわかるはずなのに、市の答えは意外におざなりだわね。・・・あらら、左の席の議員、怒っちゃった。うん、怒って当然!(議席配置を見て)吉田稔弘議員だわ。議場が騒然としてる。わ~、これって、ドラマチック~」
御島媼「真剣な議員も多いのじゃよ」                                  かえで「川口議員の質問、話しぶりにキレがある。わかり易いわ~。豪雨対策について、警戒区域内に施設がある、いざという時どうするんや…って、具体的な問題を指摘して対策を迫ってる。ウフッ。面白い、もっとやれ~」                                  御島媼「お父さんがアル中だったとかでな、涙を誘うような一般質問もあったぞよ。前回だったか、前々回だったか・・・。最近、ね」                                  かえで「この議員、もっとすごい。幼児教育制度について相当勉強した人なのね。質問が鋭い。それに、ただ尋ねる質問じゃなくて、認定子ども園などの新制度について市はこう対処すべきだと市政を導くような質問だわ」                                  御島媼「ベテランの二木議員じゃ」
かえで「こうでなくっちゃ。こういう議員もいるのね!最後まで聞いててよかった」
御島媼「結局、中身のある答弁を引き出すのは中身のある議員じゃよ」
かえで「そうね。そのとおりだと思う。でも、本会議って、わりと面白いわね、市の抱える問題もわかってくるし、今まで知らなかった話も聞けるし」                                  御島媼「次は12月じゃよ」                                  かえで「うん・・・」

2014年9月議会一般質問項目

105日   「9月の本会議を覗いてみたら・・・」

登場人物                                   御島媼(みしまのおうな):年齢不詳。平敦盛が初恋の相手という。時折り今城塚の樹林から現われては古今のできごとを人に語る。                                             かえで :城跡に住む木の精。まだ髪を上げたばかり。御島媼を継ぐ語り部をめざして特訓中。

御島媼「かえでは、初めてじゃな?この本会議場を覗くのは」
かえで「うん、そう。・・・意外に立派やね!地方の市議会なのに。…ねえ、ばあば」
御島媼「ん?婆と呼ぶでない。わらわはまだ若い。何じゃ」
かえで「議員の質問って、書いたものを読んでるの?市の答弁も」
御島媼「そうじゃ。何を質問するかを議員は事前に届けなあかんし、市の方はどう答えるか関係部局で相談せなあかんし。結局台本を作ることになる」                                  かえで「なんか迫力ないね。気持ちがこもってない。書き言葉って、耳で聞くときは理解しづらいわね。早口でメモはとれないし…。あ、台本があるのなら、それを配ってくれるといいのにね」
御島媼「そうはいかん。そのとおり話すとも限らないから」                              
かえで
「今答弁に立った、あれは誰?」                                 御島媼「市長じゃよ。長身で若くて美男子~・・・!」                              かえで「ばあばから見ればみんな若いんじゃないの?それより、市長さん、何言ってるの?意味がわからない。『めまぐるしい情勢の変化に対応すべく迅速的確な判断のもと、国や府の姿勢を注視し、主張すべきところは主張し、市の発展のために努力します』・・・だって」
御島媼「どのような質問に対する答弁じゃな?」                                 かえで「聞いてなかったの?」                                 御島媼「つい、うっとりして…な」                                  かえで「いやだ、ばあば、年齢を考えてよ、ばあばの年を 。あのね、東京一極集中のいま、この流れに対抗するために高槻市政はどうあるべきか、という話!」                                 御島媼「まあ、難しい話ではあるな。地方の市だけでは如何ともしがたいこともある」             
かえで
「それにしてもひどくない?具体性が全然あらへん。あれではどんな分野の質問にも同じ答えで対応できる。岩議員の真剣な問いに答えていない!」                                 御島媼「政治家の発言には、そういう曖昧な面もある」  
かえで
「それがいけないのよ。どうにでも解釈できるように表現は曖昧。具体的に迫ってこない。霞がかかっているようで、人が生き生きと動く絵が見えてこない。そやから政治が自分たちの生活にどのようにかかわってくるのか、わからない。それが若者の政治離れを引き起こすのよ。面白くない。帰ろ」
御島媼「まあ、待ちなはれ。一局面だけを見て全体を判断するのはよくないぞよ」  
かえで
「そう?」                                 御島媼「一悪をもって衆善を忘るなかれ、と、昔から云う」                  
かえで
「わかった。もう少し我慢する」                                          ・・・・・・・・・・・・・・・                                                       (以下 次回に続く)

103日 「鞍替え」
先般、平井和樹議員がみんなの党から自由民主党に鞍替えした。
そもそもみんなの党とはどういう存在だったか。財界からの献金に染まった自由民主党のカラーを嫌った渡辺さん、財務省の言うがまま安易な消費増税に頼る自由民主党の政策を否定する渡辺さんが、第三の政治勢力を目指したのが「みんなの党」ではなかったか。この経緯から、みんなの党と自由民主党とは、水と油とは言わないまでも、著しく立党主旨を異にする政治集団のはずである。
その違いを越えて、軽々と転身できるものか、どうも理解できない。それまでのみんなの党での政治信条は何だったのか。みんなの党の党是はどうでもよかったのか。ならば今から入る自由民主党も仮の衣か。そう思っていたら、友人の一人が似たようなことを言った。
「平井議員に投票した市民になんと説明するのか。みんなの党を支持する市民は、みんなの党を名乗った平井議員に、彼自身を知らないけれども投票したのだ。党中央のゴタゴタがあってみんなの党の人気に陰りが見えたと思ったら直ちにみんなの党の衣を脱ぎ捨てる?」と。さらに言う。「みんなの党として当選した者がみんなの党でなくなったら、その時点で我々の代表者たりえず、議員でいる資格は失ったはずだ」とも。
「騙された…。何が自民党だ、忘れてもらっては困る。議員は市民の支持があってはじめて議員だ…。続けて市会議員をやりたいならば、いったん辞めて、あらためて来年4月に自民党員として立候補せよ…」「どうも4年間の任期は長すぎるねぇ、2年を過ぎたことろで中間信任投票とかしたらどうだろうか・・・」友人の憤懣は収まらない。  (黄鶴)


9月28日 「会派行政視察 その3」
3か月ほどかけて、高槻市議会の議員による会派行政視察に関する情報を集めてきた。曰く、どんな歴史があるのか、問題点はないのか、今どんな意義があって存続しているのか、どんな成果が生まれているか。・・・これを整理したのが「4 追加調査のページ…会派行政視察の是非…」である。
わたしたちは、特定の結論に都合の良い資料だけを集めてここに呈示しているのではない。客観的な立場から、多面的に事実を証明する証拠を集めたにすぎない。有罪無罪の判定は市民に委ねる方針だ。しかしこれらの情報から、どれくらいの市民が会派行政視察の存在を許すのだろうか。
視察は、確かに、一部に市政につながる果実が認められた。しかしほとんどが個人としての知見を広げ深める効果はあっても、それ以上の成果は見られなかった。行けば何かの印象はあるだろう。しかし個人の財産にしかならないものなら個人の投資をもってあがなうべきだ。税金を使って会派として行く必要がどこにあるのか。
視察報告書は、高度な学術論文である必要はない。専門用語を並べたてた難解な文章も要らない。少々日本語としておかしくてもよい。平均的高槻人に呼びかける平均的な報告書でよい。ただし、視察をどう生かしてこれからの政策を展開していこうとするのかという展望、言いかえれば自らの政策立案過程のどこに視察の成果を生かそうとしているのか、視察と政策との有機的結合を示すことが、報告書には必要である。視察に具体的成果がなく「参考にしたい」というレベルなら、それは慰安旅行と変わりはない。業務上の必要性があって視察に赴いたとは認めがたい。
たまたま市役所1階の行政資料コーナーで「高槻市議会関係例規・先例集」という黒表紙に金文字の本を見つけた。何気なくパラパラとめくっていたら、「年間1人200,000円を限度とする」という文字が目に飛び込んできた。そのページの標題を見ると「行政視察に関する要綱」とある。あ、これかと思った。市役所のホームページを捜したけれど、なかったものだ。制定は平成5年2月1日。あの裁判の最中、市議会の議決により誕生したものだ。
要綱によれば、会派行政視察の旅費は年間1人20万円を上限とすることが市議会で決められている。要するに、議員によるお手盛りである。余禄のようなものと議員自身がわかっていても、おいしいものを自ら手放そうとはしない、その根性が情ない。そんな議員に市の予算のどこに無駄があるのかが見えるのか。高槻市に視察に訪れた他市の議員をみると、やはり会派によるものが多い。しかし、他市で行っているからといって許されるものではない。高槻方式と称される(賞される)独自路線を持つべきだ。財政危機に直面する今の日本に適した手法を用いるべきだ。他市をリードする気概を持てと言いたい。  (黄鶴)

 

926日 「『2 説明責任の果たし方』の更新」
月末ですので各議員のホームページ(HP)更新状況を確認しました。前月に比べて大きな変化はありませんでした。更新に熱心な議員は相変わらず熱心ですし、淡白な議員は変わらず淡白です。人の性向は突然変化するものではないようです。
実は、更新状況を正確に調べるのは困難です。たとえば誰かのHPで政務実績のページに記載が増えたとしても、その追記の日付がない限り当方は気が付きません。このためHP更新を見逃しているおそれもあります。こういうことで議員諸氏のお志を十分伝えていないことがあるかもしれません。この点お断りをしておきたいと思います。これは逆に言えば、HP更新のつど、読者にそれをはっきりとした形でアピールすることが必要だということでもあります。そして、この際付言すべきことは、ネット利用への消極性…即ち仕事への消極性、とは言えないことです。どのようなメディアを使うか、好みや得手不得手もあります。インターネットがすべてだと固執してはいけない、という意見がわたしたちのサークルの中にもあります。会派視察報告書に手書きのものがあると聞いたとき、筆者もなんとなく謡曲の「鉢木」を思い出したりしました。
各議員のHPを閲覧中、どこでこの白書をお知りになったのか、和田議員がわたしたちのHPについて述べられているのを拝読しました。ごくろうさんというコメントありがとうございました。この白書の冒頭、Contentsのページにも申し上げているとおり、わたしたちは特定の会派や議員を応援したり攻撃したり、という動機を持っていません。各議員の活動状況につき客観的なデータをお示しするだけです。ただし、データを積み重ね、これを平均的高槻市民がもつ鏡に照らした結果から、是は是とし非は非とすることはあります。それもええことです。万機(ではなく地方政治ですが)公論に決すべし。いろんな意見が並び立つ、それが許される社会、なんとすばらしいことでしょう。 (白雲)

 

920日 「年齢と仕事量の相関」
女性議員には失礼極まりないと思います。しかし公人というお立場がありますので、そこはどうぞお許しを。
質疑・質問数から見えてくる高槻市議会議員の仕事ぶりは、年齢が進むにつれて変化するのかどうか、調べてみました。データはこれまでどおり2013年のものです。

調査結果はご覧のとおりです。統計上の特異点ともいえる質疑数の多い3議員を除けば、加齢につれて質疑数も減って行く傾向が明らかになりました。最小二乗法によって直線に近似させれば、その傾きは-0.15、つまり10年で1.5回減少することになります。また、平均年齢を越えればインターネットの利用に消極的になる実態もはっきりしました。
年をとれば活動も鈍る・・それは自然現象と言えなくもない話です。しかし、市政に与る議員には無縁であってほしいことです。70歳を超えてなお平均の数値に近い、岩議員の質疑数は敬服すべき数字です。この数字を見れば、議員に定年制を設定すべしという意見には反論したくなります。逆に、若い平田議員、木本議員は、仕事量がこのまま上図の傾向線に従うと仮定すれば、50歳で0~2回になります。定例会・常任委員会あわせて年8回の発言の機会がありながら年3~5回という実績に、どれだけの市民が納得するのでしょうか。 いろんなものがこれから伸びる年齢です。奮起を促したいところです。  (白雲)

 

913日 「政務活動費返納率と質疑数」

高槻市議会議員に配布される政務活動費は月額7万円です。近隣の市では、茨木市が月額4万円、箕面市が同4万5千円、枚方市は同7万円です。府県レベルになると、大阪府議会は月額59万円(会派に所属しない議員は月額49万円)、例の兵庫県議会は同50万円(10月から1割削減して45万円)です。
高槻市議会議員における政務活動費の使いっぷりは、議員によってさまざまです。配布額の何%を使わずに返納したか、これを質疑数すなわち仕事ぶりとの関連で図示すると、次のとおりです。

この図では、返納率として議員に選ばれた後の3年間の返納額合計と給付額合計の比を示しました。
計算してみますと、相関係数は0.156でした。つまり、返納率と質疑数の間に、はっきりした相関は認められませんでした。返納率の高い議員が仕事もよくやっている、とは言えないことがわかりました。しかし、冒頭のページでも申し上げたように、二つの統計を突き合わせてみると、そこに母集団の意外な姿が浮かび上がってくるものです。ここでも、見に見える仕事もせずインターネットによる市民への説明もしない、そして支給された政務活動費はほとんど全額消費する、そんな議員のまとまったグループがある一方で、政務活動費の使用額は少なく仕事量も多いという議員のグループ(ばらつきは大きいのですが)があることに気付きます。
返納率と質疑数という二つの変数において、相互の因果関係はありません。因果関係が生まれるような性質のものでもありません。ですが、両方高い数字を示す議員がいます。その議員は、ある思いを胸に秘めるがゆえに、もとは税金である政務活動費はつつましやかに使い、同時に、議案への質疑や市政全般を俎上に載せる一般質問を活発に行う頼もしさをも見せてくれるのでしょう。
そして、その思いこそ、われわれ市民が真に評価すべき宝なのです。
それにしても・・・、配布された額の80~90%を返納して、なおかつ立派に議員活動ができるのならば、いったい何のための政務活動費なのでしょうか?不要なのではないかという疑問も生まれます。しかし政務活動費についての条例を改廃するのもまた議員であってみれば、歯がゆい思いは深まる一方です。どこかのメディアが政務活動費を「政活費」と略称していましたが、耳で聞くと「セイカツヒ」。言い得て妙と言うべきです。    (空)

 

 

 

98日 「得票は多かったけど」
いささか古い、しかし今なお生きているデータである先の市議会選挙における得票数と、2013年における各議員の質疑・質問数(以下「質疑数」と略称します)の相関を調べてみました。
まず、各議員別に得票数と質疑数の2つのデータがクロスする点をプロットしました。そして、得票数の平均値と質疑数の平均値の線を引き、図を4つの象限に分けました。

ここから見えてきたものは・・・。
1 平均以上の得票数で、かつ平均以上の質疑数を示す議員は、わずか4人でした。
2 得票数は少ないけれども質疑数が多い議員の集団があることがわかりました。
3 以前にも触れましたが、インターネットの利用頻度の少ない議員は質疑数も平均以下の議員がほとんどでした。
4 インターネットをまったく使わない議員の全員が、平均以上の得票がありながら質疑数は平均以下でした。
投票率は52%程度という市議会選挙でしたが、それでも多くの市民が投票所に足を運び、36人の議員を選びました。その中には平均値の2倍になんなんとする得票を誇る議員もいます。多くの得票があったということは市民の期待も大きかったということです。しかし本日掲げた図を見ると、そんな期待に十分応えた人ばかりではないことが明らかになりました。市民の期待がおおきくなるにつれて質疑数もふえる、図の上では右上がりの直線状になるのが望ましいのですが、現状はまったくちがいます。つまり、市民の期待どおり働いていない議員が、もっと言えば、市民の期待を裏切っている議員が多いのです。
いや、これは2013年の質疑数である、他の年のデータを使えば、また違った姿になるのではないのか・・。いいえ、毎年同じような姿です。確認しました。
質疑数だけが仕事ぶりを示す指標ではないのではないか・・。いいえ、今はこれしかありません。市議会は議案審議や条例制定を通じて市民の暮らしをよくするのが仕事です。しかし先の選挙以来、市民生活を改善する条例を制定した例はありません。わずかに市議会の規則変更や議員定数削減に関する条例改正があっただけです。定数削減に至っては、あとで触れますが、改正ではなく改悪です。このように大した条例制定のない今は、市長提案の議題に無批判に賛成するのではなく、コトの本質を見極め、質し、より良い姿を求めていく、そこにこそ議員の価値があるのです。質すためには勉強もしなければなりません。自ら考える必要もあります。質疑数=仕事の量とするゆえんはここにあります。
図を振り返ってみましょう。繰り返しになりますが、質疑の多いのは、得票の少ないグループです。そして、次回選挙の定数削減の牙は、このグループに襲いかかってきます。一方、安定した得票の上に胡坐をかき、質疑の少ない、つまり仕事の少なかったグループにはその痛みはありません。物事を考える議員が減っていく・・・市民にとってこんな不幸はありません。
どうか、多くの市民に、このような議会の現状、議員の仕事ぶりを知っていただきたい、心の底からそう願います。
明日は9月9日、重陽の節句。魂が千里を飛ぶ日です。市議会改善へのわが願いが、市議会や多くの市民のもとに届きますように。  (千載)

 

95日 「今年2月、7名の議員マニラへ」
昨年12月18日の議事録を見ると、「別紙のとおり議員を派遣する」と議決されているのですが、このころ議決によって会派行政視察に行こうとした起案文書が見当たりません。すべて事務的な議長決定による派遣ばかりです。変ですね・・と思っていたところ、議案・議事関係書類綴にあった「別紙」を見て、疑問氷解しました。他市への会派視察ではなく、姉妹都市交流のための、マニラ派遣だったのです。派遣期間は2014年2月4日から2月8日までで、派遣されたのは、田村、段野、平井、川口、奥田、藤田、福井の各氏でした。
姉妹都市交流、大いに結構です。しかし問題が2点あります。まず、この派遣を公表すべきであるのに公表されていない点です。「市議会だより」にも、「広報たかつき」にも該当する記事は見当たりません(筆者の見落としであることを祈ります)。インターネットで読む議事録にも『別紙のとおり』という議長発言3回が記録されていますが、「別紙」は市議会のホームページでは読めません。行政視察でないので市のホームページ上に報告もされません。役所としては公開の本会議で議決されたことから公表したことになるのでしょうが、一般市民から見れば不十分極まりないことです。議員の海外旅行という市民の批判を避けたかったのでしょうが、秘密にしたことで、なおさら議員派遣の性格がなんであったかが透けて見えます。2014年2月という時期になぜ議員を派遣しなければならなかったのか、派遣に意義があるならば、堂々とこれを市民に説明すべきです。
問題の2番目は、派遣された議員の構成です。よくよく見ると、議長1名と6つの各会派(共産党と無所属を除く)から均等に1名ずつになっています。おいしいケーキは等分しようということでしょうか? 10の会派があれば10人の派遣になるのでしょうか? どの議員が国際交流の場に長けているか、見分けがつかないのでしょうか? 議会の代表として議長1人でいいのに、7人は多すぎます。それだけ予算があるならば、姉妹都市交流の一環としてマニラから高校生を招待すべきです。向こうから来る方が飛行機代は安いし、日比両国の若い人のためにもなります。
まだ疑問はあります。派遣の成果は、あったのでしょうか? これも広報がないので市民には判りません。税金を使って実施した事業に対し、何ら公的な説明のないのは、現代ではありうべからざることです。 (白雲)

 

9月1日 「会派行政視察 その2」
闇の中で目が慣れてきたのでしょうか。いろんなものが見えてきました。たとえば、「4 追加調査のページ (3)会派行政視察の問題点 」の最後の部分にも触れましたが、行政視察と称して議会から議員を派遣するには本来議決を経るべきであるのに、事務的な文書を起案し、議会事務局長を経て副議長、議長が決裁して議長決定という方法でことが決められている、それが多いのです。そしてその文書の起案日は、2013年の実績を見ると…。


この表のように、定例会が終わる当日、翌日または数日後というケースが6件もあります。なぜ会期中に議決しないのか、できないのか、不審でなりません。もっと不思議なのは12月の第6回定例会の最中に議長決定による議員派遣の文書起案がなされていることです。なにか、議決を避けなければならない事情でもあるのでしょうか。
政治は現実に生きる人間の欲望が衝突する場であり、政治家は各界の利害の代表者であるのでしょうが、だからといって何もかも無秩序に事を運んでいい訳ではありません。ルール軽視は許されません。
もう一つ、市のホームページを見ると、今年度は会派行政視察が時期的に早く行われているようです。2013年度と2014年度を比べると、次の図のとおりです。

今年度に限って、なぜこのような現象が? その答えは、年度後半は次の選挙の準備に忙しいから…だとしたら、議員の行政視察なるものが、行政上の必要に迫られて臨機に派遣されるのではなく、年に1~2回、当然の権利として定例的に議員に与えられている修学旅行の機会であることが明白になってくるのです。それも税金を使って・・。この慣行は、法的根拠のない給付としか言えません。せめて、視察のテーマが年度内の議会活動に反映されるよう、期待します。
…そんなん、ちゃうねん、筆者の妄想やろ…と言われるような結論なら嬉しいのですが。 (千載)

8月31日 「インターネット利用議員」
月末ですので、インターネット利用状況を再確認しました。全議員36名のうちネット利用者は29名、そのうち更新者は18名でした。更新者に多少入れ替わりはありましたが、ネット利用に積極的な議員は質疑質問の数も多いという傾向には変化がありませんでした。市政に取り組む熱意の度合い、と見ても間違いなさそうです。


そろそろ夏も終わりです。秋が来れば、見えてくるのは来年の春の統一地方選挙。そうなれば、上のグラフの黄色は、真っ赤に染まるのでしょうか。紅葉前線の南下のように。(白雲)

8月7日 「会派行政視察 その1」
他市はどうなのか知りませんが、自分の住んでいる高槻においては予算を無駄遣いする市議会議員はいない…と、想いたい、これ、人情です。しかし、根拠もなく想っているだけでは野良猫の昼寝の夢と同様ですので、ひとつの検証を試みました。
何をしたかと申しますと…、議員の使う予算のうち、会派による行政視察旅費は効果的に使われたことを確認すべく、議事録を調べ、視察目的とその後の発言内容との相関を当ってみたのです。結果は、「4 追加調査のページ -会派行政視察の是非ー」のとおり、視察27件中政策提案のような形で発言のあったものが5件、視察以後まったく言及のないものが15件、中間的なものが7件でした。
視察は以後の政策提案の形で活かされる、そしてそれは議事録の発言の中に見出せる…と、考えたのですが、半数以上の視察が、その後の議会発言においてまったく触れられていないという結果を見ると、どうやらこの調査のやり方は間違いだったようです。検証方法を再検討しなければなりません。
調べながら思いました。 Face to faceの視察には意味がある、予算を使って視察した結果は、必ず何かに活かされているはず…。では、どこに?どうやってそれを捜す?議員のHPにはない(印象記はあり)、議事録にもない…。そもそも会派視察って、何?etc. 高槻では昔、会派行政視察をめぐって裁判も起こされました。にもかかわらず(あるいは裁判を終えたからこそ)、制度として存続している会派視察…。あれやこれや多種多様な疑問が渦巻いています。ちょっと時間をかけて、それを整理することにします。 (8/31追記:この疑問は、4 追加調査のページ (3)会派行政視察の問題点 に整理しました) (白雲)

730日 「インターネット更新状況」
各議員がホームページやソーシャルネットワークサービス(SNS)を利用して議会報告を行っているかどうか、このHPを立ち上げる時に調査しました。今回(2014年7月末)は、その更新状況を調査しました。その結果、議員総数36名中インターネットネット(以下「ネット」と略称します)利用者は28名でしたが、そのうち17名のWEBページやブログなどが最近1カ月以内に更新されていました(更新状況はさまざまでしたが、1文字でも変化があれば「更新あり」としました)。「2 説明責任の果たし方」の表は、この調査結果に基づきネット利用者を黄色、利用者のうち更新者を赤で塗りつぶしています。「更新なし」の議員も実はさまざまで、何年も更新のない議員もありましたが、和田議員は更新日が1か月と1日前でした。どこかで線引きする以上、やむを得ないことでした。(8月9日追記:また奥田議員は、7月28~29日の調査当日がHPリニューアルの最中であったらしく、現在は新しいURLで更新状況の確認可能です)インターネット上で活躍する議員は議会ではどうなのか、それは「1 市議会という舞台で」と「2 説明責任の果たし方」を見比べていただくといいのですが、あちこち見るのも面倒ですので整理して示しますと、次のようになります。


ここでは、議員をネット利用者であって直近1カ月に更新履歴のあるグループ、ネット利用者であるが直近1カ月に更新履歴のなかったグループ、ネットを利用していないグループの3つに分け、それぞれの議員の2013年における本会議及び常任委員会での質疑・質問数を併記しました。
傾向としては、ネット利用に積極的な議員は、質疑・質問も多いことが判明しました。やはり、一事が万事、ということでしょうか。  (白雲)

 

717日 「基礎資料のページ」
基礎的なデータを一覧表にして、基礎資料のページを作りました。他のページのそれぞれのグラフは、これらのデータから作成したものです。もとのデータは高槻市議会のホームページなど公開されたものばかりです。政務活動費の使途につきかまびすしい昨今、詳しく載せるべきと考え、まとまったところで直ちにアップしました。
報道によりますと、兵庫県では市民オンブズマンが県会議員の政務活動費につき情報公開請求をしたとか。高槻市では幸いなことに、政務活動費も会派による行政視察の状況も早くから市議会のHPで公開されています。これもかつて市政を糺そうとした先人たちのご努力のたまものかとも思います。
概してお役所というのは、訊かないと語らない悪弊があります。都合の悪いことは特に。わたしたちのほうも、お役所というのは間違いを起こさないところだと無条件に信じてしまう傾向がある(律令以来ずっと、かも)のですが、それではいけません。お役所もけっこう間違いを犯しています。民は牛馬(六韜・三疑編)ではないのです。現代日本における市民は、声をあげて政治を監視する存在なのです。…本来は。それ相応の耳目を市民みんなが持ちたいものです。(白雲)

710日 「アップしました」
とりあえず作りましたよ~、ホームページ。題して「高槻市議会議員活動白書」。高槻市議会の議員の活動状況を俯瞰して市民に知らせるページです。まだまだ情報量は少ないのですが、骨格の部分だけは構成したつもりです。
白書…と、題していますが、お役所の発表ではありません。市民の目から見た市会議員の姿です。冷静に、客観的に、市会議員の姿を映すことに努めています。水鏡のように、波を立てずに静かにして待っていれば、水に臨むものが、その姿のままにくっきりと映ってくるものです。はい、わたしたちは選挙以来3年間待ちました。そして3年分のデータを集めました。
選挙のときだけいい顔をしたってダメです。当選後の議員としての活動実績こそが市民にとっての宝であり、評価の対象になるのです。それをこのページに掲げます。ですが本当に、まだ「とりあえず」のページです。3年分のデータのすべてを分析し終えているわけではありません。分析結果から浮かび上がる議員の姿を、徐々に明らかにしていきたいと考えています。(白雲)