大阪都構想の愚

2月28日「大阪都構想の愚」
時折、大阪都構想のニュースが流れる。維新が特別区の設定案をこのように考えている、などの内容だ。
まさに、バカバカしさ是に過ぎたるものはない。第一に、市を都に替えて何が変わるのか。第二に、3年前に否定されたことをなぜまた持ち出すのか。第三に、なぜにマスコミは愚にもつかぬことをニュースとして取り上げるのか。維新の愚かさに振り回される大阪市民・府民はたまったものではない。
第一。行政制度を少々変更しても何の益もない。行政に携わる人間が変わらず、歳入歳出の総体的構造が変わらないのであれば、市民・府民の生活は変わらない。つまらないことに頭を使うよりも、基本的な産業活性化の方策を考えるべきだ。IRだの万博だのといった虚業や一時的なお祭り騒ぎでは市民生活に及ぼす波及効果も小さい。
第二。ひとたび住民投票で決定したことは尊重すべきだ。住民は方法論に不満があったのではない。制度の根本的な誤りをみてNoと言ったのだ。投票結果を否定するのは民主主義の否定であって、あってはならないことだ。すでに行政の停滞が発生している。そのことを顧慮すべきだ。少しの差だったから再度行う?では、次の住民投票において僅差で可決した場合、反対派が要求したらまた行うのか。市長選挙において都構想を掲げて当選したから、これは市民の支持を得たことだ、だから都構想検討作業を進める?是も誤りだ。否決されたことを再度持ち出すこと自体が罪悪なのだ。選挙で支持を得たことは免罪符にはならない。選挙民が声をそろえても悪を正とすることはできない。みんなで渡ったとしても赤信号は赤信号なのだ。その自覚がないことからして、愚かしい。
第三。何度もいうが、維新を忘れさせないために週に一度は府知事をTVに出せとか、維新の活動を取り上げろとか、マスコミは何かの圧力を受けているのか。ほかに伝えるべきことはあるだろうに、マスコミはいつもどこかのイメージ作戦のお先棒を担いでいる。見聞きしたくないニュースにふれさせられるのは辛い。
本当に腹立たしい昨今だ。(黄鶴)

合理主義から外れたもの

2月27日「合理主義から外れたもの」
この頃、国会が変わった。以前はイデオロギーの競合の場であったのが今は合理主義とそれに反するものの衝突の場となった。
かつての国会……。自由民主、社会、共産。党名がそのまま主義主張を表し、聞かせる議論がそこにはあった。その議論の内容は若い人の勉強の材料にもなった。そして議論を通じて少数政党の主張も取り入れられた政策が産まれ、日本は社会主義国以上に社会主義的な福祉国家になっていった。昭和はそんな時代だった。
今は、立憲民主党その他野党の合理的な問いかけに対する与党の……なんと表現すればいいのだろうか……公論を許さぬ一方的な私論の押しつけと結論への強引な運び方の場、それが国会となっている。あるいは、理と情の相克といってもよい。例えば憲法改正については、理念をたずねる者とやみくもに改正を求める情動を含む者との対立があり、モリカケに関する真実を追求する理と問答無用として議論を遮る情念の衝突がある。裁量労働制推進の明確な根拠を求める野党とそれを示せないまま法案成立を急ぐ与党の対立がある。今の国会における多数派は合理主義に反する者たちであるため、そこから産まれる政策に期待できるものは何もない。
この頃、世の中も変わった。電車に乗れば、本を開いている人は希で、ほとんどがスマホに目をやる。そしてスマホで何を見ているかといえば、LineにE-mail、Twitter である。それらに論理性はない。感情的な短文には起承転結も論理の展開もない。このような環境では人は考える習慣を捨て去る。
思えばこの両者は似ている。忖度はするが物事の理を考えない国会、良し悪しよりも好き嫌いで動く社会。国会が社会の縮図だとすれば、合理的なものの見えない民が情に訴える政治家たちの策謀に乗る、言い換えれば非合理的な民が非合理的な政府を支持する、これは自然の流れだ。当然の理だ。しかしそれでは日本はまた80年前に突き進んだ道をたどることになる。もうひとつ憂うべきは、愚民が愚政を選ぶ、そのことによって我が身の栄達を可能にする者が多数出現することだ。(黄鶴)

高齢者の労働

2月23日「高齢者の労働」
働き方改革に関する資料の中には、高齢者の6割が65歳以後も働きたいとの国立社会保障・人口問題研究所の資料を引用するものもあった(https://bowgl.com/2017/09/07/work-style-reformation/)。 しかし実態は約2割が就労しているに過ぎないので、高齢者を活用すればもっと労働力人口は増えるとの主張である。
65歳以後も働きたいと、6割の人が考えている……、それを生きがいを求める姿と、政府中枢は信じているのだろうか。これはとんでもない話だ。知力体力の衰えた状態でなお生きがいを求めて働きたいという人は、絶対いないとは言わないが僅少だ。もうのんびりしたい、遊びたい、しかし生活のためには働かざるを得ない、そういう事情をもつひとが高齢者の6割いると解釈すべきだ。そして実際に働いて家計を支えている、そういう人が2割だと思うべきだ。
働かないで生きてゆける年金があれば、誰だって働きたいとは思わない。十分な年金がないことが高齢者労働のそもそもの端緒ではないか。年金行政の貧困を放置したままの働き方改革だ。
長い間働いて家族や国を支えた人に、生活できるだけの年金を与えない、そうして、生活に困った高齢者が仕事をせざるを得ない状況を作り出す、実にあくどいやり方ではないか。年金財政は助かる、労働需給は緩和される、実に一石二鳥だ。(黄鶴)

国のための人か、人のための国か

2月22日 「国のための人か、人のための国か」
双務的な関係でもあって単純な話ではないが、働き方改革についての説明ぶり(例えば官邸資料「働き方改革実行計画(概要)」:https://www.kantei.go.jp/jp/headline/pdf/20170328/05.pdf)を読むと、国民のためを装った国家のための方策と思えてならない。
この資料には、「働く人の視点に立った働き方改革の意義」「同一労働同一賃金など非正規雇用の処遇改善」「女性・若者の人材育成など活躍しやすい環境整備」「長時間労働の是正」など、労働者にはおいしい話がずらりと並んでいる。しかし、こういうきれいな文言が並べば並ぶほど、その奥に隠されたものが大きく黒く見えて来るのだ。
かつて我々戦後世代は、考えるよりも覚える教育を受け、機械の操作その他先輩の仕事ぶりを見て覚えるのが得意な産業戦士として育て上げられ、比較的安価で高質な労働力はやがて奇跡的な高度成長の原動力となって、日本という国は経済力世界第二位の地位を得た。今もその構図は変わらず、働き方改革の名の下に人は日本産業の繁栄のために最適労働者として改造されつつある。そして、使われっぱなしのままうち捨てられるのだ。繁栄の果実が労働者にも応分に配分されればよいのだが、そうはなっていない。そこが疑問の起こる源だ。
労働力確保によって企業が力をつけることは、労働者が豊かになるため、あるいは豊かさを維持するための方策かもしれない。しかし日本は豊かになることを急ぎすぎてこなかったか。金銭的豊かさだけを求めすぎてこなかったか。ふとそう思い始めたのは、ドイツの国土を上空から眺めた時だった。どこまでも広がる大地。黒い森を切り開いた豊かな農地、そのあちこちに集まる赤い屋根の民家、中心付近の尖塔のある教会、大都会には工場群。農工のバランスのとれた国の姿が、そのまま上空から見えた。
確かに幾分かは豊かになった。しかし、真の豊かさがあるのか。食料も安全保障も他国に依存した薄氷の上の繁栄だ。個人レベルでは、必ずしも十分ではない収入は教育費や住居費に消える。また、本当に幸せか。この日本で、人は人として生きているのか。
昭和27年辰年の文字が踊る暦が台所の壁に貼られていた。赤々と燃える竈にかかった羽釜からは湯気が立ち、その前には大中小の幼児がうじゃうじゃと座っていた。そしてそれを眺める親の姿があった。貧しいけれど、そこには幸せがあった。
国策に沿って働き方を改める、それを鵜呑みにしてよいのか。(黄鶴)

働き方改革、ここがおかしい

2月21日「働き方改革、ここがおかしい」
働き方改革が必要とされているそうだ。なぜか。将来的に労働力人口(15~64歳)の減少が見込まれる。たとえば2060年には4500万人を割り込む。労働力不足になる。だから、生産性を上げなければいけない、高齢者を働かせなければならない、そのための改革なのだそうだ。
ちょっと待て。前提条件に疑問がある。人口減少を既定のことと考えるのはおかしい。以前にも言ったが、そもそも人口減少そのものが失政の結果ではないか。それを棚に上げて働き方改革を言うのは変だ。2017年9月1日現在の確定値で、日本の人口は対前年で36万7千人減少している。高槻市1個分が毎年日本から消滅しているのだ。これに対する危機感はもっと大きくてよいのに、政府首脳の顔からはそれは窺えない。政府は一方で希望出生率を1.8とし、そのための施策を打ち出しているとも聞くが、1.8ではなく2以上の出生率とする目標を掲げ、その実現を図ることに力を注ぐべきではないか。長時間労働などの悪しき労働環境を否定することは、その方策にもなるのだが。
それから、労働力は本当に不足するのか。過大なGDPを想定し、それを達成するための労働力は不足すると考えているのではないのか。仮に将来、労働力人口が減少するとしても、同時に人口総数も減る。そのときに見込まれるGDPをそれ相応に減らせば、労働者1人当たりの負担は同じではないか(非労働力人口の相対的増加があるが大きな負担にはならない)。それを労働力不足というのか。
人口減少の原因は何だ。若い人が家庭を持ち、子供を持つことを諦めているからだ。それは伝統的家庭観とは違う考えの人が増えていることもあるが、それだけではない。今現在、家庭を支えるに足る収入がなく、さらに将来にも不安があるからだ。なぜこうなった?グローバル社会への移行に失敗した、言い方を変えれば、比較的低技術のものづくりなど従来の産業をアジアアフリカ諸国に奪われ、新しい産業育成を怠った自民党政府のせいじゃないか。
過去の失政を放置し、その上にまた間違った政策を展開する愚かさ。日本が発展する道をなぜ拓けないのか。多くの人に持続的な仕事を与える新しい産業政策がなぜ出てこないのか。悲しい限りだ。(黄鶴)

働かせ方改革

2月20日 「働かせ方改革」
「それだけではギラつくので、何かほかの飴のようなソフトなものも追加できないか」
昔、私は政策立案を主とする企画業務に携わっていた。で、ある年、ある画期的な内容を予算に盛り込もうとしたときに、時の上司が口にしたのが冒頭の言葉だった。あとで聞いたら、議会対策をも念頭に置いた指示だった。
働き方改革と政府は言う。マスコミもそう言う。しかしとんでもない。働かせ方改革であるのは賢い国民は先刻ご承知だ。2015年に労働者派遣法が改悪され、派遣社員は3年ごとに人間を換えれば、企業はずっと派遣社員を雇えることになった。企業にとっては総労務費抑制になるので福音だ。この流れの上に今回の裁量労働制があって、若干の超過勤務込みの給料を払えば時間は無制限に働かせることができるから、企業にとってこれは便利な制度だ。「労働者は柔軟な働き方を選択できる」などと政府側は言うが、羊頭狗肉、ウナギの蒲焼きの隣に置かれたアオダイショウの蒲焼きの宣伝文句だ。こんな言葉に騙されてはいけない。
企業のお先棒を担ぐ政府は、本当はこの制度の導入だけでよいのだが、それでは「ギラつく」ので、一般社員の超過勤務抑制や非正規・正規社員の格差是正を加えたのだろう。いずれ会社では、この裁量労働制を選択せざるをえないような無言の圧力が強くなるのは目に見えている。
ついでながら、裁量労働制の方が一般労働者よりも勤務時間が少ないかのような答弁があって、一応撤回はされたが、私はそもそもそういう答弁ができる感覚を疑いたい。企画業務の何たるかが、全くわかっていない。その業務のための勤務時間が一般労働よりも短いはずがないのだ。一応勤務先にいる時間が労働時間なのだろうが、そういう職種にいれば、通勤中も、子供をあやしながらも、仕事のことばかり考えるものだ。考えて、考えて、俺には無理だ、わからん……と、諦めて風呂に入ったときにひらめいたり、夢の中で答えを見つけたり、そういう職種だから一日24時間すべてが労働時間のようなものなのだ。(黄鶴)

今村市長

2月19日「今村市長」
心底驚いた。こんな男が市長だったとは。西宮市民はこんな男を市長に選んでいたとは。
今村氏についてはとかくの噂があった。しかし、新時代を切り開く者が型破りであるのは古今に例が多い。市民を思う熱情があり市政上の問題を解決させようとする努力があれば、大抵のことは許されよう。私も、私的な蛮行と前例にこだわらない市長としての善行を秤にかければ善行のほうが大きいと思っていた。しかし、給与減額の条例が上程され、それが議会を通る見込みが大となった途端に辞職願を出すとは。たった700万円のために男を下げるとは。学歴は京都大学法学部卒と聞くが、恐れ入った。一挙にメッキが剥げた。誰のために市長をやっていたのか。選んでくれた有権者をなんと思っているのか。
もうひとつ。何の選挙であれ、有権者のほとんどは候補者について何も知らずに投票している、今回のこともその例となってしまった。過去の高槻市議選でもそうであり、おそらく今後も変わらないだろうと予測できるのだが、有権者は虚像に対して投票する。選挙公報、顔写真、選挙カーからの声、それ以外に候補者の人となりを知る方法はない。普通の人間ならば、2週間くらいは「いい人」を演じることは難しくない。年収1千万×4年間のためならば、朝8時から駅頭に立つことなぞ苦労でも何でもない。演技を重ね、有能な首長・議員のふりをする。そうして票を集める。
騙されないために、何か方法はないか。立候補者に試験を課すこともいいだろう。市役所に就職するのに試験があるのだから、市議会に立候補するのに試験がないのはおかしい。地方自治法などの法知識、人物試験などあってもよい。あるいは、選挙期間を長くするとか。または、選挙の前に市議として活動していたのであれば、その実績を客観的に評価する機関があるのも悪くない。(黄鶴)

再生作業中です

昨年末、突如として私たちのホームページに不具合が発生しました。不審な書き込みのあるファイルが多数あり、表示不能になりました。どこかから攻撃を受けたのか?あるいは他へのサイバー攻撃の足がかりとして防御の弱い個人HPが狙われたのか?……そういえば、国籍不明のアクセスもけっこうありました。まあ、いろんな可能性がありますが、壊れたら修理する、修理不能ならまた初めから作り直す、はい、不屈の闘志をもってこのページを維持し続けます。こんなことを書かれては都合が悪いとおっしゃる議員さんもいるかもしれませんが。(管理人)

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高槻市議会議員の活動状況を材料にしたHPを作って3年半。閲覧数も延べ5万人を超えたころ、サイト表示に不具合が発生しました。
ですが負けずに、不屈の闘志をもって新たにHPを立ち上げました。

風を受け流す柳の葉のように飄々と、さらに続けます。議員の仕事ぶりを、間違った方向への走りっぷりを、あるいは休眠の姿を伝えることを。