ぶろぐのページ 2019年4月~

6月30日「質疑数アップデート」
2020年3月議会の議事録を基に質疑・質問数のグラフを改めた。熱心な議員が誰か、よくわかる。
ただし、市議会のホームページを見て人間が数えているので、絶対に間違いがないとは言い切れない。正確な数字をお望みの向きには議事録をご自分でチェックされんことを望む。
グラフ説明文の繰り返しになるが、このデータは質疑質問の回数だけである。真に考えさせる質問も噴飯物の質問も同じ1件として扱っている。
げに、文章にせよ議会の質問にせよ、そこには書き手話し手の思想信条、知識水準、さらには生き方まで投影されている。表に出すについては心されたし…と、言いたいのだが、幸か不幸か議会への市民の関心は薄い。
なお、一年生議員を比較したグラフは次のとおり。

5月15日「敬老パス制度改悪⑧…エピローグ」
う~ん、わからない。
無料制度の堅持といいつつ、現行の制度そのままではなくて、75歳から無料になるのだという。堅持じゃなくて後退だろうに。
昔の70歳と今の70歳は違うんだという。今の70歳は若いんだと。しかし、自分がなってみてわかるけど、70歳過ぎたら体力がなくなる。あれれ?この道は坂道だったのかと、近所の道を自転車で走って思うこともある。10年前は気づかなかった。爺さんは爺さんなのだ。
市バスの経営状態が苦しいという。なのにシステム変更などに1億5千万円も使うという。それを回収するのに、70~74歳の100円負担による収入を充当するなら、5年もかかる。ただし逸走率20%として。逸走率50%となったら、何年かかるやら。
市バスは将来、経営状態が苦しくなるという。だけど市はJR新駅設置のために2020年度に50億円もの予算を投入するんだとか。わからん。ちなみに市バスの平成29年度決算をみると収入総額は約35億4千万円、支出総額は約34億8千万円。
交通政策の要諦は、安全・確実・利便にある。そこに経済合理性をともなうことは言うまでもない。一定の波及効果も期待される。それは大道を敷いた飛鳥時代の昔から(島本にも大道が地名として残る)現代まで変わりはない。
この観点からみて市バスはどうか。高齢者無料パス制度の後退によって利便性を失う当事者が発生する。つまり制度変更は政策の名に値しない。無料パスの設置目的は老人を外に連れ出すためだった…、つまり老人福祉だけが当初の目的だったのかもしれない。しかし既に議論されてきたように、健康寿命・介護保健・地域経済その他各方面で無料パスの波及効果は実証された。当事者が企図した以上に、無料パスは市民の足としてまちづくりに貢献してきた。
ならば、いっそのこと市バスは全市民に対しては無料にならないか。老人に対する「敬老パス」に加えて労働者に対する「敬労パス」だ。全市内を網羅するコミュニティバスだ。市バスの支出総額は年間約34億円。先のJR新駅に関する予算より低い。やってやれない額ではない。官業による民業圧迫になる?…いや、自由競争の機会は閉ざしていない。ブルネイでは教育も福祉も医療もぜ~んぶタダなのだ。空き家やシャッター通りが増えてきた今、基盤的交通を無料として市民の足を確保し、コンパクトで機能的なまちづくりを総合的に進めることを真剣に考えるべき時代ではないか。新駅を作ることは人口減少の時代にそぐわない。バスの無料化なら(民間バス路線部を除き)35万人の市民が喜ぶ。新駅で何人が喜ぶのか。(この項終り)

5月14日「敬老パス制度改悪⑦…聞かざる」

制度変更反対の署名活動は二つの団体で進められた。署名は計3万を超えた。これを背景にして現行制度存続の請願がなされたが、福祉企業委員会でも本会議でも不採択となった。3万を超える人の声は2020年3月、虚空に消えた。
3月24日の本会議における福祉企業委員長の委員会報告は、何度聞いても請願がどのように審議されたのか理解できない。制度変更の周知方法が述べられているだけだ。これでは請願は門前払いにしたと白状したに等しい。憲法に定められた請願権だ。もっと丁寧に取り扱ってほしい。日本が民主主義国家であることが信じられなくなった。たまたま見つけたFacebookの 高槻市バス・敬老パスを守る連絡会のページにも委員長報告に請願の審査内容がないと記載があった。
議会は市民の声を聞かず、また議会内部の声も聞いていない。普通一般の会議では議論の経過を聞いて自分の意見を変えることもあるが、市議会においては会派が決めた方針に従うのみだから、少数派の意見を「聞かざる」のも当然の行為なのだろう。しかし、普通の判断力を持っているのなら、もう少しどうにかならないか。議論の流れを聞いて会派の当初の方針を変更する柔軟さもあって善いのではないか。今回の各会派の態度は、今後の選挙における投票行動に影響するかもしれない。
議決前の討論(論理の闘いもないのに討論というのか?)における川口洋一議員の主張は聞くべきものがあった。その趣旨は①市民への説明責任を放棄した政策である。なぜ急ぐのか?次の選挙まで時間をおきたいためかと邪推してしまう(いや邪推ではない)②無料パスの効果を無視した市勢衰退を招く愚策である③受益者負担を押しつけている④民営化に直結している⑤高齢者に思いを寄せていない・高齢者の3割は年収100万円以下だ、というものだった。これに答える論理を多数派は持っているのだろうか。ついぞ聞かなかった。
また同議員は市長の生の声を聞きたかったとも発言していたが、議論の中で市民に語りかける市長の声はなかった。これが「聞かざる」ものの三番目だった。全ての政策が具体性を持つとは言えない施政方針演説だけでは不十分だ。自分は語らず、すべて部長を矢面に立たせる、それは至誠にもとる行為と市民には見える。(続く)

5月13日「敬老パス制度改悪⑥…自分さえ良ければ」
議案質疑(3月5日)の中村玲子議員の質問も市の主張する制度変更理由を粉砕した。市は大量のバス更新が必要であって多額の経費がかかることを有料化の理由の一つにしていたが、同議員は、バスの更新は定常的な設備更新、つまり通常行われるべき減価償却行為である、その経費も積み立てられていると一蹴した。高槻市民の健康寿命が長いことにつき市は、他の施策と相まって効果の出ているものでありバスだけの影響ではないと主張したが、そこでいう「他の施策」は他市も行っており、高齢者バス無料乗車制度だけが他市と違うのだ、だから健康寿命はバス無料制度と因果関係があるのだと、市の論理を崩した。崩されたまま、市の反論はなかった。条例改正(改悪だ)に賛成する議員が多い情勢だから反論も必要ないのか。
このあと賛成の立場から久保隆議員の質問、真鍋宗一郎議員の意見表明があった。久保議員の質問は、市営バスは守るべきである、自動運転など技術の進展も視野に入れた将来の交通システムを展望しつつ総合的なまちづくりをする初年度にしてほしいとの発言を含み、聞かせるものがあった。そこは同感だ。人をもって言を廃せず。発言者が誰であろうとも聞くべき言葉は聞かねばならない。
大問題が一つ。本会議の議案質疑の中で(委員会での説明においても)、現在70~74歳の高齢者は無料制度が維持される(高齢者100円負担は、現在のパス保有者には適用ない)からいいのだ、という市の説明があった。同じ論を展開する議員もいた。ここが問題なのだ。今70歳の自分は良くても今から70歳になろうとする人たちは困るではないか。自分さえ良ければ宜しとする風潮を行政があおるのか。とんでもないことだ。行政・公党ならば社会全体の福祉向上のための政策を論ずるべきなのだ。そうして望ましい社会をつくり、次代に残すのが大人の務めではないか。街の署名者の中に「自分は75歳で関係ないが、これから70歳になる人のために反対する」とおっしゃる方があったとは中村玲子議員の質問の中で紹介されたエピソードだ。健全な市民がいることは嬉しい。
総じて、議会は、議論未完のまま議事を終えた。少数派の質問は制度変更に合理的根拠がないことがあぶり出したが、議事はそこで終わった。形式的な答弁はあったが、少数派の疑問を解消できる内容ではなかった。多数を占める賛成派の論は市の説明を鵜呑みにするだけで独自の見解は乏しく、少数派を納得させる論を持たないまま数だけで圧した。(続く)

5月12日「敬老パス制度改悪⑤…イッソウ率」
代表質問の翌日、2020年3月5日は議案質疑の日だった。
議案第36号「高槻市自動車運送事業条例中一部改正について」で、まず質問に立ったのは三井泰之議員。会計の専門家たる姿がちらつく質問だったが、無料乗車制度に関する過去の経緯や運賃収入の実態、財政検証など、初めの提案理由説明の補完を促す趣があった。同議員は、高齢者無料制度の存続を要望しつつ、財政事情を考えれば一定の利用者負担は容認せざるを得ないという姿勢を示した。
質問の中に「イッソウ率」という専門用語があった。イッソウ? 何のことやら…。一掃か逸走か逸送か。走行クレーンが逸走するとは、本来停止しなければならないのに強風にあおられるなどして運転者の意図に反して走り出すことをいうが、バスの逸走・・・?むむ。理解不能。分かりにくい言葉を使う議会だ。答えは昨年12月議会の議事録にあった。逸走だ。有料化によって乗客が減少する割合のことだ。ちなみに手元の国語辞典にも漢和辞典にもその語はない。この専門用語は以後の質疑にも出てきたが、ともかく聴く人の立場に立って話してほしいものだ。
次に質問に立った北岡隆浩議員は、主としてその逸走率を問題にした。近隣の公営企業の有料化後の状況、逸走率40%の場合の経営見通し、審議会ではさまざまなケースのシミュレーションが提示されたがなぜ市議会には逸走率20%のケースしか示さないのかなどを質した。正面から答えたと思える答弁はなかったが、そのことが逆に、「市にとって都合のよい数字だけ出したのではないか・将来赤字になったとき更なる制度変更の口実にする考えがあるのではないか」との同議員の指摘をまっとうなものと感じさせる結果になった。同議員の質問は、合理的な根拠なく逸走率20%とした不自然さ、将来予測の妥当性・合理性のなさを浮き彫りにするのに十分な効果を示した。
高木隆太議員は、民生委員など反対意見のないところには説明し、激しい反論が予想される敬老パスを守る会には説明を拒否する市の姿勢の異常さ、有料化の影響を見極めた上で見直しの是非を判断するべきであること、逸走率20%の見込みの甘さ、他の事業者のケースであるが逸走率50%を見込んでいたが実際は80%だったこと、ICカード代を含め1億5千万円かけて有料化する意義は何かなどを突いた。論理明快でわかりやすく実のある同議員の質問は、一~二年生議員の範たるべきものだ。市の民営化の意図を明らかにしたのは先に述べたとおりである。(続く)

5月11日「敬老パス制度改悪④…乖離という幻」
2020年3月4日の代表質問では各会派がこの問題を取り上げた。ただし、会派によって立ち位置は違う。
公明党は、市営バス存続のために幅広い議論をするとの基本的考え方のもと、まちづくりと連携した公共交通ネットワークを再構築する必要ありとし、経営状況に危惧を示しながら市の基本姿勢を了とし、持続可能性・経営効率を高めるべきとの考えを示した。
大阪維新の会は、人件費が高い、民間並みに下げるべきと指摘し、水道民営化とともにバス事業の民営化を主張した。
自民無所属の会は、市バス継続のためには一定の受益者負担も必要と言い、制度変更に理解を示した。新技術利用が経営改善のためのブレイクスルーになり得るとの提案もあった。
立憲民主党は、公共交通を守るための施策として理解を示し、総合的なまちづくりの中での位置づけの明確化、キッズバス・コミュニティバスの設置を求めた。
市民連合は、市バスの役割如何についての主な答申内容を質し、健康福祉施策の拡充を求めつつ、制度変更に一定の理解を示した。
以上の会派が制度変更に賛意を示したのに対し、共産党は、健康寿命や経済効果など制度のメリットを挙げ、バス更新費用は積み立てられていて問題はないなど制度変更は財政上不要であること、住民の意見を言う場もないまま決定されようとするのはおかしいことなどを訴え、反対の意思を示した。
これら各会派の代表質問に対する市長の答弁は、市バスは重要なインフラであり、市民と市の適正な役割分担のもと、持続可能な形で次世代に引き継ぎたい、今後10年間のバス事業のありかたを示す経営戦略を策定し、より強固な経営基盤を確立したい、補助金算定根拠と実際の乗車人員との間に大きな乖離があり、高齢者も適切に支え合うことで持続可能な制度を維持したい、経営状態は制度変更後の将来においても厳しいという考えを示した。
「乖離」という説明は以後の質疑の中でも制度変更の主たる理由として度々なされている。この「乖離」とはどういうことかというと、市バスは敬老パスのために毎年6億円を市から拠出してもらっているが、ICカードが普及した昨年の利用実態を調べてみたら敬老パス利用は年間600万回あって、これは約13億円のバス代に相当する、6億円の補助金とは大きな開きがあって約7億円の赤字がある、これが経営を圧迫している、というものである。
しかし、ちょっと待て。600万回というのは無料乗車制度に誘引された泡のような数字であって、絶対的な必要性のあったバス利用実態ではない。自転車で行ってもよいけれど無料だからバスを使う、無料だから隣のバス停まで乗る、という人も多い。有料となったら激減する数字だ。空気を運ぶ替わりに人間が乗っていただけだ。いわば幻の赤字だ。政策の基礎たるべき正しい社会行動の統計データではない。こんなものを制度変更の根拠にするとは、どうにも理解できない。この点は審議会で触れた委員もあったが、議会では「言わざる」ものの一つであった。EBPM(evidence based policy making)の精神に反することを、どうして見逃すのか。例えば、ある小学校で6年1組の児童の平均身長は150㎝だった、6年2組はみんな背伸びをして計測し、その結果、平均身長は155㎝となった。2組の方が背が高い…と、誰が言うか。
もうひとつ、制度変更に賛成する会派は「市バス存続のため」を理由にしているが、実はその賛同行為が市バス廃止への第一歩となっていることを後世にどう説明するのだろうか。制度変更が民営化の第一歩だと認識していたら、賛成しただろうか。(続く)

5月10日「敬老パス制度改悪③…言わざる」
早めに言いたいことを言っておかないと、いつコロナにかかってあの世行きになるか知れたものじゃない。だから急ごう。「見ざる」の次は「言わざる」だ。
市のHPにある本会議の録画映像を視聴し、内容を理解するのは困難を極める。久保議員のほかは、議員も市の部長も早口で原稿を読むだけだから(読み間違いもあったりして)、聞き取りにくいし心にも響かない。そこをがんばって全部を聴いてみた。その結果、合理性を欠く市の説明に対し、多くの議員は何も異を唱えていなかった。「言わざる」の議会、ここにあり。
市議会の録画を見ながら疑問が湧き起こる。ひな壇の人たちは、何のため・誰のために市の職員になったのだろうか。議員の人たちは、何のため・誰のために市会議員になったのだろうか、と。敬老パス制度改悪の真の狙いには触れず、深い議論もなく(福祉企業委員会の議事録が未発表だから100%そうだとは言えないが)、何かに押されて唯々諾々と悪法をつくり、議会はそれを通してしまっていた。恥ずかしいという感情はないのだろうか。
議論の始まりは、2020年2月27日の提案理由説明だ。外形上はバスの話だから自動車運送事業管理者から説明があったが、「(高齢者無料乗車制度を)引き続き持続可能な形で維持することを目指し、健康福祉部・交通部・市民が支え合って、次の時代にふさわしい新たな制度として刷新」「70歳以上75歳未満の高齢者割引乗車制度を創設して1乗車100円」との言葉が聞こえた。まあ、よくぞ吐いたり。「刷新」「創設」とは!! 敬老パス制度は後退させているのに「刷新」か?割引率100%を50%に減じるのが制度の「創設」か?
確かに現行の70歳以上の敬老パスを、75歳以上の無料制度と70~74歳の100円負担制度の2要素に分解して割引制度は2種類になった。そのため70~74歳については制度の創設と言えなくもない。しかし、ここから見えてくる次のステップは、市バス経営の赤字を理由にした高齢者100円負担制度の廃止だ。市営バスを公営として維持するためには仕方がないんだ…と。そして最終的なステップは、市バスの赤字増大と市の一般会計の厳しい状況を理由にした民営化だろう。長期のシナリオが見えてくる。(続く)

5月03日「敬老パス制度改悪②…見ざる」
いま市民の関心は一にも二にも新型コロナにある。…かもしれないが、いついかなる状況下にあっても行政の誤りを見逃すわけにはいかない。市民として、敬老パス制度改悪の経過を見極めておこう。
まずは、「見ざる」だ。今回の制度改悪の狙いは何か。何か裏があるなと感じていたが、高木りゅうた高槻市議会議員のブログや本会議の一般質問ではっきり見えてきた。本年3月6日付け同ブログによると、情報公開請求の結果「バス事業の持続的な確保に向けた検討幹事会」という会議の議事録が公開され、その中に「経営が黒字のうちに委譲する方が良い印象を受ける」との一文があったということだ。この一文にすべてが集約されている。
市には、市バスを近い将来民営化しようという意図があるとみた。その一里塚が70歳以上74歳までの高齢者の1乗車100円負担(以下「高齢者100円負担」と称する)だ。この障壁を設けることによって、年に約600万回ある無料乗車を絞って見かけ上の赤字(13億円)を減らし、そうやって体裁を整えた上で健全財政の市バスを民間に売却しよう…、これが市のシナリオだろう。
売却後、どうなるか。市は市バスに対する補助金をカットできて万々歳だが、民間会社は自身の営利の追求が第一だ。効率的な市民の足づくりにも全体として機能的な「まち」をつくることにも関心はない。そんな会社を市は何らかの方向に仕向けることが可能だろうか。国ならば法律をもって国民の福利向上に合致するよう民間会社を政策的に導くことができるが、市にはその力はない。だから、市はまちづくりの政策を掲げてみても、系統的効率的な人の交通手段がなければ、それは個別の箱物を作ることで終わる。そしてまちは死ぬ。血流の絶えた動物が直ちに死ぬように。今まで乗車によって市バスを支えてきた市民は民間バスを同じように支えることはない。今まで運転手さんにかけてきた「ありがとう」の声もなくなる。運転手さんの微笑も消えるのだろう。
今回の高齢者100円負担導入は決して「高齢者無料制度維持のための方策」ではない。「市営バス維持のための方策」でもない。民営化の意図を腹に隠しながら口で高齢者無料制度維持を口に唱えているのなら、詐欺に等しい。議会には市のこの真意が見えていない。あるいは見えていながら制度改悪に賛成しているのだろうか。市長にすり寄るだけの議会なのか。そんな議会は不要だ。
歴史の転換点にあっては、その変化の兆しはきわめて些細なもので、ほとんどの人がそれと気づかないまま通り過ぎてしまう。10年後に振り返って見れば、市バスの高齢者100円負担が、その一例になっているのだろう。(続く)

4月30日「敬老パス制度改悪①」
度しがたきは高槻市議会(下記七人の議員を除く)。
彼らは市バスの敬老パス制度改悪案をすんなり通してしまった。制度改悪の真のねらいも見ず、ろくすっぽ議論もせず批判から逃げ、反対の署名をした3万人の声も聞かずに。まさに見ざる言わざる聞かざる、だ。議員本来の在り方を示したのは川口・北岡・強田・高木・出町・中村(玲)・宮本議員だけ(五十音順・敬称略)。
無批判のまま案を通す…、これが市政をチェックすべき議会としての正しい行動か。地方自治の二元制の意義を、多くの議員の行動によって示して欲しいと願うのは無理か。
ものごとには真の姿と衣を着た外形とがある。魔物の着る美しい衣は、しばしば人をあざむく。衣の中の真実を見抜く眼力を議員に求めるのは無理なのか。
敬老パスの制度は改めるべきとするなら、反対論を論破する意見をなぜ述べないのか。無言の数の圧力ではなくまっとうな議論を聞きたいと願うのは、この議会には過度の期待なのか。
3万人の署名の重さを感じるなら、その声が聞こえるのなら、原案をそのまま通すのではなく原案の主旨を活かしながら市民への衝撃を和らげる第三の道をさぐることもできたのではないか。自ら条例案を作成するのは法律の専門家でなくてもできるのに。スタッフがいない訳でもないし。「小さな声を聞く」政党はどこへ行ったのか。
翻って、市議は市民の代表であり、そもそもの問題は市民の意識水準にあるのであって、嘆ずべきは大多数の無自覚の市民…ともいえる。ではあるが、市税から年に一千万円を越えるカネを与えられる議員なのだ。その金額に見合う資質を備え市民をリードする論理を示すべきは当然だろう。その業務を行ったことに対する報酬なのだ。議席に座っているだけで報酬を受け取るのは背任である。泥棒に等しい。
人は往々にして見たくないものからは目を背ける。自分の心の安定のためだ。この議会も実は見たくないものの一種だ。しかし、私たちは凝視し続けよう。非を挙げ続けよう。そうしなければならない。黄鶴ひとたび去りてまた返らず、とはいかないのだ。どのように非を挙げるか。とりあえず敬老パス制度改悪に対し、このようにウォッチングしているということを以下に示そう。(続く)

2020年4月3日「1年生議員の比較(12月議会改訂)」
初当選した年度に、その議員はどれくらい発言したか…。
過去3回分の1年生議員と2019年組を比較すると、次のグラフのとおりなんです。いかが思し召しますか?

1月24日「上町地震」
大阪市内の上町台地西麓、ほぼ地下鉄谷町線に重なって南北に伸びる活断層がある。この断層は古来、活動の度に陸側が隆起し海側が沈降してきた。こうしてできたのが標高20mほどの上町台地だ。この断層を上町断層帯と呼び、大阪市内だけでなく、北は豊中市、南は岸和田市にまで伸びていて、全体として動いた場合はM7.5、大阪市内で震度7、高槻も南部は震度6弱から6強にまでなると予想されている。
その発生の可能性なのだが、恐るべし、政府の地震研究推進本部は「今後30年以内に2~3%」と予測する。25年前の兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)の場合、発生前には0.4~8%と予測されていたこと、熊本地震の場合、同じく布田川断層帯が0~0.9%であったことと比べると、上町断層帯の動く確率はかなり高いと言わざるを得ない。真に警戒が必要なのだ。
なぜこれをマスコミは言わないか。影響が余りに大きすぎるからだ。この上町台地を造った断層が動いた場合、大阪は壊滅する。阪神淡路大震災の比ではない。
あの大震災から25年。1月18日の新聞は追悼や防災訓練の記事を載せた。しかし、それだけでは足りない。迫り来る地震災害を具体的に伝え、警戒心を呼び起こす事が肝要だ。地震は過去のものではなく、近未来のものだ。2018年6月18日の大阪北部地震は震度6弱の南北方向の揺れだったが、それよりも強い揺れ(おそらく東西方向、または南西―北東方向の揺れ)が高槻を襲うだろう。6弱と6強の違いは半端ではない。前回大丈夫だった家屋も、耐震性が不十分な場合、次は倒壊のおそれがある。
常在戦場。地震はいつ起こるかわからない。それを心に留めて準備をしておけば、いざという場合もあわてることもなくなるだろう。その地震が何と名付けられるのか。上町地震と呼ばれる程度ならよいが。(黄鶴仙人)

1月23日「国会」
1月20日、国会が始まった。今は各党代表質問が行われている。これを「論戦」と新聞は書く。しかし論戦などどこにあるのか。
野党の質問はすばらしい。今の情勢に対する国民の感覚・疑問を的確に言葉にしており、よくぞ言ったと快哉を叫びたいほどだ。しかしその野党の質問に対し、総理はまともに応えよう・答えようとしない。問題をすり替え、丁寧にと口では言うが言葉の数が多いだけで中身は何もない空疎な答弁が続く。その姿は、野戦において、数では優勢でありながら戦闘意欲なく戦術にも劣るため、旗を巻いて逃げ回る武将の姿に似ている。とりあえず戦闘の場から逃げよう、逃げて命長らえよう、命さえあれば最終的には勝ちだと読んでいるのだ。
国がこうだから、地方も右へならえだ。高槻市議会では質問と答弁が噛み合わない事が多い。市民にとって重要な話題になればなるほど、その傾向が強い。市民を冒涜するなと言いたいが、深くものごとを考え鋭い質問を飛ばす議員は、概して無所属だったり少数派だったりする。そういった質問に答えなくても、多数派与党が付いているから、正しい対応は不要なのだ。
こうした政治の現状には目を覆いたくなる。心穏やかになる趣味の世界に遊びたい。しかし、目を覆ってはならないのだ。国民が監視の目を捨てたら、政治は悪化の途をひた走る。それが近代政治史の…政治が徳とともに在った昔を除き…、近代政治史の法則だ。どうせ何も変わらないと諦めてはならない。まだ成熟していない日本の民主主義は、国民が諦めたとき完全に消滅する。
ラジオで国会中継を聞いていると、総理の答弁、10秒くらいの空白がある。終わったのかと思うと再開され、また別の答弁が続く。これは何か。答弁原稿を整理しているのか。奇異な観がある。(黄鶴仙人)

1月16日「19年12月期一般質問④」
もみぢ「市バスの高齢者無料制度の見直しというのは、今の高槻市政の大きな問題の一つと思うけど、意外に質問者が少ないわね」
御島媼「そうじゃな」
もみぢ「質問しない会派というのは、見直しに反対しない会派…ということかしら」
御島媼「そうとも読めるな」
もみぢ「日頃弱者の味方だとか、老人福祉を旗印に掲げているなら、この見直しに反対だわよね」
御島媼「そうでなければ」
もみぢ「公明党は『高齢社会に向けた新たな交通体系づくり』を公約に掲げているけど」
御島媼「『新たな体系』と高齢者無料制度の対象を70歳から75歳に変更することと、合致するじゃろうか。そぐわないような気がする」
もみぢ「市長を支援するとか、支持するとかの発言がこの12月の一般質問にもあったけど、」
御島媼「議会は市長の監視をするのが本務じゃ。議会は地方公共団体の意思を決定する機関じゃが、市長は執行機関に過ぎない。執行機関に間違いがないように監視するのが議会じゃ。アタマから市長支援では、地方自治法上、議会の存在意義がない。判っておるのかなぁ…」
もみぢ「日頃市長の応援をしておいて、自会派の政策に対して予算を配分してもらう、そんな関係になってもらっては困る!」
御島媼「そうそう」
もみぢ「だいたい、何のために議員になったのかしらね」
御島媼「選挙のときだけ駅前でがんばれば、4年間寝て暮らせるから」
もみぢ「あはは。でもそうね、一年生議員の中身のある質問の少ないこと」
御島媼「いや、昔の選挙ではな、一年生議員といってもすごかったぞよ。力のある人が満を持して当選し、議員になるやいなや水を得た魚のごとく、質問に次ぐ質問。45分の制限時間をいつもオーバー」
もみぢ「誰の話?」
御島媼「一年生議員の比較のグラフを見れば判るじゃろ」
もみぢ「質問しない議員、質問できない議員というのは、結局力がないのね」
御島媼「自分の鏡をもっていないのじゃ。自分なりの鏡を内に持っておれば、いろんな政策案をそこに写したとき、修正すべき点が自ずと浮かぶ。社会問題に接したときもそうじゃ。その根源、対策がたちどころに出てくる」
もみぢ「鏡?」
御島媼「それは、人を愛する心…自分を愛する心ではないぞよ…と、学識によって造られる。必ずしも年齢ではない」
もみぢ「遠矢家永子議員、議員になる前の自分の活動をベースに置いた質問をしてたね」
御島媼「うん、ああいう体験に基づいた問題意識も善い。単にインターネットで得た話題をネタにするのと、訳が違う」
もみぢ「ママの、その他の議員の印象は?」
御島媼「強田純子議員の、担任のいないクラスには驚いたなぁ。師なくして何の教育ぞ。それでも学びの場じゃろうか」
もみぢ「今度はママが怒ってる。うふふ」
御島媼「いやさ、妾にも情はある。質問を聞いて市がかかえる問題を知るのは味わいがある。良い質問をしてくれたと、嬉しくもなる。問題意識を共有するのは楽しい。傍聴の醍醐味じゃな」
もみぢ「その質問の鋭さが、1人1人違うけどね」
御島媼「山口重雄議員の、芥川山城などの話も好感がもてたなぁ。地域代表という議員のありかた、これも議員の姿の一つじゃな」
もみぢ「そうね」
御島媼「映画も小説もそうじゃが、初めの3分でわかるなぁ。全体の実り具合が」
もみぢ「800年も生きていればね…ふふふ」(この項、終り)

1月14日「19年12月期一般質問③」
もみぢ(憤然として)「だけどおかしい。第一に、民営化すれば直ちに経営が効率化されるというのは幻想よ。官は悪・民は善と決めつける硬直した思想が問題よ」
御島媼「ふむ」
もみぢ「民営化即正義?違うのよ。民だって経営の下手な会社はいくらでもあるし、官でも少ない予算で立派に業績を挙げている役所もあるのよ。常に民が正しいのであれば倒産する会社などないはずじゃない?」
御島媼「そのとおり」
もみぢ「民営化するってことは、市は『私は経営が下手ですから民間にお任せします』と言うに等しいのよ。経営責任を放棄するのね」
御島媼「そもそも、高槻市のバスは赤字を出したことなどない」
もみぢ「それでも民営化が必要?常に黒字なら、効率化を要請すべき状態ではないってことね。病気でもないのになぜ医者が必要なのか、不思議~」
御島媼「そうそう。みらい創生審議会では市バスは生産性が低いとか給与水準が高いとかの意見があったなぁ」
もみぢ「それを固定概念と言うのよ。そもそも生産性を計測したデータがあるの?民間で生産性が高いという、その裏にどのような悲惨な労働があるか、わかってるのかしら。それに、給料が高くて何が悪いの?JALの運転手は給料は高くてもいい、バスの運転手は高くてはいけない?なんで?」
御島媼「観念的な発言は有害無益じゃな」
もみぢ「第二に、民営化にしろ無料制度の見直しにしろ、それは審議会の答申でしょ。審議会というのは市から独立した委員会の形をとっているけど、その答申なんて、しょせん役所の意見なのよ」
御島媼「ふむ」
もみぢ「役所にとって都合のよい人を役所が選び、その人たちが役所の作った原稿をうんうんとうなずいて承認した、それが答申なのよ。主権在民の、民に選挙で選ばれた議員が言う意見ではないのよ。議会と審議会は重みがまったく違う。だから審議会の答申を金科玉条として、これに議会がひれ伏して従う必要はないのよ。宇佐神宮のご託宣じゃあるまいし。役所の意見に議会が従うようでは、民主主義は死んだと言うべきね」
御島媼「ふむふむ」
もみぢ「審議会を隠れ蓑にして役所の意見をもぐり込ませるのも常套手段だし」
御島媼「そうじゃな。だけど、ちょっと待った。あのな、まだ答申は出ていないのよ。自動車運送事業審議会の答申は、川口議員の質問から2月10日とわかったが、社会福祉審議会の高齢者福祉専門分科会のほうは、いつかわからん。ともかく、12月議会の段階ではまだ出ていないのよ」
もみぢ「答申も出ていないのに、見直し案が先に出される?それも順番が逆ね」
御島媼「川口洋一議員の質問もまさに、そこんところ」
もみぢ(市議会のHPで議会中継を聞く)「どれどれ…、議事を聞いてみると、そうね」
御島媼「じゃろ?」
もみぢ「市民への説明会も予定してないのね」
御島媼「老人団体には、説明会があるようじゃが」
もみぢ「高齢者乗車証といっても、老人だけの問題じゃないのよ。今の老人福祉政策は若い人にとって明日必要な政策でもあるのよ」
御島媼「無料制度維持と市は言うが、実態は福祉の後退じゃな。75歳から無料というふうに変更するのは、70歳から74歳までの人にとっては移動手段としての足の確保がなくなる」
もみぢ「現状どおりで変えないのなら、制度の維持でしょうけど、74歳までの人にとっては制度がなくなるんだから、維持なんて言わないでほしい」
御島媼「議会でも審議会でも経営状態の話ばっかりで、福祉の面からの議論がないなあ」
もみぢ「自動車運送審議会は福祉を議論する場ではない、なんて答弁があったけど」
御島媼「それはおかしい」
もみぢ「うん」
御島媼「自動車運送事業は公共の福祉を増進するように運営することが、経営の基本じゃ。条例に書いてある」
もみぢ「条例?」
御島媼「高槻市自動車運送事業の設置等に関する条例、じゃよ。そして自動車運送審議会は『事業の経営の改善に関する重要事項について審議する』とあるが、その根っこには公共の福祉のために何をするかという哲学がないといかん」
もみぢ「じゃ、いま市民の足となって活用されているバスを民営化するなんて…」
御島媼「発想の瞬間から条例の趣旨に反しているわなぁ。ともかく福祉の観点からの議論が何もない。思想の貧しさ、ここに極まる。困ったもんじゃ。市民にとっての文化・教養の拠点・衣食の楽しみのゾーン、それらと自宅を結ぶ交通システム、それらの全体像が何如にあるべきか、そんな議論を聞きたかった」
もみぢ「川口洋一議員、『市長の答弁』を求めていたわね」
御島媼「役所のシステムとしては、担当部長がいるのだから部長が答えればいいのだろう…けどな」
もみぢ「市長、傲慢な感じは拭えないわね。少数派の若い無所属議員には答えないって感じ。議員に答えないってことは市民に答えないということなのよ。あ~あ、議会って聞いて楽しい場所じゃないわね。たったひとつあるとすれば、主流派とは言えない若い議員の発言から将来の夢を感じ取ることが、ときどきあること」
御島媼「ならば、座ってるだけの議員は…」
もみぢ「無意味な存在。不要」(続く)

2020年1月10日「19年12月期一般質問②」
御島媼「新年になったなぁ」
もみぢ「あら、遅いお出まし。もうとっくに松はとれたわよ」
御島媼「新年10日までは山の神も骨休めなのじゃ。元日から今日まで、山で仕事をしたり森を飛び回ったりすると罰が下る」
もみぢ「その風習も地方によって違うでしょ」
御島媼「で、何の話をしておったかいな?」
もみぢ「まったくもう!餅を食べたら去年のことは忘れる、どこかの政治家の言うとおりね!市バス高齢者無料制度の見直しの話なの。市は情報を市民に見せずこっそり条例化を図ろうって、卑怯な話だわよね。アベ内閣にコケにされ、高槻市に蔑(ないがし)ろにされ、高槻市民はなんと不幸な人たちなのか…」
御島媼「政治に関心がなくて何事にも忘れっぽい国民・市民じゃから、テキトーな言葉でその場を取りつくろっておけばよろしいって、ね」
もみぢ「考える市民より考えない市民のほうが圧倒的に多い」
御島媼「孔子も言っておる。民は之に由らしむべし。之を知らしむべからず(論語・泰伯)」
もみぢ「政策に従わせることはできるけど、政策の意義や目的を国民に理解させるのは難しい…」
御島媼「六韜(りくとう)にもあるぞよ。民は牛馬の如し(武韜・三疑)」
もみぢ「食事を十分に与えておけば、それでいい…」
御島媼「低次元のもので満足させておけばよいのじゃ」
もみぢ「高木隆太議員が発言してたわね。条例を改正してその後に周知期間を設けるのは順番が逆だ、情報を市民に与えて周知させた後に審議し、条例改正を行うのがスジだろうって」
御島媼「花より先に実のなるような、理屈に合わない不自然を、どうかしないでいてください…って、思うけどな、周知させたら市民が問題意識に目覚めて、反対の輪が広がるからなぁ。市としては、そりゃ困る」
もみぢ「誰も知らないうちに、さっさと条例改正してしまおうって、ねぇ。この前①で話題にしたけど」
御島媼「ふぅ…」
もみぢ「川口洋一議員は別のポイントを追求してたわ。『審議会での審議をふまえ』って市は言うけど、その審議会は敬老パス見直しに賛成とは誰も言ってない、審議状況を踏まえたら見直すという結論にはならないって」
御島媼「結論を枉(ま)げる…とは、このことじゃ」
もみぢ「正道を曲げて人を惨禍に追いやるなんて…、政治のやること?」
御島媼「いい加減なことをやっても、反対の声を上げる国民・市民は少ないと…」
もみぢ「見くびられているのね」
御島媼「この程度の国民・市民にはこの程度の政治でよろしい、とな。繰り言になるが」
もみぢ「哀しいことね。高木隆太議員は質問の最後に糾したわね。市バスは民営化を目指すのかと」
御島媼「そう」
もみぢ「『経営形態のありかたと高齢者無料制度の見直しは別の課題であります』」
御島媼「それが答弁じゃったな」
もみぢ「民営化の方向がはっきり見えているわね」
御島媼「市バスの民営化については、2年前から流れが変わったようじゃな」
もみぢ「そう?」
御島媼「昔はな…」
もみぢ「御年800歳のママが言う『むかし』って、1000年前?」
御島媼「まさか、な。1000年前は牛車が主流でな、車の後ろの簾の下から唐衣の裾をちょっと見せて男の気を引いて、な…、いや、そんなことはどうでもよい。平成24年6月27日、太田議員の質問に対し、徳田忠昭自動車運送事業管理者は答弁の中で…」
もみぢ「うんうん」
御島媼「『持続可能な直営方式による路線維持型の経営形態を続けていきたい』と言っておる」
もみぢ「直営方式ね」
御島媼「また平成25年3月6日、市民連合議員団代表山口重雄議員の代表質問に対し、濱田剛史市長は『市民に愛される市営バスを目指してまいります』と答弁をしたのじゃ」
もみぢ「民営化など念頭にないという発言だったのね、6年前は」
御島媼「ところが、平成28年に高槻市みらい創生審議会というのが作られてな。市の将来をいろいろ考える中で、バス事業も経営形態を検討したらどうかという意見があり、同年12月に出された“『高槻市みらいのための経営革新』に向けた骨太方針について”という答申の中で…、こらこら、寝ちゃだめ」
もみぢ「…お役所言葉が並ぶと、眠くなるぅ…」
御島媼「答申の中で、『民営化について検討すべきである』と書かれちゃったのよ(同・7ページ)」
もみぢ「市営が民営になる方向指示器を出したってわけね」
御島媼「そうじゃな」
もみぢ「それ以後、答弁が変わった?」
御島媼「平成29年3月7日大阪維新の会・市政刷新議員団代表吉田稔弘議員の代表質問に対し『みらい創生審議会から示された答申も踏まえ、経営課題の解決に積極的に取り組むとともに、あらゆる方向から予断を持つことなく検討する必要がある』とかね」
もみぢ「うん」
御島媼「令和元年9月25日、岩為俊議員の一般質問に対する西岡博史自動車運送事業管理者の答弁では『未来を見据えた事業運営に努めていく』なんてね。はっきり民営化とは言わないけれど、宮仕えをした者には舵をきったことが明確にわかるぞよ」(続く)

12月25日「一年生議員の比較」
9月議会の議事録が公表されたので、各議員の質疑・質問件数を調べて6月議会のデータに加え、グラフにして「1 市議会という舞台で 第一部 質疑・質問数から見た市政への貢献度」に掲げた。それから一年生議員の成績を確認してみた。
なんと、本年4月に初当選した議員の過去半年間の平均値は3.3件。単純に2倍すると6.6件。このままいくと2007年以降の一年生議員で最低の値になりそうだ。議席に座っているだけの市会議員は要らない。

1218日「1912月期一般質問①」
御島媼「読めたぞよ。ヒヒヒヒ」
もみぢ「いきなり何よ!気持ち悪い」
御島媼「市バスのな、敬老パス見直しのための市の作戦が、じゃ」
もみぢ「へぇ~」
御島媼「そなたなら、どうする?」
もみぢ「どうもこうも、そんなことより私は昼ご飯、何食べるか、そっちの方で頭がいっぱいなの。お年寄りのことは、ど~でもいいの、本音を言えばね」
御島媼「ほほほ。正直じゃな」
もみぢ「若い人は、ほとんど皆そうなんじゃないの?でもまあ、無料制度の見直しは既定路線のようね。見直しって、あのぉ、いま70歳以上の人は無料っていうのが75歳以上は無料ってことになるのね?それと、70歳から74歳までは1100円だとか」
御島媼「そうらしい」
もみぢ「高槻市は南北に長いから、たとえば柱本の人が高槻駅まで行って、乗り換えて摂津峡に行くとすると、往復400円。400円って…、大きなトンカツが2枚買える!それ、困る」
御島媼「これから言うことは、例えば、の話じゃよ。実際そうだったという報告ではないぞ」
もみぢ「うん」
御島媼「まずな、条例案はスムーズに議会を通す必要がある」
もみぢ「そうね」
御島媼「そのためには、まず議会に与党を作っておかねば」
もみぢ「代表質問で『私たちは市長の支援者です』なんてことを言った会派があったわね、いつだったか」
御島媼「そうそう。それに加えて、多数派の会派、あんまり物事を深く考えない若年の会派、そういうところに新条例の腹案を示し、予め内諾を得ておく」
もみぢ「うん」
御島媼「そうやって過半数の議員を取り込んでおく。ここまでは水面下の動きじゃ」
もみぢ「水面下?こっそり内密に?」
御島媼「その後は電光石火。一応形式は踏まねば…、つまり市民の意見を聞いた形にな、しなければならないから、敬老パス見直しの案をどこかの審議会で審議したことにしておく」
もみぢ「形だけ?」
御島媼「まあな。どうせ市にいろんな審議会があるなんて、市民は知らないから、目立たないじゃろ」
もみぢ「ふふふ」
御島媼「そうして審議会での意見を踏まえて、というお墨付きを得て、条例案を議会にかける」
もみぢ「議会では多数派を作っているから、少数派が反対しても大勢に影響なしってわけね」
御島媼「そう。その後、市民は条例を知ることになる。成立してしまった条例だから市民は従うしかない」
もみぢ「それ、順番が逆じゃないの?」
御島媼「と、高木隆太議員や川口洋一議員、中村玲子議員が1217日、つまり昨日の一般質問の中で言っておった」
もみぢ「当然の意見だわね」
御島媼「しかしな、15年前は、市民に説明する時間を十分取ったから反対運動が盛り上がった。それで否決された。その失敗を繰り返してはいかん」
もみぢ「失敗?施策の方針案を市民に説明する、その後、市民の意見が反映された条例を議会にかける、これが民主主義のプロセスでしょう。デュープロセスを知らないの」
御島媼「知らないわけではなかろうが、それでは市の思うとおりに物事が運ばない」
もみぢ「市の思うとおり?市民の思うとおりではなく?民主主義はどこに行ったの?」
御島媼「今の日本に民主主義があるなんて幻想じゃよ。国レベルでも地方レベルでも」
もみぢ「…」
御島媼「市役所のHPのどこを探しても、市バス高齢者無料パス見直し案の情報はない」
もみぢ「どんなふうに変わるのか、市民一般には知らせないのね」
御島媼「いや、124日の福祉企業委員会協議会で説明されたらしいから、そこは市民の代表である議員が9人いるから、市民に知らせたことになっておる」
もみぢ「詭弁だわね」
御島媼「とにかく、情報は広めずして混乱を避け、多数派を取り込んだ議会ですみやかに条例を通す、それも3年先まで選挙はない、という今の時期にな」
もみぢ「アンフェア!話の中身も手続きも普通じゃない。市民はここまで馬鹿にされて、よく黙っているわね」
御島媼「馬鹿にされていることすら、今は知らないからなぁ」(続く)

11月29日「市営バス高齢者無料乗車証③」
○福祉の観点から
経営上の観点から検討するのではなく、福祉如何にあるべきかという議論の収束時の姿としてバス無料制度のかたちを打ち出すべきだ。先に述べたように、福祉の充実に向けた取組の中でバス代有料化を言うなんてブラックユーモアだ。健康・安全・文化教養・社会交流、そういった福祉拠点を結ぶ移動手段の確保としての市バスなのだ。有料化による移動の足かせは、福祉政策としてはたして妥当なのか。甚だ疑問である。若い人にとっても、現在の高齢者の姿は明日の自分の姿だ。だからこそ、現在及び明日の、トータルとしての高齢者福祉の世界を目に見えるものにしたうえで、その中でのバスの在り方を示さねばならない。福祉のための歳出ならば、バス部門だけが赤字でもいいではないか。
○受益者負担
あるブログに「年寄りはタダで乗って、座っているのに、若い自分は金を払い、立って乗っている。けしからん」というのがあった。たしかに、今この瞬間で見ればそのとおりだ。しかし高齢者とて昔は有料で何十年も乗っていた。税金だって住民税や固定資産税を払い続け、長い間市に貢献し市バスを支えてきた。そしていまバスが無料になった。生涯賃金ならぬ生涯負担で考えれば、若い時期にはいろいろ払い続け高齢時期にバスが無料になる、それは例えば運動場一周のトラックの第3コーナーまでは全力で走り、それを回ればゴールまで車に乗る、その制度が万人に適用されるならば、第一コーナーの若い人もゴール前の高齢者も平等で公平ではないか。こういう形の受益者負担もあってよい。
また、今現在も市税を払っていて、その税金の一部がバス事業に補助されているのだから、高齢者は間接的にバス代を負担しているとも言える。決してタダ乗りではないのだ。上流から見て受益者負担というのなら、下流から見て負担者に相応の益がもたらされてもいいだろう。
○活性化の火が消える
有料化によって高齢者が乗らなくなる、それは他市で実証済みだ。そうすると、乗客全体の数が減り、バスの存在感が小さくなり、沿線の活性化に水をさす事にならないか。バス路線の減が更なる乗客減を誘う事にならないか。高齢者でも消費の一端を支えている。高齢者の経済力で社会が回っている部分もある。
○水道料返せ
これは感情論である。バスが赤字のため(実は赤字ではない。赤字になった年度もない)料金を上げるのなら、黒字の水道代は返せ。同じ市の団体ではないか。…と、言いたいのだ。(この項終わり)(黄鶴仙人)

11月28日「市営バス高齢者無料乗車証②」
○今年は…
今年の市長施政方針演説も、市バスに関して言及があった。まず(1)都市機能の充実に向けた取組の中で「持続可能で自立した運営に向け、令和3年度を始期とする時期経営計画の策定に取り組む」とし、(4)健康・福祉の充実に向けた取組の中で「無料乗車補助制度については、今後の在り方を見直す」とされている。これを承けて、市では社会福祉審議会の高齢者福祉専門部会などで審議が続けられているのだが、話題の中心はやはり高齢者無料乗車制度である。それを廃止する、有料化する、と。
だが、待てよ、高齢者無料制度の廃止が健康福祉の充実になるのか?逆でしょ、福祉の後退じゃないの?と思うけど、それはひとまず措いておこう。
いま、バスの乗車券はIC化されている。だから、誰がいつ、どこからどこまで乗ったか、というデータが蓄積されている。誰もがこの客観的なデータを基に何かの検討を始めることができる。そのデータによると、2018年10月から2019年6月までの延べ利用者数は約1350万人。そのうち高齢者は450万人。ざっと34%だ。そして、その高齢者が仮に料金を払って乗ったとすると、市バスは約10億円の増収になっていたそうだ。年間に換算すると13億円。これを見れば、無料制度なかりせば…と、市バスの経理担当者が思うのも無理はない。見直しの議論もその当たりが発端だろうと察しがつく。
○経営上の観点からの問題
だが、この発想は安易すぎないか。有料化にすれば高齢者の乗車数派激減するのが目に見えている。13億円は捕らぬ狸の皮算用だ。それよりも、市バス経営悪化(乃至は売上げ漸減)の根本的な原因は他にあるのに対策として高齢者無料制度だけに目を向けるような愚を犯していないだろうか。設備・装備、人員、路線、管理システムその他、経営にかかわる要素のすべてをチェックした上での無料制度の見直しだと説明できなければ、とても受け入れられないだろう。
問題はまだある。(続く)   (黄鶴仙人)

11月27日「市営バス高齢者無料乗車証①
○まえがき
思えば一週間前の水曜日、11月20日がその記念日だったのだ。1972年(昭和47年)のその日、経営難に悩む高槻市営バスの値上げの副産物として、70歳以上の高齢者の無料乗車制度が始まった。以来47年、連綿としてこの制度が生き続けている。
だが、この47年を振り返ってみると、その道は必ずしも平坦なものではなかったようだ。2005年(平成17年)3月、当時の奥本市長は2005年度の施政方針演説の中で、
「自動車運送事業を初めとする公営企業につきましては、公営企業審議会の答申を踏まえまして、少子高齢化や人口減少に対応した経営のあり方を検討し、経営の健全化に向けた計画を策定いたします。」
と、述べて、市営バスの高齢者無料乗車制度について、1回乗車につき100円、1か月1,000円のシルバーパスの導入という見直し案を示した。
それからが大変。市内に轟然と反対運動が起こり、反対の署名が21,133名分集まるやら、それを添えた無料制度存続を求める請願書が出されるやら、の動きになった。
請願書の内容は、「①高齢者市バス無料パスの有料化をやめてください。②無料乗車証の現行70歳以上を65歳以上にしてください。③高齢者の民間バス利用についても補助策を検討してください」などで、この請願書は同年6月21日、福祉企業委員会に付託され、審議の段階で②以下が取り下げられ①だけの請願になったが、記名投票の結果、賛成3反対5で不採択となった。
しかし、市バス有料化を含む議案第66号「高槻市自動車運送事業条例中一部改正」については同日、議論の末に記名投票が行われ、賛成者 岡田みどり委員、中浜 実委員、岩 為俊委員、根来勝利委員の4人、反対者 松川泰樹委員、小西弘泰委員、川口雅夫委員、大川 肇委員の4人で、可否同数となり、委員長裁決の結果、否決された。また関連する議案第67号補正予算修正案も可否同数で同じく委員長裁決の結果、可決された。
この日の福祉企業委員会は午前9時59分開議・午後6時17分散会と記録にあり、延々7時間以上の議論が続いている。テーマがテーマではあるが、その熱心さは現今の委員会とだいぶ違う。
そして6月29日の本会議の日を迎えた。委員会で否決された議案第66号はここでは議論もなく淡々と記名投票が行われ、原案に賛成する者・白票17票(吉田稔弘議員、橋本紀子議員、杉本 久議員、山口重雄議員、岡田みどり議員、三本 登議員、久保 隆議員、中浜 実議員、角 芳春議員、岩 為俊議員、岡本 茂議員、池下節夫議員、根来勝利議員、小野貞雄議員、久保隆夫議員、段野啓三議員、須磨 章議員)、原案に反対する者・青票18票(灰垣和美議員、奥田美智子議員、野々上 愛議員、松川泰樹議員、森田充二議員、林 啓二議員、藤田頼夫議員、勝原和久議員、橋本恵美子議員、中村玲子議員、二木洋子議員、小西弘泰議員、川口雅夫議員、福井浩二議員、大川 肇議員、岡本嗣郎議員、源久忠仁議員、新家末吉議員)という結果になった。この議案に関連する議案第67号補正予算修正案も1票差で可決となった。
なんとドラマティックな展開ではないか。本会議の終わったのは午後6時11分。気象統計によると議場の外は梅雨空。小雨が降っていた。(黄鶴仙人)

11月26日「愚行止まらず」
いわゆる大阪都構想につき、法定協議会で制度案の大枠が固まったとの報道があった(11月23日毎日新聞)。
……いったい何をやってるんだろ、というのがこの報道に接した私の率直な印象である。時代の動きも政治のあり方も、何も見えない集団が、地方政治の場で全体を引きずり回し、愚行を重ねている。
そもそも彼らは大阪の復権を目指したいのだろうが、無理だ。交通の発達により陸路で九州から東京に日帰りでき、通信の発達によりパソコンの画面で全国的なメンバーでの会議ができる今、日本に都は二つと要らなくなった。政治・経済・文化、すべてが一つの渦に巻き込まれ、東京に一極集中しようとする効率化の流れは、自然な流れだ。川の流れが集まって海に注ぐに等しい。日本は人口減少の時代を迎え、国全体が収縮していることもその流れを強めている。大阪を含む地方の沈下は今の時代の流れだ。
そこをなんとかしたいという市民のノスタルジックな心情は理解できる。しかし、だからといって、機構をいじるだけのことを政策と勘違いし、ほかに有効な施策を持たない維新に政治を任せるのは間違いだ。維新という集団によって今までどんな果実が大阪府民・市民に与えられたか。何もない。教育などに破壊はあったが。これまで何もできなかった集団に今後何かができる期待はできない。その、いわゆる都構想すら、いま大枠が固まったということは、明確なプランも経済効果予測も当初から持っていなかったということではないのか。
形は都でも市でも何でもいい。政党は有効な産業政策を打ち出してこそ政党なのだ。大阪市が都になることで、府政・市政のパイは全体として大きくなるのか。市民の収入は増えるのか。失業者が減るのか。若い人の仕事が増えるのか。税金が安くなるのか。直接的にも間接的にも大阪都というものの効果は期待できない。できるのならば、それを適正な産業連関表のもとに示してほしい。IRがそうなのか?そんなことより、例えばファッションの街、たとえば海洋開発の基地、たとえば新素材技術の街とするような、確実に住民の仕事に結びつく政策展開を望むのだが、そんな議論は聞かれない。
いや、待てよ、そうか、わかった。維新は大阪都構想に果実がないのは百も承知なのだ。府民・市民がめざすもの、或は性向を熟知し、その好む料理を出すことによって人気を集め、選挙に勝ち、権力の座につくことに成功したのだ。見事な軍師がいるようだ。しかし、彼らの活動はそこまでで、府民・市民を幸せにする術を持たない。そこに政治の実体はない。選挙民も相当低レベルと見られているが、怒らない。
季節は初冬。今日も街には枯れ葉が散る。(黄鶴仙人)

11月11日「19年9月期一般質問④」
御島媼「他の好印象の質問は…な、三井議員の市営バスに関する質問であったぞよ。交通体系の将来像、その中でのバス事業の在り方、という位置づけはすばらしい。何事も全体の中での部分じゃからな、全体を見ないで老人負担賛成だの反対だの言っても始まらぬ」
もみぢ「会計の専門家だから…」
御島媼「然り。自分の専門分野を活かして市政を見るのもよい」
もみぢ「ほかには?」
御島媼「中村玲子議員は、いつもながら徹底的に弱者の立場に立った質問じゃな。廃プラスチックとか、これを聞いて自分の生活を見直したくなったぞよ。」
もみぢ「本会議の一般質問って、市にもの申すと同時に市民に語りかけてもいるのね」
御島媼「そうじゃな」
もみぢ「質問事項に市営バスを挙げた議員は4人。関心が高いのね」
御島媼「適正な負担のあり方を検討するとか、な。ふほほ。市の答弁は高齢者負担についての既定の結論の伏線のようじゃな」
もみぢ「バスが赤字だっていいじゃない。福祉のための予算配分と思えば」
御島媼「一応独立した企業会計の形じゃから、赤字は、なぁ…」
もみぢ「形はどうあれ、本質は市民のための政治なのよ。市の役割は市民の幸福の追求であって財政の健全性維持じゃないのよ。財政が残って市民が死ぬでは何にもならない。有権者のうち65歳以上の人は三分の一いるからね、扱いを間違うと議員の立場が危うくなるわよ」
御島媼「脅しはいかん。話を変えるが、最後に後味の悪い質問があったなぁ。市に対する訴訟がどうのって…。話の趣旨は理解できないでもないが、本会議の一般質問の範疇には入らない」
もみぢ「そうね」
御島媼「またすぐ、12月議会じゃな。また会おうぞ」(この項 終)

11月08日「19年9月期一般質問③」
もみぢ「新語も、定着するかどうか。それは時代の要請があるかどうか、だわね。10年前の新語がいまどれだけ残っているのかしら。それからね、ママ。SD…なんだっけ…、SDGsも関係人口も、いわばtechnical term、専門用語だから、大和言葉では言い換えられないから、お許しをね」
御島媼「初めて耳にする言葉でもな、高木議員のグリホサート、これはすんなり頭に入った。不思議じゃな」
もみぢ「愛する人の言葉は音楽…」
御島媼「いや、そういう訳ではない。妾は人をもって言を用いることはない」
もみぢ「ひいきする人の言うことは聞く、嫌いな人の発言は聴きもせず拒否する、ということじゃないのね」
御島媼「無論じゃ。誰であろうが実のある発言は聞く。聞かせるものを持つ人の発言には重みがある。高木議員は、そういう議員の1人じゃな」
もみぢ「グリホサートって、発がん性があるのね。」
御島媼「既に外つ国では常識らしい。このごろ日本でもようやく危険性が認識され始めたようじゃな」
もみぢ「少量でも毎日とり続けていると危険…って、高木議員の言うとおりね」
御島媼「トリチウムと同じじゃわぃ」
もみぢ「市でも今後はそういう農薬は使わないでほしいわね」
御島媼「三島救命救急センターのクラウドファンディングに至る経緯も、事実は高木議員の質問のとおりじゃろうが、市の答弁は逃げてばかりじゃなぁ」
もみぢ「言えないんでしょうね。あはは。質問を通じて事実が市民に伝われば、それで一般質問の目的の一つは達するわよ」
御島媼「それから、山口議員の質問で知ったけど、市の北部の獣害な」
もみぢ「あれは、ひどいわね」
御島媼「人と獣の境界が崩れた、世紀末の現象じゃがな、市民はどこまで認識しておるか…」
もみぢ「猪、猿、鹿、アライグマ…。働く人が少なくなった田畑にケモノが来て…。農業崩壊の一つの象徴かも」
御島媼「そうじゃ。人間はケモノとどう付き合うべきか、自然とどう向き合うべきか、土地利用の原点を問われているような気がする。もう一つの質問の昨年の台風21号による倒木もな、杉だけでは山の再生が不能で、これは山の持ち主の考えることじゃが、土地利用が今のままでいいのか、妾も考えさせられる。二次災害が今年なくて、ほっと一息じゃが、まだ問題は解決していない」
もみぢ「山口議員の質問も、いま高槻市民に迫っている生々しい問題ということで意義があるのね」
御島媼「そう。ホントに聞き応えがあった。その問題で困っている人がたとえ少なくても、市民生活の中に実在する問題は一般質問で取り上げねばならない。少数意見の尊重ということもある。観念的な話はまったく価値がない」
もみぢ「そういう意味で、他に印象に残ったのは?」(続く)

11月07日「19年9月期一般質問②」
御島媼「それから議場を見て驚いた。市の部長は女性がたった1人!!」
もみぢ「そうなの。女性登用の時代なのにね」
御島媼「元始女性は太陽であった、と言うまでもなくね、中世の館では女主人の権力はとても大きかったのに、江戸の武家社会からおかしくなったぞよ、上から見ておると」
もみぢ「今の時期、高槻市役所には女性の部長候補がいなかったのかな?」
御島媼「育ててこなかったのが問題じゃよ。人は、そのポストに置けば成長する。置かない方が悪い」
もみぢ「それくらいにして、議員の話ね」
御島媼「待ちや。もう一つ。本会議での議員の着席が遅いぞよ。市長以下、市の理事を待たせて、市の職員なら係長にもなっていない年頃の議員が開会1~2分前に席に着く始末じゃ。情けない。こういう議員に限って座っておるだけで何もしない。血税1,000万円無駄使いじゃ!」
もみぢ「まあまあ、落ち着いて!」
御島媼「さて、と…。一般質問じゃな…。そうそう、若い議員の話しぶりがな、人によると、起承転結の起、承までしかない」
もみぢ「ん?何のこと?」
御島媼「話すときには、じゃな。まず論点を挙げる。今から何を話すか、ということ。これが起じゃ」
もみぢ「うん」
御島媼「これを承けて、そのテーマが今までどう扱われてきたか、どこまで議論が進んでいるかを説明する。これが承」
もみぢ「うんうん」
御島媼「次に、話を転じて、そのテーマを自分はこのような観点からこのように追究したと説明する。これが転」
もみぢ「はいよ」
御島媼「そして最後に全体をまとめる。これが結。結びじゃな。論文の書き方と同じじゃよ」
もみぢ「あ、それ言おうと思ったのに」
御島媼「たとえば、『エスディージーズ』やら『関係人口』やらの新しい言葉を持ち出す議員がおった」
もみぢ「エスディー…って、何?」
「持続可能な開発目標、でな、国連で採択された国際的な政策目標なのよ。貧困とか教育とか雇用などの目標が17あって、それぞれの目標を細かく説明したターゲットが169」
もみぢ「きゃ~。でも、それと高槻と、どう関係するの?」
御島媼「「そこじゃよ。新しい言葉を持ってきて、その意味を説明するまでは良いが…」
もみぢ「それが、起、承の段階ね」
御島媼「そうそう。高槻で今何が問題で、だからどうすべきという提案とか、そんな話の展開がない」
もみぢ「一般質問だから、特定の分野にこだわらないあらゆる問題についての政策論を期待してるのね、ママは」
御島媼「左様じゃ。大学の講義ではないぞよ。問題提起にもなっとらん。それから関係人口創出を言うのはいいがな、『取材しやすい、ロケしやすい高槻に』と言われても、どうすればロケしやすい高槻になるのか、そこの具体的提案がない。どういうことをやって、そのための予算ウン百万円を計上すべき、とかね」
もみぢ「この二人だけじゃなく、一般質問と呼ぶに値しない質問が多かったとは、私も思ったよ。いとわびしき哉」
御島媼「ほほほ。そなたも古い言葉を使うねぇ。だけど、昔の人も目新しい漢語を使い、独り悦に入っておった男も多かったぞや。美しい大和言葉があるのになぁ。」(続く)

11月06日「19年9月期一般質問①」
御島媼「おや、色が変わったね」
もみぢ「秋だもの」
御島媼「紅葉と書いて『もみぢ』と読む」
もみぢ「どうして?」
御島媼「紅は『もみ』なのよ、もともとね。『べに』と読むのは最近のこと」
もみぢ「ママの言う最近は、室町時代からこっちね。そう言えば着物の紅絹裏、もみうらっていうのもあるわね。あれも赤なのに『もみ』」
御島媼「これは妾の考えじゃがな、紅花から赤い染料を出すとき、両手でもむのよ。そこからじゃないかな?」
もみぢ「『ぢ』は?」
御島媼「『ち』の変化じゃが、なぜ『ち』か、妾も知らぬ。『ここち(心地)』の『ち』と同じかも。紅花は巻向の遺跡から花粉が検出されたくらいでな、3世紀の遠い昔から使われておる。昔の新羅・百済の言葉かも」
もみぢ「ところで…」
御島媼「ほいほい。高槻市議会の話じゃな」
もみぢ「11月1日発行の市議会だより256号を読んだのだけど、一般質問の議員名を出すのは試行的?」
御島媼「『試行的に、一般質問を実施した議員全員の記事を掲載しています。』という表現じゃから、名前を出すのが試行ではなく、試しに全員分載せてみた、と解釈できるなぁ」
もみぢ「名前はね、試行ではなく、固定化してほしい。それと議案の質疑も名前を出すべきじゃ?」
御島媼「その方が、議員の活躍ぶりが判るわな」
もみぢ「活躍しない人が、市議会だよりの変化を阻んでいる?」
御島媼「そうは考えたくないんじゃが」
もみぢ「政活費の見直しという記事もあったけど、何をどう見直すんだか…。」
御島媼「不分明じゃな、この記事では。存廃も含めて検討してほしい」
もみぢ「9月議会の一般質問についてはどんな印象?」
御島媼「まず、質問時間じゃ。全体に短い。21人の平均質問時間が31分」
もみぢ「人数が多いから遠慮したんじゃ?」
御島媼「そんなはずはないぞよ。あのときの駅前での選挙運動の態度を見ればそうは思えん。新人議員の16分とか17分とか…。深く考えればもっと言いたいことが出てくるじゃろうに」
もみぢ「そっか」(続く)

10月18日「危機管理」
日を追うに従って全容が明らかになってきた台風19号。その被害は「まずまず」などというものではなかった。そう言った政治家の国民への寄り添い方、立ち位置、心根の具合、さらには一部を知って全体を推察する能力のレベルがよくわかる発言だった。
高槻市の組織には危機管理監、総務部に危機管理室があって、防犯も含めた危機管理に関する仕事を掌っている。19号台風で、この存在はこれまで以上に注目されることになる。
危機管理、これは英語のcrisis management の直訳だ。危機が発生したとき被害を局限化させるように迅速に対処することを言うが、役所としてcrisis management と同時に必要なのはrisk managementだ。適当な和訳がなく、リスク管理などと言っている。しかし何も英語で言う必要もない。昔から、備えあれば憂いなしという、あれだ。今後どのような危害発生のおそれがあるか、それは市民にどのような形でどのような被害をもたらすか、その被害を避ける、あるいは極小化するためには、市としてどのような準備をすべきか、そのシナリオ作りを、今こそやらなければならない。すでに実施済みなら、その見直しが必要だ。
たとえば、いま高槻市のハザードマップ作成の前提は、外水氾濫の場合、淀川流域で二日間の総雨量500㎜、芥川、女瀬川、檜尾川、安威川、水無瀬川は概ね100年に1回程度起こる大雨(時間84㎜)、とされている。ところが今回の19号で箱根に降った雨はというと、1000㎜だ。100年に1回と昔言われていた災害は、近年は毎年起こっている。過去に作られたハザードマップを放置できるわけがない。
市民に役に立つのが役人、公務員だ。関係者の奮闘を祈る。(黄鶴仙人)

10月16日「トリチウム②」
しかし…これからが本論だ。19号台風以来、私は全ての常識を疑ってかかることにした…トリチウムは国が言うとおり本当に安全か。6万ベクレル/リットルの排出基準を守るとか、日本全国の降水中には223兆ベクレル/年の天然トリチウムがあるとか、韓国月城原発は液体気体合わせて136兆ベクレル放出(2016年)した実績があり、福島のタンク内に現在1,000兆ベクレルあるのを希釈して排出すれば問題ないとか言われても、不安は消えない。維新のように思考停止にはなりたくない。自分の頭で考えたい。
トリチウムは、確かに外部被曝の危険性は低い。しかし、水素として体内に取り込まれた場合、やがてヘリウムに変わってその細胞自体が存在できなくなる。ヘリウムに変わる前に細胞は入れ替わるとしても、周囲の細胞は常に電子ビームを浴び続ける。そんな組織が健全でいられるわけがない。現にシカゴ郊外の原発周辺の子どもにガン発生率が高いのは厳然たる事実である(*)。
*https://www.sting-wl.com/yagasakikatsuma11.html
科学音痴と罵倒されるのを承知で言う。2.1ミリシーベルトの天然放射線のレベル以下の放射線を出すものは安全と国は言うが、本当か?もしかして、いま人々の間に発生しているガンも長期間の天然放射線の被爆が原因で、ただそれが証明されていないだけではないのか?放射線自体、いかに低レベルであろうとも、長期間浴び続けていれば有害なのではないか?現に紫外線の強い所では皮膚ガンのおそれが言われているではないか。紫外線と放射線は別物か?同じ電磁波だ。天然放射線と同じレベルの人工放射線は危険性も同じなので安全とみなしましょう、と言うのが正しい表現ではないか。
原子力の安全神話は、その裏の原発政策推進のために作られたものではないか?その疑いが消えない。(黄鶴仙人)

10月15日「トリチウム①」
福島原発の汚染水を大阪湾に持って来て流すのであれば協力する…という意味のことを松井大阪市長が言ったのは9月17日。維新党首の彼はその後、問題を維新国会議員に丸投げし、以後の処理をさせた。維新国会議員は、大阪湾云々には触れず「基準を満たすよう処理し、早期に海洋放出すべし」という提言を10月8日にまとめた。
大阪湾は大阪市のものか、汚染水をどうやって大阪湾まで運ぶのかなど、二重三重に首をかしげたくなる松井市長の発言だが、それはおく。まず汚染水についてふり返って見よう。汚染水というが、何に汚染されているのか。ウランの核分裂の際の副産物、トリチウムだ。そんな元素があったかな?と疑問に思ったが、調べてみると水素の同位体だった。普通の水素は原子核の中に陽子1個だが、トリチウムは原子核に中性子が2個追加され、質量が3倍になったものだ。これが、おとなしい子ならば何の問題もないが、やっかいなことに常に電子を放出し続けて(β崩壊)、周囲が迷惑することになる。その迷惑のレベルは極めて低いので一定の濃度以下に希釈すれば安全だと、国は言っている。この汚染水が、福島原発のあの場所に115万トン貯留されている。そして、日量170トンの割合(2018年度の値)で今も増え続けている。
維新の提言は、国の方針どおり、希釈して海洋放出せよというものだ。だがそこに維新として独自に検討して結論を得た形跡は見られない。単に国のお先棒をかついでいるだけであって、そこには何の哲学もない。国が安全だという、それを鵜呑みにしているだけの思考停止状態だ。政府に協力する狙いは何か。貸しを作り、折りに触れて維新勢力の増大への政府自民の援助を求めることだと穿ちたくもなる。これまでも改憲協力の見返りに大阪万博やIRへの政府の支援を得た、その流れだ。(黄鶴仙人)

10月14日「もし19号が関西に来ていたら」
未曾有の雨台風、19号台風(ハギビス)が去った。残念ながら多くの犠牲者が出た。ご冥福を祈る。この台風さえなければ今日も笑顔だったはずなのだ。
2019年10月12日、13都県に大雨特別警報が出されたとき、気象庁のレーダーでは、群馬・埼玉・東京・神奈川・山梨・長野・静岡の都県を雨雲がすっぽり覆っていた。この面積は近畿地方全域を覆ってなお余る広さだ。この範囲に大雨が降った。そして東日本の21河川がほぼ時を同じくして決壊した。過去には例のないことだ。もう、これまでの常識は通用しない。いままで大丈夫だったことはすべて、大丈夫かどうか判らないと思わなければならない。
地図を見ながら、今回の19号がもし関西を襲っていたらと、想定してみよう。この想定は非現実的ではない。太平洋高気圧がもう少し強かったら、或いは上空の偏西風がもう少し弱かったら、高気圧の縁を回り風に流される台風は、関東ではなく関西に来ていたのだ。仮にそうだったら、上述のとおり滋賀・京都・奈良・大阪・兵庫に、日量300ミリの雨が降り、淀川では桂川・宇治川・木津川の三川からの雨水が合流していた。そのとき、どうなっていたか。
たとえば2013年9月17日、台風18号は桂川上流域に大雨をもたらした。そして渡月橋を破壊し、嵐山や羽束師付近を水没させた。このとき、淀川の枚方水位観測所の水位は、通常が基準点よりも遙かに低い-3.6m位のところが-0.14mまで、つまり3.5mほど上昇した。また2017年10月の台風21号は木津川上流に大雨を降らせ、24日の同水位観測所で-0.29mまでの増水をみた。つまり、淀川の支流である三つの川のそれぞれで日量300ミリ降れば、淀川は3m以上水位が上がるのだ。三つの川で同時に降れば、単純計算だが9m以上水位が上がることになる。枚方水位観測所における氾濫危険水位は5.5mだが、これは通常の水位よりも9mほど高い位置に設定されている。水はそれを越えるのだ。その結果どうなるか。淀川の堤防は、越水により決壊する。
もうひとつ、心配なデータがある。淀川河川事務所のHPによれば、平成22年に淀川流域の堤防の危険度評価がなされている。
この結果を見ると、高槻市では、女瀬川と芥川の合流点でその両側、芥川と淀川の合流点で芥川左岸堤防が浸食に弱く、また芥川淀川合流点の芥川右岸の唐崎、淀川堤防の番田、道鵜町あたりは浸透に弱いとされている。異常な雨台風が来れば、ここが決壊すると言う予告だ。
今日の長野市の惨状は明日の高槻市の姿かもしれない。(黄鶴仙人)

10月08日「新人議員の比較②」
昨日も掲げたが、話の便宜のために再掲する。

(図1)
この新人を比較したグラフを見ると、2019年度の新人は、まず質疑・質問の件数が少ない。平均値は2007年以来最低だ。そして緑色の部分、つまり本会議における議案質疑がない。ゼロだ。これはなぜなのか。事前に事務局から議案の説明を受け、個人的に納得したからか。もしそうなら、それはおかしい。市民の代表が説明を受けて了承したのだからよいではないかとの主張があるかもしれないが、それは公の場の議場でこそやってほしいことだ。議員が公式に疑問を呈する、提案者が公式に回答する、そこでよりよい姿を求めて議論する、それを公論というのだ。議場で黙っていてくれれば、アメあげる…と言われたわけでもあるまい。議案の中身を勉強していないから黙っている、という人もいないだろう。公論に決すべし。市民に見せるshow、exhibition としての質疑・質問でもよいのだ。
2011年の議事録にこんなシーンがあった。
和田議員「資料がこれだけある。勉強するのが大変だ。もっと時間的余裕をもって資料を配付してくれ」
うんうん、よくわかる。
栴檀は双葉より芳し。これも議場の真理だ。
初議会の6月から翌年3月議会までの1年分の質疑・質問件数のグラフを次に掲げる。              (図2)
個々の数字は違うが、グラフの形は図1に似ている。初めの半年の勢いは、そのまま1年続いているのだ。実は、1年のみならず、その後もずっと、だ。こういう法則的なものがあるから、初めの半年の姿をもってこの先を占うこともできそうだ。さて2019年度の新人は、この先、どうだろうか。
そして、思いは飛ぶのだが、惜しまれるのは初年度以来の議員の活躍ぶり(=市民への貢献度)が市民に伝わっていないことだ。市民の多くは、自分たちを守ってくれている議会の宝物を見過ごす。選挙ともなれば見栄えだけは良い候補者に嬌声をあげながら投票して議会の水準を落とし、その結果税金の流れる先に十分な目が届かず、市民自らの生活を危難に追い込んでいる。如何にして度せんや。生きることに忙しく政治に目を向ける余裕がない人もいるけれども。(黄鶴仙人)

10月7日「新人議員の比較①」
「質問件数など気にしない。私はあの人が好きで投票している」「市役所への橋渡しをしてくれれば十分」・・・。市議会議員の評価として、そんな声を聞くこともある。
友人関係にさまざまな形があるように、議員と支持者の関係もさまざまだろう。しかし、「好き」だけでは長続きしないのは、夫婦・恋人・友人、いずれの関係においても同じだろう。力強さ、優しさ、教養、包容力、思想あるいは志操、見方を変えて経済力、基本的生活力、部下の能力を発見する力…、なんらかの魅力があり、それが深まり続ける人、あるいは新しい魅力を次々に示す人、相手がそんな人であれば関係は長続きする。
翻って、議員の魅力は何か。それは優しさ・強さ・正しさ、そして先見性だと私は思う。すべての市民へのやさしい目が発見する生活上の問題点、それを時宜よく正しく取り上げて政策を立案し、強く市政を糺していく、そして時代の流れる先を見据え、そこに生まれるであろう問題をあらかじめ排除しておく、そんな市民のリーダーこそ望ましい。そういう議員が議会を盛り立ててくれるのだが、その熱意・能力はやはり質疑・質問の件数として現れてくることを、過去の議事録は教えてくれている。ちなみに、市民生活相談を議員として無駄な仕事とは私は言わない。それはそれで意義があるのだが、それを端緒として市民全体を覆う政策に昇華させてほしいのだ。
さて、2019年の初当選者はどうか。今ではベテラン議員となった過去の「新人」たちとどう違うか。初当選から半年ほどが過ぎた時点で、公平を期すために同じ条件で、つまり6月議会の常任委員会における質疑及び本会議での質疑・質問の件数、並びに9月議会における本会議での質疑・質問の件数を、2007年以来の新人議員の間で比較すると、次の図のようになる。なお、ここでは意見表明の数も質疑数のなかに含めている。ざっと眺めてみてほしい。(黄鶴仙人)

10月3日「バックマージン」
松井大阪市長の会見のおかげで、世の中にバックマージンという言葉があるのを初めて知った。リベート、キックオフという言葉はどこかで聞いた覚えはあるが、特殊な公務員として長年を過ごした私はそういう商慣習を正確には知らず、今回初めて勉強する機会を得た。これも松井市長に感謝せねば。
言葉の意味はこういうことだ。たとえば電機メーカーAが電機屋さんBに商品を卸す。その際、1個1万円の品物を1000個以上売ってくれれば、商品代金1千万円のうち百万円は割り戻しますよ、という契約をした場合、その百万円をキックバックまたはバックマージンというらしい。最初から安く売る値引きとは違う。ただ、原発工事の契約に関連して高浜町元助役が関電幹部に渡した金品をバックマージンというのが正しいのかどうかは、私にはわからない。工事の受注者が発注者に契約金額の一部を戻す、その金の流れは通常とは逆、つまりバックであるから形としては似ている。元助役は受注者と一体とすれば、そう言えるかもしれない。
ところで、この制度は販売促進方法として実は広く認められていて、何ら違法性はない。ただ、その金を営業担当者が会社に渡さず、担当者個人が着服していれば問題になる。販促ではなく反則だ。今の日本、どうなのか。大金のキックオフならば会社に出すが、少額ならば担当者のポケットに入ることが、ままあるのではないか。ポケットインが一般的だから、人はそれに犯罪意識をもたないのではないか。汚染を汚染とも思わない社会の風潮が背景にあって、関電幹部の金銭感覚が構成されているのではないか。と、私は疑念を持つ。石もて打つ資格がある人は少ないのではないか。
ともあれ、関電幹部には刑事責任の疑いがある。本来なら会社の資産となるべきキックオフの着服だ。公務員ではないから贈収賄はないが、刑法第二百五十三条業務上横領(十年以下の懲役)、会社法九百六十条特別背任(十年以下の懲役若しくは千万円以下の罰金、またはこれらの併科)、いろいろ考えられる。預かっていたというのは言い逃れ。1着平均50万円の背広は「費消した」と会見でも言っている。「もらったもの」と言う認識が当初からあったのでは?税務調査が入らなければ、返却もなく、そのままだったのではないか。追究すべし。
「再発防止に努めることで経営責任を果たす」と言うが、金品を提示された際に直ちに拒絶することもなく諾々と元助役の意に従い、他の役員への適切な指示も出さなかったなど、事件を起こした当人がどうして再発防止ができるのか。

10月2日「6月議会の質疑・質問数」
6月議会の常任委員会議事録が公表されたので、そこに記録された質疑数を加え、6~9月議会の質疑・質問数(但し9月議会常任委員会を除く)を棒グラフにして「1 市議会という舞台で 第一部 質疑質問数からみた市政への貢献度」に昨日掲げた。ここにも再掲するが、グラフの左の方、つまり多数の議員を擁する会派と立憲民主党たかつき・市民連合には緑色の部分がない。つまり本会議での議案審議の際に静謐を守っているのが見てとれる。高槻市議会は共産党、立憲主義を守り憲法を活かす会と無所属議員という少数派(弱小ではない)が市政を糺すことに貢献しているようだ。新人議員は何のために議員になったのか。議会はお茶席ではない。傍聴者のより多い本会議こそ花の舞台ではないか。もっと勉強して本会議で発言すべし。
その「新人議員」の仕事ぶりだが、過去の新人は議会に初めて入った年度はどのような姿だったのか、以前の議事録をひもとき、調査を開始した。議事録の中には、旧来の慣行に新人議員が異を唱え、古参議員もそれに同調するシーンがあったりして、なかなか面白い。質疑件数をカウントするのを忘れ、つい議事録を読みふけったりするものだから、なかなか作業が進まない。ブログもつい休みがち。だが、ま、いずれ・・。
そうそう、議事録の公表が遅くないか。9月議会が終わった時点で、まだ前回の議会の記録が全部は公表されていない、これでは議員も困ることがあるのではないか。(黄鶴仙人)

9月20日「東電無罪」
昨日、東京地裁の判決が出た。8年半前の大津波による福島第一原発の事故につき東電経営陣の過失を問う裁判だ。判決は過失を問えないとした。さもありなん。立件しなかった、つまり過失を追究し事件として取り上げようとしなかった検察と同じ結論だ。
刑事事件における過失は(民事でも同じだが)、「一般人」の注意義務を基準にする。台風が来るから飛散しやすいものを片付けなくちゃいけない、長期間無人だった洞穴に入るには酸欠のおそれがあるからその用意をしなくちゃ、というレベルの注意義務だ。その程度の、危険が誰でも予測できるのに、そしてその対応が誰にでも可能なのに、何も対策をしなかった、そのときに過失が問われる。とてもじゃないが万能の神だけが予測できる危険を察知できなかったからといって、その危険に対する完全な予防策を施さなかったからといって、罪に問えるものではない。
では、一般人の注意義務と神の目との境界はどこだろうか。何万時間かの飛行時間に1回の割合で飛行機は確実に墜落しているが、だからといって飛行機に乗らないという人はいない。人は利便性(または経済性)と危険性を天秤にかけ、そのどこかで両者の折り合いをつけている。個人レベルだけでなく、社会全体としてもそうだ。社会全体の了解の下に、鉄道やら建物やらの安全基準が定められている。その折り合いの線が、人と神の境界とも言えそうだ。同時にそれが検察や裁判所の判断基準なのだ。
しかし・・・、と私は思う。1000年に1度の津波は確実に来るからその準備はすべきという論はおいて、個人レベルならいざ知らず、多くの人に大きな影響を与える機関、あるいは近年深刻さを急に増している災害関連の基準が、これまでどおりでいいのだろうか。公共機関により厳しい注意義務を課するのは二重基準になるのだろうか。一般の過失より業務上の過失の方が基準が厳しいように、業務上の過失の中でもとりわけ公共的な過失を厳格に扱ってもよいのではないか。また判決も社会的な判断レベルに添うのではなく、社会をリードして社会に新しい判断基準を設定するものであってもよいのではないか。ただしこれは、地裁レベルでは無理かもしれない。(黄鶴仙人)

9月16日「水の事故」
痛ましい。あまりにも痛ましい。残された1人は助かって欲しいと祈るが、その後どうなっているのだろうか。
あれは今月の7日の土曜日だった。もう10日目だ。祖父と3人の孫達が高槻市内芥川の城西橋の北、JRと阪急の鉄橋の間あたりの川の深みにはまった。そして祖父と1人の孫が亡くなった。次いで重体だった孫の1人も亡くなった。
偶然だが、4年前の6月24日、私は現場の写真を撮っていた。そこには3段のコンクリート製の堰堤があって、更にその下にもう1段、4段目の堰堤は幅が狭まり、そのため水流は強くなり、その下は滝つぼのように、岸近くこそ水底の石が見えるが、1mも岸から離れるともう深い青色になっている。鮎や魚道の説明に加えて、陸岸には「あぶない!」という溺水注意(何故か河川管理者ではない高槻市の名前も)と上流で雨が降ったときの急な増水への注意の看板が、このときにはあった。しかし、事故当時はなかったようだ。「滝つぼ」は、昔からあったのだろうか。グーグルアースは過去の衛星画像も保存している。そこから抜粋したのが次の5枚の写真だ(日付は筆者追加)。
これを見ると、過去にもそれはあったようだ。写真を見て思い出したが昔は対岸まで人工の飛び石があった。2012年の写真に点線のように写っている。同時に深い青色の滝つぼも見える。堰堤の構造自体が滝つぼを生成させるようだ。これは危ないとの認識があったのか、2015年にはブルドーザーで埋められた跡も見える。しかし埋めても埋めても、ひとたび大雨が降れば、川の流れはすぐさま深みを作り直す。
国家賠償法第二条は「道路、河川その他の公の営造物の設置又は管理に瑕疵があつたために他人に損害を生じたときは、国又は公共団体は、これを賠償する責に任ずる。」と規定する。現場は城西橋の北の芥川だから大阪府の管轄する場所だ。遺族はこの条文を根拠に府に対して損害賠償を請求することができる。危険という注意喚起の看板がないことは、管理の瑕疵といえる。
今般急きょ追加された看板は、川には「背の届かない深い所」「急に水かさがふえること」「すべりやすいところ」「水の流れの速いところ」があるから注意すべきとしている。が、浮くものを底に引きずりこむ複雑な水の流れや水底の砂や石ころの斜面の崩れやすさを教えていない。川の楽しさ怖さは、むかし、川遊びを通じて年長の子どもから年少の子どもに伝えられていた。その伝承の途が途絶えて久しい。(黄鶴仙人)

9月13日金曜日「法定協」
略して新聞の見出しにそう書かれているが、略称が生まれるほど今や一般化したということか。大阪市のHPによれば正しくは、「大都市制度(特別区設置)協議会」というのだそうだ。『「大都市地域における特別区の設置に関する法律」に基づく』ことから「法定協議会」というらしい。
私の頭が悪いのか、今もって大阪都構想の何が善いのか全く解らない。維新の発信は理解できないことばかりだ。
その1。冒頭にあげた大阪市のHPだが、『大阪にふさわしい新たな大都市制度の具体的な制度設計を行うため』に法定協議会を設けているそうだが、人口370万人の横浜市よりもはるかに少ない人口260万人の大阪に「ふさわしい」ものが必要なのか。大阪に必要ならば横浜にはもっと切迫したものがあるのではないか。しかし横浜からは、IR反対というまっとうなものしか聞こえてこない。
その2。本日の新聞は昨日の法定協の内容を伝えている。それによると新庁舎建設などに最大約637億円(高槻市の一般会計予算の約6割)かかるそうだが、維新は現庁舎の利用でその建設費を抑制したいとか。抑制よりも、新庁舎建設をやめたほうが、もっと経済的ではないか。特別区を作って、区役所が遠くなって、何が嬉しいのか。
その3。職員数の見積もりについて、業務に応じた職員数が必要ではという自民の主張(至当と思える)に対し維新横山英幸府議は「積み上げ方式は現実的に不可能。制度そのものへの反対には応じる必要はない」と反発したと報じられている。しかし国家公務員の定員要求にあたっては、具体的な業務量を逐一挙げ、積算し、1人年間2000時間(365日-土日104日-祝祭日11日。一日8時間。休日出勤もあり)の勤務として、必要な員数を割り出している。国が現実に行っていることが、大阪では「現実的に不可能」という。不可解だ。また反対には応じないという頭から議論を押さえ込むやり方が、専制君主の外つ国はいざ知らず、民主主義国家日本で認められるのか。私の頭では解らない。
こういうニュースを読む今日は、やはり13日の金曜日だ。(黄鶴仙人)

9月10日「疑いのある看板撤去」
西国街道芥川の宿。その東端で街道は鍵の手に折れ曲がっている。宿場ならではの風景である。一里塚も残る宿場は、昔の風景を今に伝える高槻の財産の一つだ。
折れ曲がった所から東に200mほど行くと、街道は服部や原に向かう道と斜めに交差する。そこの民家の壁に、現在3期目の大阪維新の会所属木本祐市会議員後援会連絡所の看板があったが、昨日通りかかって見ると、いつの間にか撤去されていた(グーグル・ストリートビューでは、本日現在、未だに看板が見られる)。看板に添付された証票には平成34年までの有効期間が明示されていたのだが。
その看板には、いくつかの疑問があった。www.yu.kimoto.jpというヒットすることのないURLらしきものの表示、後援会連絡所の看板だったのだが看板がぶら下がっている建物が連絡所としての実体・実態があったのか、など。
有権解釈のできるのは公職選挙法を管轄する役所だけで、一私人にはできないが、仮にそれが違法であったなら、撤去されたからといって違法性が消え去るものではないだろう。自発的撤去による情状酌量の余地は生まれるが、ある期間、ある場所で、誰かの手によって公職選挙法に触れる看板が掲示されていたという事実は残るのではないか。
ともあれ、その看板と、ついでにその左にあったポスターも撤去され、その街角には古来の道祖神の小さな祠だけが見られる静かな昔の風情がよみがえった。

別の話だが、大阪維新の会所属松原市議田中厚志氏は2019年3月26日、体調不良を理由に本会議を欠席して妻と沖縄旅行に出かけていたことが、本日(2019年9月10日)の毎日新聞ニュースメールで伝えられている。また、ウグイス嬢手配の謝礼を渡した公職選挙法違反で逮捕起訴されていた元大阪維新の会の不破忠幸大阪市議は先週金曜日(9月6日)に大阪地裁で懲役1年執行猶予5年の判決が下っている。止んぬる哉。(黄鶴仙人)

9月09日「重陽の節句」
6月議会の議事録が公開されたら質疑・質問数をまとめようと思っていたけれど、待てど暮らせど公開なし。もう9月議会も始まるというのに。
しかたがないので本会議の記録映像から質疑・質問数を拾ってみた。常任委員会の映像はないので、議事録公開後に全てのデータをまとめよう。今日は重陽の節句。思いは千里を越えて届く日だ。議事録を早く~と、念じておこう。
数字を調べてみたら、なんとまあ。
議題に対して質問しているのは3回生以上のベテラン議員ばかり。新人議員はゼロ。ここに新人及び若手議員の勉強ぶりがよくわかる。勉強すれば疑問が生じる。疑問点を聞きたくも明かしたくもなる。そのはずだ。なのに、条例案だろうが決算だろうが、すべての議題に無言の行。
Keep silent の議員に言いたい。あなた方は何のために議員になったのか。市政を糺すためではなかったのか。議案の中に、公正さに疑問を覚える点は本当になかったのか。これから議員として勉強する、なんて言い訳は許されない。議員になる前に然るべき勉強をしておくべきだ。選挙さえ終わってしまえば、後のことには市民は無関心だから、万事Okなのか。そうはいかない。(黄鶴仙人)

9月04日「政活費ICOCAチャージは問題あり」
消費増税まで1ヶ月を切った。増税ショックの緩和のために政府はいろいろと策を考え、実行に移す予定だが、その中に議員の政活費に影響するものがある。市議会は自ら改善を図っていただきたい。
緩和策の一つとして、キャッシュレス社会を進めるためもあって、中小小売店でカード等を使った場合の5%ポイント還元が10月から来年6月まで予定されている。この「カード等」の中にはJR西日本のICOCAも含まれる。だから、例えば2万円をチャージし、どこかの店でそれを費消すれば1000円分のポイントが還元されることになる。
市のHPを見ればわかるのだが、昨年度は高槻市議のうち約半数の議員がICOCAチャージを政活費から充てている。それは公認されていて、政務活動費の手引き「5.政務活動費の経費使途区分の運用指針」によれば、ICOCAチャージの場合、公費負担の按分率は50%、上限は月額5千円、年間6万円である。
これについて問題がある。
その①。ICOCAチャージの領収書が添付されているが、チャージした時点ではまだカード上のマネーである。現金同様である。だからチャージした領収書には意味はない。チャージした金額を何に使ったか、そこのところの公正さこそ証明する必要があるのだが、制度上は何も求められていない(上記手引き参照)。今の制度では、ICOCAで飲み食いしようが、家電量販店で電子レンジを買おうが、外部からは解らない。おとがめはない(この点はすでに指摘済み:本年7月03日)。
その②。10月から、電車代以外の、店で買い物をした分に5%のポイントがつく。悪用した公費に上乗せされた5%は、そのまま議員の懐に入る。増税に伴う政策によって、不公正議員にさらなる利得が与えられることになる。
使途不明確のICOCAやガソリン代には問題が多い。インターネット接続料も似たようなものだ。議員によると、ICOCAチャージのほかに出張旅費も計上してあったりするから、なおさらICOCAについての疑惑は深まる。このような項目は政活費の対象から外すべきだ。いや、いっそ政活費そのものも廃止すべきだ。議員の生活費にならないように。年収1千万円は、議員としての活動費込みの報酬だ。4月に議員になった人に、そのような市民感覚は残っているだろうか。(黄鶴仙人)

9月02日「市議会だより」
「市議会だより」が各戸配布された。薄いけど、手に取ってページをぱらぱらとめくってみると・・・。わぉ!
質問者の名前入りではないか。正直、驚いた。よくやった!
大体、世の中のことすべて、何か変えようとすると抵抗があるものだ。市議会だよりの編集も同じこと(たぶん)で、編集者の労をねぎらいたい。これが議会改革のはじめの一歩だろう。次に何があるか、期待する。
代表質問のページは、会派の全員の名前と質問・答弁の要点が書かれている。名前が出たことで、俄然、各会派の顔が見えるようになった。ついでに会派別の政策水準も。
一般質問については「記事は質問した議員自身が作成」だそうだ。ということは、それぞれの議員が最も言いたいことを凝縮した文章なのだろうが、読めばそこに各議員の能力と品格が表れているのがわかる。ちょっと興味深かったのが、その議員の文章・・・それは話したいポイント・・・と、傍聴者が聞いてこれが重要と感じた点とが、必ずしも一致していないことだ。真意を聞き取れないのは聞く人の責任か、話す人の責任か?
答弁についても質問者がまとめているのだろうか?もしそうなら「市はそんなことは言っていない」ということにならないか。質問の内容とちぐはぐ、まともに答えていないのがよくわかる答弁が散見されるが、実際このとおりなのだから仕方ないが。まあ、市議会だよりの読者がそれらについて疑問を持ったらただちに実際のやりとりをスマホで調べられるQRコードも紙面にあるので、便利だ。これも善い。
ともあれ、一般質問は市政を糺すと同時に自分を市民にアピールする絶好の機会である。その機会利益が、今回の議会だよりの編集で増大した。すばらしいことだ。(黄鶴仙人)

8月29日「一般質問⑤」
わかば「今回は、若い議員の質問、初質問が多かったわね」
御島媼「それについては率直に言いますぞ」
わかば「はい、どうぞ」
御島媼「一般質問が情報公開の場になっているのはよろしい。地震や台風でバス停  20カ所が被災し、復旧に8千万円かかる、っていう話を議会のやりとりで知るとか、ね。しかし、質問時間が短いのは何たることか。勉強不足であることを自ら示しておる。勉強すれば言いたいことも増えるだろうに」
わかば「そうね」
御島媼「質問の中に人としての優しさや温かみを感じないぞよ。心を打つもの、迫ってくるものがない。もっと言うと・・・、誰がとは言わぬが、質問のレベルが低い。中学校のPTAの部会レベルじゃな。質問のレベルが低いから答えのレベルも低い。小さく撃てば小さく響くのじゃが、こういう議会は傍聴しようという意欲が湧かないねぇ。法律を読めばわかる質問なぞ、するなよと言いたい」
わかば「うふふ」
御島媼「~についての見解をお答えください、~についてのデータを示せ、なんて質問が多いけど、まずは自分で勉強すべきじゃないかな?」
わかば「1問目で争点を明らかにする意味があるんじゃない?」
御島媼「時間の無駄じゃ。1問目から議論に入るべし」
わかば「中村議員みたいにね」
御島媼「河川管理とか府や国の仕事について質問する議員もおったなぁ。市の仕事を糺すのが市会議員だろうに」
わかば「あ、代表質問でも、他市の状況を聞いてた人がいたっ」
御島媼「それこそ、答える立場にはないぞえ。民間的発想を取り入れるべしという人がいたが、公と民間は違うのじゃ。入るを測り出るを制すのが私経済じゃが、公の財政は出を計り入るを制すのじゃ。できるだけ経済合理性を図るのは当然じゃが、そこに収まりきれない、というか、儲かる仕事ではないので民間ではやらない、それを国や市が行う、そんな基本的な行政の役割はわかっていて欲しい」
わかば「起きたばっかりで難しい話、わからへん。もう少し、わかりやすく・・・」
御島媼「いや、現代の行政・政治はいろんな要素が複雑にからみあっておる。単純化してわかりやすく、とはいかないものじゃ。市民の方からわかるように努力するほかない。判りやすい説明というのは、大概、間違いじゃ」
わかば「わかりやすい説明で支持を得ている人もいるわね」
御島媼「騙されておる市民が気の毒じゃ。もっとも、市民の側に騙されている自覚はないがな・・・。ともかく、一般質問はな、観念的なものではだめ。笹内議員のように市民生活相談とか市民のニーズに基づくものでないと。若い人は、市民ニーズをどうやって掴んでいるのかなぁ。そもそも、何を目標に市議会議員になったのか」
わかば「ママはずいぶん悲観的だけど、まだスタートしたばかりなのよ。これからの成長を見守るべきだと思う」
御島媼「ほほほ。人皆仏性あり。人は皆、変化や成長の可能性あり、かな?」
わかば「そうよ。人間に潜む成長の可能性って、すごいよ」
御島媼「市民相談を受けたり、行政の現状を勉強する中で磨かれてくるかもしれないなぁ。その成長の過程を一般質問の内容の深化の具合から読み取っていくとするか」
わかば「そうね。ところで今日はもう8月も29日。来週は9月議会が始まるのよ。一ヶ月もしないうちに次の一般質問よ」
御島媼「楽しみじゃな。誰がどう質問を作るか、作らないか」(この項終わり)

8月28日「一般質問④」
御島媼「して、お隣の庵主は化ける術を覚えたのかや」
わかば「それが、そんなに簡単じゃないらしいのよ」
御島媼「ほぉ」
わかば「まず座学がね、一般教養課程として心理学概論・天文学・気象学・表面地質学・岩盤工学・植物行動学・量子力学、専門課程に入って基礎化学・応用化学Ⅰ・・・かがく、じゃなくて、ばけがく、ね・・・、応用化学Ⅱ・人間心理学・動物心理学・分子生物学・・・」
御島媼「もういい、もういい。・・・ん?植物に行動があるのかや?」
わかば「時間軸を長く取れば、動いてるのよ。全ての植物が。蔓とか根とか」
御島媼「さようか」
わかば「おまけに修行中は禁酒禁煙禁色禁賭、毎朝毎晩斎戒沐浴でんぐり返し五百回、体内のアクをすべて出して体力錬成。これがね、狸だったらできるはず、ってなもんじゃなくて、狸でも優秀な子でなきゃ、卒業はおろか入学すらできないんだって。いわんや人間においておや。お隣さん、禁煙はともかく他は守られへんと三日で諦めて帰ろうとしていて、狸の穴の2丁目でばったり。私と」
御島媼「そういう次第か」
わかば「うん。それで、今度はママの番ね。聞きごたえのある話、あった?」
御島媼「やはり中村議員じゃな。国民健康保険料の減免制度は、代表質問と同じ標題じゃが、切り口が違う。累積黒字を活用すべきとか、な。考えてみれば、国民健康保険料には逆進性がある。所得がなくても均等割とか、年収2千万の人も7百万の人も同じ保険料であるとか。自営業者は見かけ上収入が少ないから保険料も少なくて済むし。こりゃ、おかしいぞよ。中村議員は『市独自の減免制度を設けよ、現に厚木市では実施している・・・』と、説得力もある」
わかば「あくまで市民側に立った質問ね」
御島媼「私はこう考えるが、市の見解を問う、と、ちゃんと議論になっておる」
わかば「答えが物足りないけどね」
御島媼「何につけても市民に寄り添う市の姿を、彼女はイメージとして持っておるようじゃ」
わかば「そうありたいものね。で、ちょっと気になったけど、録画映像では、中村議員の質問が終わったときに誰かが不規則発言をしているように聞こえたけど・・・」
御島媼「10秒ほど時間オーバーで、そのヤジかも。品のない!」
わかば「で、他には?」
御島媼「平田議員が医療経済学という言葉を使って予防医療の話をしておったがなぁ・・・」
わかば「なぜ首をかしげてるの?」
御島媼「予防医療を続けろという意見なのか、不経済じゃから止めよというのか、よく判らなかったのよ。予防医療は老人の死を先延ばしにして負担を先送りするだけで医療費総額は増えるのが共通認識・・・と、はっきり聞こえたのじゃが」
わかば「予防医療に意義はない、と?」
御島媼「人間の生命を何と心得るのか。老人に冷たいねぇ。死を先延ばしにする、そこに意義があるのじゃがなぁ。もらった時間で楽しく、何かができる」
わかば「閑居して不善をなす・・・」
御島媼「こらこら。年寄りは早く死ね、まして800年も生きておるなど許されぬ・・・と、聞こえて、な。ちょっと腹が立ったのよ」
わかば「そうじゃなくて、予防医療が医療費削減につながると頭から信じ込むのは間違っている、学会の常識はそうじゃない、予防医療を進めるのなら、それが医療費総額に及ぼす影響についての証拠を基にした政策を展開すべき、と言ってるの」
御島媼「ふむふむ」
わかば「そして、医療費総額が増えるのは今や常識だから、他の方法で医療費抑制を図るべき、と」
御島媼「他の、何で?」
わかば「具体的な提案はなかったけど、長期的視点に立って今後意見を言うって」
御島媼「具体策は役所に丸投げじゃあなぁ・・・。政治家は評論家じゃないぞよ。政策立案が仕事じゃよ」
わかば「そうね」
御島媼「『エビデンスに基づく政策を』と言うのなら、予防医療が医療費抑制につながらない、むしろ総額では増えるということを、もっと詳しく、数字で示してほしかったなぁ。他人には根拠を求め、自説の根拠は示さない、これではいかん」

8月27日「一般質問③」
御島媼「わかば、どこに行っておった?三日ほど姿を見せなんだが」
わかば「隣の方丈の主が行方不明になってね、捜しに行ってたのよ。森の中まで」
御島媼「で?」
わかば「いたいた。タヌキの穴の中に。四日前の夜にね、子狸に化け方を教えろとか頼んでいたけど、それ以来姿が見えず」
御島媼「おや」
わかば「子狸が言うには、教師の免許をボクは持ってないので、付いてこい、先生を紹介するから、と」
御島媼「それで森の中へ・・・?一体何に化けるつもりだったのか・・・」
わかば「市長に化けて、議会で答弁するんだと」
御島媼「それはいい!あのな、『答える立場にない』ってあの発言」
わかば「この前話題にしたわよ。もう終わり」
御島媼「いや、どうにも虫が治まらぬ。三島救命救急センターに関して、確かに市はセンターの当事者ではないが、市長は法人の理事長じゃ。運営についての責任がある。市として救急体制を確保するという市民に対する責任もある」
わかば「珍しく興奮してるわね」
御島媼「いや、冷静じゃ。・・・よって、少なくとも運営に関する基本的考え方について、在り方について、市長は述べるべき。門前払いは、あってはならぬ。前回も言うたが、質問に答えないのは、その市議を通じて背後の市民の意思を無視したことになる。」
わかば「議員は市民の代表だもんね」
御島媼「税金を払う市民を無視する、これはいかん。市民は税金を払うのと引き換えにその税金の使い途の端々に至るまで監視する権利をもっておる。その権利の行使を、市長が邪魔していいものか」
わかば「なるほどね」
御島媼「古来、年貢を納める民を、お上は大事にしておった。百姓と書いて『おおみたから』と読ませるくらいじゃ」
わかば「ふんふん」
御島媼「わかば!態度が悪い!悪代官などもこのごろのドラマの話で、実際はみんな真面目に民を慈しんでおったものじゃった。まあ、付け届けは、盆暮れにあったがなぁ」
わかば「治水の碑は、あちこちにあるわね」
御島媼「然り。堤防の修理なども藩の力がないとできぬ」
わかば「ところでね、話を6月議会の一般質問に戻すけど、高木議員がとりあげた放射線副読本ね」
御島媼「日本の平常時の基準と外国の緊急時の許容値を横並びに示した、あれかなぁ」
わかば「そうそう」
御島媼「あれは、政府の宣伝ビラみたいものじゃ。放射線について科学的知識を与えるのはよいが、特定の色のついた宣伝はいかん。風評被害を防ごうという態度はよろしいが、いたずらに安全思想を植え付けるのは間違い」
わかば「そういうものは配布すべきではない、という・・・」
御島媼「高木議員の主張のとおりじゃ。この話を聞きながら、妾は思ったぞな。高槻教育は死んだ、と。昔なら文科省の言うとおりには、しなかったものじゃ」

8月22日「一般質問②」
わかば「三島救命救急センター、もう簡単にセンターって表現するけどね、いまは」
御島媼「ほい」
わかば「北岡議員のことばをそのまま借りるわ。『私が聞いたところでは、資金難を訴えた医師に対して、浜田市長は、辞めろ、と退職を促した、それをきっかけに職員が10人以上退職したと。それが違うというのなら浜田市長の口から、真実をはっきり述べてください』とね、一般質問の中でね。北岡議員の」
御島媼「で、市長の答弁は?」
わかば「担当部長が、センターを『適切に運用されるよう努めて参ります』だって。辞めろと言ってないっていう市長の否定がないんだから、北岡議員の発言は真実を述べていたと解釈できるわね」
御島媼「そうなりますわな」
わかば「でも、まあ、3問目に意見として述べていて、できたら答弁してくれって…。武士の情けとして徹底的に追求しないってことかしら」
御島媼「北岡議員も善いテーマを取り上げるなぁ。…言をもって人を挙げず、人をもって言を排せず。いつも裁判を起こすあの人の言うことなら聞かない、じゃなくて、市はなぁ、誰が言おうと問題は問題としていっしょに考えるという態度を見せなくちゃ」
わかば「市の答弁は問題だわね。センターの財政難については市が支援すべきではないか…との質問に対して何も応えない。だけど北岡議員は、それにもめげず、きちんと2問目、3問目と質問してる」
御島媼「君、君たらずとも、臣、臣たり、じゃなぁ。議員の質問を無視するのは市民を無視することに等しい」
わかば「大阪医大がセンターの移転先として適切なのか、北岡議員の質問を聞いていて、私も不安になったわ」
御島媼「高木議員も同じセンターの話を取り上げておったな」
わかば「クラウドファンディングは今3,300万円集まっているけど、センターの理事長は高槻市長だし、本来は市の仕事ではないかと」
御島媼「うむ、左様。財団法人であるセンターに救急業務の運営を市が委託しておるのじゃが、外部委託とは行政法上、本来は自分の業務じゃが特殊な専門業務であるなど、特性上、専門家に任せた方が効率的な業務を外部に依頼するものをいうのじゃ。依頼にあたっては予算措置も講じる。じゃから、依頼した後も放任じゃなくて運営状況を管理する責任はある」
わかば「そうすると、当事者なのに『答える立場にない』というのは?」
御島媼「変じゃな」
わかば「逃げてるのね!センターが財政難に瀕した、そこで手を差し伸べるべき市が何もせず、困ったセンターがクラウドファンディングを考えだし、見かねた市民が善意の金を出した…」
御島媼「そういうことじゃな」
わかば「救急患者を市が見捨てた!寄付金を出した人は、市民税との二重払い!」
御島媼「そういうことにもなる。都合の悪いことは答えないに限る」
わかば「もう!」
御島媼「高木議員が最後に言っておったが…」
わかば「何を?聞き落としちゃった」
御島媼「『答弁のないのは残念。センターの大阪医大への移転について不透明な部分が多すぎる。法人にまかせっきりではなく、行政もしっかり支援すべき』と、冷静に紳士的にな。妾なら怒髪天を突くところじゃが」
わかば「立派な態度ね」
御島媼「移転に伴って退職する人が出たりすると困るし、大変な問題であるがな、どうも市の真摯な姿勢が見えないぞよ。『移転まであと3年持ちこたえればよい』との言葉は、正鵠を射ておるかも」
わかば「ふぅ…」

8月21日「一般質問①」
わかば「ママ~~!」
御島媼「ややや、久方ぶりじゃに」
わかば「こう暑くてはね、今城の森から出るのも大変」
御島媼「ほんに」
わかば「でも、なんだか、あれこれひどい話ばっかりでね」
御島媼「何のこっちゃ」
わかば「日韓とか、市議会とか。それで、どうしても話したくって、来たのよ」
御島媼「カラクニ…なぁ」
わかば「国と国との約束を守らないって、ひどいとは思わない?」
御島媼「約束よりも大事な事があるんじゃろ。約束を守って政権が倒れる、では困るらしい。彼の国はもともと、恨(ハン)の国。国土は何回も外国に侵略され、麺棒のごとく戦火が行ったり来たり。外国に対する恨み骨髄。そんな外国との約束よりも、とにかく国が生き延びる事が大事。国が、というより、政権が、かもなぁ」
わかば「うん」
御島媼「文化的先進国である韓国が、朝鮮文化のおかげで文字を知った後進国日本に…」
わかば「は?」
御島媼「いえ、の。彼らはそう思っておる。後進国日本には、そして朝鮮を植民地化した日本には、何をしても許される、と信じておる」
わかば「だけど、わがままの度がすぎる」
御島媼「その、度というのも、日本人の感覚じゃろな。顔は似ておる…関西人は特にな、似ておるけれども、民族的起源は別の、まったくの別の国じゃ。日本人の物差しで見ては、いかん」
わかば「それもそうね」
御島媼「外交交渉だけで1000年生きてきた国じゃ。その方面の戦術はうまい」
わかば「日本よりも?」
御島媼「日本人は縄文の昔から素直すぎる。外つ国の人と付き合うには、その国の文化や国情をバックスクリーンに投影しながら、その国、その人を見なきゃ、な」
わかば「そっか。ま、韓国の話は根が深いからこれくらいにして、市議会なんだけど」
御島媼「ふむふむ」
わかば「一般質問を聞いててね、ショックだったのよ」
御島媼「ふふふ、三島救命救急センターのことじゃろ」
わかば「あ、当たり。真打ち登場って感じでね、二日目に出て来た北岡議員と高木議員が取り上げてた」
御島媼「今回の一般質問の目玉の一つと、妾も感じたぞよ」
わかば「それ、書くときは『わらわ』とひらがなにしたら?めかけと読む人がいるよ」
御島媼「ふほほ」

8月14日「植民地支配」
8月09日のBS-TBS・報道1930によれば、この頃の日韓関係につき、外国メディアは概ね韓国に同情的だそうだ。出演していた外国人コメンテーター曰く「いまの日韓問題の根源は歴史にある。かつて日本は韓国を植民地支配した。植民地支配は悪である。よって日本が悪い」というものだ。ちなみに、彼らは「一般的外国人は細かい事は知らない」とも話していた。
外国人の無知、あるいは日本の説明不足がここに表われている。外国人は、自国がアジア・アフリカの植民地に対して行った収奪を、日本も韓国に対して行ったと思い込んでいる。その思い込みを利用して韓国は、自国を正とし日本を悪とする国際世論作りを行っている。
ところが、実態は違うのだ。ヨーロッパ各国は、植民地から鉱物資源を奪い、換金作物を植民地の住民に作らせて利潤を本国に持ち帰った。今のヨーロッパの豊かさは、これに拠る。しかし日本は朝鮮に対しそのような事はしていない。日本が何をしたか。日本統治によって李朝朝鮮そのままの貧しかった大韓帝国は近代産業国家となっていったのである。その状況の詳細は、実証的研究に基づいた中公新書・木村光彦著「日本統治下の朝鮮」によって知ることができる。
日清戦争後の1897年、それまで清に服属していた李氏朝鮮が独立して大韓と国号を変え、朝鮮王は清国皇帝に対抗して大韓帝国皇帝となった。当時、ロシアも南下政策を進めていたが、日露戦争後に手を引き、日本は1910年に朝鮮総督府を置いた。日韓併合である。
併合後、総督府は米などの農業生産を飛躍的に増大させた。生産物の一部は商業ルートで日本に移出され売られた。また、製糸業、鉱業などの産業を発展させ、電源開発を進め、鉄道を敷いた。一方で教育機会の均等化(貧富の差や男女差別なし)も進めた。これら近代化の過程に朝鮮人の活躍もあった。
統治に必要な経費は、朝鮮内部の租税のほか日本からの補充金や公債によってまかなわれた。1911年から1936年のデータをみると、この補充金・公債の額は少ない年で1400万円、多い年で4千万円に上り、歳入の35~60%が日本本国からの送金で支えられている。それは日本の国家予算・歳出額のざっと2%から4%に相当し、今の額で言えば毎年2~4兆円を朝鮮統治に投入していたことになる。植民地から利益を得たのがヨーロッパであり、「植民地」の近代化のために国家予算を充当したのが日本である。
ただ、皇民化という政策が、あった。創氏改名は悪政だと私は思う。民族文化は否定すべきではない。また二等国民云々の差別もあった。それらにつき謝罪すべき部分もある。
何事においても、実態を客観的に把握し、総合的に判断すべきだ。非科学的・情緒的な植民地同情論が世界の主流となってよいはずがない。(黄鶴仙人)

8月07日「統一新羅」
毎朝毎晩、日韓関係のニュースが賑々しい。
韓国とはどういう国か。それを知るための史料がある。書名は「三国史記」。西暦1145年(以下年号はすべて西暦)、当時の高麗の文官であり学者でもあった金富軾が古代朝鮮の百済・新羅・高句麗三国の歴史をまとめたものだ。朝鮮半島初の歴史書である。
668年高句麗滅亡後に統一新羅が成ったが、三国史記によると、この統一新羅という国は、しばしば唐と戦っては謝罪して許されるということを繰り返している。
671年6月、統一新羅は旧百済領内に駐留する唐軍に攻めかかった。旧百済は朝鮮半島の南西部に位置する。直後の7月、唐から譴責の使者が来て国の存亡の危機となったとき、譴責の手紙に対する謝罪文として長文の書を返した。その長さは、日本語訳の三国史記(1974年三一書房発行)で8ページ、約7,000字に及ぶ。先王以来唐には恩を受けた、謀反の気持ちはない、百済に騙された、嵐で使者が唐に行けず忠誠の気持ちを伝えることができなかったなど、言い訳が山ほど書いてある。そして、許された。
しかし翌672年8月、今度は北の旧高句麗領内にいた唐軍を攻めた。9月、そのリアクションとして旧百済駐留の唐軍が本国からの援兵と共に進軍し、国が危うくなると、唐に使者を送り謝罪文を奉じて許しを乞うた。その文には旧百済残党に攻め込まれたためやむなく戦ったと言い訳し、仁徳は昆虫にまで及ぶなどと皇帝を持ち上げ、皇帝の裁判に服する、「死罪・死罪」と結んでいる。このときも許されている。謝罪文には、旧高句麗領を攻めたことの反省は一言も書かれていない。
674年から675年にかけても同様の事件があり、また使者を送って許された。謝罪しつつも、旧百済・旧高句麗を唐の管理下から統一新羅の管理とし、領土を拡張している。
攻撃しては謝罪し、許され、多くの月日を経ぬうちに以前のことは忘れたかのように再び攻撃し、また謝罪する。その一方で実利は手にする。ここに統一新羅の特色がある。
長くなるが、ついでに百済。百済人の性格が興味深い。新羅に攻められ寡兵で小城を守る百済の将(名前は残っていない)は、降伏を勧められても「戦って死すとも生きて降伏はしない」と叫んだ。階伯という将軍は百済滅亡の淵に立ったとき、「敵の奴隷となって生きて辱められるよりは堂々と死ぬ方がましである」と言って妻子を殺し、五千の兵と共に新羅を迎え撃ち、玉砕した。
この百済の多くの人士が日本に亡命し近江朝廷の力となっているのは、日本書紀に明らかである。(黄鶴仙人)

8月06日「広島原爆忌」
昭和40年代の前半を私は広島近くの街で過ごした。広島は、瀬戸内海を前にした明るい県都だった。
しかし、広島では、子ども達は皆この歌を知っていた。「ふるさとの町焼かれ 身寄りの骨埋めし焼け土に 今は白い花咲く ああ 許すまじ 原爆を…。」
そして、屋根の鉄骨が曲がったり壁のレンガの色が変わっているなど、これが被爆した跡だと教えられた建物が、20年を経ても多く残っていた。ある銀行の入り口の石段に座っていた人が被爆死した跡、いわゆる「死の人影」も薄黒く残っていた。
出入りのクリーニング屋さんは、端正な顔立ちでいつもネクタイを締めていて、ユーモアのわかる男で、そのころ30代の後半くらいだっただろうか。彼には娘さんが二人いた。しかし、上の娘さんは10才で亡くなった。白血病だった。娘さんは戦後の生まれだが、彼とその奥さんは被爆者だった。その2年後、下の娘さんも同じ病で亡くなった。そして、夫婦だけが残る家庭になった。
広島に落とされた原爆は、爪痕を残すだけでなく、戦後を生きる人々をも支配していたのを目の当たりにした。
まだ若かった私は、そのとき、クリーニング屋さんにかける言葉を知らなかった。今でも…いや、今は尚更、わからない。子どもが10才以上には育たない運命を背負わされた彼に、何を言うべきか。何の落ち度もない一市民が、国の失策による重い責めを一身に受けている、その姿に対してどんな慰めが言えるのか。
そして思う。今の為政者…国、地方を問わず…が、自分の過ちの結果が形になって現われたとき、何を言う覚悟をもっているのだろうか、と。(黄鶴仙人)

8月02日「議会だより:一般質問者名(その2)」
朝から暑い~。Tenki.jpの予測によれば高槻では15時に37.8℃。パリ協定を無視してCO2を排出し続けているアメリカと中国に冷房費を請求したいものだ。
昨日も暑かった。その暑い中、調べてみた。議会で一般質問をした議員名を議会だよりで明記しているか否か、大阪府下の全市町村について。各市町村の議会だよりを読んでいると別の意味でも興味を引く話がいろいろあって、つい時間がかかった。それはともかく、調査結果は次のとおり。
議員名を書かない市…堺、豊中、高槻、富田林、高石の5市。高石は質問項目のみで内容不明。堺は独立した議会だよりがなく、市の広報誌に議会の動きを掲載するが、議案に対する質疑と一般質問を明確に区別していない。5市の人口計約175万人。
会派名のみを挙げる市…交野、池田、寝屋川の3市。一般質問のページは、どの会派がどのような質問をしたかを紹介し、併せて質問をした会派の構成員全員を記載する。会派の姿勢はわかるが、誰が質問したのかがわからない。3市の人口計約41万人。
議員名を書く自治体…上記以外の35市町村。顔写真を載せる自治体も多い。その顔写真の大きさが、人口の少ない市町村ほど大きくなる傾向がある。地域社会が生きていて人のつながりが強いためだろうか。35市町村の人口計約667万人。

調査中に気づいたが、市によっては声の市議会だよりを作成している。議会だよりをそのまま読み上げたものだ。これは善い。また、一般質問だけでなく議案の質疑も議員名を明記する市がある。これも市民にとってはありがたいことだ。議会だよりの中に議員が活き活きと見えるから。四條畷市議会では、市長の施政方針に対し、会派に属さない議員も質問していた。無言の行がない議会は善い。
調査中に偶然ヒットしたが、毎日新聞が政令市議会について本稿と同趣旨の調査をしていた*。それによると、全国20の政令指定都市のうち、一般質問をした議員の名を書かないのは、横浜・岡山・福岡・堺。会派名のみを書くのが横浜。質問者をまとめて掲載するのが、さいたま・北九州・相模原で、要するに8市は誰が質問したのかわからない。一方で、12市、つまり半数以上が議員名を明らかにしている。
議会で誰が何をしているのか、それを伝えるのは当たり前のこと。多くの市が当然のことを行い、多くの人が当然の恩恵を受けている。なのに高槻は…。
*  https://mainichi.jp/articles/20180702/ddm/041/010/092000c

(黄鶴仙人)

7月31日「議会だより:一般質問者名」
あれぇ?と、思った。
何十年も高槻市の議会だよりしか読んだことがなく、そこでは一般質問については内容が簡単に書いてあるっきりで、「誰が」質問したのかはいつも書かれていなかった。どこの市町村でもそうかと、何となく思っていた。
ところが、お隣の島本町の議会だよりを目にする機会があり、一般質問のページを見ると、質問者の名前が書いてあった。あれま。
他の地はどうか。大阪府下、人口の少ない街の順に調べてみた。結果は、能勢・田尻・太子・岬・河南・忠岡・豊能・島本・熊取、全町が、一般質問議員名を明記していた。町によると顔写真入りで。そのスペースは島本町では1人当たり3分の1ページ、河南町が1ページ、他の町は半ページで、多くの町が質問者の責任でその原稿を作成した旨を付記していた。顔写真を入れると文章のスペースが減る。悩ましいところだ。
いつ、どこで、「誰が」、何を、どのような理由で、どのように。5W1Hは人に何かを伝えるときの基本的な要素だ。何が欠けても情報伝達にはならない。新聞記事でも同じだ。なのに、なぜ高槻市議会だよりは「誰が」という要素、一般質問者名を書かないのか。いつも質問しない議員の、負の仕事ぶりが見えるからいやなのか。支援してくれる人へのアピールは不要なのか。同調者を増やす必要もないのか。詳細は議事録や本会議の映像でわかるからよいのか。しかし市政に特別の興味を持つ人はともかく、誰が、いちいちそんなものを調べるだろうか。パソコンも持ってない人はどうするのか。ふだん市政に興味を持たない人こそ、読者としてターゲットとすべきなのに。
とにかく高槻市議会だよりは欠陥品だ。この4月から若い議員が増えたが、この欠陥に目をつぶるのだろうか。
他市はどうか。いずれ調べてみよう。(黄鶴仙人)

7月30日「代表質問②」
前述のとおり、代表「質問」は、市政を「ただすための問い」を発する場である。そこでは、市長の施政方針に対抗する政策案が述べられ、市長案とのメリット・デメリットの比較衡量など、両者の巴戦が展開される事が望ましい。二つの対立・切磋の中から、磨き上げられた政策が生まれるものであり、この場にこそ二元制の意義があるのではなかろうか。
しかし、そのような光を当てたときに反射してくるものは少なかった。会派独自の提案がないわけではない。共産党議員団の国保に関する子どもの均等割の減免、市民連合の防災コミュニティ、自民・無所属の運転免許返納者に対する市営バス優待パスなど、なるほどと思わせた。公明党も、それが党の特色の、市民生活に根ざした具体的な提案もあった。が、市長の答弁は、国・府に要望を続ける、検討を進める、可能性をさぐる、などの表現で身をかわした感じで、熱のこもった真剣な議論はなかった。お役所の会議、なのである。
そして、多くの会派に共通していたが、あるテーマについての具体的な施策の内容や検討状況を尋ねたりする場面が多く、代表質問の品格を落としていた。市長礼賛もあった。不要なのだが。維新に至っては何ら具体的施策の提案はなく、意味のない抽象論に終始した。得票数の多さを誇る発言があったが、いただけない。それは市民の期待の大きさを示すものであり、能力との対比において慄然とすべきものである。謙虚さこそ求められる。
もうひとつ、議員に求められる資質として弁論術がある。論旨・論調・態度の三要素において聞く人をうなづかせる必要がある。この点、自民・無所属の真鍋宗一郎議員の弁論は耳に心地よかった。将来性に期待したい。(黄鶴仙人)

7月26日「代表質問①」
寄席ほど面白くはない。映画ほどドラマティックではない。だから人はだいたい、足を向けることはない。しかし市議会の市長の施政方針演説と代表質問は、市民生活にとって重要なイベントである。
高槻市議会では代表質問は3人以上の会派の代表が行う、ことになっている。そういう会派に属していなければ代表質問の世界から遠ざけられる。この日一日無言の行だ。しかし、これがそもそも変だ。2019年市議選のデータによれば、無言の行4人の議員は11,085人もの市民を代表している。それは代表質問を行った会派のうち、立憲民主党たかつき10,963人・市民連合議員団9,729人より多い。それだけ多数の市民の意向が何故無視されなければならないのか。国会での代表質問は、国会法にも衆議院規則にも定めがない。市議会でも高槻市議会会議規則はなんら触れることはない。単なる先例・慣習に過ぎない(慣習も法といえば法なのだが)。こんなもの、即刻改めるべきだ。無所属議員1人1人が登壇する時間がないなら、質問主意書のようなものを提出するのもいいし、4年の任期中の輪番でもいい。古い慣習よりも本来の意義や現今の必要性を重視すべきだ。
そもそも質問とは何か。「質」はもともと、鉞(まさかり)二つと貝から成る。大きなモノを二つに分けた状態だ。取引において財貨を求めるために差し出した相当物を意味する。「ただす」と読むときは、①疑問を尋ねる、②正しくする、③定める、④平らかにする、という意味になる(小学館・新選漢和辞典)。
議会においては、個別の議題について疑義を申し立てるときは①に近い意味をこめて「質疑」と称し、政策一般についてその方向を糺し、意見を出すときは、②の意味をもって「質問」という。だから代表質問は、市長の施政方針を材料にその文言の意味を尋ね、また施政方針の詳細を述べさせる呼び水であってはならない。市民のナマの生活の中にある問題を明らかにし、その解決策となる政策を展開するもの、いわば市長施政方針への対立軸を具体的に示すものでなければならないと私は思う。この観点からみて、今年の代表質問はどうだったか。さて…。(黄鶴仙人)

724日「地方政党の価値」
もし私が国政を牛耳る党の幹部だったら…。
私の夢は改憲。敗戦のあと勝者に押しつけられた憲法ではなくて、本来の日本のあるべき姿を謳った憲法をこの国にもたらすこと。これができれば私は歴史に残る。
改憲のためには数が要る。発議に必要な国会議員の3分の2の数だ。自党だけでその数がそろえばよいが、なかなか困難だ。他党の協力を求めよう。そのためには大臣のポストも準備する。また他党のやりたいことも大目に見る必要がある。
それは例えば都構想。副都など不要だが錯覚も夢の内。しばらく夢を見させておこう。そのために自党の議員が府知事選敗戦で1人くらい犠牲になるのはやむを得ない。犠牲者はどこかで復活させよう。万博と言うならそれも援助しよう。そのための予算もつけよう。赤字になったら、地元に負担させればよい。もともと地元の要望だから地元負担も当然だ。IRと言うなら、それもよし。地元の風紀紊乱とか賭博依存症の増加など悪影響があっても、影響はその地方だけのことで国全体には及ばない。そうやって、改憲までは彼らの勢力を維持し、手元に置くことに努めよう。彼らに政策立案能力など必要ない。むしろ邪魔だ。改憲発議で「賛成の諸君は…」と声がかかったとき、隣の席の議員が手を挙げたら、合わせて手をあげるだけでよい。そこに彼らの価値があるのだ。ふだんは何も難しいことを考えなくてよいのだ。

さて、今回の参院選の結果は…。まずまずだな。(黄鶴仙人)

7月23日「改憲?」
政治の混迷の元凶を見た。政治のわかりにくさの真の原因が判明したと言ってもよい。それは安倍総理にあった。
今回の参院選の結果、改憲の議論を進めるべきと国民の審判は下った…と、おっしゃる。我田引水ここに極まる。
自公で過半数になった、それがそのまま改憲の民意なのか?今回の参院選は改憲が争点だったのか?むしろその話は避けていたのではなかったか?にもかかわらず、選挙が終われば改憲の話が出てくる。はぁ?ってな感じなのだ。スーパーに米を買いに行ったら、店の主人が出て来て「あなたに必要なのは家です、あなたが買いたいモノはこれです」と言われたに等しい。そりゃま、いずれ必要だけど今はとりあえず空腹を満たしたいのに。
政治とは何なのか。国民に必要なことをやることなのか、政治家としての自分に必要な事をやることなのか。昨日のNHKの特別番組もそうだったが、民意はここにあると主張するとき、どの程度きちんとした調査に基づく発言なのか。自党に都合の良い推測では困るのだ。
いま、困っていること、将来困ること、それは経済の発展に裏付けられた生活の安定であり国際的な平和の維持だ。その国民の気持ちや意見がそのまま国会で議論され、また折々に国民に説明される、そんな筋道の通った政治が望まれるのだが、さて…。(黄鶴仙人)

7月22日「参院選
Kさん、Mさん、しばらく会っていませんが、お元気のことと思います。大変なお仕事、いつもごくろうさまです。
2019年の参院選が終わりました。ご感想は?
…って、お尋ねするまでもないですねぇ。憤懣やるかたなし、これからの日本はどうなるのか、考えない人が増えている…なんてね、黄色じゃなくて焼け焦げた黒色の声が聞こえてきそうです。
この投票率の低さ、何でしょうねぇ。政治への絶望でしょうか。一票入れたって何も変わらない…。実際、そうおっしゃる方がいました。近所にね。けっこう高学歴の、大阪では最高学府と目される大学のご出身なんですけどね。そんな方でも、そうなんです。そんな方だから、と言うべきでしょうか。フツーの国民の立つ位置から見た、まっとうな政治の遠いことったら、ありゃしない、と。
この参院選の結果を見ると、たしかに、むなしい気分にもなりますねぇ。身を切る改革とは具体的に何かと問われても応えられない、何もしっかりした考えを持っていない人が上位当選して、日本のためになりそうな学識豊かな人や地域での住民相談の経験豊富な人が落選する、こんな状況を見ますと、中国共産党の幹部が言うように、国民はまだ民主主義を使いこなすほど成熟していないのかもですねぇ。お祭り騒ぎのように投票し国の行く末を○〇な彼らに委ねて、そしていっしょに破滅に向かって走っていますが、そのことに気づいていませんから。このまえ松浦武四郎のドラマを見てたら、彼は馬角齋と号していたんですね。そこまで知りませんでした。私も今回の参院選の大阪の結果を見て、そう言いたくなりましよ。
参議院は良識の府。だったんですよね。昔は。あ~あ。
あ、そうそう、維新に対して新撰組。この対比は面白かったですね。特定枠を設けて自分は3番目に座った山本太郎、男ですねぇ。見直しました。
選挙の度に、なんか疲れますねぇ。でも新撰組に土方歳三みたいなのが出てくるかも。また、がんばりましょ。     (TOT)

7月20日「参議院選挙の選挙公報③」
19参選挙公報にみえる日本維新の会(以下本稿において「維新」という)の他の候補者、梅村みずほ氏に対しても疑問が多い。
「大阪はいま、大きく成長…」の根拠なのか具体例なのか、4項目が列挙されている。しかし…。
ⅰ万博の経済効果1.9兆円…は、独善的だ。万博が赤字にならない保証はない。やってみればわかるが、経済効果の試算というものは、前提次第でどうにでも変わる。それは幻の数字だ。言葉巧みに人に幻想を与えて味方に引き入れる。これは大衆誘導術の一つだ。
ⅱうめきた再開発を挙げるが、大阪市ほかの産学官から成る「大阪駅北地区まちづくり推進協議会」が基本方針を定めたのは2004年7月。翌2005年10月に着工、2013年4月にグランフロント大阪がオープンしている。一方、「大阪維新の会」が産声をあげたのは2010年。離合集散の末に今の日本維新の会ができたのは2016年。時期から見ても、大阪駅の北地区の開発に維新が貢献したと言えるはずもない。貢献していないのに我が手柄として書く。これはおかしい。大阪市長が維新系になった後にこの開発事業を継続するのは、それまでの経緯から市長として当然のことだ。功績とはいえない。
ⅲG20大阪サミットだが、外国のどのメデイアがOSAKAを特別の都市として褒めたたえたのか。私は寡聞にして知らない。これも独善的だ。聞く人は何も知らず、そうかと思いこむ。
ⅳ大阪城入場者云々は論外。国政レベルの話ではない。参院選は日本のための政治家を選ぶのであって大阪のためのものではない。
維新のいう「大阪の成長」は幻想だ。「身を切る改革」も実体がない。大衆受けする言葉を選び、それを連呼する。連呼している内に本人もその気になるのだが、それはともかく、耳に心地よい言葉でもって聞く人に錯覚を起こさせ、人心を集める。幻想と虚飾の集団、維新の選挙戦術はうまい。が、日本存立の根幹にかかわる政策は持たない。それでもよいのだ。国民の大半は選挙の後の当選者が何をしているのか、興味を持たないから。維新は、そのレベルに留まる国民の政治意識をも計算に入れているようにみえる。この2人を選ぶ大阪の明日は暗い。ものの見える人がもっと増えてほしい。
内容のない維新の候補者の欄とは違い、維新の会の虚飾を見破り、ふむ、なるほどと思わせる文章を19参選挙公報に載せた立候補者もある。21日の投票の結果がどうあろうと、こういう爽やかな人も日本にいて政治のあるべき姿を唱えているのは嬉しいことだ。明日への希望につながる。(黄鶴仙人)

7月19日「参議院選挙の選挙公報②」
19参選挙公報をみて最も不審に思ったのは日本維新の会の2名だ。2名とも事実に立脚しない空想的表現が多いのは共通しているが、政策案に共通性がない。
まず、東とおる氏に関する疑問点は次のとおり。
ⅰ「大阪は未来への希望あふれる都市になりました。」とは、何をもってそう言えるのか。それが統計のどこに表われているのか。労働者の給与・人口動態、何を見てもその逆の現象ばかりなのだが。
ⅱ「行政の構造を変えれば、都市が変わる。活気が生まれる。」とあるが、その実例をあげてほしい。過去の日本にそのような事実があったか。高度成長時代の都市の活気は人口増加と産業構造の転換によるものであって、都だろうが市だろうが、そんなことには関わりがなかった。それと、国政選挙でなぜ大阪の話を出すのか。大阪が国を変え得る根拠は何か。
ⅲ「民間の活用など徹底した行政改革によって、国家公務員の定員を削減する…」とあるが、国民のために必要だが営利が見込めず民間ではできないことを国がやっているのだ。国と民との役割分担をどのように考えるのか。また、国家公務員の労働状態を知った上で今以上の定員削減を主張するのか。過労で心を病む国家公務員がどれだけいるか、調べてみてほしい。国会議員には国政調査権があるはずだ。
ⅳ議員報酬の約2割を被災地に自主的に寄付することが、なぜ身を切る改革なのか。18万円の寄付(=逸失利益)は身を切ることなのか。被災地への寄付は自分の損失という認識なのか。そもそも寄付は第三者に対して誇るべき行為か。議員としてやるべきことは、個人的な寄付ではなく政策としての被災地救援策の立案実行ではないか。
ⅴ維新の政策は、年金・医療・地方分権だけなのか。我が国最大の問題である人口減に対する政策・国の借金など、優先課題について述べるべきではないか。(黄鶴仙人)

7月18日「参議院選挙の選挙公報①」
今年4月の高槻市議選の投票に当たって、候補者が乱立して誰に投票していいか判らなかったので奥さんと同じ名前の人を選んだ…と、堂々と新聞に書く大学の先生がいたくらいだから、選挙公報を読む人は少ないのだろう。しかし、立候補者の政見をじっくりと見るためにはこれが一番なのだ。TVの政見放送では、さらさらと流れる言葉の影に重要な発言を聞き落とすことがある。何かの言葉で引っかかって、あれ?と思っているうちに話が進んでしまうこともある。耳に入る言葉よりも文章の方が正確に立候補者の人となりを示すのだ。
そこで、2019年の参議院大阪府選出議員選挙選挙公報(以下「19参選挙公報」と略す)だが、これを見ると、政治家とは何なのか、あらためて考えさせられてしまう。
人の生存にかかわるあらゆるもの・ことを対象とするのが議員なのに、単一のテーマしか扱わないのは政党としてスタート時点から失格だ。
将来の夢を語るのも政治家の仕事だが、時代の流れを知らず現実を見ず、幻想の中で愚策を誇大宣伝して国民をミスリードするのは詐欺以上の不法行為だ。
過去の不都合な話は忘れたふりをして、理念だけを抽象的に言われても信用・信頼できない。
人気取り政策を並べて有権者を誘い、自分が6年間政治家で居ることだけが目的ではないかと疑いをもってしまう立候補者もいる。
以下、各論に移る。         (黄鶴仙人)

7月17日「誠実さ」
「希望するみんなが保育園に入れる社会をめざす会 」というのがある。その会が、選挙区・比例代表すべての参議院選立候補者に対して、子育て政策に関するアンケートを送った。その回答状況が公開されている。

参院選2019 #子育て政策聞いてみた 候補者アンケート結果


同じ党でも候補者によって答えぶりが違うのが面白いけれども、私が注目したのは、誰が回答したかという党別の態度だ。7月16日18時40分現在、積極的に回答しているのは野党、特に共産・立憲が真面目な対応だ。一方与党は消極的で、東京・神奈川・千葉・大阪・京都・兵庫の選挙区では自民公明は誰も回答していない。維新の会も僅少で、東京選挙区に1人の回答者がいるだけだ。比例代表でも自民2、公明ゼロ、立憲7、国民6,維新2,共産15という回答状況である。
ここに候補者の人間性が表われていないか。草の根の会のアンケートにも真摯に応える野党候補者。対して、票にならない微細な組織の問いは無視する政権与党、そして維新。どちらが誠実でどちらが傲慢か。国民の声を聞こうとするのは誰か。それがよくわかる。
もちろん誠実さだけが政治家の要件ではない。国際関係の激しいやりとりの場にあっては強引さや脅迫まがいの口舌も必要である。しかし、人柄というものは人種や宗教や国籍を超えて伝わり、人を動かし、国と国との信頼関係まで作る。それを私は、かつてアフリカの西の果てで見た。もちろん私のことではなく、敬愛する同僚の仕事ぶりが、そういうものだった。(黄鶴仙人)

7月16日「人として」
人としてどうあるべきか、どうあらねばならなかったか。己の行動を省み他人の行動に照らしてそれを本当に悟ったのは、仕事を辞めて名利得失の世界から離れた後だった。そうなる前の自分は、どれほどの人を傷つけ、どれだけの幸から自分を遠ざけたのか。遠いところのあちこちに忘れ物をしてきたが、もう取りに戻ることはできない。
自分や自分の属する組織にとってではなく社会的に正しいことを断固実行していれば、あの人は救えていた。彼らが大事だと思うものを自分も大事にしていれば、あの人達にはもっと笑顔があり自分も幸せであったはずだ。知識を増やし美しいものを美しいと愛でていれば、これまでの我が人生はもっと豊かであっただろう。具体的には言えないが、遠い遠い時間の向こうに、私はそんな限りない悔恨を置いてきてしまった。
翻って、そういう眼で政治家を見たら、どう見えるか。ちょうど、手元に参議院選挙の選挙公報がある。開いてみると、自分にとってだけ大事なモノを押しつける候補者がいる。文化の香りがまるでない候補者がいる。社会の構造が何も見えていない候補者がいる。
道半ばの彼らではあるが、今後の可能性を見出して、それを基に投票することにしよう。人として何如か。そういう選択の基準があってもよいだろう。
それにしても海の向こうのスペードのエースのような大統領は…。いや、やめておこう。愚民愚政は古今東西、常にある。(黄鶴仙人)

7月08日「府内各市町の政活費一覧」
不明を恥じるが、今回初めて府内各市町の政活費の状況を調べてみた。その結果を人口と共に図に示す(大阪市においては会派に属さない議員に支給される額を示した)。概ね人口の少ない町や市は政活費も少なく、政令指定都市は高額の政活費を支給されている。
行政体によっては、政活費に対して厳しい考え方を取るところがある。島本町はもともとその制度がないし、泉南市は2016年8月から廃止した。また交野市は過去には月額5万円だったが、2018年度4万5千円、2019~2020年度1万8千円と、減額の途上にある。河南町は2015年4月から2018年9月まで凍結していた(2018年10月以降1万5千円)。茨木市は2018年10月、それまでの月額4万円を2万5千円に減額した。大阪市は先般紹介したとおり複雑だが、いま、10%削減している。それでも毎月42万7500円(会派に入っていれば51万3千円)で、2ヶ月に一度の私の年金より多い額を毎月もらえるんだと聞けば、もう眼が回る。忠岡町は月額5千円でがんばっているが、大阪市と忠岡町の議員の活動の間に100倍の差があるものだろうか。1割削減してもなお40万円以上あるのでは「身を切る改革」が虚しく聞こえる。「…の改革」は、所詮は人気取りの甘言だとよくわかる。
翻って、高槻市はといえば、他の中核都市よりは少ないものの、お隣の茨木市と比較すると動きが鈍いと言わざるをえない。高木議員の使用額と活動状況を併せ思い出すとき、そして印象に残っている二木元議員の使用状況を思い出すとき、政活費なんて不要ではないかとの結論に至ってしまうのである。(黄鶴仙人)

7月05日「大阪市議会での政活費不正使用by維新」
返還すれば済む話ではない。議員辞職すべきだ。
7月2日昼・夕の毎日新聞ニュースメールによれば、大阪市議会の広田和美議員(2019年度は議長)は2018年度の政活費を会派である維新の会の活動に使っており、毎日新聞の指摘を受けて返還した。使用及び返還した額は約75万円。使途は大阪維新の会として同議員が行った大阪都構想タウンミーティングの案内文印刷・発送、受付人件費、会場使用料などだ。
使途を間違いました、返還します…で、責任を果たした事になるか。ならない。責任を取るとは何かを失うことである。責任を果たすためには議員としての地位を返上すべきだ。政活費を使うに当たってどのような活動ならば支出してよいかの判断ができなかった、そこが議員としての資質を問われる大問題なのだ。条例に対する理解力のない、判断能力のない議員に議員としての資格はない。やめるべきだ。
ちなみに、高槻市の政活費の手引には「政務活動費を充てることができる経費の範囲」があって、それには「所属する政党や政治団体に関する活動」のための経費は範囲外だと、わかりやすくはっきり書いてあるのだが、大阪市の手引(*)はそこまで親切に書いていない。それでも、政活費が政策研究のための経費であって大阪維新の会の宣伝活動に使えないことは容易に理解できる。
もう一つ問題がある。大阪市の場合、会派、会派と議員または各議員に政活費が支給される(*)のだが、大阪維新の会大阪市会議員団は会派として受け取り、処理している。そして、収支報告も代表者・経理責任者の記名押印があり会派として報告を行っている。つまり組織として政活費を預かり運用していながら、広田議員の違法な使用を容認していたのだ。日本は法治国家である。何事も法に従い、行動せねばならない。その遵法精神のない団体が、政党の看板を掲げて君臨している。これは異常だ。(黄鶴仙人)
*大阪市の政活費手引より 政活費の使用目的及び支給額

7月04日「記念日」
今日、アメリカは独立記念日。そして私たちにとっても、2014年に当高槻市議会議員活動白書のHPを立ち上げた記念日なのだ。
あれから5年。はじめは全くいなかった訪問者も徐々に増え、2015年の統一地方選の日は100人を越えた。そして2019年の選挙の際には、公示から投票日までに1000人を越えた。誰に投票するか、投票の参考となるデータを求める人もけっこういるものだと、感心した。
実を言うと、このページを預かる私は、政治は嫌いだ。自己顕示欲にまみれた者たちの欲得の世界、汚濁の海は、あまり見たくない。しかし、そんな海にも高い理想を掲げ続けている人もいる。そういう人は正当に評価すべきだ。また汚濁の海もそれなりに伝えなければならない。評価する、伝える…、どうやって? 幸いに日本には言論の自由もあるしインターネットという手もある。対象を高槻市議会に絞り、客観的なデータを示すため、もう少し、このHPは続けよう。
さて、昨日、日本記者クラブ主催の党首討論会が行われた。これがラジオで流れていた。
誠実に政策を訴える立憲民主党、共産党、国民民主党、民社党に対し、自民党総裁は、政策を訴えるよりも共闘を進める野党の弱点を突き、討論を聞く人に野党の力のなさを印象づけようとしていた。政策の異なる党がいっしょにやっても「あとでバラバラになる。決められない政治の再現」と言ったが、それは国民の意思と違う事を決める政治よりはマシだし、小沢・鳩山といった壊し屋のいたかつての民主党と今の立憲民主党は違う。総じて、アベノミクスの客観的な評価は言わず(言えず)、他党をおとしめよう、欠点をあげつらって他党の支持を減らそうとする品のなさは聞くに堪えず、途中FMの音楽に切り替えてしまった。
この安倍総理・自民党を支持する国民が多い。事実を何も見ようとせずムードで物事を決める人達だ。この存在が日本を誤らせる。大東亜戦争前の日本もそうだったのだが。(黄鶴仙人)

7月03日「政活費の領収書」
高槻市議の政活費について、市議会のHPで平成29年度分から領収書が公開されるようになった。一歩前進のように見えるが、私はそうは思わない。使用した額は証明されるが、その内容が市議としての政治活動に伴うものであるとの証明にはならないからだ。
例えば「旅費及び交通費」だ。ガソリン代、ICOCAチャージという使途が見えるが、ガソリンを使って、或いは鉄道を使って、どこに何をしに行ったのか。全くわからない。これらの詳細を記した日誌のようなものを作って提示すべきではないか。公金なのだから、それくらい当たり前だ。ガソリン代もプリペイドカードも私事で使うことがあるから50%に按分することになっているけれども、それでも毎月の上限5千円×12ヶ月、年6万円のガソリン代など年金生活者から見れば大金だ。更に、ICOCAが問題だ。月5千円ということは、JR大阪に9~10往復する額だ。年度末の残はどうしたのか。そして、本当に交通費だったのか。ICOCAは飲食にも使える。スーパーやデパートでの買い物もできるらしい。こと金銭に関する限り、私は性悪説に立つ。
添付したグラフは、公表された平成29年度政活費のうち旅費及び交通費の使用額である。ただし、中村・強田・出町・宮本各議員については会派共用費の旅費及び交通費の4分の1を計上した。高木議員は使用額ゼロだからグラフの棒がない。(黄鶴仙人)

6月28日「G20」
人間を見ることのないまま山の上に3日もいると、タヌキ・テンなどの小動物や虫の声、樹木の息づかいまでが聞こえるようになる。小動物は下痢をしていても風邪でクシャミが出ても、餌探しを怠ることは1日たりともできず、鶏肉の破片でも見つけようものなら欣喜雀躍、親子兄弟の義理も忘れて奪い合う。蟻は食べ物を求めて歩き回り(同じ場所を歩くことはない)、パンくずがあれば自分で少し食べ、軽くしたうえで、数メートル先の巣に運ぶ。人間の住む室内に入ってしまった蠅は、人間の食べ物にも魅力を感じつつ、出口を求めて焦っている。樹木は光を求めて伸びを競い地中で水や養分を捜して菌類と共に根を伸ばす。みんな一生懸命に生きている小さな命なのだ。そして山の自然にとって、すべてが大切な存在なのだ。
しかし大阪では今、一生懸命生きている人間が大切にされていない。交通は遮断されて庶民の日常生活は止まっている。そこに存在と活動が許されているのはG20に集まった「要人」だけ。維新(と安倍政権)の政治姿勢がここに現われている。
一体誰のため・何のための政治なのか。それは言うまでもなく市民のための政治であり、市民の幸せのみを追求するのが政治であって、1日たりとも市民が不便をかこつことがあってはならない…と、思うのだが、維新府政は違う。G20誘致から見える彼らの思想は、叢生う(むれおう)民草は踏みつける対象であり政治家を支えるモノでしかない、テキトーに言葉の餌を与えて騙しておけばよい、大事なのは政治の中央に座る自分、ということだ。
自然界においては、それを構成する何かが失われれば、バランスが崩れ自然は破壊される。人間界において市民が大事にされなかったら、やはりこの人間界も破壊される。そのとき政治家だけが生き残れるはずもない。(黄鶴仙人)

625日「不適格者」

毎日新聞に一つの記事があった。記事を読んで思う。この人は完全に不適格者だ、行政庁の長は辞めて、別の仕事に就いたほうがいい。…その印象を与えるための記事だろうけど。

自民党所属大阪市議への毎日新聞記者の取材を副首都推進局職員がこっそり録音していたことに対し、松井大阪市長は、
①問題ない。役所として議員の話を把握したいのは当たり前。

②議員が役所の廊下で話したことを無断で録音されても文句は言えない、公権力を使っているわけではない。

と、語った旨、毎日新聞が報道している(ニュースメール)。

①については、反対派の動向につき公務員を使って調査させようとしているのだが、検閲につながる思想で、極めて危険だ。公務員に違法な公権力の公使をさせた上司は教唆犯となり問題なのだが、それがわかっていない。市長の職権を使って維新として他党の情報収集をしていたのだとしたら、もっと大問題だ。
②については、まず実態把握ができていない。議員の発言ではなく、取材行為を役所が録音していたのであって、報道の自由を制限するものである。また公権力の行使とは、国家賠償法においては、売買など純粋な私経済作用、建物などの設置・管理を除く全ての作用をいうのであって、逮捕や家宅捜索など強制力を伴う行為だけをいうのではない。松井市長はそれを知らない。行政法の勉強が足りない。行政法を知らずして行政に携わる、その被害者になっているのが大阪市民だが、彼らに被害の自覚がないとしたら、かえって幸せだ。取材を録音されたことによって毎日新聞記者は何らかの損害を被っていたら、国家賠償法に拠って府または市に損害賠償請求ができる。
思い出した。この人はかつて大阪万博招聘を目的としたパリ出張に際し、英語での演説原稿にルビを振れと関係職員に指示した場面がTVで流れていた。英語の発音はカタカナでは書けないのだが、thの発音やLとRの違いを、担当者はどう書いたのだろうか。

維新という集団の長がこのありさま。いわんやその構成員に於いてをや。
先の地方選挙において、この無法集団を大多数の市民が支持したのだが、よく眼を開いて、維新の実体がいかなるものか、冷静に見てほしいものだ。法治国家であることを捨てるのでなければ。(黄鶴仙人)

 

 

6月24日「代表質問」
25日の高槻市議会本会議は代表質問だ。
しかし、代表質問とは、そも何物か。国としての根本姿勢を問う国政の場はいざ知らず、身近な生活を形作る市政の場で行う意義があるのか。仮にあるとして、3人以上の会派にはできて2人以下にはできないとは、なぜか。私にはわからない。議員が有権者の代表として議会に送られている以上、議員の全員が市長の施政方針に対する糺問ができて当然ではないか。何故2名以下の会派や無所属議員はその当然の権利が与えられていないのか。この日、川口・高木・北岡・中浜議員は一日中座ったままの無言の行とは気の毒だ。これらの議員の発言が議事録の多くのスペースを占めているだけに、この制度には疑問が生まれてしまう。多人数の会派は質問時間が長く少人数だと短い、それは有権者の声の大きさを示しているのだ、民主主義の一面である、と、側面的なことは理解できるのだが。
620日付で会派別の代表質問の内容が市HPで明らかにされた。これを一読して、上記の疑問は一層深まった。このレジュメ(維新の場合はアジェンダか)では有意義な議論は期待できないと、思わされたからだ。その印象を導いたのは維新のペーパーだ。
他派に比べて維新のペーパーには具体性がない。質問項目だけだ。緻密な論理の組立と豊かな表現によるスピーチが予定できていれば、自ずと内容豊かなレジュメができあがる。学生時代に、或いは仕事上、そのことは多くの人が経験済みだろう。また、市民生活の実態を的確に捉え、問題点を洗い出し対策を考えたうえで、これが市政の光を当てるべき点だと具体的に迫ろうとすれば、自ずと質問も具体的になるはずだ。問題点を具体的に把握していないのでは?という疑念が頭をかすめる。
多数の議員が構成する会派に有意義な議論がなく少数会派にそれが期待できる、そんな現状だから、代表質問なんて無意味と言わざるを得ない。
いやいや、聞いてみないとわからないでしょう。うん、まあ、それもそうだけど。(黄鶴仙人)

 

621日「府民不幸」

その発言には必ず裏付けがあり、言ったことは必ず実行する。私の友人はそういう人物ばかりだ。幸せなことだと思う。しかし政治の世界は…。
6
12日のブログでふれた「府政だより」6月号1面の知事の発言にこうある。
『…知事として府市一体で成長戦略を推進し、(中略)G20大阪サミットから2025年の大阪・関西万博へと、途切れることのない成長・発展の流れをつくり(後略)』。つまり知事はG20を成長の材料と言っている。
ところが、アジア太平洋研究所は大阪におけるG20の経済効果を全国で390億円と試算した。この数字は、大阪府の平成31年度当初予算(一般会計)約2兆6千億円のわずか1.5%である。しかも試算額は日本全国での話であり、大阪に限るともっと減る。例えば警備の警察官は、今回どれくらいの数が動員されるのか明らかにされていないが、伊勢志摩サミットと同様と考えると、全国から約15千人の警察官が応援派遣されることになる。その装備・移動費用は大阪の経済には影響しない。一方、交通規制によるマイナスの効果もある。阪神高速道路は年間約1,877億円、1日当たり約5億円の料金収入がある(2019年3月期決算より)。また大阪市内のデパートの売上げは年間約9,388億円、1日当たり約26億円である(平成29年)。これらに大きな影響があろう。また大阪市内の昼間の人口が減ることによる経済的なマイナスも無視できない。
要するにG20は、経済成長には役立たない。にもかかわらず、知事はこれを成長の原資といっている。裏付けのない発言をする知事を持つ、そういう大阪府民は不幸だ。(黄鶴仙人)

619日「本会議」

618日は6月期高槻市議会の本会議第一日。改選後の実質的な初日である。市長の施政方針説明や条例等の提案理由説明の日だ。あの地震からちょうど1年だから、犠牲者を悼み議場の国旗と市旗は半旗とされた。議員は議場に資料を持ち込んでいるが、市長の説明に合わせて資料をめくる人あり、めくらない人あり。傍聴席からの遠目ながら、開いている資料も同一には見えない。しかし概して、清新な空気が漂っている。選挙後の日も浅い議会だから宜なるべし。平均年齢も若返った。

問題は中身だ。実のある議論が展開されるだろうか。新人の能力はどうだろうか。
2011
6月期、36人の議員中8人の新人は、常任委員会において35件中8件、本会議において21件中ゼロ件の質疑を、一般質問は20件中2件を行った。20156月期は、34人中6人の新人は、常任委員会において39件中11件、本会議において28件中ゼロ件の質疑を、一般質問は20件中5件を行った。これを越えられるだろうか。そしてその内容は真に市民の意見を代表しているだろうか。興味深い。(黄鶴仙人)

 

618日「選挙公報」

統一地方選が終わって1ヶ月余り後の517日現在、大阪府は知事選・府議選とも選挙公報はHPに掲載していない(ただし、23都道府県が掲載。毎日新聞調査)。しかし高槻市は5月末もHPを検索すれば市議選の公報が残っていて、ふむふむ、さすが高槻市、府の意向に反して、こりゃ立派なものと感じ入っていたが、いつの間にか消えた。

世間ではこの公報を残せという声が澎湃として興っているらしい。当サークルではかなり前からやっているのだが。
選挙公報は、一部の立候補者にとっては選挙のための飾りかもしれないが、本来は議員として政治活動を行う指針であり鑑である。選挙のためだけの情報ではない。だから議員にとっても有権者にとっても、常に座右に置き、これに照らしてそれまでの活動を顧みるべきものだ。よって、当サークルでは、このHP続く限り市民のために存置することとする。ついでに、2011年の選挙の公報もあるから、現在の議員の8年前の公約を思い出すために「2 市議会という舞台で 第二部」にアップすることとした。そんなの時効?いや、変化の経過を見るのも悪くない。

だけど、写真が同じような人がいる…あれ?いや、8年前の若さを保っているのだ。(黄鶴仙人)

617日「自民大阪府連に×印」

それ、間違っている。「住民投票で決着」なんて。

自民党大阪府連さん、振り返ってすなおに実態を見てほしい。忘れていないか。4年前、都構想については決着がついているのだ。多数決で決まったのだ。だから、制度設計について積極的に議論してこなかった、それが当然なのだ。既に決まっていることを新たに持ち出す維新がおかしい。多数決の原理、民主主義の根本原則を無視している維新が、まるで自分が正しいかのように「反対のための反対」と自民を批判するが、維新に人を批判する資格はない。維新は、民主主義とは何かを勉強して出直すべきだ。貧困その他いっぱい難問はあるのに借金ばかり増やして有効な政策を立てず、都構想という行政プロセスの変更ばかりにこだわる維新、彼らはその視点からして当初から政治家ではない。

自民の支持が減った、それは都構想(或いは都抗争)に対する態度によるものではない。抵抗勢力とみなされたからではない。大阪の地位の東京に対する相対的低落に対し、納得できる説明もせず有効な対策も打ち出せないからだ。このため人は外見上華やかな役者小屋を振り返った。そういうことだ。
実は即効性のある対策はなく、地道に人作り・産業造りをするしかないのだが、そして歴史は合理的帰結として全ての人間活動の中央への一極集中に向かうのだが、だから説明も対応も困難だろうけど、そのあたりを理解できる住民もまた多数ではなく、良識派が多数勢力には必ずしもならない。そこは民主主義の暗部だ。
自民大阪は、とりあえず、人が幸せに生きるためにどういう政策を展開するのか、それを解りやすく示すべきだ。都構想・都抗争から離れた凜とした姿勢を見せてほしい。(黄鶴仙人)


6
13日「不足2000万円」

政治家の皆さん、何を騒いでいるのか、私には理解できない。
金融審議会市場ワーキング・グループが、高齢社会における金融サービスのあるべき姿について報告書をまとめた。自民党が「もうない」と言う報告書だが、金融庁のHPにしっかり掲載されている。読んでみると、その内容は概ね次のとおり。
『長寿化・少子高齢化・人口ピラミッドの「つぼ型」・認知症の増加などの今の社会で、各世代の収入は全体的に低下傾向にあり、高齢夫婦の平均的な姿で見ると、毎月の赤字額は約5万円である。定年退職者の退職給付額も低下している。このような状況に対処するためには、個人として若いうちからライフマネープランの検討が必要であり、金融サービス業者は顧客にリスクを負わせないサービス提供や適切な情報提供を行い、そして行政は個人が財産形成をやりやすい環境を作るべきである』としているが、最後の一文が面白い。曰く、日本は高齢化において世界のトップランナーである、だから「世界でも先例がない議論を行っている」のであって、「皆が手探りで議論を行っている現状である。現時点で一つの解はない。今回の当ワーキング・グループの議論も、絶対的な解決方法を提示できているわけではなく、 ブループリントを描いたのみと言えるかもしれない」と、正直に謳っている。要するに試論の一つなのだ。
政治家の皆さん、本当にこの報告書を読んでいるのか。世の現実、当たり前のことばかり書いてある。試論にすぎない。なのに、与党は月5万円×30年の部分だけを取り上げ、世間に不安や誤解を与える報告書を書くなと、金融庁に抗議している。役人に抗議するより、老夫婦の生活費が不足するような世の中を作った自分達を顧みて反省すべきではないか。こんなことで騒ぐな。騒ぐなら、平成の30年間、何をやっていたのか、そこを騒げ。

報告書に配慮が足りない点を挙げれば、このワーキング・グループの委員は大学教授であり弁護士であり、投資会社の役員であり、日本製鉄の副社長もいて、要するにお金持ちの部類だ。2000万円の貯金は困難ではない。そのあたりの感覚が庶民とは違う。また、若い頃から資産形成に努めたくても派遣社員では貯金もできないのだが、そういう「収入の低下傾向」も十分認識しているとは言いがたい。国民の生活設計に影響するテーマを前にすると、この委員構成では不適切だ。(黄鶴仙人)

6月12日「成長する大阪の実現に向けて?」

6月11日付大阪府政だよりが配布されていた。まあ、見事に維新の外形主義・虚飾主義が現れている。あきれ返った。こんなものに税金を使っているのか。

まず1面。知事の大きな写真、経歴と維新の目指す方向のような短文がある。それだけだ。府政だよりはファッション誌ではない。大きな写真は不要だ。これでは知事の宣伝でしかない。こんなものは要らない。写真入りの宣伝をしたかったら自費で作れ。税金を使うな。それよりもっと、府民に伝えるべきことがあるだろう。府の財政の現状、今後取り組むべき事柄、その中で府民は何をすべきか、云々。なのに、これはなんだ。社長の大きな写真を1面に載せる新聞があったとして、そんなもの誰が買うか。新聞の価値はニュースにある。府政だよりの価値は府政の現状を伝えることにある。知事の経歴にしても、大学名だとか弁護士だとか、そんなことはいい。大学で何を専攻したか、何を学んだか、弁護士としてどんな社会問題に取り組んだか、それを言うべきだ。形じゃない、中身だ。しかし、選挙の時から、維新の皆さんは中身よりも形を飾って人の目を奪うことが得意のようだ。そういえば、今の社会の風潮もそうかも。インスタ映えだとか、一見して映えればそれでいいらしい。そういう方向に走りながら内に心の病を抱えたりする愚かさを、世の人は自覚できないのだろうか。形ではなく実質を積み重ねる日々を送るとき、心の豊かさはおのずと得られるのに。

横道にそれた。次に短文だが、標題からして恐れ入った。『「成長する大阪」の実現に向けて!』だと?大阪の成長はまだ実現されてなかったんかい?これから?『大阪の成長を止めるな』は、何だったのか。選挙のスローガンと明らかに矛盾している。成長などしていないことを、ついに白状したか。G20で大阪が成長する?何万人来ようが、一過性のものに過ぎない。来客による需要増というプラス面だけでなく、交通ストップによる市民生活への影響も測定してみてほしい。プラスマイナス両方を客観的に考えるべきだろう。万博で成長する?1970年の万博の背景にあった日本の人口動態はどうだったか、いま、どうか。それだけをみても次の万博というものの社会的効果は見えてくる。万博にどれだけの予算を費やしてどのような成果が見込めるのか、明るい材料はない。そしてこの1面の短文、現今の諸般の情勢から導かれる府政の進むべき方向ではなく、都構想など維新の目指す方向だけを強調している。この写真の人物は府知事なのか、維新のPR担当者なのか。(黄鶴仙人)

6月10日「堺市長選」
投票率は40.83%、維新が137,862票、非維新が137,881票となった堺市長選。この結果をもって「民意は都構想推進にあり」と言えるだろうか。
①まず、当選した新市長が都構想を掲げた選挙戦ではなかった。また(きわめてわずかだが)得票数が半分に達していない。だから現行制度上選挙には勝っているが、都構想に市民はもろ手を挙げて賛成しているのではない。
②反NHKがなぜこのような場に出てくるのか、違和感は否めない。思想信条は自由だが、事実上都構想が焦点になっている選挙に別の要素を持ち込むことは、選挙民を混乱させるだけだ。別種の要因が混じっていることから、選挙結果をもって維新の勝利とは言えない。
③今回の選挙には自民党大阪府連の混乱の影響がある。そもそも自民大阪は、統一地方選の結果、維新が票を集めたからといって、自分の政策を変えるとは何事か。政策あっての政党だろうに。そんなに都構想を大事にしたかったら、勝手に維新に行けばよい。そうすれば、数年後に維新が正体をさらけ出したとき、政治生命は終わるだろうが。この混乱の影響を受けて自民を離党せざるを得なかった候補者は気の毒だ。自民府連幹部は責任を感じているだろうか。
④さらに、前市長の政治資金への不信が選挙民にあった。そのことが投票率を落とし、反維新の票は伸び悩んだ。
以上、要するに堺市長選は都構想賛成の民意を示したものではない。しかし選挙で勝ったのは維新だ。維新の本部は都構想しか考えていない。維新の市長が維新本部の方針に逆らうはずもない。だから民意何如にかかわらず堺でも都構想は推進されるだろう。新市長は「議論は時期尚早」というが、今は議論を棚上げにしておいて、勝った後でゆっくり棚から降ろせばいいだけの話で、選挙戦における議論からの逃げでしかない。卑怯だ。
ともかく、結果は結果だ。これで、大阪圏の住人はますます幸せから遠のいた。近い将来、住民税はIRだの何だの自分たちと関係のないことに使われる割合が増え、困窮する住民を尻目に政治貴族だけが太るのだが、堺市の有権者の60%はそれを天災と考えるのだろうか。(黄鶴仙人)

6月07日「募金で対応する話ではない」
三島救命救急センター(以下「三島センター」と略称)がクラウドファンディング(インターネットを利用した寄付システム)による寄付金募集を開始した。本日11時現在、目標の49%、約990万円が集まっている。
大阪府は、高槻市・摂津市・茨木市・島本町は、恥ずかしくないか。地域の宝、三島センターが困窮した場合、個人の寄付によるのではなく行政主体が自らこれを支援し、救急体制の維持を図るべきではないか。
そもそも…。昭和52年7月、国は「救急医療対策の整備事業について」という通達を出した。それには「都道府県が救命救急センターを整備し」「都道府県の医療計画等に基づき、都道府県知事の要請を受けた病院の開設者が整備、運営する救命救急センターで厚生労働大臣が適当と認めるものを対象とし」て、国から補助金が出されることが書いてある。要するに設置主体は本来、大阪府である。しかし大阪府は動かず、困った高槻市と島本町は14億3千万を出し、府はこれにわずか3億2千万円を加え、三島センターが誕生したのは通達発簡の8年後、昭和60年だった。後に摂津市、茨木市が加わり、今では3市1町で人口割りや患者数割りなどで応分の負担をしていて、国と府はそこに1億5千5百万円の補助をして、計約6億円を元手に運営が続けられている。
しかし、三島センターの維持運営は厳しい。第三次救急施設(簡単に言えば、一次は入院・手術を伴わない救急患者。二次は入院・手術を伴うもの。三次は二次のうち更に重篤なもの)の経営の厳しさには独特のものがあって、2016年6月における高槻市議会三井泰之議員の一般質問の的確な表現を借りれば「質の高い医療を保証するため、時間を問わず常に患者本位の体制を構築しておく必要があるなど、外部の要因に影響を受けやすく、効率性を求めにくい経営環境にあり(中略)、さまざまな投資を行っても医業収入増へ直結しない可能性があり、構造的に高コスト体質」なのである。もともと儲かる病院ではない。しかし、住民の安全のためには是非とも備えておかねばならない施設、常に手を差し伸べておくべき施設なのだ。このような住民にとって必要不可欠だが民間の力をもってしては不可能・採算が取れない事業は行政の出番だ。
なのに、高槻市は援助のために動こうとした形跡が見られない。ここ3年、高木・中村・福井・北岡・吉田忠則・三井各議員が三島センターに関して一般質問を重ねているが、運営改善のための積極的な答弁はない。2018年3月1日の市長施政方針演説でも「大阪医科大学附属病院への移転向けて、関係者等と具体的な医療体制や行政支援について協議を進める」と、官僚的答弁に終始。公務員が読めばわかる、逃げの一手だ。大阪医大への三島センターの移転も、もしかして市の経費削減のためかと勘ぐってみたくなる。そして今の大阪維新府政も問題を放置している。都構想などよりはるかに緊急性の高い事柄なのに。さらに衆院議員の大熊氏もたしか選挙前に救急体制の確保を主張していたが、こういうときこそ、国の援助を引っ張ってくるべきだ。どうしているのか。これまた衆参ダブル選挙の対策で忙しいのか。
問題が起こったときに政治家がどう動くか、有権者はしっかり見ておくべきだ。(黄鶴仙人)

6月06日「森林破壊(2)」
森林破壊政策については毎日新聞で6月3日の社説その他に既に記事があった。今日(2019年6月6日)の大阪版も3面のクローズアップで大きく1面を割いて、外資が入ることによる森林荒廃の懸念や国会における審議時間の短さなどを伝えていた。記事の言わんとすることには私も同感だが、もう一つ教えられた。この政策にも竹中平蔵氏が絡んでいた。
水道の民営化など、経済性だけで全てを割り切る同氏の論は、非常に危険だ。経済的効率性だけを追求するとき、そこに日本の国策という枠はなく、働く人は個人ではなく労働力とみなされて生産性を高めることだけが要求され、意志や感情や士気をもって人間として働くことは認められない。財政の健全性が残っても国が亡びては何の意味もない。人間性を失った社会には何の意義もない。そこで喜ぶのは外国資本だけだ。
論者には時々、自国のためではなく、外国資本のために活動して富を得る者もいる。そういう連中によって国が動いたら大変だ。国民は、働いて、働いて、外国資本を太らせて、そして死を迎える。そんな社会はまっぴらだ。若い人の将来のために、安定と繁栄を目指すことこそ、政治経済に携わる人の使命だ。でもどうやって?それは骨格となる産業政策の確立であることは論をまたない。(黄鶴仙人)

605日「森林破壊」
隣国はほくそ笑んでいるだろう。自国民の生命や武器を消耗することなく日本を崩壊に導き100年後には自国領土に組み込むことができるのだから。どうやって崩壊させるか。森林破壊だ。日本の国有林を外国資本が合法的に破壊できる方法ができた。これを利用しない手はない。併せて水資源も収奪できる。
国有林野管理経営法改正案が通った。これは外国資本を含む民間企業が長期間にわたって国有林の大規模乱伐を許すという法律だ。伐採後の再植林の義務はない。日本の国土の7割は森林。衛星写真を見てもわかるとおり日本は緑の国だ。その3割、約76千平方㎞は国有林。国有林のうち6割は天然林だから手をつけられないとしても、人工林約22千平方㎞は、今後この法律の運用によりハゲ山になる虞がある。あの韓国の山々のように。森林は水のふるさと。森林の破壊は水資源の破壊になる。水源は涸れ、河川は細るだろう。水資源の喪失は人の生存を直接的に脅かす。また森林は、海の漁業の母でもある。森林の恵みは河川の水を通じて海に届き、牡蠣や魚を育てているのだ。森林破壊は漁業の破壊でもある。
こうして、この法律は間違いなく国力の減衰を招くのだが、国会では自公のほか維新や国民民主党が賛成し、国の破壊に手を貸した。維新と国民民主は権力にすり寄り政治家としての自分が生き延びることしか念頭にないようだ。ギリシャ、エジプト、メソポタミア、全て文明の衰退は森林破壊に始まった歴史を思い出せ。水のそばに人が集まり国が生まれた歴史を思い出せ。遠く1万数千年前から縄文人が守り伝えた日本の緑だ。我々の世代で失ってはならない。緑を守れ。国を守れ。政治家に必要なのは文明史観だと思うが、哀しいかな、その欠如を様々な機会に見てしまう。(黄鶴仙人)

 

6月04日「3月議会・沈黙は金(2)」
「3月議会の質疑数」の棒グラフを見て気づくことがある。例外もあるが、選挙前の3月期の議会で発言のなかった議員は概ね次の選挙でも当選しているのだ。沈黙は金だ。その全員が議会中も選挙運動にいそしんでいたとは言えないが、2015年3月の議会など、他の議員の質問中に眠りこけていた議員がいたことを思い出す。議案について質問するよりもたとえば駅頭などでビラ配りに精を出していた方が有意義らしい。早朝からの活動は、そりゃ疲れただろう。
自分のためではなく市民のために働く議員であるか否か、それが最も鮮明に判るのが選挙前の3月議会だ。このとき議案を勉強し積極的に質問する、つまり市民のために働くのは議員の2割。その2割の議員を支持するのは、投票者のざっと1割5分。2割の議員と1割5分の投票者が議会のまっとうな活動を支えている。支えられている8割の議員は保身に努め、まっとうな議会の恩恵を被っている8割5分の有権者は働かない議員に投票する。
他の組織ならば支える側の人間にはそれなりの評価と実益が与えられるが、高槻市議会ではそうではない。市政について深く考える人ほど落選が待っていることが多い。そうして市民は大きな損失をこうむっているのであるが、市民のなかでどれだけの人が、そのことに考え及んでいるのだろうか。慨然たるものがある。(黄鶴仙人)

6月03日「3月議会・沈黙は金(1)」
選挙前の3月議会は低調だったと噂を聞いた。
なるほど、数字がそれを示している。2019年3月議会は常任委員会での質疑が25件、本会議での質疑が16件だ。
前回の選挙前はどうだったか。2015年3月、常任委員会で49件、本会議で30件。なんと今年、質疑数は4年前の約半分に落ちている。低調という印象は、事実そのものだった。
3月議会は常にこうなのか。そんなことはない。2011~2014年の平均値は、常任委員会41,本会議31という件数であって、それと比べて先の49,30という数字は選挙前の議会だからといって低下してはいない。
ところが、2015年改選後の議員においては、2015~2018年の平均値の常任委員会32、本会議23という件数自体も低いが、3月議会はさらに低下して25,16だ。3月ともなれば多くの議員の関心事は翌月の選挙であって議案の審議ではないらしい。この月、一般質問もない。誰のための市議会だったのか、よくわかる。
2015年3月議会と2019年3月議会の質疑数を比較して次に掲げる。赤で囲んだ議員は、その3月議会を最後に引退あるいは府議会選挙に転出した議員である。順不同で、必ずしも党派順ではない。

530日「万緑の中に」
万緑。今は夏全体の季語となっている。草田男が使う前には、なかった。
その万緑の中に、鳥が歌う。ホオジロは梢に姿を現して縄張りを宣言し、ウグイスは松の高い枝の茂みに身を隠して愛を歌う。樹々を渡る一瞬の間にも美しい体色を見せるのはカケス。低く地を駆けるように動く黒い鳥、黄色いくちばしは、クロウタドリらしい。これは珍しい。
C、H、O、Caの組み合わせがたまたま違い、我は人間、歌うのは鳥。そして万緑の樹木や草。そこに見える静かな姿とは裏腹に、実はどの生きものにとっても日々壮絶な戦いの連続。樹木は争って背を伸ばし陽光を奪い合い、地に毒素を浸みだしつつ我が根を伸ばし、他を排する。鳥は縄張りに入る同族を襲い雌を奪い合う。みんな大変だ。もちろん人も。
社会において人が生きるとは、己が主張を隠し上司の思惑を忖度してその思いを具現化し、個人的な好みも尊重してさまざまな機会でそれを満足させる、そうして身の安全を図ることなのだ。変節もときには必要だ。これは封建の世も現代も変わらない。
わかっちゃいるけど、そんなこと常にできるもんじゃない。若い頃の私は、幸いなことに私淑できる上司は多かったが、尊敬できる部分を発見できない男もいた。上下の立場はともかく、彼らの言動に対しては遠慮なく批判・指弾・論難した。彼らの意見をもって組織の意見とすることに反対し、現下の情勢で何が必要かを説いた。そこに志を同じくする仲間もいた。しかし、ゴマスリだけで出世したような男は、ゴマをすってくれない部下はいかに正論を吐こうが不要で、たまたま役員になるかどうかのタイミングにあるとき、そんな上司が人事権を持っていて、結果的に私と同志は出世しなかった。ただ、面白いもので、昔そんな上司達によって袋だたきにされた案が、20年を経た今、外圧もあって後輩によって実行に移され、成果を得ている。苦笑を禁じ得ない。あ、個人的なことを言い過ぎた。
大阪の公明党は偉い。フレクシビリティに富んでいる。都構想反対にこだわらず、情勢に合わせて意見・姿勢を変えた。これは人が生きる上において必要なことだ。私にはとてもできないが戦国の武将がいつもやっていたことだ。
ただし、人と政党は違う。変節を重ねる党に人の信が集まるか。信が離れないか。ちょっと心配だが公明党なら大丈夫なのだろう。そして相手方は常に約束を守る組織か。そこも疑問だ。だいたいにおいて他を利用して自分の益を守ることしか考えないのが世間だから。(黄鶴仙人)

529日「現実・幻日」
またもや痛ましい事件が起こった。今度は川崎。
この犯人の狂気を作ったものは何だったのだろう。根拠もなく想像しても仕方がないが、社会構造の歪みが一つの家庭や個人に集中し、ある人の精神を破壊して犯罪に駆り立ててはいないだろうか。そのとき政治・施策の貧困が遠因になっていないだろうか。金属材料でも機械構造の中で鋭角的に接合された箇所、いわば設計上の欠陥があれば、そこに応力が集中して機械は破壊に至る。人も金属も破壊のメカニズムは同じだ。
その政治だが、今にしてやっとわかった。表舞台には真の政治家は登場していないのだ。いるのは…。
国民の拠出した年金資金を元手につり上げた株価を実績とし、挙げ句の果ては外国のファンドの売り逃げによる株価の下落でその資金を失い…、
選挙の前には国民に不利益となる貿易交渉(それは当然政権批判を生み票を失う)は行わず…、
選挙ともなれば、美辞麗句でもって国民に幻日を見せて落日の日本を忘れさせ、そして当選した後は、人口減少対策など、今現実に、真に行うべきこと、国民の望むことに手を出さず、憲法改正など自分の望む方向にエネルギーを集中し…、
もっとあるが、要するに政治家として名を残したい人物・権力に妄執する人物が、国民のためではなく自分が政治家として存在するために政治の表舞台にいるのだと、やっとわかった。彼らに何かを期待するのは間違いだ。それが、東京と大阪に…。この点では既に大阪は東京をしのぐ都だ。もう都の構想は不要だ。
そしてこのような人々が権力の座にいることを支えるのは、汚濁に満ちていても陰で泣く人がいても、政治によって自らの懐が太ることだけを望む比較多数の国民なのだ。そこがたまらなく哀しい。犯罪はやはり社会構造が生みだすものといえる。ソドムの町に救いはない。(黄鶴仙人)

528日「高槻市議会の会派の構成」
会派の構成が市議会HPに掲載されている。なんだか、キツネにつままれたような思いだ。
その1。改選前に立憲民主・元気ネットは公明党に次いで二番目に大きい集団だったのが、空中分解して3人の立憲民主党たかつきになった。辻元清美衆議院議員の地元だから、それなりに強固な集団かと勝手に思い込んでいたけれど、どうやら違ったらしい。あらためて選挙公報を見ると、中浜実議員は「○〇党公認」という添え書きがない。平田裕也議員は明確に「無所属」。「
組織運営に対する考え方が私の思いとは異なるため」離党すると、昨年8月の平田裕也議員のブログにあるけれど…。何かあったんですかと、尋ねたくもなる。小異を捨てて大同につく度量が必要なのでは?グループ内のゴタゴタは支持者を減らすことになりかねない。
その2。以前から不思議だったけど、「自民・無所属議員団」を構成する無所属議員とは、どのような存在と理解すべきなのか?既成政党には与しない独自の考え方・信条をお持ちなのか…。だとしたら、なぜ自民にくっつく?自民党に近い立ち位置なのか…。ならばなぜ自民党に入らない?反維新ということで、一致した?それならわからないでもない。ともかく、ご都合主義の臭いが消えないけれども、独りでできることには限界があるし、会派をどう作ろうが自由だし、維新と同数以上の勢力をもって市政を糺すことにがんばってくれれば、それでいい…としよう。(黄鶴仙人)

5月25日「泰平の世に」
閑話休題。
京都二条城の西門。15代将軍慶喜公が最後に退出した門として有名だ。その門の柱を横につなぐ貫(ぬき)に落書きがある。「書く」というより彫っているから「落彫り」とでも言うべきか。
落書き或いは落彫り、それは一つや二つではない。よくぞ彫り込んだものと思うほど、貫に一面に存在する。もう、新たに彫る余地はないのではないか。種類も文字だったり絵だったり、或いは形象物だったり。形象物は、家紋と馬標(うまじるし)だ。馬標とは、戦場で陣を敷いたとき、大将ここに在りとその位置を示すために高く掲げるものだ。大名行列でも先頭付近に捧げ持っている。
上掲写真にある船やキツネの絵はなかなか上手い。線に迷いがなく、曲線もきれいだ。様々な馬標も彫りが深く、長時間の作業を要したようだ。これらの落書きを含めて、この西門は重要文化財になっている。
この落書き、いつ頃のものだろうか。時期が一番判りやすいのは「元文二年己四月十一日」との落書きである。「文久」と誤読しやすいが、この落書きは「元文」の行書体である。また己(巳年)とも書いてあり、元文2年は1737年、干支は丁巳だから間違いない。八代将軍吉宗の時代で、元文は享保の次の年号だ。
その左には「秋元隼人正」という文字が見える。18世紀前半の実在の人物で大身の旗本。元文2年に二条城の城番だった可能性がある(未調査)。もちろん本人が自分の名前を彫ったのではなく、城番に当たった下士が犯人だろう。
馬標では、たとえば②の五平餅のような長楕円形は、越後椎谷藩1万石の堀大膳亮直著(ほりだいぜんのすけなおあき)のもの。この藩は宝暦12年(1762)及び明和5年(1768)に二条城御番に当たっていて、この年に西門の警備に当たっていた下士の者が彫り込んだ可能性がある。なぜそれが判るか。種明かしをすると、江戸時代に毎年発行されていた武鑑という書物がある。これは大名家の人名録のようなもので、現当主の名前、家紋、馬標、奥方の出自、嫡男の名前、簡単な系図などがそれぞれ家別に掲載されている。そして、二条城と大阪城の御番として12家が挙げられ、それぞれの家の当番年が明示されている。12家は、みな5千石以上1万石以下の大名または旗本である。この武鑑をもとに幾つかの馬標や家紋を彫った者の推定ができたが、詳細は割愛する。
いずれにせよ、この落書きは18世紀前半から後半にかけて彫られたものである。18世紀末といえばフランス革命の頃だ。遠い海の向こうの動乱も知らず、のんびりと落書きに精を出していた200年前のご先祖たち。しかし、なんと時代に無知な、と、笑えない。今の自分たちはもっとひどいのではないか。江戸の昔は長崎からの情報が幕府中枢にもたらされる以外、人士は何も西洋事情を知らなかったのに比べ、今はネットで全ての情報が入るにもかかわらず、米中の覇権争いをよそに、都構想などにふける集団があるのだから。(黄鶴仙人)

5月24日「議員辞職」
帯状の雲が二つ三つ、青い青い空に重なって見える。あれは、南北に横たわる鈴鹿山脈を強い西風が越えたあと、伊勢湾上空で大きく上下に波打つ、その上昇中に湧いた雲だ。風の下降中に雲は消える。
山小屋に聞こえるものは、遠い松籟、ウグイス、ホオジロ、シジュウカラ、そしてカッコウも。ああ、もう夏なんだ。
山の上に比べれば、下界の何と汚れていることか。何が正しくて何が間違っているのか、判断できる人もいるはずだが、その声は小さすぎて聞こえない。
「戦争」の次は「女」。弁明の機会が与えられても病気欠席。2015年に酔って口論の末、人の手を噛み、次に飲酒したら議員を辞めると言っておきながら逃げの一手。次々に問題が明らかになっても辞職を拒む丸山穂高衆院議員。ただの酔っ払いなら許せることも然るべき立場の人間には許せないこと、特定の行動の制約が求められる時と場所があることを理解する能力がなく、これだけで既に社会人としての資格はない。いわんや、議員など。また参議院比例代表区の候補予定者長谷川豊氏も同罪。人を差別するに心を痛めない男だ。発言を撤回すると言うが、ひとたび口から出て人を傷つけた言葉は、二度と戻らない。綸言汗のごとし(天皇ではないが)。特別の意図はなくても人を傷付けてしまうのが言葉だ。まして差別発言だ。仮に撤回できても、発言を産み出した精神構造は簡単には変わらない。社会を設計する議員としての資格はこの人にもない。維新というところは、この種の人材に事欠かないようだ。
その維新。長谷川氏の取り扱いにつき党紀委員会にかけると言うが、そもそも党員の非違非行に対する規則はないのか。日本には罪刑法定主義というものがある。どのような悪いことをしたらどのように処罰するとあらかじめ法律で決めるという原則だ。次から次に問題が出てくるのは、どうも維新にはこういう規範がないからだ、だから言行に恥じる人間が出てくるのではないかと私などは推測してしまう。まあ、委員会という手続きも必要だが、根拠をもって即断すべし。…まあ、そもそも、どういう人が集まっているか、なのだろうけど。
そして、戦前の反軍演説に触れ、大政党が少数政党の議員に辞職圧力をかけるのは議会制民主主義を危うくするとおっしゃる伊吹文明さん、そりゃそうだが、反軍演説と酔ったあげくの非行とはレベルが違う。羹に懲りて膾を吹くな。形にこだわるあまり非を非としないことの方が人間を危うくする。それに自民党はそんな大政党でもない。(黄鶴仙人)

5月20日「維新に正義なし」
維新が公明党に迫った。
「都構想に賛成しろ。しないなら、次の衆院選では公明党が議席をもつ選挙区に維新から候補者を出す」
いま、大阪の選挙では維新は敵なし。この夏には衆参ダブル選挙も噂されている。衆院の議席を失いたくない公明は都構想住民投票の実施に賛成の態度を示した。ところが、
「それだけでは不十分。都構想自体への賛成がなければ全面対決する」
公明党はこの脅しに屈したようだ。都構想賛成に回る姿勢を示した。
以上は本日(5.20)の毎日新聞朝刊の伝えるところだが、これに立腹しない人がいるだろうか(維新支持者でも、他党が同じことをしたら、どうだろうか)。世間のだいたいの組織はもっと仁義をわきまえている。選挙に強いことを笠に着て他党を脅し、自分のやりたいことの実現を図る。そこに正義はない。
都構想が本当にまっとうな住民サービスのための手段ならば、そして他の政策に先駆けて行うべきものならば、堂々と説明して市民の賛同を得ればよい。市議府議は市民の意見を代表して議会で賛意を示せばよい。その手順を経ずに近道をして府議市議を落とそうとする。これが間違いの第一点。
「前向きな議論が進むなら、よりよい案を追究する」(吉村知事)とは語るに落ちた。都構想という話が始まって何年もたつのに、まだ、いまもって、自信をもって語れる成案がないようだ。政策立案能力がないのに無理矢理何かをやろうとする、これが間違いの第二点。
そして、成案がない段階で、他党は何に対して賛同するのか。いまから1年かけて内容を協議するようだが、協議前に賛成を迫るとは!見合いの前に結婚を決めるのは、昔の話だったが。パンツを履く前にズボンに足を入れるような、ものごとの順番の違うのが間違いの第三点。
雑多な人の集まりであるこの社会をまとめるには、一つの規範を高く掲げることが必要だ。それは誰もが納得できる合理性・合目的性・公正さを帯びたものでなければならない。政治においても然り。若い人にとって政治のありようは今後を生きることの鑑でもあるのだ。しかし、都構想にからむ他党との調整に際し、維新には正しい姿勢を見せようとする気概が見受けられない。選挙の得票数が多ければ、何をしても許されるのか。正義を失ってもよいのか。これが誤りの第四点。
そんな間違いだらけの維新をだれが支持しているのか。府民の三分の二だ。彼らが、本来は正義を柱とする社会のありようを破壊した。東京とは違うものを求めたいのかもしれないが、これでは府民の幸せは得られない。自業自得とはこのことだ。
一つの方針にこだわらず状況に合わせて態度を変える、それはいつの時代も、誰にとっても必要なことと、理解はできる。徳川恩顧にこだわっていては御一新の嵐の前に家臣や住民の死を招くため、ある藩にとっては、家を残し人を救うためには恭順もやむを得なかった。公明党の方針変更も苦渋の選択だろう。しかし、都構想が成ったと仮定したとき、党が残っても住民の生活はダウンする。その後に何か救済策を考えるというのか。(黄鶴仙人)

5月17日「大阪に「成長」はなかった 余聞」
大阪府統計年鑑を見ていて、気がついた。
労組の数、組合員数、争議発生件数、いずれも年々減っているのだ。組合の数はこの10年間で約約10%、組合員数は約5%減っている。争議発生件数をみると過去10年で半減している。このままいくと、100年後には労働組合は絶滅する。10年後には争議も発生しなくなる。
これは何を意味するのか。労働環境がよくなって争いを起こす必要がなくなったのか。理想郷で働く労働者が増えたのか。まさか、ねぇ。ともかく、これも社会の変質を示すデータだ。(黄鶴仙人:グラフは大阪府統計年鑑から筆者が作成)

5月16日「ピンキリ」
二~三か月前の地震で緩んだ屋根瓦が紙切れのように強風に飛ばされていった。あれは去年の9月4日、台風21号の来襲のときだ。その同じとき、高槻市北部の山中一帯では高さ20㍍以上に成長した杉や桧がなぎ倒されていた。その被害面積は高槻市内で613㌶(大阪府全域では728㌶)。この被害をもたらした風は関空で最大瞬間風速58.1mを記録した(大阪府環境農林水産部作成「台風21号による風倒木被害発生地(高槻市等)の状況について」による)。
この倒木は、被害から8ヶ月を過ぎた今もほとんど手つかずのままだ。それが次の豪雨で流れ下ったら、下流域はどうなるか…と、前大阪府議の宮原たけしさんがfacebookで危険を予知・予告しておられる。この指摘は正しい。将来の危機を予測し備えを万全にする、そして被害を最小限に抑え、市民の安全と幸福を確保する、こうした危機管理のできるのが、組織のリーダー、または政治家のあらま欲しき姿だ。残念ながら高槻市民はこのような政治家を当選させなかったが。ついでに言うと、概して人は、危機を事前に察知して最小限の費用と労力でこれを回避する人物よりも、危機に臨んで大わらわに働いたふりをする声の大きい人物の方に、より高い評価を与える。面白いものだ。
さて一方に、「北方四島返還は戦争で」と叫んだ国会議員がいる。大阪選出だ。所属政党は維新だった。多くを語る必要もない。
宮原前府議と丸山衆院議員。まさに政治家としてピンキリだ。ちなみにピンは賽の目の一、キリは十字架のクルスが語源で数字の十を意味する。で、上等なのはピン。キリの方が政治家としての身分を保証され居座る。毎年4千万円もらえれば、居座りたくもなるだろうが、もうそうなったら、ただの亡者。(黄鶴仙人)

5月15日「大阪に「成長」はなかった 4」
平成18年度以降の府債の年度末現在高は下図のとおりである。
府債は、平成21年度末に急伸して25年度にピークを迎えたが、以後は漸減している。国の借金が毎年増える一方であることと比較すると、借金の伸びが止まった、むしろ減っているというのは望ましいことだ。
だが、この図をよく見ると、平成20年2月に橋下氏が大阪府知事に就任して以来、府債の額が増えていて、いま、その清算をやっているけれど維新府政以前の状況には戻っていないのである。だから、借金が増えなくなったことが功績と言えるのか、褒めるべきか、頭をかしげてしまうのだ。
また、府債と一口に言うが、その中身は、将来への投資のための一時的な借り入れ金と財源不足をまかなうための本当の借金との2種類がある。それらが、この10年でどう変化したか。下図のとおりである。平成19年度末と29年度末を比較してみると、前者の一つの一般公共事業債が10年で半減している一方で(一般単独事業債は大きな変化はない。念のため)、後者の一つの臨時財政対策債残高は平成19年度末の約5353億円が29年度末には約2兆2400億円、約4倍に増加している。またよく似た名前だが、財源対策債残高は19年度末の約390兆円が29年度末には約2880億円と、約7倍にふくれ上がっている。ここにあげた二つの地方債は、発行手続きが違うけれども要するに財源不足を補うための本当の借金である。駄洒落のようだが、府債=負債である。
財源不足…、そう、税収は減っている。地方消費税の増などがあるから税収全体を見ても実態がよくわからないが、個別に見ると、減り具合がよくわかる。たとえば、自動車取得税が半減している、と言うことは新車購入が半減しているのだ。府民の生活の一端がここに見える。ゴルフ場利用税の減は、何を意味するのだろうか。
この10年間の維新府政をわかりやすく言うと…。
税収はどんどん減っていった、金がないから将来への投資であるハコ物作りは減らした、だけど社会福祉など毎年必要な経費もあって支出は大きく減らせない、このため借金ばかりが増えていった…。そういうことだ。財源を増やす智恵と政策が必要だったのに、それがなかった。維新の眼中にあったのは都構想だけ。
「成長」の跡はどこかにないかと、調べれば調べるほど、これでもか、これでもかと引き潮の跡が現われてくる。何度も言うが、大阪に「成長」はなかった。維新が都構想にこだわっている間に、府民の生活は悪化した。その失政を隠すための選挙のどんちゃん騒ぎだったようだ。府民は政治の在りようを見ようともせず、その騒ぎに浮かれた。(黄鶴仙人)

5月12日「大阪に「成長」はなかった 3」
人口は増えない、GDPの伸びもない、しかし失業率は改善している。過去15年の状況は次の図のとおり。この図で、「総数」とは全年代にわたっての失業率を、「15~24才」は15才から24才までに限っての失業率をいう。
しかし、これをもって「大阪の成長」とは言えない。経済成長のところでも触れたが、全国的な傾向と同様であり、大阪だけの特性が見られないからだ。それどころか、全国の状況に比べると大阪府は失業率が毎年高い。また、失業率は失業者総数を分子に労働力人口を分母にするが、失業者が減らず労働力人口が増えた場合も失業率改善と見え、大阪府の統計は実際にそのとおりの状況を示している。
そして、極めつけはここだが、求人倍率が上がり仕事をする人が増えても、一人当たりの給与は減っている。最近下げ止まっているようだが、貧しくなっていくのに、どこが成長なのか。こういう状況を許す政党に、人はなぜ投票するのか。その愚かさは救いがたい。目覚めよ。(黄鶴)

5月12日「都構想という民意?」
自民党大阪府連が都構想住民投票の実施に賛成するのだそうだ。大阪に限るが自民党には政党としての理念はないのか。都構想に反対する政党だから投票したのに、選挙の後になって態度を変えるなんて、それでは困る。もう信頼できない。
確かに、今回の地方選では維新の票は伸びた。しかし、選挙なんてお祭り騒ぎに過ぎない。真面目に各党の政策を吟味してこれと思う人に投票するなんて、あまりいない。顔がどうとか、名前を知っているとか、せいぜいそんな根拠で投票するというのが大半だと、5月11日付毎日新聞夕刊に意見を書いた人がいた。その人自身、奥さんと同じ名前の候補者がいたからその候補者に投票した(高槻市議選に!)とも書いていた。そんな程度の選挙だから、そこに民意があるなんて考えてはいけない。選挙結果にかかわらず政党は政党としての旗を掲げ続け、市民を常にリードすべきなのだ。まあ、表向きは「民意を尊重する」という言葉も必要だが、それは世間向けの入場料のようなもの。自党の政策に自信を持ち、信念をもち、堂々と進んでもらいたい。あ、そうか、それがないから、右顧左眄するのか。だいたい、産業政策もなく行政機構をいじるだけで人民が幸せになった歴史があったか。江戸時代は各藩の殖産振興政策により、戦後の復興期も、もの作りが盛んになったから、日本人は富と幸せを得たのだ。
しかし、一人当たりGDPはここ30年で世界の2位から26位に相対的に転落したことにも平気なのだから、都構想云々で地方政治が、ひいては自分の生活が、おかしくなっても、それを人災と認識せず、文句は出ないだろう。(黄鶴仙人)

5月11日「大阪に「成長」はなかった 2」
成長と呼ぶべきものが近年の大阪にあったのか否か。それを調べるために「大阪府統計年鑑」をひもといた。以下の諸データについて、特に注書きするもの以外は、平成30年度、同25年度、同20年度の年鑑から拾ったものである。
成長と聞くと、思い浮かべるのは経済成長率である。大阪府の名目成長率と国の名目成長率は、次の図のとおりである(平成30年度版)。
この図のとおり、平成20年度に下がった成長率が近年はプラス圏に浮上しているが、国の経済情勢に歩調を合わせて変動しているものであって、大阪だけが経済成長を見せているのではない。つまり、大阪の成長と呼ぶべきものは経済活動にはない。念のためにいうが、大阪の動きが日本全体の経済成長を促していると言うほど、大阪の経済は大きくない。平成27年度におけるGDPに占める大阪府の総生産の割合は約6.9%に過ぎない。(黄鶴)

5月9日「大阪に「成長」はなかった」
維新は「大阪の成長を止めるな」とおっしゃるが、本当に大阪府に成長があったのか、虚心坦懐に調べてみた。結果は、成長と呼べる事実はなかった。
まず人口。大阪府の現住人口は平成22年の8,865,245人をピークに減り続けている。平成30年は8,824,566人である。ただ、減少の度合いは隣の兵庫県ほどではない。大阪府の場合、自然減を少し補う社会増、つまり近畿圏他府県からの流入があるからである。この社会増は女性の転入が寄与している。平成29年の場合、日本人に限るが、女性の転入超過が3589人である。逆に男性は同29年において628人の転出超過である。一般に、成長とは大きくなることである。人口増すなわち成長である。女性の転入をもって成長と呼べるのか。
なお、大阪市だけを見れば、人口は増えている。自然減を大きく上回る社会増がある。それをもって成長と言えないこともない。だがしかし、大阪市だけの現象を大阪府全体の話であるかのごとく公言するのは誤りだ。詐欺に等しい。不正確な情報をもって人民を惑わす、それは公人として最も忌むべきことだ。それに維新は手を染めた。
誠がない。外見上の華やかさだけはある。そういう印象がぬぐえない。世の人は、その華やかさに惹かれているように思える。ただ、人には、良し悪しではなく変革だけを求めることがある。安定に飽きて変動を求めることがある。新しければ、内容はどうでもいい。それが流行というものだ。新しいものを求める、それも人の性(さが)だ。そこを利用したという要素も、維新の風の中にあるかもしれない。
ここ10年、大阪に成長はなかったことを、賃金の傾向などから、順次明らかにしたい。(黄鶴)

5月8日「事務所用看板」
法律屋は、「違法」「不法」を使い分ける。違法とは現行法規に違反していることである。その違反に罰則があれば、直ちに犯罪となって処罰の対象となる。不法とは、具体的に法規に違反しているわけではないが、世の中の人が見て常識的に悪いことと認められる行為である。
これはどうだろうか。選管の「立候補の届出状況について」ではウェブサイトをもっていないことになっているが、選管の許可標識を添付した看板にウェブサイトらしきwww.・・・.jp などと書き、さもサイトを持っているらしく装うのは、いかがなものか。
そこが政治活動のための事務所であるならば、そして規定の枚数以下ならば、違法ではない。選管の許可標識も添付してある。選挙のときの経歴等の虚偽表示は罪となるが、看板に虚偽表示があっても罪にはならない。しかし、このURL(らしきもの)は、2016年8月21日以降、2年8ヶ月以上にわたって「サイトなし」となっている。
人は、違法でなければ何をやってもよいと言うわけではない。脱法行為を重ねるとき、人は人たる骨組みを自ら失い、回りの人の信を失う。悲しむべし。
幸か不幸か、投票した人はほとんどこの看板を知らない。(黄鶴仙人)

5月3日「選挙分析」
人はなぜ維新に投票したか。そのメカニズムを分析し、順次このHPにアップしています。
はじめ、ブログとして掲載しようかと思いましたが、簡単なエッセイとはいかなくて、少し系統立った分析になりそうですので、別のページを立ち上げました。
維新の躍進に関する分析はいろんなメディアでも行われているようで、本日5月3日の毎日新聞朝刊もマーケティングに似た選挙戦術を取り上げていました。同じものを観察対象とした話ですので、彼我同じような語調になるかもしれません。一日遅れで二番煎じのおそれも。早くアップしなくちゃ…。(管理人)

4月30日退位の日「一悪衆善」
一悪をもって衆善を忘るなかれ・・・、この言葉を若い頃に何かで目にして、以来、人を評価するときの鑑にしていたのだが、最近になって原典に当たり、文言が正確でなかったことを知った。
正しくは、「一悪をもってその善を忘れ、一過をもってその功を忘るなかれ」だった。唐の太宗が息子に宛てた帝王教育の書、帝範の、審官第四にある。たった一つ欠点があるからと言って他の美点を忘れてはならない。また一つの失敗があったからと言って、それまでの功績を無いものにしてはならない。そんな意味だ。しかし、人を客観的に正しく評価するのは難しい。全ての才能が毎日見えるわけではないし、善悪とは別次元の好き嫌いという感情も入ってくる。
今回の統一地方選挙では、維新について、帝範にいうところの逆のことが起こったように見える。一つの美点・功績が他の失策を覆い隠しているのだ。美男であれば七難を忘れたかのように黄色乃至は焦げ茶色の声援を若い候補者に送る女性支援者が多いし、我が友人の一人もバスの運転手の給料を削減したことをもって維新支持の論拠とする。
ただし、この世の出来事に単純なものはない。七難を忘れさせる複雑な要因が裏にある。環境条件もそろっている。それが何か。稿を改めて明らかにしたい。(黄鶴仙人)

4月29日昭和の日「逆相関」
思わず、唸った。2015年から2018年までの任期中に各議員は何回質疑・質問をしたか、その回数と、2019年4月に行われた市議会議員選挙の得票数との関係をグラフ(散布図)にしたら、みごとな逆相関の絵が現われた。図の中で、赤の破線は私がざっと引いた傾向線である。それ以外は作為のない、エクセルが自動的に作った図だ。
悲しいかな。質疑・質問が多いほど、次の選挙で得票が少ないという結果を、この図は示している。
この図を前にしたら感情が整理できなくなったので、以下箇条書きにする。
○ほとんど仕事をしなくても当選できるのだ・・・
○実はそれが、1回や2回ではないのだ。その議員は選挙の度にそうなのだ・・・
○仕事をしない人間を当選させる市民が、すこぶる多い。質疑・質問数20回未満の議員の得票数合計はざっと4万。新人議員の仕事ぶりは未知数だが、投票者の半数は個々の議員の仕事ぶりには興味なさそう・・・。他の要素を基準にする。
○だから、4年間議席に座っているだけで4千万円の収入になる議員が誕生する。その一方で真面目な議員ほど得票を減らす。ああ、天道是か非か。
○選挙目当ての改革を言うよりも、議会改革よりも、自らを活性化させるべきではないか。それが改革の第一歩だ。
○「毎日会社に行かなくても、勉強しなくても~、誰にも叱られなぁ~い、・・・」こんな歌があったなぁ・・・。(黄鶴仙人)

4月28日「選挙の集合ポスター」
あれ、何て呼ぶんでしょうね。市議会選挙用のポスターをまとめて貼る掲示板みたいなの。ある人いわく「仕事をする議員の顔見せ。しない議員のさらし首の場」と。
選挙が終わって1週間。でもまだ、しっかり立派に立っています。どうせならこのまま、次の選挙の公示前まで4年間、置いていたらどうでしょうか。そして、各自のスペースに仕事ぶりを自ら記載するとか。質問回数を「正」の字で。インターネットで見るのは飲み食いや映画の情報程度で、市議会のページなんて見る人少ないです。それより、買い物ついでに毎日、議員としての適切度が見れる看板がいいのです。少しは反省する市民がいるかも。軽挙妄動のような自分の投票を。
選挙前には気づかなかったのですが、北岡議員のポスターに「前期は私と同じくらい質問する人が2人いて、(私は)さほど抜きん出てはいなかったのです。しかしその2人の議員は落選。高槻市以外でも、議会で頑張っている議員が落選するケースが見られます。(中略)イメージに惑わされず、市民の皆さんにとって、議会にとって、本当に必要なのは誰か、見極めて下さい。」と。
本当にそうです。同議員と全てについて意見が一致するわけではないのですが、この点は全く同感。
ちなみにその2人は、当HPの「1.市議会という舞台で 第一部」のうち2011~2015年の記事から明らかです。だけどほんとにまあ、頑張る議員が落選してきた現実は、悲しいものです。熱心に質問することは市政を糺すことであり、糺された市政・・・間違った方向に行かなかった市政の恩恵を被ったのは市民。なのに、その市民は、恩恵を受けたことに気づかないまま、次の選挙では、前期に頑張った議員を見捨てる行動に出る・・・。そこに何ともやりきりない思いがするのです。親に育てられた子が、親の苦労を知らないまま巣立ちするのに似ていますかねぇ。そのとき親は、子が健やかに育ったことをもって、自らへの慰めとするのですが。感謝の言葉がなくても。あと2週間で母の日です。(一去)

4月26日「新旧交代」
2019年の市議会議員選挙が終わった。34名中8名の議員が交代。リタイヤまたは他への転進者の平均年齢は約58才、新人議員は約46才である。一応、新旧交代と言うべきか。目立つのは、リタイヤ等で空いた穴を主として大阪維新の会の新人議員が埋めたことである。大阪府知事・大阪市長選の結果とも相まって、そのことに危惧を抱く人が、私の近辺には多い。だが、かつて日本新党に幻想を抱いた私は何も言えない。維新人気の一方で、議会人としての本分を全うする高槻市議会の希望の星とも呼ぶべき議員たちも、なお気を吐いている。まんざら捨てたものでもない。
インターネットの利用状況をざっと調査し、「説明責任の果たし方」に掲げた。本文に記載したとおり、ツイッターなどの短文は、私たちはネット利用とは見なしていない。そこでは論理ではなく印象や感情が優先されるからである。ただ、部内にも「政治は論理や知性に拠らないから、それもいいんじゃないの?」とのたまう輩もいる。(黄鶴仙人)

4月25日「来訪者の数が」
面白いとも思われぬ当HPであるが、それでも訪問してくださる方々はある。実に有り難いことだ。
去る4月14日の市議選公示の日から昨日までに、その数が1500人を越えた。内訳は、公示日260、投票日790、投票翌日887である。ふだんは20~30人だから、この数に実は驚いた。物言わぬ圧力をも感じた。4年前は投票日でも100人程度だったと記憶する。
イメージ戦略の上に乗せられてお祭り気分で投票する人も多いが、一方に、ポスターや派手な選挙活動に惑わされず、地味な議会活動を参考にして投票したいという人が確実に存在することを、この数は私たちに知らせてくれた。1500人ということは、もしかすると誰かの当落にも影響するのではないか。
であるならば、きちんと、客観的に、善しも悪しきも、息長く高槻市議会の有り様を伝え続けねばならないと思うのである。(黄鶴仙人)

2019年4月24日「復活」
復活祭に3日遅れてこちらも復活。いや、遅れていない。東方教会の復活祭は28日の日曜日。今日は西方教会と東方教会のイースターの中間だ。水曜日はドイツ語では「Mittwoch:週の中間の日」でもあるし。
3日前の西方教会復活祭の日、高槻でも市議選が行われた。選挙期間中、なんとまあJRも阪急も高槻駅前の賑やかだったこと。あの賑やかさを議場でも発揮してほしいが、過去の例からみて、そういう人は大体が選挙で全エネルギーを消費し、議場では4年間静かだ。1週間の活動で4年間の議員報酬4千万円を手にする幸せな人たち。選挙運動で賑やかに何を謳ったか、その証拠資料である選挙公報は、資料編に残す事にしています。
そうそう、北岡議員は、議員の通信簿として当HPと同趣旨の質疑・質問数のデータなどを選挙ポスターなどに使っておられました。独自に調査されたのか、当HPからの引用か存じませんが、引用も大いに結構です。著作権侵害などと野暮な事は申しません。地方自治に関する学術研究でも何でも、ご自由に使ってください。このHPは、すべてオープンです。ただ、質疑数など絶対に数え間違いはない、とは言えませんので、その点もお含み置きください。(黄鶴仙人)